caguirofie

哲学いろいろ

じんるいの歴史の物語

#13

もくじ→2006-11-03 - caguirofie061103 第八章 むすび 前章の最後では 交換差額の獲得にうつつを抜かす人びと これを元手に もっぱらの借り手を従え 偉大なもっぱらの貸し手として君臨しようと その支配欲の熱心さに支配されて萌える人たち この重商主義の精…

#12

もくじ→2006-11-03 - caguirofie061103 第七章b あかつき わたしたちの《自然価格》は 《地代と労働と利潤とから成り すでに有効需要によって成立したところの〈市場価格〉》のカサアゲされていない状態 その価値額を言う。 このように抽象的に言う利点は 地…

#11

もくじ→2006-11-03 - caguirofie061103 第七章a あかつき 前章ないし前々章から すこし 具体的な議論に入ったのである。現代の問題に直接つながるようになったから。はじめからとして ここでは きめの粗い議論ではあるが さらにすすめよう。 モノの交換は 人…

#10

もくじ→2006-11-03 - caguirofie061103 第六章b まぼろしのゆうべ ミルにも 政治経済学はあるが この交通理論の経済的な側面にかんしては かれから むしろ時代をさかのぼって アダム・スミスの所説を参照することができる。 必ずしも《干渉・暴虐からの保護…

#9

もくじ→2006-11-03 - caguirofie061103 第六章a まぼろしのゆうべ 《多数者の暴虐は》と切り出して J.S.ミルが いわゆる近代市民のひとりとして 論じるところを聴くことにしよう。括弧内は 引用者の注釈である。 多数者の暴虐は 他のもろもろの暴虐と同…

#8

もくじ→2006-11-03 - caguirofie061103 第五章b あまがけるたましい 産業革命を(つまりそういう自由な科学知識の獲得と活用 という自由な交通形式を つまりそのときには あの基本線が 潜在的に 受け継がれて来ていたと見るわけになるが この自由な交通形式…

#7

もくじ→2006-11-03 - caguirofie061103 第五章a あまがけるたましい じつは 思弁的にであれ 《国家》という社会形態の出現にまでたどりついたなら あとは ほとんどすぐさま ヨーロッパ近代の市民社会の成り立ちにかんする議論へ とんでもよいのではないか。…

#6

もくじ→2006-11-03 - caguirofie061103 第四章b 真昼のまぼろし 重商主義的な市民が かれの属する一共同体を制覇し これを従えて 他の共同体をおそい やがて 国家の大市長として君臨するまでに 《利潤》の問題を考察しておきたい。 原市民社会に 利潤は あっ…

#5

もくじ→2006-11-03 - caguirofie061103 第四章a 真昼のまぼろし 分業形態・商業社会としての市民社会において むしろ歴史の原点を知ることによって 商業主義・商業第一主義の市民があらわれる。かれらは 《人間の誕生》にあずかった市民である。と同時に 《…

#4

もくじ→2006-11-03 - caguirofie061103 第三章b しののめの雲 重商主義というのは 交換の差額を 自己に有利なものにしようとして動くのが 基本的な考え方であり したがってそれは 交換すべきモノの生産(ないし生産者)を第一に重視するのであり――このこと自…

#3

もくじ→2006-11-03 - caguirofie061103 第三章a しののめの雲 しののめは 東雲と書くけれども あけぼのとほとんど同じ意味で やはり夜明け方のことを言うらしい。その時に空にかかる雲のことを論じる。

#2

もくじ→2006-11-03 - caguirofie061103 第二章 あけぼのの 弁明また弁明 人類は誕生していたが 人間は誕生していなかった。自然的な共同体は いとなまれていたが 自然を・共同体を対象として確認しあう社会は まだであった。かつ 人間の誕生も社会のいとなみ…

#1

もくじ 第一章 あけぼの:本日 第二章 あけぼのの 弁明また弁明:2006-11-04 - caguirofie061104 第三章 しののめの雲: a:2006-11-05 - caguirofie061105 b:2006-11-06 - caguirofie061106 第四章 真昼のまぼろし: a:2006-11-07 - caguirofie061107 b:…