caguirofie

哲学いろいろ

#24

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923

§23(時代について・二)

ああ 人間どもよ お前たちをかくも嫉妬に駆り立てるこの精神(理性でもある)は お前たちの生死と共に点滅するあかりにすぎぬ。――と さる詩篇のなかで ルイ・ラシーヌは語っているそうだ。
仮借ない老いがおぞましい皺をもって 醜い額に陰鬱の影を刻みつけるとき 重なる歳月の重みで曲がった身体の中を 血液が まるでいやいやながら 巡ってゆく時 無気味な霞に覆われた眼球の中に 物体の不正確な像のみが映し出されるとき 日々肉体が崩れ去り残骸と化してゆく時 私は見る 精神もまた廃墟と化するのを。その時瀕死の魂は 火種を失った松明の如く 時折ぼうっとした光を投げかける。人間の悲しい運命よ。揺籃の頃にもまして 弱々しく 子どもになって 墓に辿り着くとは。死の止めの一撃が存在の土台を揺るがせ 断末魔の最後の吐息の中で 血の気を失った心臓は冷たくなり 魂は消え失せ 人間存在のすべてが滅びる。
(ルイ・ラシーヌ詩篇《宗教》La Religion, poème 1742;ヴォルテールルイ十四世の世紀 4 (岩波文庫 赤 518-6)〈人名録〉より。pp.289−290)

このラシーヌは あのラシーヌの息子のほうで じつは生まれたのも やっと十七世紀の最後の十年のころである。ボルケナウが あまりに陰惨な面を 強調していたから ちょうど拾ってみたくなったのである。これを取り上げているヴォルテール(1694−1778)が ルイ・ラシーヌと同時代の人で そのヴォルテールも 《極めて美しい詩句》の例としてあげているのだから 一読したところ《地獄》のおそろしさを想わせるような時代の思潮は その十八世紀まで 尾を引いたのだろうか。
もっとも このような一部の詩句ながら 再読してみて 《美しいものでない》とも言えないようであるが――詰まりあのパスカルのように ペシミズムからオプティミズムへの転調を まったく持たないとは 言えないように思われるのだが―― それとともに ヴォルテールは ルイ・ラシーヌがこの詩句を 《シャフツべり卿やボリングブルック卿の〈すべては良し〉の立場に抗議する》かたちで書いているのだということを ことわっている。

こういう言葉に対してはテムズ川から愚痴などこぼさぬ理論家が 英国国教徒流の沈着さで答えるだろう 《すべては良し》と。

とポープ(Alexander Pope 1688-1744) が歌った立ち場に対抗するかたちなのだと(ルイ十四世の世紀 4 (岩波文庫 赤 518-6)p.290)。《ピュアリタンの熱烈さ》は《沈着さ》を持ち合わせているというわけである。それでは セーヌ川のほとりは地獄で テムズ川では天国だったのだろうか。
ジョン・ミルトン(1608−1674)は その長編詩を《失楽園 (研究社小英文叢書 (280))》と名づけたが 楽園を追われたあとの新しい世界への旅立ちをうたいあげたのだから そうなのだろうか。けれども こんなイギリスとフランスとの対比は どこから見ても早計なのだから 反対の見方を 出しておきたい。《失楽園》の最後の部分で

世界が――そうだ 安住の地を求め選ぶべき世界が 今や
彼らの眼前に広々と横たわっていた。そして 摂理が彼らの
導き手であった。二人は手に手をとって 漂泊の足取りも
緩やかに エデンを通って二人だけの寂しい路を辿っていった。
失楽園 (研究社小英文叢書 (280)) 最終行)

というとき 中で《摂理が彼らの / 導き手であった》と暗示して言わなければならなかったぶんだけ むしろ上のラシーヌの詩句のペシミズムのほうが 力強いオプティミズムを語りうる可能性も あると考えておくことができる。

イギリス革命においてミルトンと平等派が いつでも憲法を変えうるという人民の権利を法律化することによって カルヴァンの教義をやぶり かくてルソーへの道を用意した・・・。
封建的世界像から市民的世界像へ§3・〓 p.155)

と見るとしたなら ミルトンはすでに 新しい生活態度に立っていた。ピューリタン革命の共和政が挫折したのち 上の《失楽園》を――盲目となって筆記させるかたちで――書くことができたのなら 一般にも言われるように イギリス社会のほうが フランスより・そしてほかのどの国にもまして オプティミズムの実践は すすんでいた。と前提したうえで。
ただし このように 時代の問題で イギリスの先進性を前提した上では たとえばウェーバー

こうした〔ミルトンの筆があらわすところの〕ピュウリタニズムの現世に対する厳粛な関心の 別言すれば世俗内的生活を使命として尊重する態度の この上もなく逞しい表現は 中世の著述家の筆にはとうてい不可能なものであったことは 誰人もただちに感得するであろう。
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)1・3)

と見るのは 逆の早計にならないか。それは すでにイギリスで 経済史一般がすすんでいたとき とうぜん中世の人びとの議論とはちがった新しい生活態度の議論をもちえたということであって 経済史一般がすすんだのは 中世の人びとの旧い生活態度によっての一般経済史がすすんだ結果でもある。自らの内からの進展も考えなければならないのではないか。

思想史も そこでその意味で 連続してきているのであるから もし中世にオプティミズムが旧いかたちででも 議論され実践されていたのなら そういう主観構造の変化があって ピュアリタンの沈着さ熱烈さも ラシーヌの一見しておそろしいペシミズムも 新しく表現されるようになった。ピュアリタン主義は それらの 一つの加速度をもった生活態度として起こったのではあっても――そして それによって 人びとの社会生活に 影響をおよぼすことはありえても―― 中世では不可能な新しい表現を持ちえたゆえに・そのことをもって ただちに あたらしい時代の推進力となったというのは 逆の早計にはならないか。
イギリスが他の国にもまして すすんでいたということを前提にして 人びとの主観構造――その表現は 主観基礎の認識として 明らかにされる――の把握が ここでの任務であり この観点に立てば 一人ひとりの生きた主観動態が 推進力であって また 社会生活の中ですでに推進されている主観動態を 一つの世界像としてえがいてみるのが 時代の問題である。
思想史的にしろ経済史的にしろ 主観動態の経験領域にまでは およぶが その心理的な起動力をもってするところの影響――それは 社会経済政治的な闘争でもある――の問題は ここでは 付随的・第二次的なものと見ることにする。主観動態がなになに主義(またはセクト)となる思想・生活の運動において あるいは 同じく主観基礎が経済関係とただちにつながって見られるところにおいて 心理的な起動力をもちそれがはたらくのであって それは 主観動態――ふつうの社会生活――が 心理経験的に 過剰傾斜し加速度をくわえたかたちのものである。
単に加速度をつけただけなのでもないと見る。
心理は 経験世界に対する主観の内なる動きであるが 偶然性であって すでにこれまでのわれわれの観点にとっては この心理偶然(またその意味での自然)に対して 主観は 合理思考をおよぼすのであるし その合理思考は 主観の用いる単なる一つの道具である。だから この人間学という方法たる主観動態――なぞを持ってもいたが――が 歴史と時代との推進力であり その時代に生きる人の生活態度また世界像として たとえばホッブズのように 社会経済政治的な経験世界に対して 基本的・第一次的に そしてただし一定の距離をもって つながる。
ラシーヌの詩句のような一主観基礎も 政治学主体たる国王その人に対して 経験科学的な主張をもつ。これは いくらかえこひいきして言ったものであるが 国王に対して《なんじ自身を知りなさい》という意味内容を持ちうる。――だから 主観基礎主義でもないのだから 主観内面の方法基礎と 内面にあっても偶然的な動きたる心理や外面の社会的な闘争とを まずはそれらのあいだに 一定の距離をもつ二つのものだと見るし その距離をはかりつつ進むことが ここでの焦点であるし任務である。
ボルケナウの到達した新しい生活態度からいけば そういうことばによる表現と説明だけでは いけないのではないか。ピュアリタンのように あるいはその時代としてイギリス人一般の生活態度のように 実践していなければ いけないのではないか。そのとおりである。そして いまは 過去の時代をあつかっている。しかもそれは 現代をもにらみながら というのであるとき それでは どうして どこで たとえばピュアリタン主義そのものが顕揚されなければならないのだろう。ゴルバチョフ書記長もミッテラン大統領も その時代つまり現代にあって 新しい生活態度で 実践している。政府税制調査会自民党税調会も そうである。それらの基礎(基本認識)として 主観・そしてここでは 経験世界の中にある各自の主観を中心に とらえようということである。ラシーヌは 先進的なかたちでもしくはそのときの新しい生活態度が加速度をつけたようなかたちでは 実践していないのだけれど その時代において・また現代において それぞれの時代の把握としては 視野に入るばかりではなく たしかに かれ本人として 生きた主観動態である。
イギリスが先進社会であるという経済史の認識に還元したところの一個の主観で さまざまなくにの各々の主観動態を割り切っていくのは 早計である。他方 だからその思想史のうえで過剰な速度をつけた先進の生活態度こそが 時代の推進力たる主観動態だと言い切っていくのも 逆の〔というか 先のに輪をかけた〕早計である。
《激情ではなく 沈着な熱烈さ》をもった主観動態 これは 便宜的に言って 時代の代表であったかも知れない。ボルケナウは 特にこの《鋼鉄のように堅固な数人の思想家》の研究をもって 時代の世界像をえがこうとした一面がある。ゆえに ほかは――ほかは――《死さえも苛酷な地上の地獄》であったと 《あえて》強調する。
シェイクスピアがなおたたえることのできた英雄的心情の誇らしげな自尊心は 色あせ》ようと色あせまいと 《英雄的心情の誇らしげな自尊心をたたえることのでき》ようとできまいと――それは たとえば中世からとして いろいろ時代が移り変わるということにすぎない―― だからここで そのような経験心理の 方法基礎たる主観を基軸として 言いかえると すべての十七世紀同時代人たちの主観動態を 個々にそしてできるかぎり総体的に とらえることに着手する。あるいは その方向を明らかにしようと 始める。
なお ラシーヌの詩句は――なぜならかれは ヤンセン主義者であったから―― ボルケナウのいうごとく《ピュアリタンやヤンセン派の隠れた神のように かくも全生活に滲透する恐怖を流布した神は かつてなかったであろう》の線で とらえられるのだとしたなら それは 恐怖をあおって心理的な起動力をいだかせるところの付随的な――ないし 無効の――主観動態に属する。そうだとしたら そうである。
あるいはただし われわれはパスカルにみちびかれて その評者ヴォルテールもほのめかすように 読者たるわれわれの主観がラシーヌを理性で受け取る・もしくはさらに理性を超えた主観のなぞの部分(それを 理性の最高のちからと言ってもよい)によって受け取るとき そのペシミズムは 心理の動きをのりこえて(恐怖なら恐怖を どうでもよい偶然性なるものと見て) オプティミズムに到達していることは 可能である。
ラシーヌとて 恐怖におびえっぱなしであったとか わざと恐怖をあおったとか ただちに 結論できない。

  • つまり 主観基礎と その外への出発・展開とは まず一定の距離がある。これは あたりまえなのであって はっきり言わなければならない。

ただし――さらに ただし―― これを オプティミズムなる主観動態だと あからさまに不用意に 発言すると あのミルトンの詩句の中の《摂理が導き手だ》という議論と同じかたちで 時に 《色あせ》てしまう。
主観動態学と――つまりボルケナウの言おうとした人間学と―― 時代の問題。

§24(ベールと迷信)

いま一九八五年の秋 翌年にかけて ハレー彗星が地球に接近してくることが 待たれている。(勿論待っていない人もいる。)
ところがこの十七世紀 その末期ではあるが一六八〇年に ほうき星が出現し 話題になったそうである。(他の年々にも現われた。)ピエール・ベール(Pierre Bayle1647−1706)という人の《ピエール・ベール著作集 第1巻 彗星雑考》――くわしくは《一六八〇年十二月の彗星出現に際して ソルボンヌの某博士に送った諸考察Pensées diverses écrites à un docteur de Sorbonne à l'occasion de la comète qui parut au mois de décembre 1680. 》――という本が 日本語訳されているのを わたしは たまたま見つけた(ピエール・ベール著作集 第3巻 歴史批評辞典 1 A~D全七巻)。

  • 《彗星雑考》は その出現が 凶兆であるという説に反論している。(Lettre à M.L.A.D.C., docteur de Sorbonne, où il est prouvé par plusieurs raisons tirées de la philosophie et de la théologie que les comètes ne sont point le présage d'aucun malheur.)

これは 《彗星は大きな不幸の前兆だと考えつづける人をその迷いから完全に解き放つ》(1682年版序文)ために書かれた一議論である。だとすると ボルケナウの言うとおり《宗教が――つまりキリスト教のか それとも それ以前のか を別として――大多数の人心を確実に支配している》(著者の序文。ボルケナウ§22p.352)その一端がうかがえる。そして現代では この《迷い》から人びとは目覚めたと言わなければならない。ベールの議論の仕方 その主観構造を見てみよう。すこしボルケナウから離れるかも知れないが。
いや 人びとの迷信を ベールが 結局《無神論偶像崇拝》とから説いて 主観動態の自由を回復しようという主張を展開するとき 《無神論》は ボルケナウにおいてここで 《リベルタン》の問題である。たとえば ヤンセン派のラシーヌが 隠されたる神を 透かし彫りにして 心理主義者たちには 《かくも生活に滲透する恐怖を流布した》かもしれないとき 《ジェズイットやリベルタンたちがこの軛をゆるめる》(著者序文)というのだからである。
《しかしかれらがその軛に対置するのは なんらよろこばしい信仰ではなくして たんに放逸な利己主義の無拘束な自由の領域である》。この自由思想家リベルタンは 広義に無神論であろう。ジェズイットは――もしそうだとしたら―― 有神論で 同じ道をあゆむものかも知れない。かれらは 時に――政治的な領域で――偶像崇拝者たち(その迷信)を 利用する。もちろん《利己》のためである。
彗星が偶像として崇拝される迷信 もしくは何ものかが偶像として崇拝されている迷信の主観構造が 彗星の出現を見ることによって 破壊されはしないかと狂喜したりするところの 有神論および無神論の以前の 原始心性。これが 偶像崇拝の心理であり かれらも人間であるとするなら(あるのだから) 偶像の人格視=物象の人格化のことである。
無神論は 主観動態のなぞの部分を言わない・認めない議論であり もしホッブズが《神(なぞの何ものか)は物体である》と言ったとするなら 無神論者は 《人間(主観動態)は 物体である》と言うだろう。つまり唯物論というか いわゆるただモノ論であり これは 人格の物象化にいくという。
人格の物象化は ふったび物象の人格化に戻りうるし 人格を自覚する以前の 物象の人格化(アニミズムなども)の原始心性を 政治的に利用する。心理にうったえ 心理が起動力を発揮するように せしめうる。利己主義によってだから 経済的にもである。
リベルタン無神論は 心理経験の恐怖(また孤独・不安)を その心理世界にとびこんで 自分・人格を 心理経験という物象とみなすことによって 恐怖のくびきを解き放った。《飲めや歌えや》というのである。あるいは 《下半身には理性がない》という心理偶有性を 真理とみなす。ジェズイット(これは イエス主義という意味である)の有神論は 恐怖のみなもとというか その送り手と考えられたところの神が その観念としての偶像というかたちで崇拝されている限りでの情況で しかも逆に 有神論にとどまり その説教師であるという権威のもとに 自分は恐怖のくびきから離れたと思ったし そしてほとんどリベルタンと同じように放逸に過ごしつつ おおやけの顔としては 説教師の地位にとどまる。
ベールは その時代の諸概念・いまから見れば旧い表現形態で しかしいま上に見たのとほぼ同じ内容のことを 議論している。

(1) 〔有神論者において〕 本当の意味で神に回心しておらず 聖霊の恩寵で心が聖化されていない場合には

  • 理経験が自己の主観の全部だとしか見ていない場合には

神と摂理の認識は人の情念(または心理)を抑える柵としては弱すぎ したがって情念は その認識がない〔無神論の〕場合と同じく羽目をはずして 自由勝手に振る舞うのだ・・・。その認識(有神論 の説教)が生み出せるものはまず 人間と〔偶像崇拝の〕神々を和解させうると思う外面的な行為にしか及びません。

  • 有神論は 偶像崇拝を利用しつつ 指導するのだと主張する。

神殿を建てさせたり 犠牲を捧げさせたり お祈りをさせたり その他これに類することを行なわせることはできますが 罪深い色事をやめさせたり 不当に手に入れた財を返上させたりすることはできません。
(2)〔無神論偶像崇拝とについて〕
したがって 現世的な欲望(心理偶然)があらゆる罪悪の源である以上 それが無神論者をも偶像教徒をも〔そしてわれわれをも〕等しく支配している現状では 偶像教徒も無神論者と同じくあらゆる罪悪にはしりうること 人間の法という(主観動態の自覚という)・宗教よりも強い歯止めが彼らの邪悪さを抑えないかぎり 偶像教徒も無神論者も社会を作りえないことは明白なのです。

  • ただし 《歯止め》という表現を使うのは パスカルのペシミズムを通過していないようなオプティミズムであるようだ。
  • ベールは アニミズムシャーマニズムの社会に 実際にはキリスト教は伝えられ そこから有神論と無神論とが現われる場合で 言っているから――また実際 現代においても ほとんどそういう情況である―― 《偶像崇拝無神論と》を 一緒に論じるかたちでもある。相当ながくなるけれども つづけて引用する。

そこからもわかるように摂理に対する漠然たる混乱した認識でも人間の壊敗を弱めるのにたいへん有益だと言うことに たいした根拠があるわけではありません。この認識の効用は こういった面にはないのです。それは道徳的というよりもはるかに多く物理的なもので(=物象的なもので) つまり 民をいっそう善人にするよりは むしろ或る場所に住むのを好ませ(=祖国という観念に親しませ)(なぜなら物象の人格化) その場所が攻撃されたら守らせるということにあります。

  • ただし 人間は 時代の中に生きることに ちがいはない。

神殿と祭壇と家の神々を護持するため 宗教ト故国ノタメ戦っているという意識(心理経験とその起動力)が 人の精神(自覚していないとしても 主観動態)にどれほどの力を及ぼすか 神々の加護で勝てるという期待を持ち 信仰の敵に対して自然な憎悪の念を抱く時 人がどれだけ勇敢になり大胆になるかは 誰でも知っているとおりです。にせの宗教もまさしくその面で国家の維持に役立っています。そうした効用以外に 人を神に回心させ おのが情念と闘わせ 有徳にするという効用があるのは 真の宗教だけに限られます。

  • ちなみに パスカルは ほとんどこういう言い方をせず 主観基礎をとおしての神を 議論した。

しかし真の宗教でも それを告白する全員についてこれが成功するわけではありません。なぜなら 大部分の者は悪徳に首までつかっているため 人間の法が秩序づけなければ(自然法のことだが 人間学内面こそが 動態しているのでなければ) キリスト教徒の社会はたちまちみな崩壊してしまうからです。悪徳を癒す薬として説教師や聴罪司祭のいましめしか用いられなかったなら 不断の奇蹟でもないかぎり パリのような都市はものの二週間で世にも悲惨な状態に陥るに決まっています。
(ベール:ピエール・ベール著作集 第1巻 彗星雑考131)

どうもパリは分がわるいようである。軛をずるがしこく解いた無神論リベルタンや有神論ジェズイットたち〔あるいは 軛に苦しみあがく偶像教徒〕ばかりであるかのように。セーヌの都市は 《人類史上もっとも陰惨な時代の一つである》ことを 実証しそうな議論の調子をおびている。
現代において 物象化の問題が論じられているとすれば 貨幣崇拝も迷信であり 合理主義とか経験科学とかGNPとかの観念の偶像を崇拝するのも 迷信であり これらの物象化した主観動態に対して 有神論よろしく 説教師や聴罪司祭となってのようにそれらの《悪徳をいやす薬としてのいましめ》を説いたり用いたりして 国家ないしセクト・教団の維持に役立てていても 《社会をつくりえない》迷信なのである。《彗星の出現》が利用される迷信からは 解放されているのである。

§25(ラシーヌと激情)

ボルケナウの言うように《〔ジャン・〕ラシーヌにとって 激情とは 二度と取り返しのつかない呪いと深淵へとみちびくものでしかない》のだろうか。――《迷信》をのりこえた《沈着さをもった熱烈さ》の中に 《激情》が つまり情念であり心理の起動力でもあり偶有なる自然であるものが なおも迷いこんでくるばあい。
小説《カンディード 他五篇 (岩波文庫) またはオプティミスム》の作者ヴォルテールにとって オプティミスムとは 《人がみな悪の中にいるとき それでも〈すべては良し〉と言い張る激情のことだ。c'est la rage de soutenir que tout est bien quand on est mal.》(第十九章)。主人公カンディードがそう考えていた。ボルケナウの用法では 《倫理と世界の成り行きとが一致しうると信ずるという意味》(引用文〔 c 〕)である。そのオプティミストデカルトが 《激情》に走ったといおうとするのではなく 端的には ウェーバーの説くようなピュアリタン主義(その主観心理)のことが あらためて問題である。
ペシミストホッブズが 結局 社会生活(その平和)を思って 国家主権を理論付けたのも オプティミスムをあらわしている。偶有なる人間の自然(その本性) 《無意味な》心理経験を そうだと認識するのは その結果 ほうっておいたとしても 遠くあらためては国家論によって オプティミスティックに 対処しようとする姿勢を見せた。オプティミスムそのものを《信ずる》のではなく 主観動態の信仰が方向性としてオプティミスムをもっている。つまり そうでなければ 飲めや歌えやのりベルタンになる。

  • オプティミスムは 楽観主義とも言えるから なになに主義(つまり イスム)の一つである。それでは つごうが悪いので ここでは カタカナ用語でとおしている。広く弱く薄い意味で 《楽天思想》とよべばよいかも。

オプティミスムの沈着と熱烈とが 激情に走る場合が あるのか。いや むしろ 激情とは オプティミスム主観動態の過程において なんなのか。
ここでわれわれは デカルトの《情念論(魂の受苦)》(省察・情念論 (中公クラシックス))あるいはパスカルの《愛の情念(受苦)にかんする説話》を 持ち出さない。《フェードル (岩波文庫 赤 511-3)》の作家・ラシーヌ( Jean Racine )によって見る。この章の最初に引用したことばにかかわらず ボルケナウは 《デカルトのあと ホッブズが〈市民的合理主義のペシミスティックな基礎(基礎!)を容赦なく しかも絶対に回避できぬ仕方で暴露した〉あとの 最初の世代の人々》の中に パスカル ラ・ロシュフーコーと並んで ラシーヌの名を オプティミスムを継ぐであろう《その有力な代弁者》として あげている(§8・〓 p.577)。
かくて テセウス(テゼ)王の妃であるパイドラ(フェードル)の愛の情念――。

フェードル:・・・なさけないことに 話はみなあなたのことになってしまった。さあ 仕返しをしてください。忌まわしい恋をするにも程があると このわたしをぶって下さい。あなたをこの世にした英雄の顔に泥を塗らぬなら 見るも腹立たしいこの人非人の息の根を止めてください。テゼ様の寡婦(やもめ)は 是が非でもあなたが好き。ええ ほんとです。この恐ろしい人非人を逃がしてはなりません。さあ ここがわたしの胸。ここをその手でお打ちなさい。この胸は一刻もはやく罪の償いがしたさに 前へ前へと出る。それ あなたのその腕の方へ。さあ お打ちなさい。この胸がその手で打つねうちがないなら 憎くてそんな手ぬるいことではすまされぬなら いまわしいともなんとも言いようのない血でその手が汚されるようだったら その手の代わりにその剣を貸してください。さあ およこし。
ラシーヌフェードル (岩波文庫 赤 511-3) 2・5)

クレタ王ミノスのむすめパイドラは アテナイの王テセウスに 後妻として嫁いだ。亡き先妻のむすこヒッポリュトス(イポリット)を相手に 恋心を燃やし――ただし もっとも ヒッポリュトスは それまで宮廷にいたわけではなく アテナイからも離されて 育った そのあとのことである。また いったん引き下がっていたヒッポリュトスと 再会したとき――このヒッポリュトスを目の前の相手にして ラシーヌによれば 上のように 自分の思いを告げた。
まず言えることは かのじょが 罪を・罪に走ろうとしていることを 自覚していることである。ラシーヌによればである。つまり 主観・主体であることを自覚している。なぜなら そうでなければ 罪をおかすことさえ 出来ない。

  • 精神錯乱は 罪の犯行者となることができない。

ということは じっさいのところ これだけで 主観動態とそして心理経験とは 別ものである。

  • フェードルがこのせりふの箇所で 心にもないことを言っていたとしても そのように欺こうとするのは――そうだとしたなら―― やはり 心理経験と主観動態とが 同じものではないと知っていて なのである。心理経験だけのうそは 容易に見破られる。

という主観の構造に たしかに ラシーヌも立っている。もちろん 当たり前のことである。デカルトのあと パスカルと同じ主観の構造 つまり りんかくとしては同じ世界像(またその方法基礎)を 悲劇の作品を通じてラシーヌは明らかにしている。と十分に言うことができる。
《個人個人ではそれぞれの人となりにちがいはあっても そうした(=ホッブズによってひらかれた)洞察がすでにこれらの人々のあいだには 完全に滲透しきっていたことがわかる》(§8・〓 pp.577−578)。
これをボルケナウが 《デカルトのあとの世代》というのは 《デカルトは その〈情念論〉において情念の自然的機能を問い その道徳をまったく唯物論的に把握された情念の構造(つまり 主観の構造ではなく 心理の構造 ゆえに心理にかんする合理法則に傾きうる《道徳》でもある)への洞察にもとづいて建設したのである》(§6・〓 p.522)からだと――図式的に言って―― 考えられる。
ガッサンディにおいては これ(道徳)についてはなに一つのべられていない。/ かれにとって中心的な倫理の領域において主観的観念論に転化する》(同上)とボルケナウが見る点については そうかも知れないが 《主観動態がただちに心理経験への法則たる倫理には つながらない / つまり 主観の構造というときでさえ それは 情念の構造またそれについての道徳の体系とは 基本的に別ものである》と指摘することによって ガッサンディを 消極的に擁護しておいた。ホッブズによってひらかれたペシミズムの現状認識 不合理で無意味な生活状況 への洞察のあと 《しかしまた この意味なく世界の内部で個人の幸福を見出そうとする試みがなされる。この〔第二の〕道のもっとも単純な形態が リベルタン主義なのである》(§6・〓 p.522)。
《宮廷貴族とリベルタン主義との関連について》(§4・〓 p.253) すこし飛躍してみると 心理経験の世界を 直接の対象としてえがいていく作品が あらわれた。

・・・といっても 王妃とのこの〔かのじょの心の相談相手になるという〕新しい関係に どれほど私が気を取られ 忙殺されていようとも もともと 私はテミーヌ夫人に自然の愛情でつながっていたので これをたち切ることは出来ませんでした。そのうち 彼女の恋がさめて来たように思われました。もし私が賢明な男だったら この心がわりを利用して いさぎよく思い切る手助けとしたことだったんでしょうが 事実はその逆で 私の恋はつのるばかり おまけに要領がまずかったものだから 王妃も私の恋愛にうすうす勘づいていたのです。もとより嫉妬は彼女の同国人にはお手のものだったし それに ご自分も気づかないほどの烈しい感情を私に持っていたんでしょうね。しかし要するに 私が・・・
(ドゥ・ラファイエット夫人クレーヴの奥方 他2篇 (岩波文庫 赤 515-1) 3.1678年)

フェードル (岩波文庫 赤 511-3)》の出た翌年のものだからというのではないけれど  《沈着な熱烈が 激情や情念などの心理経験を――どういう方法でか 絶対的に明確になったわけでもないけれど――つつむ》ということが デカルトのあとの最初の世代の人びとの努力で 共同化された。ゆえに この――いってみれば純粋な――心理小説の出現。小説の中の舞台たる宮廷は 十六世紀のものではあっても。現代小説は パスカルらをのりこえ しかも その新しい生活態度の視点が パスカルらの舞台の上にあると言ってもよさそうである。
もちろん 時代は――とくに経済史は――ちがう。ちなみに《源氏物語》(源氏物語〈1〉 (岩波文庫))は 仏教なら仏教という或る種の神学のもとに リベルタンのような生活をえがいている そして著者の主観動態は とうぜん あるのだが その時代には 仏教なら仏教によって明らかにされた主観の構造が 情念の構造とひっつくことが起こりえた。ぺシミスムはあるのだが この情念の構造は 仏教などが主観を離れて制度上のしきたりとして社会構造的でもあったのと同じように そのまま慣習として力をもち すでにあったのではあるところの無常観などのペシミスムは 情念やしきたりの構造から成る世間に たしかに背を向ける人びとを出していたのだが そのような沈着なわび・さびへの熱烈は 激情をすでに離れることを むねとした。《源氏》じたいは この熱烈と激情との関係を うっすらとした主観構造のもとに とらえようとつとめた。そして 《彗星の出現》におびえるというよりは そんな恐怖の迷信からは あるいは自由であったかも知れず しかもそれは 情念(心理)の社会的な連帯といった客体の構造(主観としては 想像世界での構造関係 つまりともかく 社会の情況)が 主観を支配するような迷信あるいは自信に立っていた。
当時――十七世紀フランスの当時――《フェードル》が上演されるに際しては フェードル事件とよばれるいざこざが起こった。ラシーヌの名声をねたむ貴族たちが 別の劇作家の同じ標題の作品を 二日おくれて同じ時期(期間)に 舞台にあげたのである。それだけではない。最初の六日分の桟敷席を買い占めて 喝采も起こらぬという羽目に落としいれた。ラシーヌに味方する宮廷人もいて 争いは終結するにいたったが リベルタンの思想は この偶有心理の領域で まことに自由である。かれらは 《忌まわしい情念のとりことなる演劇(画策)をするにも程があると このわたしをぶってください》とは その不倫に走ろうとするパイドラほどにも 言わないとしたら 《社会を作りえない》のである。というのは わたしの激情である。
少年のころヤンセン主義の《濁世厭離》の気風のある学校にまなんだラシーヌは それへの郷愁もあってか 別の人の同じ標題の作が 数ヶ月のうちに舞台から消えさってしまっても 筆を折って隠退してしまった。それをかばって わたしが無力の激情を言ったのではなく このとき ウェーバーの説くかにみえるピュアリタン主義では 世俗内でこそ宗教的に禁欲的に しかも 偶有心理の領域で その熱烈な激情の心理起動力にうったえて 経済活動にいそしむこと・その職業労働そのものが 正当なオプティミスム主観動態だと 迷信いや自信いややはり迷信することを おそれるからである。わたしは 経済史の知識はないから 省略している。
(つづく→2005-10-18 - caguirofie051018)