caguirofie

哲学いろいろ

#8

もくじ→2006-11-03 - caguirofie061103

第五章b あまがけるたましい


産業革命を(つまりそういう自由な科学知識の獲得と活用 という自由な交通形式を つまりそのときには あの基本線が 潜在的に 受け継がれて来ていたと見るわけになるが この自由な交通形式を)――そしてその前には 図式的に言うとすれば ルネサンス宗教改革や新大陸の発見などなど これらの新しい交通の革命を――推進していった市民たちは この社会的地位の世襲制 あるいは 国家というカサアゲ社会をうちやぶるものとして あらわれた。もしくは 結果的に そのようなものとして 起こった。
しかも かんたんに言うとすれば 身分制による旧い交通形式をうちやぶり 国家という枠組としての社会形態 これは――革命によって 国家の世襲首長を たおしてしまった場合にも この枠組のほうは―― うけついで 現代にまで到った。どんな理由によってか あるいは 同じく上に述べた基本的な見えない理由によってか これを うけついで来ている。
歴史は この残った枠組としての国家にもとづき 新しい重商主義すなわち帝国主義の政策があらわれたことを おしえている。この結果として やがて最近のこととして あたらしい債権債務の関係 すなわち 帝国主義思想(植民地主義)が否定されたのちの南北関係 すなわち同じことで 先進国による開発途上国への経済協力(援助・福祉)の関係が 引きつづいて 原市民社会のむしろ雲の上の(上層カサアゲ圏の)指導のもとに しばしば つくりあげられて来ている。
蒸気機関の開発とか紡績機械の発明とかによって 生産手段としてのちからを高め 交換における通行・輸送手段(いわゆる交通機関)を発達させ 消費をゆたかなものにするということから始まって 産業革命は たしかに 人びとのあたらしい交通形式をつまり市民関係を つちかってきた。機械の発明は 人びとの交通関係じたいのことではないが その土壌を――原点社会の基本線にもとづこうとして―― ゆたかなものにしようとして来た。
この産業革命期は もはや簡潔に言って それまで続いてきたいろんな意味での主従のあいだのような交通関係を つきやぶろうとしたし そのあたらしい基盤と手段を提供した。ひろくヨーロッパ近代市民の起ち上がった社会は それまでの歴史的な ともあれ 債権債務の関係を 清算するようなところから起こったし  精算の基盤的なちからをかたちづくっていこうとした。
市民社会が復活しようとし かつ この歴史の原点の基本線を それまでと同じく 継承し 画期的なあらたな歴史の原点となったし ただし 旧い債権債務の関係を総決算させたとさえ言えると同時に カサアゲ社会としての国家という形態(制度)は いろんな論議があったのではあるけれど おおむね 受け継いだ。
《自然に還れ》というばあいは まだあまりはっきりしないが カサアゲ社会=国家政府をまったくなくそうという無政府主義なる交通理論までが現われた と同時に おおむね 国家という社会形態を 少なくともその骨格を 残した。アナルシスムがいいと言おうとするのではなく この近代社会の以後 おおむねそのようなやはり《原市民社会‐国家形態》といった構造過程的な流れをもって すすんできている。なぜなら すでに はじめの共同体(ムラ・都市国家)を 一定の民族や地域にまとめる大きな国家という共同体も 交通や通信の手段の発達によって その地理的な範囲が 必ずしも大きすぎるわけではなくなり また 国家の存在ないし成立の問題は そのように 自由な交通・通信のおこなわれうる範囲の大きさ(直接民主政のそれなど)だけではなく だから 制度的な骨格・骨格的な制度の問題だけでもなく そうではなく はじめに 人間の問題であったからだ。
一般に 交通(生活)ないし生産(仕事)におけるまったくの怠惰を除外するとすれば かんたんには ふつうの勤勉とそしてガリ勉 つまり 交通規則の一内容としては やはり盗みを除外するとすれば 勤勉のむさぼり――これを 行為内容的に 自由に民主的に 話し合っていくという原市民社会の動態――の問題であったものであり 一つの極端な問題の焦点としては モノの交換と人間の交通とを倒錯視しつつ普通の原点交通形式におさまる のではないかと疑われ得る商業主義的な人間のそれであったから。
ヨーロッパ近代社会の興隆 また そのような近代市民の世界史的な普及 これをとおして 国家の問題が 国家の制度的な骨格を残して 言ってみれば 旧い時代の原点市民社会の問題となって いま わたしたちの前にあると言ってよいのではないだろうか。


旧い市民社会のときからは 一般に 生産手段も交通手段も変わってきているのであるから これらの新しい事情に沿って あたらしい――つまり原点社会からの継承としての――民主的で自由な交通形式を わたしたちは あらためて模索していけばよいのではないか。
単純に言えることは その或る種 外形的に 国家という社会形態の再編成としてであり したがって 内面的には 人間関係の古くて新しい模索にほかならない。《古くて》というのは 原市民社会で人間は誕生したのであるなら その民主自由主体としてのそれぞれ 自己の知恵の同一にとどまること(これを さらに つづけてゆくこと)のゆえである。《模索》というのは この自己の同一性にとどまることが 《むさぼるなかれ》という一交通規則の単なる外形的な遵守(倫理学)によってではなく また その同じそれの外形的な厳守を至上命題としてのように むさぼりを犯した人を まったくの最終的に(その人じしんとしての存在を どうにかするかたちで) 管理すること(そのような法律の執行)によってでもなく あるいは 共同体の政治的な権限をあたえた市長個人に 独裁権限をさらに与えてのように 従属していってしまうことによるのでもなかったから 自由な交通の場における自由な討議をつうじてすすめていくところの過程であったことのゆえである。
そして この過程の 基礎としては 市民社会が商業社会ではあるとしたなら 経済活動をつまり仕事を ふつうに新しく すすめていけばよいと考えられる。すなわち 生活をふつうに ということになると思われるのだが この《ふつうに》という点で 上に触れた 国家という社会形態の再編成ということが 引っかかってくるのではないかと わたしには思われる。(つづく→2006-11-11 - caguirofie061111)