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哲学いろいろ

#32

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923

§36(論外の愛は自分たちの論内へ入って来いとする見解への批判)

もしボルケナウの言うように 《資本主義――つまり経済性価値における合理思考の展開としての普通の資本志向ではなくて 人はあたかも流行の最先端にかぶれやすく 極論を好み また いつも最悪の場合を おそれるか・あるいは想定して行動するかしやすいから この資本志向の 徹底 つまり単に生活全体への波及だけではなく それを自己目的化させ全面的な永久原理とみなしていくところの 資本主義――への適応の傾向の カルヴァン主義の教義への転化》が そういった方向で(つまり 経済→主観基礎 といったイデオロギーの方向で)影響関係をもって 起こったのだとしたなら
ボルケナウの見るところによると それは  《非常に見とおしのはっきりした道筋をたどる》(§4・〓 p.205)。すなわち

個人的道徳が問題とされるかぎり カルヴァン主義は二つのおもな点をふくんでいる。第一の点は世界と人間との堕落を確認することである。それは 個人の反社会的利己主義を地上の唯一の起動力と宣言することを意味し また行為と結果とが偶然的関係にあるということの確認を意味する。この第ニの点は決定的である。
(ボルケナウ§4・〓 p.205)

すなわち 《世界に善はひとかけらもない》と〔見るところの経験心理的なぺシミスムをおしひろげて これを教義として〕宣言し しかもこの世界にとどまるのだから そのときかれらは 素手で――または 素面で――ぬけぬけと とどまってはいられないと言ってのように 言いかえると ただで資本主義の俗物とはなれないなどとうそぶいて 《予定》説を予定し たしかに禁欲的たらんとし そのような倫理(つまり《個人的な道徳》)を自己の起動力として 職業労働にいそしむこと これは 神の栄光をあらわす道だと 同じく宣言する。この《非常に見とおしのはっきりした道筋》をとおって 理論武装は完了する。《決定的》に。
リベルタンの自由思想も 社会偶然がすべてだということを 言った。つまり それと同じように 言い訳は 前もって はっきりと 決めてある。何ら理論づけない俗物とは ちがうと言って誇る。もし このカルヴァン主義が リベルタンと手を結ぶと仮りにしたなら その場合には セラドンやアストレに対して ふたりとも よろしくやりなさいと 言うはずである。しかも これは これこそが――つまり リベルタンに代えて 禁欲の倫理をもっての場合こそが―― 論内の中核すなわち正真正銘のあたらしい生活態度だと 言ったわけである。わたしたちは むろん 現代人の生活態度批判を おこなっているのである。――われわれは これに対して そういうものとして 具体的に対処するときには つまり 論内として 扱わなければならない。かれらは われらが資本主義の達成したこの偉大な成果を見よと初めの言い訳を いやが上にも 武装として固める。
ウェーバーは これにかんして 最初の心理的な起動力を 讃美するほうへ傾き 同時に あとの結果に対しては 《この無のもの》――《論外のもの!》――と言って けなしにけなした。われわれは 論内または 論内における論外として つねに対処しなければならない。――ウェーバーも 讃美と軽侮とで そういうふうに・つまり 論内の論外として 議論した恰好ではある。われわれは 初めの発進にも あとの結果にも いづれに対しても まず論内として対処し しかるべきときには 論内の論外だと見なしていることは ありうるというわけである。
カルヴァン主義批判で ボルケナウは がんばる。

あかし〔つまり 神の栄光を現わす道だという証拠〕という〔かれらの〕考えの全内容は無限の道徳的努力であって ただしどんな方向からしてもこの努力を合理的に正当化することはできないという完全な自覚をともなった 無限の努力なのである。
(§4・〓 p.208)

こう 論内の問題として がんばる。救いか滅びか すでに決定的に《予定》されていて しかも その内容は金輪際 人には分からない。ゆえに そしてこの大前提のもとに 一方では禁欲 他方では勤勉ないしガリ勉 そのような《無限の努力》を敢行する。このように捉えて 論内の問題として ボルケナウはがんばる。――わたしたちは しんどいことはいやだから 初めの嘘が 虚偽であると言う。
そして嘘を聞いて受け取ったというのは 議論の内であるとする。あたかも女アストレが いみじくも 自分から ほんとうのところは――相手の男セラドンの振る舞いとして述べた内容がすべて―― 自分のことを語るのだと言うのと同じように かれらは まず初めに 自己を欺いたのだと わたしたちは言う。出発点をまちがえた。《無限の道徳的な努力》を想像する――心理の力として想像する――ことにおいて。セラドンらの愛が すべて 偶然のものであって 愛は――つまり人間学基礎は――なんら真実でも必然でもありえないと たからかに宣言するところの 自分たちの愛の一形式によって 出発してしまっている。この意味で 資本主義志向の経済行為の所有形式は 論内である。意志の自由な選択に 実際には よっているから。
ボルケナウは 《世界の堕落と この堕落に反抗してもっとも極端にまでつきつめられたリゴリスティックな道徳だけが カルヴァン主義の出発点である》(p.208)と言って そういうかたちで論内のものとして扱い ひじょうに良心的にがんばった。それならば しかし そのかれの《道徳》も いかにリゴリスティックであっても 真実ではないし必然を形成することもできないのではないか。あくまでも真実を問い求めるセラドンらを嘲笑するのならば。ボルケナウは 慈悲ぶかいのである。ただ

カルヴァン主義は 〔さらに〕信仰が業(わざ)において貫徹されたことの表明に全重点をおいている。この表明はまさに いかなる実質的正義規範もない世界では 無限の形式的努力でしかありえないのである。
(§4・〓 p.208)

と言って ホッブズのぺシミスムをとおっていなかったか もしくは そのぺシミスムをそのまま表明するかたちをとった。

  • カルヴァン主義がだけではなく ボルケナウも この評見において そうである。

これは 他方で ボルケナウが 必ずしもホッブズの絶対主権説を守ろうというのではないからだと考えられる。ボルケナウは 慈悲主義ではないけれど 暖かく強い。つまり がんばりとおす。わたしたちは 必ずしも暖かくなく 弱い。つまり論内としてあつかう――すなわち これには 例外はない――ことにおいて 暖かくあることを 旨としている。だから わたしたちは こう主張する。

カルヴァン主義は 《かぎりない実質的な努力》を むしろ しているが 初めに自己をあざむいていた。

それは セラドンに対して アストレが自分から言った言葉である。弱いからわたしたちは こうやって たたかう。わたしたちは――わたしだけ?―― 《慈悲》のかけらも持ち合わせていないのである。

  • 観念論には 微塵もかかわりがない。

見よ 《人は 救いに至るか 滅びに至るか いづれか一方の道に〈予定〉されている》。この《隠れたる神》のちからを。わたしが言うのだから まちがいはない。つまり 寝言や冗談なんかではない。《自分をあざむいてはならない。自己をだましていた旧い自分自身から逃がれなさい》と。こんなにもきみの真近くにいる愛の耳を ふさがないでいたまえ。社会をつくりなおそう と。ボルケナウのがんばりの線は ここまではっきりと たどりついたのだと考える。そして なぜなら ゴルバチョフ氏も自民党税調会長氏も この新しい生活態度に立っているから。


カルヴァン自身のことばに触れなければならない。ルターも賛意を表わしたと言われる論文の中で カルヴァンは まだ神学の議論としてであるが しかしそうであるがゆえに人間学基礎の表明を怠ってはいないかたちで かれは 必ずしも根っからのペシミストではないようである。

しかし神が我々を生まれ変わらせる生命は霊的であるから 我々を保持し強固にする食物は霊的でなければならない。

  • 霊とは われわれのことばで なぞの領域のことである。

まことに いつか我々が彼の天の遺産を所有するため

  • 言いかえると 《わたしがわたしする》自己の所有の実現のため

彼は我々を招くばかりでなく 希望によってすでに我々にまたある程度これを所有させていること 彼は我々に生命を約束したばかりでなく 我々を死(つまり善ではないところの世界)から解放しすでに生命へ移動させたことを理解しなければならない。神は我々をその子として扱い その聖霊によって我々の心に刻む 彼の言葉である不滅の種子によって我々を再生したのである。
カルヴァン:聖晩餐について 1541)

すべては なぞであるが それを認めた上では カルヴァンはここで パスカルらと同じく オプティミストである。かたちあるものとして つまり言いかえると かたちあるものを通して 《あかし》を知りうるのは この《聖晩餐》の集会のみだとも 言っているようである。すなわち かれのオプティミスムの経験的な(ないし経験をとおしての)実現は やはり個人個人の不断の努力――それが聖晩餐の集会をとおして 確認され強固なものとされるという――を通じてだとも 言ったようである。哲学 文学 自然や社会に対するところの生活態度の認識 だからそして 経済生活での所有行為形式としてのそれについては 努力を進めなかったようである。あるいは それでもよい ということにもなる一つの方針。(実際にそうかどうかを別として。)
そしてカルヴァン主義は 時代時代の生活の中で 経済活動の方面へ 神秘的なままのともかくオプティミスム――と予定すること――によって つきすすみ 同じくともかくの理論武装を持つことができた。

さて聖晩餐の努力は 彼(イエス)の死と受難によって我々に与えられる神との和解 彼の血の流出によって我々に与えられる我々の魂の浄化 彼の〔父なる神への〕服従によって我々に与えられる義 簡単に言えば 彼が我々のために行なったことのすべてにおいて我々に与えられる救いの希望を我々が確認することである。
カルヴァン:聖晩餐について)

ということは 《愛》の論内にある限り あるいはまた すべての人びとがカルヴァン教会の論内に入ってくる限り という前提で とにかく《主観的》には 人間学的にオプティミスムを保持したし実践しているということになっているのだと考えられる。セラドンもアストレも含め 世界のすべてをカルヴァンの教義で色取るならば 希望においてだが その希望は前進すると信奉したのだと考えられる。
世俗内での禁欲の倫理をも形成して その世俗内での資本主義的な所有(生産)形式に抵抗しつつ しかもこれを カルヴァン教会の前進という論内において見ることができたならば したがって この資本主義をある種の仕方で手の内のものと捉え直し 前進は確実な希望であり 希望は確実に前進すると 考えたのだと思われる。哲学 文学 自然学そして政治学 経済学等々は このかれらの《あかし》の前進全体のなかに 入ってくるものだし そう位置づけられ やはり個人個人が 専門に応じて実践していくものだと考えたと思われるのである。
生活態度を こうして 社会に対して超然的なものとして保持するかのようであり 同時に 埋没させていってもかまわないと言うかのようである。カルヴァンが《それは霊的神秘で 眼で見ることも人間の常識で理解することもできないのである》(聖晩餐について)というとき 《それ》とは 《予定のあかし》またはその神秘的なみなもとのことであるが 人間存在のといえども社会偶然の中の生活態度のことについても 及ぶようである。つまり ここには 矛盾(または非合理)があるのだが こうである。あかしは 不断の努力の過程で 聖晩餐のかたちある(パンと葡萄酒という)ものをとおして 人間が《確認》しうるものであると同時に 一人ひとりの信仰の中に隠されているといった恰好で。この意味で《隠された神》である。そしてまた同時に カルヴァン教会そのものの中では 顕われた神であるという信念が 人びとに共通の経験的な了解事項となりえたのだと思われる。
経験心理の問題が次のように あつかわれる。

もし我々が彼(イエス・キリスト)に我々の休息を委ねるならば 我々自身において我々は苦悩と不安を痛感しなければならない。さてこのような感情は 第一に 我々の全生活についての不満 つぎに不安と恐怖 最後に 義に対する欲求と愛を起こさせざるをえない。なぜなら その罪の醜さまた神から離反されているあいだのその状況と状態の惨めさを知るものは 恥じて自分を嫌悪し 自分を非難し 大いなる悲しみにあって嘆きまた溜め息をつくように強いられる。
(聖晩餐について)

こうなると このようだと ボルケナウの言うように 《世界の堕落に反抗してもっとも極端にまでつきつめられたリゴリスティックな 無限の形式的努力としての 道徳》をもたらしたと考えられる。あかしの確認の超然的な生活態度は むしろそこから このような経験心理および経験倫理の領域へ 戻って来ざるをえないのだとしたなら。われわれは カルヴァンが述べたもののほうで順序が逆だと考えるか それともたとえその同じ順序で 主観動態が経験心理に相い向かいこれに対処するのだとしても そのときにも 初めの主観動態の確立した自己の存在を 愛するという自己の自乗行為は 有効であって それゆえ セラドンはアストレを――リゴリスティックにならなくとも――大きく論内の問題の中に捉えたろうし われわれはセラドンに対しても 同じように振る舞うであろう。だからわたしたちは ボルケナウの そのほうが経験科学的で有益な客観認識と考えられるところのカルヴァン主義批判にたいしてさえ たてつくかたちで そう客観認識していくのではなく カルヴァン主義は この経験心理のあつかいの一点で 自己をあざむいたと考え 批評する。
この欺瞞の一点は 言いかえると すべての人がカルヴァン教会の中に入ってくるなら その論内全体が 希望においてすこやかに 前進するはずだという経験世界へのありうべき視点 これに通じたものになっていると考える。だからこの点では かれらは《限りない――むしろ――実質的な努力》の実践者だと われわれは見ることができる。客観認識で これを《無限の形式的な努力》と言えるとすれば そう言うことと ほとんど同じなのであるが。 
ボルケナウの議論は カルヴァン主義を必ずしも――あるいは決して――論外とするのではなく 論内でそれに相い対して 良心的に頑張りとおし そしてそのことの意味は 経験科学(哲学)による客観認識たる一般論として おこなっているということであり さらになお われわれとの違いを強調しようとおもえば わたしたちは――客観認識をとうといものだとしても―― 一般論では あまり対処しないということだ。
ラドンの《いま・ここ》に立つということになる。主観的にそして具体的な個別のないし特殊の議論(井戸端会議)として 対処する。むろん われわれもがんばらなければいけないが 《そのとき・そこ》で 《あなたは 無限の形式的な努力をおこなっている》というふうにはあまり言わないか または それだけで対処するのでは 基本的には ない。それだけではないというのは 一般論をもちろん 排除するものではないどころか 用いたいということだ。カルヴァン派のプロテスタンティスムは 教義の内容を別とし 過去のものとしてあげれば ファシスモ ナチスムス そして 神国日本の八紘一宇の行き方に似ていると考える。

  • すべてが その主義の内に入れば すべて良しで万々歳という傾きにおいて。

§37(愛の原点から民主主義という出発点へ)

ニッコロ・マキャヴェルリ(1469−1527)は 生前には わづかの知友のあいだで読まれただけの書物の中で

・・・一見 善事のように見えるものでもそれを遂行したら終わりには破滅をもたらすことがあり 一方 悪事のように見えるものでも これを実行して見ると君主の安泰と繁栄になっていることがある。・・・
君主論 (岩波文庫) 15)

と言っているのは 経済生活のではなく 政治の――それも明らかに君主の――経験行為にかんする議論であるが ここには 一般的なかたちで述べようとする社会偶然説がある。
きわめて断片的な抜き書きではあるが ここでマキャヴェルリは 《悪事をもあえておこなえ》という所謂マキャヴェリスモを語ったことになる。社会偶然説のみとしての 人間学基礎の一形態では 先のカルヴァン主義の一面での場合と同じように 生活の手段の当否をあまり考えないか(――考えないでも 禁欲的に一生懸命 実践してはいられる――) それとももはやこれを選ばない(つまり手段をえらばない)という一つの主義へ おちいりやすい。
少し説明を加えると マキャヴェルリは 《悪事のように見えるものでも》と言っているのであるから 決して《手段をえらばず 悪事を 実行せよ》と言ったのではないとまずは反論が成り立つ。ただ じつは それならば 他方の判断価値・すなわち善事については 《善事のように見えるもの》とは 言い出すべきではなかった。このゆえである。《善事でも悪事でも 経験行為は それぞれ〈のように見えるもの〉でしかない》と明らかに考えている。
《善とか悪とか》という用語は いまや旧いと思われるなら 君主が――そしてあるいは一般化して ひとりの人間が―― 経験行為をなすときには その自己の主観の真実が まったく捉えられないと言うにひとしい。カルヴァン主義が これに似ているか カルヴァンは カルヴァン教会という論内では――たとえ人から見て 共同の幻想(想像)のかたちでにせよ―― 真実ということの・そして善の系譜であるということの 《あかし》を持っている。また リベルタン主義が やはりこのマキャベルリ主義に似ている だが リベルタンは――たとえ 放逸・遊蕩に耽っていってしまうとしても―― 無神論・つまり 善の至高の存在(真理)の無を主張することは その点 かれら自身の主観において 真実なのである。真実を――または真実だとして かれら流儀の自由思想を――説いている。この点 マキャベルリ主義は 善とか悪とか 主観の真実とか虚偽について のっぺらぼうなのである。もし こうだとすると マキャヴェルリは その別の著書《ローマ史論 (第1巻) (岩波文庫)》が 共和政を基本とすると言われても それは ひじょうな矛盾を きたしている。
次の世紀になって デカルトが 真実などと言っても そうであるかどうか また 思考や行為が正しいものであるかどうか それは ただちにわからないと唱え しかも わからない――疑いうる――のだが 疑い思考しているその《わたし》は とりあえずの最終的な存在であり原因であると言った。だから あやまりうるかも知れないが いや あやまちうるのだが 一回一回の思考と行為とには 理性(精神)による思考の合理性と 意志による自由な選択とがあるとしなければならないと考えた。世界は この点で 虚無ではなく 何をやってもよいのではない――あるいは少なくとも 何をやっても すべてが のっぺらぼうで おなじだということにはならない――と。それだから 主観的にせよ 利己的にせよ 自己の思いの真実(うそを許容しうる真実)をもって 踏み出しとしては善かれという方向へ 人は思考するし行為する。
かくして 社会偶然関係のなかでの ささやかな 個人の一合理必然(=出発点)。マキャヴェルリでは これが すべて どんな行為でも その行為にかんして主観が思い考えるところのことは ただそのように見えるものだと 言っているわけである。拡大解釈(つまり誤解)があるかも知れないけれど そのような誤解を生むかたちで マキャヴェルリは議論している。
この極論つまりマキャヴェルリ主義の思想にあっては おそらく――いや明らかに――セラドンの立ち場にいたならば 情念をむき出しにし始めたアストレを ぶんなぐったであろう。いや そういう人物としてのセラドンであったならば すでに この別れの場面には至らずに アストレが そういう人物どうしとしてなりに 前もって セラドンにくっついていたかも知れない。ただし その情念(ないし一般に経験心理の情)による互いの関係は 破局に至らなくとも いがみあいを繰り返していたことになるかも知れない。それは むしろ破局の継続である。《君主論》のおしえるところは そういう人間学であると言わざるをえない。
リベルタン主義にも カルヴァン主義にも あるいは 宗教改革に対抗する旧教の復興としてのジェズイット主義にも 政治的にも経済的にも このマキャヴェルリ主義が 入りこむ余地があると言わざるをえない。そういう偶然関係の過程として 社会的な闘争(また 仲間うちでの徒党)が繰り広げられることが出来た。ホッブズが わづかにこの社会闘争の偶然とその破局から免れたかたちでいられたのは デカルト人間学原点を かれなりに――そしてその合理思考として幾何学的な志向をもって それこそ しっかりとした議論で―― 位置づけたし保持したからである。
ただしホッブズは 社会生活への合理思考 社会生活での合理必然を 基礎としていくのではなく 人間学をそれに直結させたところの社会形態全体の主権(=はじめ=君主)のもとに この社会生活へと降りて来てその平和と秩序とを 思考し志向した。この絶対主権説にも あのマキャヴェルリ主義が入り込むことができた。デュルフェのえがいた一女性アストレは――古典古代の思想をつぐかたちで―― 情念(愛情にしろ憎悪にしろあるいは軽蔑にしろ)または運命を 神々の力と見なすかのようである。つまり その意味での 大きな偶然説でもあり個人的な何らかの必然説でもある。
つまり この神々の命令を じっさい自分に都合のよいようにだが あがめ また 利用した。マキャヴェルリ主義は すでに 運命を ただ自分の都合よいように 重んじまた用いるというのではなく この運命すら その顔をのっぺらぼうにしてしまうのである。すべては 社会偶然という大きな習慣の流れの中での 力関係が支配するのだと。
これは 譲歩してみても 現実主義でも何でもない。経験現実が 習慣の力関係だということは 自同律であるから。しかも 《わたし》は 習慣ではない。マキャヴェルリ主義者さえ その《わたし》は この習慣を利用するのだから。これは 《わたし》主義なのである。つまり  《現実》というものも 言葉というものも のっぺらぼうと見なしているのである。《わたし》こそが 《現実》だというのであるならば 話は別だが。
リベルタンにしても カルヴァンにしても――とくに宗教改革の先駆者たちは そうなのであって――また マキャヴェルリにしても 社会闘争の領域で それぞれの生きた歴史がある。かれらは デカルトホッブズやそしてわれわれに対して やはり人間として 相対的であるから この社会偶然の領域における新しい生活態度の獲得への闘争の側面で 相対的なものであり しかも 相対的と見られるばかりでなく 歴史の進展に果たした力と貢献とがある。ただ――ただ――わたしたちは これを言わなければならないし十分に触れなければならないのだが この社会闘争の領域そのものへ 議論の焦点を移してしまおうとは思わない。原点にとどまる。
またこの原点の 生活態度としての踏み出したる出発点を 考察する。時代の問題 社会をつくるの問題で 各時代史や 《社会をつくる》の人間学基礎の結果 その各時代・各社会でどういう偶然領域での闘争を経過したかは 深入りしないとした。これは――それぞれの時代史・社会闘争史は―― 歴史家が専門的に研究するものであるとともに わたしたちが現代の具体的な実践の過程の中で 参照していくものなのである。いちおう その区別ができると思う。
だから カルヴァンやその流儀のプロテスタント主義についてなどは むしろ 現代の視点から いばって それらの欠陥をあげつらっている。明らかに そうしている。この姿勢に 欠陥がないとはしないけれど 作業の物理的な側面から言っても 全部を研究しつくすことは無理だし いまそれをおこなって成果を発表し添えることに それほど意義を感じない。ますますいばって言うならば 歴史上の各時代そして社会闘争のいくつかいくつかを まだ必ずしも参照しないとするのは 一方でたしかに 時代はすでに継承されてきて生きられているし 社会闘争はそれこそ苛酷な様相をも持って繰り広げられているにもかかわらず ボルケナウの言う パスカルらの人間学をのりこえたところの新しい生活態度は それに向かって人びとは進んでいるとは言えても それを確立したゆえの前進は おこされないとさえ 見るからである。だから 人間学原点での議論を 固めなければならない。
わたしも このようにいばって言ったとしても 自分勝手に言っているのではない証拠は いくらでも 挙げられる。少し前の過去には このボルケナウの書物が現われなければならなかったことが その一つであり 現代では パスカルらは 知的な趣味の対象であるか それとも まったくの過去の人びととなっているかであることが もう一つである。
すでに確立しすでに前進を開始しているゆえに もうパスカルらはただ知的な趣味の対象として 読まれると人は 言うかも知れない。そうだとすれば 人びとは ボルケナウに対して ひとこと ごくろうさんと言わなければならず わたしに向かっては もういい もういいよと言うのが しかるべき反応である。
これを聞いたなら――パスカルらの耳は 比較的によいのだから―― わたしも 筆を擱かなければならない。経験科学の立ち場から 客観的に見て言えば もういいよという声を聞くまで わたしは だからむしろ 威張って言う必要がある。威張るためではないからである。ほんとうは わたしは こうして人びとに恥ぢ入らせるために書いている。
時代ごとの社会闘争史は これも知的な趣味の対象か専門的な学者のそれであり のっぺらぼうに何とか目鼻をつけさせるというような生活態度(学問の姿勢)であり――しかし じっさい これは おかしい なぜなら 今たとい目鼻がついたものではないようになっていても いま新しい生活態度を実践しているゆえに 目鼻がついてくるのであって その逆ではないから―― あまりにも憎まれ口をたたかないとすれば それらの研究と知識とは 《社会をつくる》ための確かな材料である しかも この材料をつくるのであって どこまでも準備作業となっているからである。
アストレに対するセラドンの《その場》の社会づくりにとって つねに 永遠の準備作業がおこなわれている。しかも これは すでに三百年・四百年と経過してきて――もちろんその間に 新しい生活態度の実践は 社会一般の場としても 目途がついてきたのだが―― これは・つまり準備作業は ありあまるほど《実践》されている。社会には――つまり現代人には―― モラトリアムの魔法がかかっている。ゆえである。

一言で言えば 君主絶対主義は資本主義滲透の政治的表現である。――つまり とボルケナウは言う。――といっても これはもちろん 絶対主義ブルジョアジーの直接の代弁者だという意味においてではなくて それが封建的生活形態を除去するかぎりでのことなのである。・・・

  • すなわち ホッブズの前に そしてはるかマキャヴェルリの以前に こうした思想の動き 言いかえると 社会偶然の領域に対して ともかく人間の合理必然をあらわそうとする動き そしてここでの場合は まだまだ 積極的に新しい生活形態を確立するという恰好でではなく 消極的に 旧い偶然の身分制などという社会的な生活形態と制度とからの制約をまずは取り崩そうという方策として 絶対主義が現われ始めていた。《〈わたし〉が現実だ》というわけである。

・・・絶対主義はカトリック派の地盤に立ちながら しかもそのもっとも首尾一貫した思考の諸形態をつくりだすことができた。それがみられたのはイタリア すなわち宗教上の無関心(のっぺらぼう)と 簒奪による都市僭主をもったイタリアにおいてである。《マキャベリズム》の方法は マキャヴェルリ以前の数世紀にも普及していた 高等政治の不可欠の手段であった。だが マキャヴェルリの時代になってはじめて こうした見地を公表するまでに情勢と公衆が成熟したわけだ。というより こうした公開がもはやさけられなくなったのである。
(ボルケナウ§3・1−2 pp.138−140)

こうボルケナウが言うのは その当時の現代人にかかっていた魔法の――人間学を回避するための・そしてルネサンスの人文学でもまだまだ残していたところの魔法の――ヴェイルが ともかく裂かれはじめたということだ。
わたしたちは モラトリアム人間となっていることをまずは自覚しなければならないとしても もはや――われわれの現代にあって――その魔法のヴェイルをとりはずすことそのものを 目的とはしない(つまり 自己目的化させない)のだし マキャベルリ主義のやり方で これをおこなうのでもない。デカルト パスカルの時代と人間学とを経て来ているのだから。
だから 時代の社会偶然に対して そこにある事物に即して認識しなければならないとは言え これを公開するだけではないだろうし また 政治や経済での手法や秘密やをあばき 情報公開することを 目的とはしない。それらは 手段である。セラドンの 時と場と なかんづく 主体とに 立つことが 先行する。アストレの私的なはかりごとを あばいてやればよいというものでもない。マキャベルリの場合は まだ――或る意味で―― 時代が 自首するという恰好であったのかも知れない。
デカルト パスカルらは この《時代の――時代からの――自首》を じゅうぶん受け止め おのおのの愛をもって 対処した。その前の宗教改革者たちを もし悪く言うとすれば かれらはまだ 《時代の自首》に対して それ見たことかと いばったのである。威張らなければならないほどの時代情況であったのかも知れない。
わたしたちは すでに わたしが威張ってみせたようにする必要がなく このわたしの愚かさに対して・あるいは わたしたちの時代の愚かさに対して もうプロテスト主義で対処することもない。
ところが われわれの目的とする 新しい生活態度の再々確認と再々形成という実地の実践にとって その場と準備作業とは ととのっている。世を挙げて――おおむね世界は―― 身分制偶然の制約を取り払い(だからもう 絶対牛義は 手段としても必要がない) 民主主義であるし 歴史の研究はすでに山ほどある。また――やはりおおむね――ゆたかになった。
またまたわたしは ことさら いばって言った。もちろん人に恥ぢ入らせるためである。あたたかいことを むねとするけれども じっさいには弱いし そして 宗教的観念なるジヒのひとかけらも持ち合わせていない。これが 自由なデモクラシである。合理思考ないし経験科学が 合理的な経験必然(新しい必然としての関係つまりその意味での愛)の問題をとおして デモクラシの自由を確証するであろうけれども われわれは デカルト主義ではない。デカルトのジヒ 慈悲のデカルトという想像で われわれは動くのではない。幾何学の精神で客観認識をうちだしていくよりも どちらかといえば その同じ必然関係たる新しい愛を 恥ぢ入るという感覚をとおして うったえていく。
この愛は 経験科学的なものである。つまりこれが 民主主義という出発点である。これまた 《繊細の精神》主義ではないけれど(あるいは 一種のエピクロス主義ではないから) 情念は論内なのであるゆえ その経験心理を用いる。赤面するというのは 新しい生活態度にとって 論内の行為事実である。赤面しても 社会偶然主義なる《どっちにころんでも おなじだ》の二重人格のもとに アストレが言うようにその顔色を隠し またまた ジヒのヴェイルで自己をもそしてかく言うわたしをも覆い包み モラトリアム人間でいつづけることも できるわけである。わたしに対して 《きみは あまりにも慈悲が足りない。思いやりの心に欠ける》と 反論することができる。
つまり そのような人は 手段をえらばない。わたしも 例にもれず そうだとしたら それは わたしが弱いからである。緊急避難 正当防衛である。すでにセラドンの時と場所とに立っているからである。かれらは 強い。その時と場所 つまり時代が 浮遊している。社会をつくらないからである。いや つくろうというかけ声を つくりあっている。それが 慈悲であり社会のとうとぶべき和であると言っている。偉大な宗教のおしえなのである。
迷信でも 経験生活として 生きていけるのは 事実である。人は わたしに対して けんかを吹っかける気かと言う。かくて かれらは とうとぶべき慈悲と和の精神を犯す。わたしは 迷信に立っていないから 犯さない。
(つづく→2005-10-26 - caguirofie051026)