caguirofie

哲学いろいろ

#5

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917
2010-09-20 - caguirofie100920よりのつづき)


 かれ(大岡信)は 数え切れない子供をかかえて それらを育てることから出発した。そして 引用の一節にあるように その挫折を経験することからの出発となる。
 多義の中で その或る者は捨て子にし 或る者は養子に出し また或る者は限りない愛情をもって殺し あるいは 誰もが多かれ少なかれ経験するこの挫折に直面して振り返るとき それを まさにその多義性の故にであったと――つまり《夢の過剰》ゆえにだったと――概括することから出発する。しかも ふたたび その昔の子供を わが手にひきとり あるときは憎み あるときは大切に育てそしてその中で 最後まで生き残るわが子をじっと見つめつづけるようにして 詩を生みつづけてきたのだと思われる。


  * この批評は ただし 批判をしたいのをこらえて
   譲歩しつつ認識した結果である。


 自分の書く文章の中でよく大岡が引用する句は Paul Clée の


  《見えないものを見えるようにする》


であり 別には


  《詩は青春の再構成である》


であるが このことは 以上のことと無関係ではないように思われるのである。


 このような事情は 敗戦の年に二十歳に達していない青年であったという大岡らの世代に めづらしいことではないようだ。 
(つづく→2010-09-22 - caguirofie100922)