caguirofie

哲学いろいろ

あいまいさについて

#10

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-25 - caguirofie100925よりのつづき) 一九七六年の詩人は 六九年の詩人からの展開であり しかもそれは 発展であると位置づける必要があろう。しかも 一九七七年の詩人は 後退するかのごとく あたか石女の…

#9

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-24 - caguirofie100924よりのつづき) しかし詩人・大岡は みづから この多義の系なる共同観念をうたって描く。わるく言うと いわば繭の中で 堂々巡りのように。 ただしまた この共同観念あるいはつまり 社…

#8

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-23 - caguirofie100923よりのつづき) 大岡信の作品をさらに引く。 きみは描けるといふのかい ありったけの 絵具をつかへばこの空に 絵が きみは乾かすことができるといふの ありったけの 枯草を集めて燃や…

#7

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-22 - caguirofie100922よりのつづき) 街のしめりが 人の心に向日葵ではなく 苔を育てた。 苔の上にガラスが散る。 血が流れる。 静寂な夜 フラスコから水が溢れて苔を濡らす。 それは 血の上澄みなのだ。 …

#6

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-21 - caguirofie100921よりのつづき) 生活してゆく上で絶えず曖昧である事件に関わらざるを得ないのは 一般に八百万の神々とともに育つ日本人なら 多かれ少なかれ経験するところである。これは 特に西洋の…

#5

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-20 - caguirofie100920よりのつづき) かれ(大岡信)は 数え切れない子供をかかえて それらを育てることから出発した。そして 引用の一節にあるように その挫折を経験することからの出発となる。 多義の中…

#4

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-19 - caguirofie100919よりのつづき) たとえば ああいま樹々のあいだで 裸になって わたしはあなたをおもう 地上のどこにもいないひと 雹を運ぶ蒼白な実りの焔 わたしの臓器に放電する あなたの非在 これ…

#3

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-18 - caguirofie100918よりのつづき) obscure :物が暗くて(隠れていて)よく見えない vague :思想・陳述・感情・感覚などが 正確(精密さ)を欠いてあいまい enigmatic:意義が不明で 人を困惑させる c…

#2

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917 (2010-09-18 - caguirofie100918よりつづく) 何に明るいのか。もちろん 自分たちのあいまいであることに明るいということがそれだと茶化すのではない。或る自分を見るとき つねにと言っていいほど もう一方に 別の…

#1

もくじ #1:本日 #2:2010-09-18 - caguirofie100918 #3:2010-09-19 - caguirofie100919 #4:2010-09-20 - caguirofie100920 #5:2010-09-21 - caguirofie100921 #6:2010-09-22 - caguirofie100922 #7:2010-09-23 - caguirofie100923 #8…