caguirofie

哲学いろいろ

#145

もくじ→2005-05-13 - caguirofie

第三部 キリスト史観

第七章 《妻籠みに八重垣作る その八重垣を》

第一節 《妻籠みに八重垣作る》

され スサノヲのミコトは まづ その父・イザナキのミコトによって課せられた《海原の統治》(第一部・§10)を いさぎよく担おうとは思わなかったのでした。ウナハラは 空間として《ここ》でない所 また日本の地に渡来する以前にいた祖国 したがって精神的に言って《あの世》〔としての《やしろ》の秘所〕 また《〔夜の〕闇》ではなく《夜見(黄泉)のくに》とも言うべき所であります。これの統治――人間による統治!――を任されたことを快く思わなかったということは そこで 《巫》とも言うべき専任的・専門的な司祭の職務を快く思わなかったことである。言いかえると ここですでに 前古代市民的な《未開》社会の統治(罪の共同自治)方式を潔く引き受けようとは思わなかったことと考えられます。
国家という社会形態の成立以前の《未開》の情況では むろん人びとは《A者‐S者の連関》なる主体で基本的にはあったとは言え これらの両概念(実体・言語)が 渾然一体となっており 〔未開社会の〕王もしくは巫覡たちも かれらは統治者であはったとであろうものの 必ずしも自覚的な・あるいは落ち着くべく安定して確立されたかたちでの専門的なA者ではなかった。

  • 歴史的な事実として この形態が長く続いたであろうと見られる反面で それは 基本的に・あるいは原理的に 時間的存在の社会的なあり方として 安定して確立されるべきものでもなかった。A者‐S者連関が渾然一体の自由は その自由が 混然として・もしくは自由に 破壊されうる自由でもある。だから《未開》と言われるが もしそうでないと言うには その後の現代社会までの進展を 《過開(開き過ぎ)》と言わなければならない。そうして 《過度の開化》と言った人は そのような一分析(そのようなアマテラス語理論)に甘んじることなく 歴史を 生きた史観として 綜合していなければならない。わたしたちも この歴史のアウフヘーベンを目指しているのであるが このような方面からの接近をいま採らない。
  • 第一のスサノヲの楽園よりも 第三のスサノヲ者の出雲八重垣のほうが まさったものになっているはづであると言ってのようにである。この主観(わがまま・勝手)を神はゆるされた。また 第一のスサノヲも このあとで見るように 《妣(はは)の国》に帰ろうとしたが つまり精神的に或る意味で《未開》のやしろに帰ろうとしたが 現実に イヅモで前向きにその共同体を築いた。等々。

逆に言って いまスサノヲが もっぱらのA者の先駆的な形態なる専門的巫者の立ち場を
嫌ったということは――《ひげが胸先に伸びるほど放っておくまでに泣きつづけた》=《登校拒否・モラトリアム人間》?―― この《未開》のやしろの形態 そしてさらにより具体的に言うと そのような《司祭》職が 外的に 分離・分立・分業してのように罪の共同自治を行なう方式を嫌ったことのように解されるでしょう。

  • 現代で言うならば もはや靖国神社を任されることを嫌った ヒコクミンになることをも覚悟した。

スサノヲはそこで 父イザナキにこのことを話し――だから とうぜんと言うように――父からは 《もはやこの国に住むべからず》と命じられた。命じられても 自己の信仰を押し通すほどに かの〔形態的な〕祖国(妣の国)に帰ろうとする。そこで その途中 姉であるアマテラス〔オホミカミ〕の所にも 暇乞いに立ち寄る。アマテラスは 《ウナハラを知らすスサノヲ〔と夜の食(を)す国を知らすツクヨミと〕》を知らす統治者であった。

  • または そうでなかった。つまりそのような分業・分権は まだ出来上がっていなかったが 《古事記》成立時つまり国家確立の時期に このあたかも分権を この未開古代のやしろの中にそのように読み込まれたとも考えなければならない。そのときには スサノヲは 血縁によってつながる人もしくは種族に対して あいさつに行ったのであろう。

アマテラス(個人または種族。また あの罪の共同自治のここで最終的な主宰者であった場合にも また そうではなかった場合にも)は 《弟は わが国を奪おうとしてやって来るのに違いない》と思ったと記されている。ここでは このことや それにつづく両者の《安の河での〈うけひ〉》や《天の石屋戸でのできごと》について 省略するとするならば スサノヲは そのようにして ウナハラの統治者であることを嫌い かつこのタカマノハラをも追いやられて 祖国への旅路についた。(これは すでに《巡礼》にも比されるべき時間的存在の生の過程を 暗示する)。
タカマノハラA圏を追われたスサノヲがたどり着いた(あるいは立ち寄った)ところが イヅモの国であったことは述べるまでもない。

故(かれ) 避追(やら)はえて 出雲の国の肥(ひ)の河上 名は鳥髪といふ地に降りたまひき。
古事記

ここでは 《大山つ霊(み)の神の子》 アシナヅチテナヅチという〔夫婦なる〕者が くにを治めていた。スサノヲは かれらのむすめで名はクシナダヒメ(奇稲田日女)とのあいだに 恋におちた。ちょうどこのイヅモなるムラ(そこは S圏)に敵対する異族でヤマタのヲロチと呼ばれる者の侵略を阻止するのに功あって かれらを打ち負かしたところで かのじょクシナダヒメとの婚姻が成就します。――あたかも あのA圏追放という第一の死から 第二の死を用意して待ちかまえる空中の権能・ヤマタのヲロチを征服してのように 〔第一の〕復活がここに成ります。
そこでスサノヲは 宮(新しいエルサレム)を造るべく よき所を探し求め スガ(須賀)の地にこれを見出します。

吾れ此地に来て 我が御心すがすがし。
古事記

と。あたかも はじめの魂的な身体が 第一の死(罪)に追いやられ しかし復活がなって 霊的な身体を受け取ってのように。ここで かの歌がうたわれるというわけです。

この大神(スサノヲ) 初めて須賀の宮を作りたまひし時 其の地より雲 立ち騰(のぼ)りき。ここに御歌を作(よ)みたまひき。その歌は

八雲立つ
出雲八重垣
妻籠みに
八重垣作る
その八重垣を
古事記

エルサレムのために平安を祈れ。
   エルサレムを愛する者は栄え
   その城壁のうちに平安があり
   もろもろの殿のうちに安全があるように
と。

ぞ。〔ここに そのアシナヅチのカミを喚(よ)びて 《汝(な)は我が宮の首(おびと)たれ》と告(の)りたまひ また名を負せて 稲田の宮主 須賀の八耳のカミとなづけたまひき。
古事記 上つ巻)

ちょうど 《あなたたちは 〈人の子〉が全能の神の右に坐り / 天の雲に囲まれて来るのを見るであろう》と言うごとく 時間的存在が 霊的な人間となってのように その内なる主観(身体およびこころ)に 霊なるやしろを築くというようにしてであることは 言うよりも目に見えて明らかです。またここに 《神話の時間(史観の原理とも言うべきもの)》が 《歴史の時間(生きた史観。つまり 経験的なものごと)》と あたかも何の距離も隔てず つながってあることが見られるということでなければならない。この神話は 現実でしょう。
こうして そこでいまわれわれの問題は 《妻籠みに(つまり 妻をこもらせるために または 妻と共に。そして前者は 第一のアダム・律法の時代に関係するようにして 後者が 第三のアダムの時間であると思われるごとく。つまり男女両性の平等)》ということであるというのが 前章の最後にみちびかれた点であったのでした。もう少し言いかえて この点の内容を確認するならば 人間は 最終的に死が滅ぼされて(つまり はじめの身体が死なないというのではない) 生命の木である人間キリスト・イエスの〔その地上の〕生の像にあやかると言われるとき あたかも時間的な順序を逆にするようにして むしろすでに突き刺さっている《死のとげ》である罪(時間知) とりわけここでは情欲(あるいは 第一部で見たように 孤独ないし愛欲もしくは所有欲・支配欲など)が どのようにして 時間的存在の行為の中に過程されるものであるか。なぜなら この孤独ないし非孤独としての法欲が 人間の歴史的に なかったなら つまりそのような時間(時間知)がなかったなら このような《妻ごみに》といううたは うたわれることもなく そもそも 子孫に受け継がれることもなかったであろうと見る歴史観に対して われわれは 回答を寄せることを要請されている。

  • 妻籠みに》ということは 聖書では 《だから人は 父母を離れてその妻と結ばれ 二人は一体となる》(創世記 2:24)と言われることがらです。

この問題は 前章の最後に わたしたちは《市民社会学(ヤシロロジ)原論――源氏物語に寄せて――》で省察したと言っていた点ですが いま――その言葉をひるがえしてのように―― ここで別の角度から扱ってみたいと思うことなのです。また アウグスティヌス神の国について》の第十四巻を すでに触れていたように 参照したいと思うところです。


問題は 時間的存在が第三のスサノヲ者となるアマアガリにかんして それが――人間の歴史的には 正当にも―― 男女両性の関係として すなわち《妻籠みに》というかたちで これを基本として行なわれるということ。また 実際そうであり かつ一般にそうでなければならないとも言われうること ここにある。

  • ここで《妻ごみに》もしくは《父母を離れて その妻と結ばれ・・・》と言うように 性としては男の立ち場から言われることは 一言で言うなら 時間的存在たる人間としての両性の原理的な平等のもとに 《男は神の似像でありその栄光であるが 女は男の栄光である》(コリント前書11:7−12)と同じく原理的に言われることから来るものと考えます。またこの点は 重要であり 以下でも触れるつもりです。

また要は ここで先に結論づけて言うとすれば この《妻ごみに》ということが ただA語による律法規範的にではなく 言いかえると 必ずしも《妻をこもらせるために》ではなく 《妻とともに》すなわちそれぞれの主観もしくは両性ともが 霊的な内なるやしろを築き終えてのごとく そしてあたかも男と女とで精神の或る一つの職務を担ってのように 時間的行為が為されていくものであるということ ここにあると考えます。このような主題を先に提出して これの考察にかかりたいと思うのです。
(つづく→2007-10-08 - caguirofie071008)