caguirofie

哲学いろいろ

柿本人麻呂の方法への序説

#34

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 われわれはなぜかしこくならなければならないか(その四) 巻九を終え 巻十に移ろう。 巻十は それぞれのカテゴリとしては すべて取り上げた。春の雑歌(1812〜18:《霞霏微》)に始まる春の相聞・秋の雑歌・相…

#33

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 われわれはなぜかしこくならなければならないか(その三) 次つぎと 未掲出の歌について考える。巻三・挽歌の三首。 426 草枕 覉宿尓 誰嬬可 国忘有 家 待真国 ・ 草枕旅の宿りに誰が夫(つま)か国忘れたる家待た…

#32

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 われわれはなぜかしこくならなければならないか(その二) 人麻呂のいまだ取り上げていなかった他の歌を取り上げる。 巻一から順を追って取り上げる。人麻呂の歌は 歌集を含めて 合計四百五十七首ある。もっとも 歌群…

#31

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 われわれはなぜかしこくあらなければならないか(その一) 私たちが 不可変的・不可視的な至高の生命を持ち 肉なる・地(つち)なる死すべき・滅ぶべき存在にして 不可変的・不可視的な至高の生命を持ち かつご自身で…

#30

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 Inter-Susanowoïsme――性・対関係・相聞 2――(その五) 前説の仮想について 敷衍していきたい。 まず この雑歌十八首の一編の中に ほかに《けむ》または《かね》の語句はない。したがって 他の用例によって この検証を…

#29

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 Inter-Susanowoïsme――性・対関係・相聞 2――(その四) 後半では 例によって人麻呂歌集を掲げることにする。まだ取り上げていなかった中から 巻七の旋頭歌形式以外の雑歌の部に載せられたもの。巻七からは 雑歌の部の…

#28

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 Inter-Susanowoïsme――性・対関係・相聞 2――(その三) 実践主観について パウロは次のように述べて これを総括している。 わたしたちは またもや 自己推薦をし始めているのだろうか。それとも ある人びとのように あ…

#27

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 Inter-Susanowoïsme――性・対関係・相聞 2――(その二) けれども ヤシロの主宰者であったイザナキは その《三はしらの貴き子》に対して それぞれそのヤシロの役割分担を命じた。アマテラスには スーパーヤシロを ツク…

#25

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 Inter-Susanowoïsme――性・対関係・相聞 2――(その一) ここでは 同じくインタスサノヲイスムと題しているが 前章の省察を発展させることが 目的ではない。

#24

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 性・対関係・相聞 1 ――インタスサノヲイスムについて――(その四) インタスサノヲイスムの第二命題に帰ることができる。また そうする必要がある。 自然史過程を自然史過程として うたの構造をうたの構造として その…

#23

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 性・対関係・相聞 1 ――インタスサノヲイスムについて――(その三) ここで 相聞歌の問題を取り上げるべきである。 次の点が その原理として考えられる。すなわち インタスサノヲイスムの第二命題である。非アマテラシ…

#22

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 性・対関係・相聞 1 ――インタスサノヲイスムについて――(その二) さて 相聞におけるうたの構造は いかなるかたちを採って現われるのか。いかなる動態的なかたちをとるのか。 あるいは 原形的なS−A連関主体としての…

#21

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 性・対関係・相聞 1 ――インタスサノヲイスムについて―― 前章で 次のようなことを述べた。 一般スサノヲ市民から成るヤシロの中で みな一人ひとり原形的な《アマテラス(A)‐スサノヲ(S)連関》としての主体である…

#20

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 《シントイスム‐クリスチア二スム》連関(神神習合)について――梅原古代学の方法への批判――(その五) 《したがって 今でも存在しない三一性(たとえば 真理の坑道の限界を超えてあるであろうとする 演出されたカミの…

#19

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 《シントイスム‐クリスチア二スム》連関(神神習合)について――梅原古代学の方法への批判――(その四) 梅原は その古代学の探検において言っている。 ウソがあれば これを捨て去るのではなくて このウソが何故作成され…

#18

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 《シントイスム‐クリスチア二スム》連関(神神習合)について――梅原古代学の方法への批判――(その三) はじめに断わっておきたい。梅原理論を 概念的に論理的に批判することじたいは むしろ優しいことである。なぜなら…

#17

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 《シントイスム‐クリスチア二スム》連関(神神習合)について――梅原古代学の方法への批判――(その二) 次に問題となることは 共同主観としての《キャピタリスム(知解=労働・生産;立法) / デモクラシ(記憶=組織;…

#16

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 《シントイスム‐クリスチア二スム》連関(神神習合)について――梅原古代学の方法への批判――(その一) 神神習合の うしろの《神》は クリスチア二スムの神学のことである。前の《神》は 神仏習合=《シントイスム‐ブッ…

#15

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 方法としての人麻呂長歌(その五) 次の長歌には 人麻呂の不満が消えている。これをどう解釈するか。 柿本朝臣人麻呂 新田部皇子に献る歌一首 併に短歌 やすみしし わご大王 高輝(て)らす 日の皇子 栄えます 大殿の…

#14

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 方法としての人麻呂長歌(その四) 巻三に移ってその雑歌の部の挽歌を引き続いて取り上げたい。 長皇子(ながのみこ) 猟路(かりぢ)の池に遊(いでま)しし時 柿本朝臣人麻呂の作る歌一首 併に短歌 やすみしし わご…

#13

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 方法としての人麻呂長歌(その三) 人麻呂の《妻 死(みまか)りし時 泣血哀慟して作る歌》(207)については ここで割愛する。これを取り上げるには 詳しい背景の説明が必要となるのが その第一の理由である。 こ…

#12

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 方法としての人麻呂長歌(その二) 次の長い長い長歌で 高市皇子(たけちのみこ)とは 天武天皇の第八皇子で 六七二年の乱に大功を立て 草壁皇子の没後 太政大臣となり持統十年(696) 没した人物である。

#11

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 方法としての人麻呂長歌(その一) 長歌形式だから どうこうということは ないであろう。ただ 人麻呂の歌について まだ言い及んでいないものの中から ここでは 長歌〔およびその反歌ないし短歌との一組み〕を取り上げて…

#10

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 《霞霏微》(その四) この巻の秋の雑歌の七夕をうたう人麻呂歌集(1996〜2033)は すでに取り上げた。 前掲の漱石英詩註とのかんれんで 秋の相聞および冬の歌を 以下の余白に取り上げておこう。 人麻呂歌集・…

#9

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 《霞霏微》(その三) われわれは 《知恵ある者を責め》えたであろうか。 人麻呂歌集・春の雑歌に先導されるようにうたわれる《鳥を詠む》《雲を詠む》《霞を詠む》等々の万葉集・雑歌を すでにうたいうるであろうか。…

#8

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 《霞霏微》(その二) われわれは したがって次に 《子》や《妻》の語が織り込まれた他の歌に逃れねばならない。 子等我手乎巻〔向山〕 今朝去而明日者来牟等云子鹿旦妻〔山〕 子等名丹関之宜朝妻〔之片山〕 《子らが…

#7

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 《霞霏微*1》(その一) 1812 ひさかたの天の香具山このゆふべ霞たなびく春立つらしも ・ 久方之 天芳山 此夕 霞霏微 春立下 1813 巻向の檜原(ひはら)に立てる春霞おぼにし思はば なづみ来(こ)めやも ・ …

#6

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 漱石英詩註(その五) さて 最後に掲げようとする詩は すでに一部を引いた《 I rested my head... 》のうたである。 《かのじょのすすり泣く胸に われはこうべをゆだねた》と始めて 第二連で すでに触れたように 双条…

#5

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813) 漱石英詩註(その四) そこでわれわれは 漱石英詩の世界に戻ろう。 なおその前に もう一点細かいことを申すならば タケミカヅチは 古事記の神学において イザナキが 火神(カグツチ)を斬り殺したとき その剣のつば…

#4

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813 漱石英詩註(その三) 人麻呂の七夕歌集の全体から言って この第2029番のうた――未来形が現在形となろうとしているとき――よりあとの歌は 四首残すのみである。 全体の最後の2033番の歌が うた自体が難解(未だ…