caguirofie

哲学いろいろ

2007-10-01から1ヶ月間の記事一覧

#168

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第十二章a 人間の受け取った聖霊が 現実である 〔47〕 それでは 聖霊は 御子が生まれたとき 御父からすでに発出したのか それともまだ発出しなかったのか また 子が生まれた後 父と子とから発出し…

#167

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第十一章b 鏡からキリスト(三位一体)を見るとき 聖霊を受けよとわれわれは 語りかけられる 〔46 つづき〕 魔術師シモンでさえも 使徒たちに金を差し出して 私が聖霊を与え得るように 《この権能…

#166

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第十一章a 鏡からキリスト(三位一体)を見るとき 聖霊を受けよとわれわれは 語りかけられる 〔第二十六章〕 さらに 神なるあの至高の三位一体においては 先づ御子が御父から生まれ 次にこの御父と…

#165

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第十章 人間の三行為能力の一体は 鏡であり この鏡をとおして見るのでなければならない 〔第二十四章 44つづき〕 だから 見られ得るだけ自分の精神を見 また その精神において私に出来る限り 多く…

#164

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第九章 三一性主体なる人間はそれら三行為能力を 三位一体なる神に関係させることができる 〔第二十三章 43〕 したがって ものそのものである三一性と他のものにおける三一性の似像とは別である。…

#163

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第八章 したがって人間は三一性主体である 〔第二十二章 42〕 この三つの能力は人間のばあいのように一つの人格の中にあるとき 誰かが私たちに 《この記憶 知解 愛 の三つは私の有(もの)である…

#162

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第七章 三位一体(神)の似像が人間である 〔第二十章 39〕 この第十五巻で私は聖書に準拠して信者には十分なほど聖霊について語って来たと思う。信者はすでに聖霊は神であること また聖霊は御父…

#161

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第六章 三位一体〔がむろん神なる愛である〕 〔第二十章 38〕 したがって エウノミウス派という異端の父 エウノミウスの詭弁的な論理は嘲笑すべきである。エウノミウスは御言によって万物は造られた…

#160

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第五章 聖霊は愛なる神である 〔第十九章 36〕 かれらは聖霊は神の賜物であると言われるのを少なくとも認めるから かれらに 《聖霊の賜物》という言葉は 《肉のからだを脱ぎ捨てて》(コロサイ書 …

#159

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第四章 聖霊が神の賜物である 聖霊が神の賜物である というほどに この神から来て神である聖霊の宿る〔各〕主観は 共同化されうる。 もしこのことが ごく普通の共同主観(常識)として捉えられず 何…

#158

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三章 聖霊は神から来て神である 〔第十八章 32 つづき〕 したがって 神から来て神である愛は固有の意味で聖霊であり この聖霊によって 私たちの心に神の愛が注がれ(ローマ書 5:5) この愛に…

#157

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二章 聖霊なる神が固有な意味で 愛である 〔31〕 だから 聖霊や父ご自身も一般的な意味では知恵であるのに 神の唯一なる御言が固有の意味で知恵と呼ばれるように 父と子も一般的な意味では愛で…

#156

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第一章 神は愛である 〔27〕(原典の節区分) 私たちは この鏡をとおして この謎において見ることが出来た限り 父と子について十分に語った。今や神が私たちに見ることを許したまう限り 聖霊につ…

#155

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第三部 キリスト史観 第七章 《妻籠みに八重垣作る その八重垣を》 第八節b 《八雲立つ出雲八重垣 妻籠みに八重垣作る その八重垣を》 わたしは 何を見たのであろうか。わたしは なにを見たと きみは言うだろうか。 八雲立つ…

#154

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第三部 キリスト史観 第七章 《妻籠みに八重垣作る その八重垣を》 第八節a 《八雲立つ出雲八重垣 妻籠みに八重垣作る その八重垣を》 《第十四巻》の最終章は 次のように始められます。 それゆえ 二つの愛が二つの国を造っ…

#153

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第三部 キリスト史観 第七章 《妻籠みに八重垣作る その八重垣を》 第七節 《妻をこもらせるために》から《妻と共に》へ 《第五章 最終的に死が滅ぼされる》から《第六章 八雲立つ出雲八重垣》そして この《第七章 妻籠みに…

#152

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第三部 キリスト史観 第七章 《妻籠みに八重垣作る その八重垣を》 第六節 高慢が八重垣を逸脱させる しかしわたしたちが このように言うのも ここでは また現代の時点では 国家という社会形態が 八重垣なるやしろの建設を阻…

#151

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第三部 キリスト史観 第七章 《妻籠みに八重垣作る その八重垣を》 第五節b アマアガリの時間からもたらされる快活な恐れ 《結婚》というA者概念および現代ではその法律となったA語が 九番目の垣根となってのように 顔蔽いと…

#150

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第三部 キリスト史観 第七章 《妻籠みに八重垣作る その八重垣を》 第五節a アマアガリの時間からもたらされる快活な恐れ アマアガリの時間をたしかに見出してのように 身体を離れず あの快活な恐れをも辞さず あるいはむし…

#149

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第三部 キリスト史観 第七章 《妻籠みに八重垣作る その八重垣を》 第四節 無感覚は健全さではない アマアガリの時間は 身体を離れてはありえない。しかも このことは正当にも 第一のスサノヲとクシナダヒメのスガの宮が 第…

#148

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第三部 キリスト史観 第七章 《妻籠みに八重垣作る その八重垣を》 第三節 結婚ということ このように考察してくるならば 史観にとって あるいは人間の歴史において 性としては女である人間 かのじょの存在とその役割が とり…

#147

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第三部 キリスト史観 第七章 《妻籠みに八重垣作る その八重垣を》 第二節b 欲情のない生殖としてのアマアガリの時間 ・・・アウグスティヌス自身は 次のように すでに引用した言葉にあったように《弁明》しつつ しかしその…

#146

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第三部 キリスト史観 第七章 《妻籠みに八重垣作る その八重垣を》 第二節a 欲情のない生殖としてのアマアガリの時間 《市民社会学原論》では 対(つい・男女両性)の関係として 愛欲の多角的な関係形式と唯一なる関係形式と…

#145

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第三部 キリスト史観 第七章 《妻籠みに八重垣作る その八重垣を》 第一節 《妻籠みに八重垣作る》 され スサノヲのミコトは まづ その父・イザナキのミコトによって課せられた《海原の統治》(第一部・§10)を いさぎよく…

#144

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第三部 キリスト史観 第六章 八雲立つ出雲八重垣 第七節 《第三のスサノヲ》のくに 《八雲立つ出雲八重垣》の章の最終節は 以上に述べた点を概観しつつ 次の問題点をも取り上げるということになります。 キリストは死者の中…

#143

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第三部 キリスト史観 第六章 八雲立つ出雲八重垣 第六節 アマアガリするスサノヲ者の身体は 第一のスサノヲ(アダム)の身体に優る すでに 前節に見た《神の国について》第十三巻第二十章でも その表題に要約されるとおり 復…

#142

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第三部 キリスト史観 第六章 八雲立つ出雲八重垣 第五節 《アマアガリ》ということ それゆえ 世を去る聖徒たちの霊魂は身体からの分離による死のつらさを経験することはない。なぜなら かれらの肉は希望の中に安息を見出し …

#141

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第三部 キリスト史観 第六章 八雲立つ出雲八重垣 第四節 第二の死を避けるとはどういうことか 第二の死を避けるとは――まづ当然 第一の死を経過しているのであるから これから復活して来なければならないわけですが またこの…

#140

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第三部 キリスト史観 第六章 八雲立つ出雲八重垣 第三節 ふたたび 人間のアマテラス語理論の欠陥について 《神の国について》の第十三巻をさらに読みつづけたいと思います。 つづく四つの章は 各表題を示すなら次のごとくで…

#139

もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第三部 キリスト史観 第六章 八雲立つ出雲八重垣 第二節b 八雲立つ出雲八重垣 これは 第二の死を・その向きを変えられるのです。第三のアダムとしての神の似像 そして新しいエルサレムなるやしろの時間である。《罪を犯さな…