2007-07-01から1ヶ月間の記事一覧
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第六章 理論としてのキリスト史観(2――前提をさらに理論化する) 第三節 シントイスム(神道)は この第一の幕屋である このように見てきたかぎりで ヘブライ人つまりユダヤ人は 日本…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第六章 理論としてのキリスト史観(2――前提をさらに理論化する) 第二節b 史観は至聖所に入る門であり 理論はその前なる幕屋である さてわたしたちは もろもろの天を通過された偉大な…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第六章 理論としてのキリスト史観(2――前提をさらに理論化する) 第二節a 史観は至聖所に入る門であり 理論はその前なる幕屋である 史観が 自己の主観形成の過程〔としての人間〕であ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第六章 理論としてのキリスト史観(2――前提をさらに理論化する) 第一節c 理論としてのキリスト史観は つねに工事中である 史観が 自己の主観形成として つねに過程であるとするなら …
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第六章 理論としてのキリスト史観(2――前提をさらに理論化する) 第一節b 理論としてのキリスト史観は つねに工事中である これは 傍論ふうに議論するなら いわゆる《我れ考うゆえに我…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第六章 理論としてのキリスト史観(2――前提をさらに理論化する) 第一節a 理論としてのキリスト史観は つねに工事中である このゆえに 死ぬべき 誤謬と悲惨に満ちているこの生において…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第五章 理論としてのキリスト史観(1――その前提) 第六節b 史観の生きる道が 理論の生きる道である ここには確かに あの望楼に立って 現実全体を動きあるものとして その鏡をとおして …
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第五章 理論としてのキリスト史観(1――その前提) 第六節a 史観の生きる道が 理論の生きる道である この章への補足です。 それは これまでに述べたことから キリスト史観は すでに 全…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第五章 理論としてのキリスト史観(1――その前提) 第五節 本書でアウグスティヌスを引くことは 理論としての史観への導入における例示である これまでわたしは アウグスティヌスに拠り…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第五章 理論としてのキリスト史観(1――その前提) 第四節 現在の共同主観の到達地点から捉えるべきであって これに例外はない 前節への追加としてなおわたしは言いますが もし死者の復…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第五章 理論としてのキリスト史観(1――その前提) 第三節 この理論はやはり 共同主観の歴史的な変遷を捉えることである 《地上の国(共同観念形態)についても わたしは沈黙することが…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第五章 理論としてのキリスト史観(1――その前提) 第二節 それではこの理論の基本的な性格は何なにか 次に キリスト史観の理論としての性格は――もはや必ずしも唐突なこととして思われ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第五章 理論としてのキリスト史観(1――その前提) 第一節 キリスト史観は歴史理論として述べうるか ここまで述べてきて いまその当否がどうであれ もはやわたしたちの言うキリスト史観…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第四章 キリスト史観は われわれ人間がキリストに似るであろう史観である 第三節 栄光から栄光へ(3) 肉に従って生きる者は 肉に属するものを考え 霊に従って生きる人は 霊に属するも…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第四章 キリスト史観は われわれ人間がキリストに似るであろう史観である 第一節 栄光から栄光へ わたしたちは またもや自己推薦をしようとしているのでしょうか。それとも ある人びと…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第三章 唯物質史観に対して キリスト史観は 質料〔を共同主観する〕史観である 第七節b 人間キリストは しかし 神の御言である 永遠の生命が告知され与えられるのに 人間の肉体の現実の…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第三章 唯物質史観に対して キリスト史観は 質料〔を共同主観する〕史観である 第七節a 人間キリストは しかし 神の御言である 1 神の御言 私たちはまた神の子 父のひとり子 すなわち…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第三章 唯物質史観に対して キリスト史観は 質料〔を共同主観する〕史観である 第六節 身体史観にとって 人間キリストという《道》が示される ものごとの第一原理をなす神は ペルソナと…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第三章 唯物質史観に対して キリスト史観は 質料〔を共同主観する〕史観である 第五節b キリスト史観は 質料史観として むしろ身体(つまり質料)史観である したがって 〔人間の史観に…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第三章 唯物質史観に対して キリスト史観は 質料〔を共同主観する〕史観である 第五節a キリスト史観は 質料史観として むしろ身体(つまり質料)史観である 質料を 質料としての商品と…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第三章 唯物質史観に対して キリスト史観は 質料〔を共同主観する〕史観である 第四節 キリスト史観は 人間がその告知者(史観)である しかし・・・同じ物体的質料から成るのであるが …
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第三章 唯物質史観に対して キリスト史観は 質料〔を共同主観する〕史観である 第三節 唯物史観は キリスト史観のヘーゲル的な解釈への反措定である それゆえ この可視的なものの質料は…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第三章 唯物質史観に対して キリスト史観は 質料〔を共同主観する〕史観である 第二節b 唯物史観は キリスト史観の一部 しかも歪められた一部である というのは 善人は神を享受するため…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第三章 唯物質史観に対して キリスト史観は 質料〔を共同主観する〕史観である 第二節a 唯物史観は キリスト史観の一部 しかも歪められた一部である わたしたちは この第二節でもなお …
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第三章 唯物質史観に対して キリスト史観は 質料〔を共同主観する〕史観である 第一節b しかし 人間キリストがすべての土台である さて (1)動物も身体の感覚をとおして外側にある《…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第三章 唯物質史観に対して キリスト史観は 質料〔を共同主観する〕史観である 第一節a しかし 人間キリストがすべての土台である 質料――それはたとえばここで その社会的に加工された…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第二章 史観が共同主観であるということ 第六節b 史観は共同主観であるということ ですから 唯物史観は 後者すなわち 《木や草やわらで建てる者〔として 火をくぐって来た者のように す…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第二章 史観が共同主観であるということ 第六節a 史観は共同主観であるということ こういうわけで――と《ローマ書簡》のなかでパウロが述べているそのままを引用することがゆるされると…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第二章 史観が共同主観であるということ 第五節b 概念としての言葉に対する共同主観 まづ語義としては ギリシャ語《 Kuriakon 》とは 《主〔の家〕〕という意味であり 《 ecclesia 》と…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第二章 史観が共同主観であるということ 第五節a 概念としての言葉に対する共同主観 この辺で一度 休憩にしたいと思います。 次の議論は 言葉の語源の問題がからみ この問題には必ずし…