caguirofie

哲学いろいろ

#175

もくじ→2005-05-13 - caguirofie

第四部 聖霊なる神の時代

第十六章 イエスの死〔だから復活〕の後の歴史的時間としての聖霊の時代――聖霊は真理の霊として 《罪〔の記憶〕について 正しさ〔の知解〕について また裁き〔なる愛〕について 明らかにする》――

さてこれからは 《〈三位一体〉論》を継ぐというかたちになりますが 論点は 父と子から発出する聖霊の派遣ということがらにあります。

父はかれをわが名において遣わされるであろう。
ヨハネ14:26)

また

私はかれを父からあなたがたに遣わそう。
ヨハネ15:26)

と第二のアダムとよびうるキリスト・イエスが言われたことの 神の国としての・および現代という歴史における問い求めであります。


ヨハネはこう記します。

わたしが父のもとからお前たちに遣わそうとしている弁護者 すなわち 父のもとから出る真理の霊が来るとき わたしについて証しをする。お前たちも 初めからわたしといっしょにいたのだから 証しをするはづである。
このように話したのは お前たちの信仰がぐらつかないためである。人びとはお前たちを会堂から追放するだろう。しかも お前たちを殺す者がみな 自分は神に仕えていると考える時が来る。かれらがこういうことをするのは 父もわたしも知ろうとしなかったからである。だが このように話しておくのは その時が来たときに わたしがす語ったということを思い出させるためである。


初めからこのことを言わなかったのは わたしがお前たちとおっしょにいたからである。だが今は わたしをお遣わしになったかたのもとに行こうとしているが お前たちのうち誰も 《どこへ行くのか》とわたしに尋ねない。むしろ このことを話したので お前たちの心は悲しみでいっぱいである。しかし 実を言うと わたしがこの世を去るのは お前たちのためになるのだ。わたしが去らなければ 弁護者はお前たちのところに来ないからである。しかし わたしが行けば 弁護者をお前たちのところに送る。その弁護者が来れば 罪について 正しさについて また 裁きについて この世の人びとの過ちを明らかにすることになる。罪についてとは かれらがわたしを信じないからであり 正しさについてとは わたしが父のもとに行き お前たちはもうわたしを見なくなるからであり また 裁きについてとは この世の支配者である悪魔が断罪されるからである。
言っておきたいことは まだたくさんあるが 今 お前たちには理解できない。しかし 真理の霊であるそのかたが来るとき お前たちを導いてあらゆる真理を悟らせる。そのかたは 自分勝手に語るのではなく 聞いたことを語り また これから起こることをお前たちに告げるからである。そのかたはわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて お前たちに告げるからである。父が持っておられるものはすべて わたしのものである。だから わたしは そのかたがわたしのものを受けて お前たちに告げると言ったのである。
ヨハネ15:26−16:15)

《弁護者 / 真理の霊》といわれる聖霊なる神は ここで キリスト・イエスに《お前たち》とよばれた弟子たちのところへ 《来る》。つまり それはイエス・キリストがこの世を去ったあとすぐの時期のことを言っているとまづ考えられる。しかし このキリスト・イエスの出現のあとの歴史を 第二のアダムの時代と呼びうるというほどに またその時代の諸世紀をつうじて 《父と子と聖霊の名においてすべての国人にバプテスマを授け》《マタイ28:19)ることが実現したというほどに この神の御子が《わたしが父のもとに 行き お前たちはもうわたしを見なくなる》と言われる歴史的時間――なぜなら神は 生ける者の神であるから――は 現在と同じであって その意味でかれが行き 聖霊を遣わされた(ヨハネ2−22 使徒行伝2:4)あとのこの《歴史的時間》は すでに聖霊の時代でもあると考えられる。
そこで この聖霊なる神の働きは 《お前たちはもうわたしを見なくなるから》《正しさについて》《人びとの過ちを明らかにすること》である。そのような知解行為が人間に与えられる。(それ以前の 律法の正しさなる知解行為とは違うというのである)。これは 《かれらがわたしを信じないから 罪について(律法に違反するところの罪についてというよりは そもそも時間的存在たる人間というものについて)》 および 《この世の支配者である悪魔が断罪されることにおいて 裁きについて(それは 欠陥が取り払われることによってというよりも 時間的存在であることの欠陥と損傷が癒され 自己還帰して 自己の主観が回復されることによって 捌かれる) 過ちを明らかにする》というように これらはすべて 神の国の歴史を言っている。
のであり それらについて人間の倫理的・経験的な行為 すなわち 経済活動における〔立法されたものに触れる〕罪 政治行為上の正しさ また 司法上の裁きを 考えるべきではない。そうして この聖霊の関与する神の国の歴史(共同主観)が 人間の歴史にかかわるといほどに これら倫理的な人間の諸行為〔の罪・正しさ・裁き〕に関係することになる。
ともあれわれわれは いま このような輪郭によって想定される歴史的時間の中に置かれている。(《キリストのなかに 知恵と知識のすべての宝が隠されている》(コロサイ書2:3)と言われるほどに キリストが復活の後 いまも生きているからである。真理がわれわれに臨んでいる。われわれは まづこの光に照らされ この光を問い求め見出し 見出したなら これに固着しなければならない。史観は この史観の原理から始まる)。
さて 聖霊のはたらきは 《人びとのあやまちを明らかにすること》であった。《人びとのあやまち》と言うからには 人間の為す倫理的・経験的なことにかかわり しかもこのかかわりかたは 一般に 経済活動をもとにした司法上の・立法上の・あるいは行政上の〔記憶(思惟)・知解(思惟の似像)・愛(前の両者をつなぐ意志)の〕行為そのものにおいてではなく これらの諸行為(しかもそれらは三一性をかたちづくる)を観想して捉える一人ひとりの主観の内なるそれぞれ史観形成の過程 すなわち身体および精神の或る種 内的に捉えられた生〔または死の過程的〕全体においてということではありました。

  • すなわちここには あの第一の死(罪) 虚偽の認識・その虚偽の内的な廃棄(正しさ) あるいはしたがって これを第二の死へと誘う悪魔の克服(裁き)がありました。これらは 自己の内的なやしろにおいて繰り広げられる広くは 神の国の歴史である。

また これが 《弁護者 すなわち 真理の霊が来るとき わたし(キリスト・イエス)について証しをする》と言われることのまづ概括的な基本の内容であります。
たとえばさらに この内容は 一つに《真理の霊であるそのかたが来るとき お前たちを導いてあらゆる真理を悟らせる》と言われているからには この聖霊は あくまで人間に降るということである。《お前たち》とよばれているここでは弟子たち人間にである。聖霊は 神から来て神である賜物であり 賜物であるからには これを受け取るものが 存在した。すなわち 《聖霊を受けよ》(ヨハネ20:22)と人間(弟子たち)に復活の後 キリストは語られた。また ここでさらに先走るならば 《裁き》は この聖霊を受け取った人間が あの共同の水路をとおして共同主観的にして内的に この聖霊(愛)を人間が生むのではなく 人間はかれに固着することによってかれが発出することをよび求め それを見るというかたちで 行なわれる。すなわち 精神の虚偽や魂の損傷〔またその制作者である悪魔〕が この愛によって 癒され回復され〔征服され〕ることによって 〔裁きが〕過程されるというものであった。
この内容は もう一つに 《そのかたは 自分勝手に語るのではなく 聞いたことを語り また これから起こることをお前たちに告げる》とキリスト・イエスは明かされた。つまり上に見た内容の第一点のなかの殊に《裁き》ということを このようなかたちで(つまい 《自分勝手に語るのではなく 聞いたことを語る》という基本的なかたちで) このように(つまり《これから起こることを人びとに告げる》というように) なんらかの形で より具体的に明らかにすることが それである。また 《自分勝手に語るのではなく 聞いたことを語る》ということは さらに具体的に次に明かされている。

そのかたはわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて お前たちに告げるからである。父が持っておられるものはすべて わたしのものである。だから わたしは そのかたがわたしのものを受けて お前たちに告げると言ったのである。

と。これは 言うまでもなく 《そのかた(聖霊)》と《わたし(御子キリスト)》と《父》との三位一体の原理を言われたのであり しかし《そのかたが お前たちに告げる》と言われるのであるから 告げられる人間が この三位一体の神なる真理を分有すると語られたことになる。すなわち 弁護者(助け手 また 慰め主)なる聖霊は これを人間・ぼくそしてきみが受けて 人間・きみの中から また人間・ぼくをとおして その働きを為される。すなわち 罪について 正しさについて 裁きについて 人間のあやまりを明らかにする。そうしてここで われらが主イエス
  《罪についてとは かれらがわたしを信じないからであり
  また 裁きについてとは この世の支配者である悪魔が断罪されるからである》
と語られたことを 聞くことになる。
以上が 先にその輪郭を想定した歴史的時間における史観の原理的な内容の基本であることになる。
(つづく→2007-11-08 - caguirofie071108)