2007-11-01から1ヶ月間の記事一覧
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十二章b 悪魔はイエスを死に追いやって 勝利したところで イエスの愛(神)を見て 征服された さて まづ個人的なかたちで 自分の弟子の一人であるユダに裏切られ 逮捕され やしろの次元において…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十二章a 悪魔はイエスを死に追いやって 勝利したところで イエスの愛(神)を見て 征服された ユダに悪魔がしのび込んだように この世の支配者であるこの空中の権能は 大祭司カヤパや総督ピラト…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十一章b 悪魔の征服は 悪魔じしんが復活することによってである 次にわたしたちは 大祭司カヤパより上の支配者をここであたかも確認してのように そのローマ人総督と話すイエスを 見出す。ロー…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十一章a 悪魔の征服は 悪魔じしんが復活することによってである さて イエスの死が開始された歴史時間の中に われわれは いま ある。そこで この史観の原理にもとづいてのように そして イエス…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十章b イエスは義によって死に そこで 悪魔の征服(第二の死の方向転換=アマアガリ――第三の基軸――)を成就させた だから 史観の方程式は やしろ全体の次元で その歴史的時間〔の一類型〕が 大…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十章a イエスは義によって死に そこで 悪魔の征服(第二の死の方向転換=アマアガリ――第三の基軸――)を成就させた いま イエスの死が始まっている。 次に 逮捕されたイエスは 《大祭司のもとに…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十九章 イエスの死――ふたたび第一の基軸―― 史観の方程式 《第一の死‐復活‐第二の死の方向転換》にかんして 三つの基軸について これまで次のような構成において述べて来ました。 人間の貌として…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十八章 アマアガリから共同主観へ このほかにも イエスは弟子たちの前で 多くのしるしを行なったが それはこの本に書かれていない。これらのことが書かれたのは あなたたちが イエスは《神の子…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十七章 イエスの復活(第二の基軸)がすでに 人間のアマアガリ(第三の基軸ないしその全体)である 《イエス 弟子たちに現われる》 (参照箇所:マタイ28:16−20 マルコ16:14−18 …
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十六章 イエスの復活――第二の基軸―― ヨハネによる福音は イエスの復活関係の記事として つづいて次の一段を表わす。(以下 記述の順序に沿って 各段落を取り上げる)。《イエス マグダラのマリ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十五章b イエスは《死んだ》のである――史観の原理的な方程式の第一の基軸―― 《主が墓から取り去られた》をめぐるいわゆる学問的な点検・解釈 これはどうであるか わたしは知らない。 西欧の学者…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十五章a イエスは《死んだ》のである――史観の原理的な方程式の第一の基軸―― 最後の食事の席で――すなわち まもなく捕らえられて死につかせられるというその前に―― 弟子たちに語ったキリストの言…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十四章 《共同主観》とは イエスはこのように話してから 天を仰いで言った――と 同じ最後の食事の席のつづきとして しかしもはや イエスひとりの祈りとして ヨハネはさらに記して伝えている――。 …
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十三章 《わたしはすでにこの世に対して勝利している》が 史観の方程式の主観(主体的な観想と行為)である。 最後の食事の席上でのイエスの発言の最後は 《この世に対するイエスの勝利》と題さ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十二章b だからペテロの信仰 《第一の死(罪)》は まづ 人間においてはじめに 在る。(《わたし(キリスト)に付いている枝》であるということ)。あるいは そのように 《第一の死(罪)》の中…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十二章a だからペテロの信仰 前章に見た歴史的時間 やしろの・主観によるかつ共同主観的な建設 これにかんしては やはり 最後の食事の席上でイエスは たとえを用いて説きます。すなわち 《イエ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十一章 したがって われわれの《第一の死‐復活‐アマアガリ》の方程式から成る諸三一性過程の総体(やしろ)が 原理的に その模範なるキリストのからだである この表題に述べた観想的な史観の原…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十章b なぜなら 史観の原理的な方程式つまり《十字架上の死‐復活‐高挙》は 人間キリスト・イエスの時間でもあったから 聖霊の時代というのは 《ピリポよ こんなに長いあいだ一緒にいるのに わた…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十章a なぜなら 史観の原理的な方程式つまり《十字架上の死‐復活‐高挙》は 人間キリスト・イエスの時間でもあったから 史観の方程式とその歴史的時間を素描することによって 聖霊なる神の時代を…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第十九章b イエスの《第一の死‐復活‐アマアガリ》というペテロの類型は その第三の基軸から全体的に見ることができる・この経験的な方程式展開にも 聖霊(この愛によってアマアガリできる)が派遣さ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第十九章a イエスの《第一の死‐復活‐アマアガリ》というペテロの類型は その第三の基軸から全体的に見ることができる・この経験的な方程式展開にも 聖霊(この愛によってアマアガリできる)が派遣さ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第十八章 イエスの《十字架の死‐復活‐アマアガリ(高挙)》が 史観の原理的な方程式である。しかしペテロつまり人間は 《イエスへの離反という第一の死(罪)‐復活(正しさ)‐第二の死の方向転換(…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第十七章 イエスの《十字架の死‐復活‐アマアガリ》をつうじての聖霊の派遣が 人間の《第一の死(罪)‐復活(正しさ)‐第二の死の方向転換=アマアガリ(裁き)》なる三一性ないしその過程を 明らか…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第十六章 イエスの死〔だから復活〕の後の歴史的時間としての聖霊の時代――聖霊は真理の霊として 《罪〔の記憶〕について 正しさ〔の知解〕について また裁き〔なる愛〕について 明らかにする》―― さ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第十五章 聖霊なる神の時代 〔第二十八章 51〕 われらの神 主よ あなたにおいて私たちは御父と御子と聖霊を信じます。真理なるお方が 《行け すべての国人に父と子と聖霊の名においてバプテスマを…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第十四章b だからと言って人間は 愛が記憶と知解とから発出するという三一性の中に閉じこもるわけではない。この三一性なる似像を人間は 三位一体に関係させうる。 逆に言いかえると 信憑性のあると…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第十四章a だからと言って人間は 愛が記憶と知解とから発出するという三一性の中に閉じこもるわけではない。この三一性なる似像を人間は 三位一体に関係させうる。 〔第二十七章 つづき 49〕 しか…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第十三章b 聖霊(愛)は父と子とから発出する。この三位一体の似像が 人間・三一性主体である。 むろん この論議は道筋が逆である。神から人間の中へ到来していることで なければならない。前章につ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第十三章a 聖霊(愛)は父と子とから発出する。この三位一体の似像が 人間・三一性主体である。 〔第二十七章 48〕 しかし あの共に永遠で等しく 非物体的な 言詮を絶して変わることなく不可分離…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第十二章b 人間の受け取った聖霊が 現実である 《つまづかない》かれは なおも《つまづきの石(キリスト)》に属くのである。《八重垣》は この関係性――しかも キリストなる《つまづきの石》は 超越…