2007-08-01から1ヶ月間の記事一覧
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第三部 キリスト史観 第三章 日本人にとってのキリスト史観 第二節 共同主観としてのシントイスム わがくにのシントイスムには 〔必ずしも明文化されない密教的な〕共同主観(至聖所・やしろの奥なる神の宿ると…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第三部 キリスト史観 第三章 日本人にとってのキリスト史観 第一節 キリスト者の生 キャピタリスムないしデモクラシなるそれぞれ一定の共同主観が 必ずしも内なる史観の全体でないとしたら 日本人にとって〔も〕…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第三部 キリスト史観 第二章 観想としてのキリスト史観 第七節 唯物史観は キリスト史観の証言である この章ではわれわれは 必ずしも新しいことを述べることをしなかった。前章の補足に終始したかとも思われる。…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第三部 キリスト史観 第二章 観想としてのキリスト史観 第六節 キリストの派遣とは何か 神の国の歴史は だから人間の歴史は すべてこのキリストの派遣とはいったいどういうこ歴史であったかを問い求めることにあ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第三部 キリスト史観 第二章 観想としてのキリスト史観 第五節b 愛(インタスサノヲイスム)とはどういうことか 何が 問題か。 等価交換より以前の それを成り立たせる社会的な制度が 問題であろう。そしてこれ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第三部 キリスト史観 第二章 観想としてのキリスト史観 第五節a 愛(インタスサノヲイスム)とはどういうことか 観想としてのキリスト史観は 現代におけるキリスト史観として 第三のアダムの時代を見ようとする…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第三部 キリスト史観 第二章 観想としてのキリスト史観 第四節 観想と行為との理性的な結婚 ただし これが 観想としてのキリスト史観であることは 誰もが請け合います。それは このことが 行為とつながっていな…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第三部 キリスト史観 第二章 観想としてのキリスト史観 第三節 第三のアダムの時代 だから 第三のアダムの時代とは みながキリストに似る者となるようにして 人間が種として変わることと拝せられます。蝶は蛹の…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第三部 キリスト史観 第二章 観想としてのキリスト史観 第二節 これからどうなるのかは わからない けれども 第一のアダムの時代と第二のアダムの時代が そしてそれらそれぞれとまた第三のアダムの時代とが 互い…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第三部 キリスト史観 第二章 観想としてのキリスト史観 第一節 宣教・護教の時代は終えられたということ 人間キリスト・イエスは 第二のアダムとして 新しい時代・第三のアダムらの世紀を用意された。ここでわた…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第三部 キリスト史観 第一章 人間という種が変わる 第六節 《アマテラス語の時代》は終えられるということ 人間という種が変わるとは アマテラス語の時代が終えられるということと察せられる。 共同観念(しんき…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第三部 キリスト史観 第一章 人間という種が変わる 第五節 間奏――《自己を知ること》と自己を思うこととは別である―― わたしたちはここで キリスト史観を キリスト教という宗教として論じているのではない。これ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第三部 キリスト史観 第一章 人間という種が変わる 第四節 日本人にとって 律法とは何か(2) ムライスムなる律法またその違反が 罪の自覚をではなく むしろ恥ぢを知ることをももたらすと言われる場合――これは …
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第三部 キリスト史観 第一章 人間という種が変わる 第三節b 日本人にとって 律法とは何か しかし 律法に生きる人は 律法によって死ぬのです。死んだ人が あたかも第二の死(つまり その死が死ななくなる)へと …
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第三部 キリスト史観 第一章 人間という種が変わる 第三節a 日本人にとって 律法とは何か 《律法は 罪の自覚しかもたらさないのです》というときの《律法》について もう一度 考えてみたいと思います。その意味…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第三部 キリスト史観 第一章 人間という種が変わる 第二節 ふたたび キリスト史観は 倫理規範ではないということ 新しい時代としての蝶は もはや蛹の時代を思わなくなるであろうとは いろんな視点から観想されう…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第三部 キリスト史観 第一章 人間という種が変わる 第一節 第三部を始めるにあたって――ふたたび 《蝶は 蛹の時代を思わなくなるであろう》―― 第三部は 《キリスト史観》の直接的な開示です。 《開示》とは いま…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第七章 理論としてのキリスト史観(3――前提をさらに理論化したものを さらに愛する 言いかえると 愛からの理論) 第六節b まとめ――蝶はもはや蛹の時代を思わなくなるであろう―― 新しい…
もくじ→2004-12-29 - caguirofie041229 ゾクゾクッ ゾクゾクッ うぅーんと考えたりする。 恐怖がたり42夜―携帯サイトの怖い話 (扶桑社文庫)作者: 城島明彦出版社/メーカー: 扶桑社発売日: 2007/07メディア: 文庫この商品を含むブログ (2件) を見る HP…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第七章 理論としてのキリスト史観(3――前提をさらに理論化したものを さらに愛する 言いかえると 愛からの理論) 第六節a まとめ――蝶はもはや蛹の時代を思わなくなるであろう―― 理論を…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第七章 理論としてのキリスト史観(3――前提をさらに理論化したものを さらに愛する 言いかえると 愛からの理論) 第五節b 愛の勝利としてのインタムライスム このきわめて常識的な議論…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第七章 理論としてのキリスト史観(3――前提をさらに理論化したものを さらに愛する 言いかえると 愛からの理論) 第五節a 愛の勝利としてのインタムライスム 理論の基本的な事項を 前…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第七章 理論としてのキリスト史観(3――前提をさらに理論化したものを さらに愛する 言いかえると 愛からの理論) 第四節b 愛の勝利を史観する共同主観において 国家はすでに蜃気楼であ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第七章 理論としてのキリスト史観(3――前提をさらに理論化したものを さらに愛する 言いかえると 愛からの理論) 第四節a 愛の勝利を史観する共同主観において 国家はすでに蜃気楼であ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第七章 理論としてのキリスト史観(3――前提をさらに理論化したものを さらに愛する 言いかえると 愛からの理論) 第三節 《古事記》ないしシントイスムも 愛の勝利を共同主観する 悪魔…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第七章 理論としてのキリスト史観(3――前提をさらに理論化したものを さらに愛する 言いかえると 愛からの理論) 第二節 蔽いを被るべき女性も 神の国の共同相続人である 女性というふ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第七章 理論としてのキリスト史観(3――前提をさらに理論化したものを さらに愛する 言いかえると 愛からの理論) 第一節 愛の勝利が あたらしい共同主観のかたちである 愛の勝利または…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第六章 理論としてのキリスト史観(2――前提をさらに理論化する) 第六節b 至聖所に入る共同主観は――理論ではなく―― 愛の勝利として栄光がもたらされる かれは 《叫ぶことなく 声をあげ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第六章 理論としてのキリスト史観(2――前提をさらに理論化する) 第六節a 至聖所に入る共同主観は――理論ではなく―― 愛の勝利として栄光がもたらされる 《ルカによる福音》によれば イ…
もくじ→2005-05-13 - caguirofie050513 第二部 唯物史観への批判 第六章 理論としてのキリスト史観(2――前提をさらに理論化する) 第五節 《つまづきの石》が第一の幕屋と至聖所とを分ける 使徒ペテロは こう言っています。 〔この主のもとに来なさい…