caguirofie

哲学いろいろ

#6

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917
2010-09-21 - caguirofie100921よりのつづき)
 生活してゆく上で絶えず曖昧である事件に関わらざるを得ないのは 一般に八百万の神々とともに育つ日本人なら 多かれ少なかれ経験するところである。これは 特に西洋の衝撃について書いた漱石の文章以来 明治憲法を放棄した現代にまでつづく 決して解決されてはいない事柄である。

 * あるいは 上古の時代以降 朝鮮・満州民族とともに 漢民族との・ないし印度民族(その文化)との出会いの中に育った日本人のうちには 両義性として少なからず生きつづけている。そのような 幸か不幸か 宿命的なことがらであるだろう。

 けれども ことの実際的な側面において 現代に生きる同時代人としては この大岡らの世代の体験は 程度と質ともに これほど典型的なものはまづ見当たらないとも言いうる。このとき かれらの体験は そして 詩文は なお同時代人でもあるわれらすべての者の問題として 語りかけてくる余地が残されている。

2010-09-23 - caguirofie100923へつづく)