caguirofie

哲学いろいろ

#8

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813

《霞霏微》(その二)

われわれは したがって次に 《子》や《妻》の語が織り込まれた他の歌に逃れねばならない。

等我手乎巻〔向山〕
今朝去而明日者来牟等云子鹿旦〔山〕
等名丹関之宜朝〔之片山〕

《子らが手を巻き‐子等我手乎巻》には 当然のことながらまず 《なづみ来めやも‐名積米八方》の主題が考えられるが 《妻》にも同じこの生活・家庭をとおした主題が語られているのだろうか。
《今朝帰って行って 明日はまた来ようと言った人の妻》(大系)あるいは 《少女の名に 懸けて呼ぶのにふさわしい朝妻》(大系)とは何か。何も言い表わすことはないのか。つまり この初期万葉の時代にもすでに その原義はほとんど薄れて ただ序詞として 次の句の趣旨を言い出すためにのみ用いられたものなのだろうか。
あるいは最後の歌(1818)で 助詞《に‐尓》を 意味のないものとしてではなく 《尓(爾・なんじ)》の意を表わすとするならば 《朝妻よ 片山木のようなおまえよ》とでも言っているのだろうか。《きし(岸は 崖のことである)》の語を分解して ただし《岸》は《一方にだけ傾斜のある山の崖》(大系)との意をも汲んで 《片山木〔の爾〕》などと呼ばねばならない情況があったというのであろうか。
《霞多奈引》は もしこの線を汲みつづけるなら 《おぼろげの内にも〔霞〕 どうして〔奈(いかに)〕 こんなに強く〔多〕 わが心を引く〔引〕のか》と言っているかも知れない。または 《いたづらに〔霞〕〔奈(柰*1の俗字=ナ・ダイ=からなし・あかなし・べにりんご)〕柰を採って暮らすことか》などとまで 主題は続くのだろうか。《わたしは ぼんやりした気持ちなどではない(鬱之思者 名積米八方)》と言いたげなのであろうか。
あるいは これらすべて かすみがかかったように いまは春だと言って 山々の自然に詠じているというのだろうか。
おそらくわたしは これら春の雑歌七首に対して これまで何も言って来なかった。しかも これらの歌にうたわれた世界が 当時の人びとの世界一般にも つながったものなのだと解することで満足すべきなのだろうか。


以上の私註が 恣意的な私註でないことを明らかにするために もう一度 全七首を洗いなおして見る必要がある。それは 次のごとくである。
《人間の人間に対する関係(二角協働関係)は 人間と自然との関係に現われるその姿を写し これは 男の女に対する関係(一対の関係)にすべてが表現される》というほどの意味のことを仮りに想定するならば――そう想定するからには――われわれは 人麻呂のうたは 人間としてのペルソナ(うたの構造・その構成)が セックス(対の関係の形式 だから その内容)という局面において またそれを中心として うたわれたと仮想するからである。

  • それは ひとりの古代市民としてあるとき そこでは キャピタリスト近代市民としてと同じように 資本(つきあい)と観念の資本(主観・うたの構造)とが 前古代市民的なまたは封建市民的なそれぞれの時代とは違って おおむね相即的に歩み寄り営まれたと思われるからである。

ここ(人麻呂のうた)では 対関係および自然に立脚しているかぎり そしてそれは 方向を異にしながらも 近代市民キャピタリストの方法と必ずしもそう遠く離れているとも思わないのだが 方法(主観)が 社会の全体にわたって その現実の制約や矛盾とさらにその矛盾克服の過程における矛盾とにかかわらず おおむね 疎外されていないと言わなければなるまいと考えるからである。
かれらの方法 および その滞留であるところの 方法の方法 そしてさらにまた その方法というように 無限に自乗して編み出される思惟内省=行為の形式が 言葉によって表現(=外化=疎外)されたのち なおもみづからのもとに残っている。ないし還って来る。これは 原理的に――もともと―― そうなのだと思われる。

  • いわゆる近代市民の経済学の論理体系における 矛盾解決への無矛盾を想え。《 cool head 》。また これを批判したマルクシスト経済学の 矛盾解決への現実的矛盾=ミュトス的無矛盾としての共同主観 そしてその論理体系のやはり無矛盾を。

したがって 要約して言えることは 人麻呂のうた ないし 万葉一般の歌は セックスに関係し それに対するひとつの共同主観的な主導形式(これが 社会的に全体的な共同自治の様式形成へと発展する)をうたっている。そういう人間の知恵の一形式なのだと考えられる。
すなわち 万葉集は エロスに対する 人間の自立をうたっている。人麻呂の歌は この対関係に対する一つの普遍的な形式(イデア)をうたった人間の言葉だと解される。それ以外に 意味はなく それは社会のすべてに対する原理(はじめ)なのだとも考えられる。すでにこのことは そうはっきりさせるべきだと思われる。
こうあからさまに主張するのは ほかでもない。春の雑歌七首は 次のことをわれわれに明らかに語って その主観共同を なお 促しているとさえ言わざるをえないからである。
この視点に立てば まずはじめの三首の歌は その序論をなすであろう。あとの四首の歌が 本論を構成するであろう。
1815番。《子らが手を巻向山に春されば》は 《子》が 子どもを意味するのではなく 男にとっての女 男に対する女であるというのは 自明である。これが ポルノグラフィではなく 一つの神学である点は 自立ないし共同自治への思想を原理的に表現しようとするからである。《木葉凌而 霞霏微》と下の句で受けてうたって たとえば1818番の《霞多奈引》と一線を画するからである。どういうことか。
人麻呂は 《朝妻の片山岸に霞多奈引》と言うのであって 《木の葉しのぎて なおかつ多奈引く――心がうしろへと引かれる――》とは うたわないからである。最後の1818番とほかの歌々とは 同じうたの構造をもって しかもうたの内容において 互いに一線を画すると言うべきだからである。《霞多奈引》のところへ 一種 美学的な《霏微》の文字をあてることは出来ず その逆も 真であることは 明白なのである。
1818番以外の歌には たとえば《多靡》《棚引》などと表記すれば それは 自然詠歌としては成功であろうと思われるが 対関係の形式の歌としては まだ失敗である。せいぜい《多靡》として 主観の自立――それは《他者》の主観でもある――を表現しきるしかないものであり しかし それも《霏微》の文字の神学的成功からは遠いであろう。
《霏微》の語は 当時の中国語音にあてはめて 《フェイウェイ》といった発音に擬せられると言われるが そして人麻呂ないしその周辺の人びとは このことを学んで承知していたであろうと推測されるが それは 相聞の共同貨幣的成立または呪術幻想による共同相聞歌に陥ることなく―貨幣を通した愛や マインドコントロールによる愛に陥ることなく―― しかも 真正の対関係幻想をうたうにもっともふさわしい芸術の成功をおさめていると言うべきである。(この点 梅原猛・前掲書などの見解が参照される。)
また 雨冠の連続は やはりその表現が 単なる論理における成功つまり 観念の貨幣的な対関係共同の成立へと導かれることを拒否してあまりあると言うべきなのだ。われわれは この成功を継承してゆくべきだろう。そうすることができる。
《玉蜻 夕去来而 佐豆人之 弓月我高荷 霞霏微》 ここにも 《霞多奈引》でないことによって 恋々とした感情からの自由 または めめしい自立からの自由が 誇り高くうたわれることを見る。こう考えるなら なおくだくだしくこの議論を重ねて 滞留の滞留へとみちびかれて 対関係の閉鎖性を強調する方角へ走ることは避けたい。春の雑歌の成功は そこにあると言わなければなるまい。

  • もっとも《古の人の植ゑけむ杉が枝に》の歌は 難解である。あるいは 《石上(いそのかみ)布留の神杉 神さびし恋をもわれは更にするかも》(巻十一・2417)の歌が参照されるとは思うが ここでは そこまで立ち入らないことが 賢明であろう。

ただそれにしても 終わりの二首の歌 同じ《あさつま山》をうたった二首の歌の対照には どうこたえるべきであろうか。

〔今朝去而明日来牟等云子鹿〕旦妻山・・・・〔丹〕霞霏微


〔子等名丹関之宜〕朝妻之片山木之・・・・・〔尓〕霞多奈引

《あさつま山》の何が 一方で 《霏微》をみちびき出し 何が 他方で《多奈引》の表現を持たせたというのであろうか。
たとえば 《あさ》の表記のちがい 《旦》と《朝》に 対関係にかんする概念において 方向の違いがあると言うのだろうか。日が地平線にのぼる象形文字の《旦》に対して 《朝廷》に通じる《朝》には何か否定的な契機が存在したとでも言うのであろうか。人麻呂やのちの万葉集の撰者の視点に確かにこのことが暗示されていたのであろうか。
《朝》をたしかに S圏の仮象(抽象的一般性)であるA圏に擬して そこでは 対関係が 抽象概念なるアマテラス語すなわち観念の貨幣によって成立するということを見透していたのであろうか。貨幣と観念の貨幣とが 相即的に歩む(歩み始めた)この時代に なおかつ かれら古代市民は この哲学的な原理を 見透していたと言うのであろうか。この原理の表明は 寓意によってしか表明されず これを いまこのようにあからさまに表明することは 人間の言葉を超えて 神の言葉に後退すると言うべきなのであろうか。そうであろうか。
《朝妻の片山木のようなおまえには なんで心がひかれるものか》という表明は 神の言葉であって 人間の有(もの)ではないのであろうか。わたしは そうだと言うのは 正しいと思う。この表明は 人間の有としては 正しくないと思う。しかもなお これを密教圏における寓意的な表明に押しとどめておくことは まちがいであると思う。
人間の知恵が そこまで到達していけない法はないとした上で そのあとで 全山の樹々を見 その自然を詠じることができると思う。《もしわたしたちが この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば わたしたちは すべての人の中でもっともあわれむべき存在となる》(パウロコリント人への第一の手紙 (聖書の使信 私訳・注釈・説教) 15:19)と思うからである。どういうことか。
だから この神学は われわれの有である。これが ヤシロロジ(市民社会学)を構成しないと誰があつかましくも言おう。だから 《子らが名に懸けの宜しき朝妻の片山岸に霞たなびく》は われわれにとって 否定されている。もしくは 先に漱石英詩に見た《かのじょの踊り――アマテラスの踊り》を構成している。
もしわれわれが《ヒトコトヌシ(一言主)とオホタタネコとオホモノヌシ》との神の三位一体を信じる視点に立って ヤシロロジを始めるとするならば この《かのじょの踊り》を超えて行かねばならない。《海よ おまえはなぜ逃げるのか。山よ おまえたちはどうして雄羊のように踊るのか》と 《もっともわたくしなる地点》に立って ヤシロの存続を継承してゆかねばならぬ。この時代に われわれが入りつつあるのではないとあつかましくも述べる者が 誰かいるだろうか。
この表明は 人間の有である。譲歩した人間の言葉である。人間の知恵が この地点からのみ 主観共同化され 共同自治をきづくものにほかならないからには この言挙げをわれわれは しないことによって われわれ自身を誇るべきでないからである。われわれは この時代に入ったと言おう。
これは 《かみの国が この地上にも行なわれるように》(マタイによる福音書6:10)という祈りの実現なのであって しかもわれわれは《これから どうなるのか わからない》。それは われわれが つねに《ひかり‐やみ》連関としてその中にしかいないという初めの原理による。しかし 時代は このことを要請していると思う。それは 人麻呂の方法が明らかにしたそのものであり しかもさらに新しいアマテラス者をともなって われわれは 地上に生きるというべきであろうか。それとも この議論は 滞留しすぎたうたの議論であろうか。
われわれは 譲歩して 次のように言おう。《鬱にし思はば 名積米八方》と。これが 全スサノヲイストのうたの共同性たるちからであると思う。あとのことは 幻想に属すると。
(つづく→2006-08-22 - caguirofie060822)

*1:柰:木に示を書く。