caguirofie

哲学いろいろ

市民が社会をつくる

#40

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §47b(パスカル) 《パンセ (中公文庫)》の第五章の抄訳をつづける。 323 《わたし》なるもの。 窓に寄って外の道をゆく人を見るひとりの人。もしわたしが通りかかるなら わたしはその人がわたしを見ようとしたの…

#39

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §47a(パスカル) 最終章も 上の宿題について まだ はっきりさせえないかも知れない。パスカルについて ひとつ 言えることは かれは のちにヤンセン派の人びとと立ち場を同じくし かれらからは 自分の思想がアウグス…

#38

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §46b(カルヴァン / ホッブズ / パスカル のつづき) アウグスティヌスによるスカエウォラやウァロの取り扱い方について 触れておく義務がある。 先にウァロのほう。 単に大衆にとって知らないほうが有益であるだけ…

#37

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §46a(カルヴァン / ホッブズ / パスカル) 国家が悪の生活に集団的秩序をもたらすための道具であることは アウグスティヌス以後にはカルヴァンが それに最後はホッブズが説いていたことであった。 (ボルケナウ:封…

#36

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §45(シャロン / ガッサンディの《物質》) アウグスティヌスの主要な教説は 自然的人間が無であるということと予定の絶対性とである。 (ボルケナウ:封建的世界像から市民的世界像へ§5・〓〓 p.409) これが …

#35

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 付録 アウグスティヌスはどう読まれてきたか §42(まずアウグスティヌス自身) わたしの思想はすべて アウグスティヌスの請け売りである*1。アウグスティヌスがどう読まれてきたかという観点から これまでの議論を補…

#34

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §40(時代総体という出発点) かれ(デカルト)の生時には公刊されなかった《精神指導の規則 (岩波文庫 青 613-4)》は かれの最初の方法把握を叙述しているが それはかなり確実に 一六二七年か一六二八年のこととし…

#33

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §38(デュマ:ダルタニャン物語の登場) アレクサンドル・デュマ(1802−1870)の ダルタニャン物語 全11巻作者: アレクサンドル・デュマ出版社/メーカー: 復刊ドットコム発売日: 2001/06/25メディア: 単行本…

#32

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §36(論外の愛は自分たちの論内へ入って来いとする見解への批判) もしボルケナウの言うように 《資本主義――つまり経済性価値における合理思考の展開としての普通の資本志向ではなくて 人はあたかも流行の最先端にか…

#31

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §34(その主人公セラドンと愛) つづいて第五の事項。以上の前提的な考察のあと もし このアストレとセラドンとの悲劇を 新しい生活態度において克服しようとするそのときには まずは一方で フェードルやクレーヴの…

#30

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 市民が社会をつくる 33(デュルフェ:《アストレ》の問題) かのじょは腹に考えをもった。目の前にいる男に向かって軽蔑をあらわにしなければならない。案の定 その心の火は激しく燃え出してくれた。男は口を開こう…

#29

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §32(時代の実践) じつは 時代の相対性は 人間の相対性から 理論的には(合理思考において) やって来る。 人間の相対性は この相対性を理論する主体が自分たちのことを言っているのであるから 平等性のことである…

#28

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §31(時代の問題は 人間の相対性) すでに経験科学の出発点を秘めた人間学の原点をみてきたわけであるが ボルケナウは そうは言わずに――または この段階では そうだという主観を控えめにして―― 思索そして模索をつづ…

#27

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §30(ヤンセン派;資本志向と資本主義) 合理思考に対して汎合理主義。経験偶然の社会生活の中で 経済史基礎の面で 合理思考とその必然関係(また自由)を及ぼそうという資本志向。 これに対して資本志向主義ないし…

#26

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §29(オラトワール派と資本主義) その宗教心が 徹頭徹尾 ひどく法律家的な色彩をもった統治的な見解 またあたらしい生活形式への〔カトリック〕教会の適応という 方向をもっている。封建的世界像から市民的世界像へ…

#25

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §26(十七世紀と女性) 女の持つ虚栄心については何も信用なさいますな。かのじょたちは 気に入ろうとする烈しい欲求とともに 生まれてくるのです。男を権威や栄光へうながす道が女には閉ざされているのだから かの…

#24

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §23(時代について・二) ああ 人間どもよ お前たちをかくも嫉妬に駆り立てるこの精神(理性でもある)は お前たちの生死と共に点滅するあかりにすぎぬ。――と さる詩篇のなかで ルイ・ラシーヌは語っているそうだ。

#23

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §21(ホッブズ) ホッブズの国家理論は――とボルケナウは つづけて述べる―― 国法にかんする相互に敵対関係にある根本見解の綜合である。かれより前に 自然法論者と契約論者との対立が非常に激しかった。・・・ホッブ…

#22

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §20(デカルト) ガッサンディを直接 前面に出さずに パスカルらの主観基礎を 明らかにして捉えなければならないのである。 《封建的世界像から市民的世界像へ》の移行にかんして 《マニュファクチャー時代の哲学の…

#21

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §19(パスカル) ピエール・ガッサンディ(1592−1655)は 《客観的には ジェズイットに奉仕した》し ルイス・モリーナ(1536−1600)は ジェズイットであった。そして パスカルは ジェズイット主義に…

#20

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §18(序の三) 序の一(§16)において述べたことは わたしたちの議論の――ボルケナウとの対話の――導入部である。 社会生活は 経済史が基礎であり これを研究するとき 哲学ないし思想史が その研究たる経験科学一般…

#19

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §17(序のニ) その研究における長い議論が じつに一編の・しかもボルケナウ本人の思索――自己の省察――でさえあるという観点に立って またこの観点でのみ かれの主観の運動と主張とを取り上げ わたしたちの議論をおこ…

#18

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 《封建的世界像から市民の世界像への移行》にかんするボルケナウの議論について §16(序の一) フランツ・ボルケナウ*1が この書物 封建的世界像から市民的世界像へ作者: フランツボルケナウ,Franz Borkenau,水田洋,…

#17

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §15c 経験科学における足場の問題 経験科学は お天気のあいさつでコミュニケーションを始めるところのその足場では ない。同時に それは コミュニケーション本体ではなく その本体の中軸である相互理解を促進する・…

#16

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §15b ホンネから分離されたタテマエ つまり足場 胸や肉から分離された骨格つまり骸骨 というよりも それですらなく 人体ぜんたいの模型 これが そらぞらしい主観のことだと考えられます。 しかも このとき 足場――つ…

#15

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 コミュニケーションについて――coffee break―― §15a 《タテマエとホンネ》というタテマエについて 日本語には センミツという嫌なことばがありますが もともとは――不動産屋の名誉のためにも――その土地や建物の仲介を…

#14

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §14 ウェーバーは 《二種の資本主義的な行動の対立》(§2・2p.242)ということを 歴史の中に捉えて言う。わたしたちの観点からみれば これは 利己主義の精神(素朴なガリ勉)による古い重商主義と そして禁欲…

#13

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §13 こういうわけで 《第二章》の批判も 同じ論点を繰り返すことになる。 禁欲的プロテスタンティズムの文化的意義の限度・・・ (プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 下 (岩波文庫 白 209-4)§2・2p.2…

#12

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §12 それでは どうでしょうか。律法(――基本主観の内なる法秩序。理念は これを代理する。そして ある種 外的に・後行するものとして 倫理規範・掟・道徳・法律として ある――)は罪でしょうか。けっしてそうではあり…

#11

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 蛇足の章 §11 最後にひじょうに長い蛇足を。 まず前章の論点をふたたび確認しつつ すすめていきたい。 それは ウェーバーが 《このようにして〔――すなわち 職業義務の遂行へのガリ勉には陥らない形で――〕 ルッターの…