caguirofie

哲学いろいろ

サウロの改名

#18

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ→2008-03-27 - caguirofie080327 第三章 性愛関係をどのように論じてはならないか ――§49―― なるほど かれ(パウロ)もあの光の事件のときサウロからパウロへと改名したあとにそうしたわけだが(つまり宣…

#17

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ→2008-03-27 - caguirofie080327 第三章 性愛関係をどのように論じてはならないか ――§45―― まづこのアブラハムの物語については 事実誤認が見られる。大澤によれば ( u ) ・・・アブラハムは 改名と同…

#16

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ→2008-03-27 - caguirofie080327 第三章 性愛関係をどのように論じてはならないか ――§41―― ちなみにここで 第二論文《貨幣の可能性・愛の不可能性》から 愛にかんする大澤の次の定義を引用しておこう。 …

#15

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ→2008-03-27 - caguirofie080327 第三章 性愛関係をどのように論じてはならないか ――§39―― §39−1 性愛関係は 愛の問題に従属する。愛は あらゆる関係性の原型である。 §39−2 性愛関係は たしかに…

#14

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ→2008-03-27 - caguirofie080327 第二章 信仰とは 非対象についての非思考なる体験(また表現)である ――§38―― (r−12) それ(* 究極の《他者》なる観念の神)は 他のあらゆる諸存在者(* つまり ボ…

#13

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ→2008-03-27 - caguirofie080327 第二章 信仰とは 非対象についての非思考なる体験(また表現)である ――§36―― (r−8) こうして 他者(* 現存するアン)の超越性は 常に 挫折せざるをえない。 (承前…

#12

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ→2008-03-27 - caguirofie080327 第二章 信仰とは 非対象についての非思考なる体験(また表現)である ――§33―― 人の眼や世間の眼がわたしの孤独宇宙の絶対の無力を知らしめ 有効な他者関係を築くとは ほ…

#11

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ→2008-03-27 - caguirofie080327 第二章 信仰とは 非対象についての非思考なる体験(また表現)である ――§30―― 自由意志の孤独が他者のそれに対して 絶対の無力であるとき――すなわち他者関係がそのよう…

#10

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ→2008-03-27 - caguirofie080327 第二章 信仰とは 非対象についての非思考なる体験(また表現)である ――§27―― われわれの立ち場はこうである。 ボブはおのれの孤独宇宙のあたかもその地平にたどりつい…

#9

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ→2008-03-27 - caguirofie080327 第二章 信仰とは 非対象についての非思考なる体験(また表現)である ――§24―― 《孤独・性愛・信仰》の章は 次の八つの節立てから成っている。 存在論的孤独あるいは不眠…

#8

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ→2008-03-27 - caguirofie080327 第一章 ボブもアンも その《わたし》は 社会的な関係存在であると同時に 社会的な独立存在である ――§21―― つづいて この死の問題を介在させて 議論は どのように運ばれ…

#7

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ→2008-03-27 - caguirofie080327 第一章 ボブもアンも その《わたし》は 社会的な関係存在であると同時に 社会的な独立存在である ――§18―― 論点は 次のように整理しうる。 (B−8) 死は 孤独宇宙に対し…

#6

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ→2008-03-27 - caguirofie080327 第一章 ボブもアンも その《わたし》は 社会的な関係存在であると同時に 社会的な独立存在である ――§16―― それでは 孤独の《解除》とは何であると言おうとしているので…

#5

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ→2008-03-27 - caguirofie080327 第一章 ボブもアンも その《わたし》は 社会的な関係存在であると同時に 社会的な独立存在である ――§14―― すなわちわれわれは ボブやアンが ( A−1/ A−2 )の場合のよ…

#4

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ→2008-03-27 - caguirofie080327 第一章 ボブもアンも その《わたし》は 社会的な関係存在であると同時に 社会的な独立存在である ――§12―― 大澤の議論は 参考にしうる。またそこでわれわれとの異同を明…

#3

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ→2008-03-27 - caguirofie080327 第一章 ボブもアンも その《わたし》は 社会的な関係存在であると同時に 社会的な独立存在である ――§10―― ボブがアンに 大澤真幸著『性愛と資本主義』を読んだかい?と…

#2

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ→2008-03-27 - caguirofie080327 ――§5―― この序論において話をもう少し進めておきたいと思う。前段§3〜§4の議論を引き継いで。―― すなわち (B)の場合のようなボブとアンとの《任意のコミュニケーショ…

#1

――大澤真幸著『性愛と資本主義』への一批判―― もくじ 序章:《ボブとアン》 §1〜§4:本日 §5〜§9:2008-03-28 - caguirofie080328 第一章 ボブもアンも その《わたし》は 社会的な独立存在であると同時に 社会的な関係存在である §10〜§11:2008-03-…