キリスト史観
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第四十章 《愛は・・・すべてを忍び すべてを信じ すべてを望み すべてに耐えます》( 1Cor.13:4−7) もはや紙幅も尽き キリスト史観にかんする基本的な理論は おおよそ述べ得たと思われる。…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十九章b 愛の火はインタスサノヲイストたちによって いまは マルクスが《創造者》をほんとうに排斥していたかの問題であるが いわゆる《無神論》が いま言う《宗教》の否定・それに対する反措定…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十九章a 愛の火はインタスサノヲイストたちによって それ(章題の内容)以外にはありえないということである。 すなわち もはや共同観念的な社会形態 つまりナシオナリスムなる国家は そのあら…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十八章c ただいま現在の《エネルギッシュな》史観の方程式展開そのものが コミュニスム(愛の火による共同主観)なのである マルクスが キャピタリスムのその中から コミュニスム(愛の火による…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十八章b ただいま現在の《エネルギッシュな》史観の方程式展開そのものが コミュニスム(愛の火による共同主観)なのである 〔人間および自然が本質をそなえていること( Wesenhaftigkeit )す…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十八章a ただいま現在の《エネルギッシュな》史観の方程式展開そのものが コミュニスム(愛の火による共同主観)なのである 前章末尾の言葉にさからって マルクスからもう少し引用することがで…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十七章c 愛の火というほどに 神の似像――そこには性は存在しない――としての男の 女に愛する関係が 共同主観の原点(その場かつ動態)である 人間精神の健全な《優柔不断》つまり その滞留は 信仰…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十七章b 愛の火というほどに 神の似像――そこには性は存在しない――としての男の 女に愛する関係が 共同主観の原点(その場かつ動態)である 宗教的疎外(*これについては すでにわれわれは語っ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十七章a 愛の火というほどに 神の似像――そこには性は存在しない――としての男の 女に愛する関係が 共同主観の原点(その場かつ動態)である このことは 人間が高められるのではなく 《誇る者は主…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十六章b 理論による啓蒙ではなく 愛の火による啓発(感覚的なもの・経験的なものを外に用い尽くすことによってではなく それらを受け取ることによってである) 次の文章。 私たちの希望を振るい…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十六章a 理論による啓蒙ではなく 愛の火による啓発(感覚的なもの・経験的なものを外に用い尽くすことによってではなく それらを受け取ることによってである) それで 神は ご自分と共に永遠で…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十五章 復活した人間の史観の方程式 さて 信仰は人間の論議によってではなく 神的権威によって 魂と身体から成る全体の人間は不可死であろうこと したがって真に浄福であろうことを約束する。そ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十四章 イエスの復活が 人間の復活である 《墓に葬られる》 (参照箇所:マタイ27:57−61 マルコ15:42−47 ルカ23:50−56) その後 イエスの弟子でありながら ユダヤ人たちを…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十三章 神はイエスを見捨てたまうたところで 復活を与えらえた 《わたしの威厳がとおりすぎるやいなや あなたは岩の上に立つであろう》。いま われわれは イエスの《過ぎ越し》の時にあたってい…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十二章b 悪魔はイエスを死に追いやって 勝利したところで イエスの愛(神)を見て 征服された さて まづ個人的なかたちで 自分の弟子の一人であるユダに裏切られ 逮捕され やしろの次元において…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十二章a 悪魔はイエスを死に追いやって 勝利したところで イエスの愛(神)を見て 征服された ユダに悪魔がしのび込んだように この世の支配者であるこの空中の権能は 大祭司カヤパや総督ピラト…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十一章b 悪魔の征服は 悪魔じしんが復活することによってである 次にわたしたちは 大祭司カヤパより上の支配者をここであたかも確認してのように そのローマ人総督と話すイエスを 見出す。ロー…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十一章a 悪魔の征服は 悪魔じしんが復活することによってである さて イエスの死が開始された歴史時間の中に われわれは いま ある。そこで この史観の原理にもとづいてのように そして イエス…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十章b イエスは義によって死に そこで 悪魔の征服(第二の死の方向転換=アマアガリ――第三の基軸――)を成就させた だから 史観の方程式は やしろ全体の次元で その歴史的時間〔の一類型〕が 大…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第三十章a イエスは義によって死に そこで 悪魔の征服(第二の死の方向転換=アマアガリ――第三の基軸――)を成就させた いま イエスの死が始まっている。 次に 逮捕されたイエスは 《大祭司のもとに…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十九章 イエスの死――ふたたび第一の基軸―― 史観の方程式 《第一の死‐復活‐第二の死の方向転換》にかんして 三つの基軸について これまで次のような構成において述べて来ました。 人間の貌として…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十八章 アマアガリから共同主観へ このほかにも イエスは弟子たちの前で 多くのしるしを行なったが それはこの本に書かれていない。これらのことが書かれたのは あなたたちが イエスは《神の子…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十七章 イエスの復活(第二の基軸)がすでに 人間のアマアガリ(第三の基軸ないしその全体)である 《イエス 弟子たちに現われる》 (参照箇所:マタイ28:16−20 マルコ16:14−18 …
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十六章 イエスの復活――第二の基軸―― ヨハネによる福音は イエスの復活関係の記事として つづいて次の一段を表わす。(以下 記述の順序に沿って 各段落を取り上げる)。《イエス マグダラのマリ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十五章b イエスは《死んだ》のである――史観の原理的な方程式の第一の基軸―― 《主が墓から取り去られた》をめぐるいわゆる学問的な点検・解釈 これはどうであるか わたしは知らない。 西欧の学者…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十五章a イエスは《死んだ》のである――史観の原理的な方程式の第一の基軸―― 最後の食事の席で――すなわち まもなく捕らえられて死につかせられるというその前に―― 弟子たちに語ったキリストの言…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十四章 《共同主観》とは イエスはこのように話してから 天を仰いで言った――と 同じ最後の食事の席のつづきとして しかしもはや イエスひとりの祈りとして ヨハネはさらに記して伝えている――。 …
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十三章 《わたしはすでにこの世に対して勝利している》が 史観の方程式の主観(主体的な観想と行為)である。 最後の食事の席上でのイエスの発言の最後は 《この世に対するイエスの勝利》と題さ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十二章b だからペテロの信仰 《第一の死(罪)》は まづ 人間においてはじめに 在る。(《わたし(キリスト)に付いている枝》であるということ)。あるいは そのように 《第一の死(罪)》の中…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie 第四部 聖霊なる神の時代 第二十二章a だからペテロの信仰 前章に見た歴史的時間 やしろの・主観によるかつ共同主観的な建設 これにかんしては やはり 最後の食事の席上でイエスは たとえを用いて説きます。すなわち 《イエ…