caguirofie

哲学いろいろ

市民が社会をつくる

#10

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §10b アブラムの九十九歳の時 主はアブラムに現われて言った。 わたしは全能の神である。 あなたはわたしの前に歩み 全き者であれ。 わたしはあなたと契約を結び 大いにあなたの子孫を増やすであろう。 アブラムは …

#9

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §10a また 語義の場合と同じくその思想も とウェーバーは述べていく。思想という場合は 基本主観の同感理論のことである。その思想も 新しいものであり 宗教改革の産物であった。――このことはともかく周知の事実だと…

#8

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 深追い記 §9 批判というものは 徹底的にやらなければいけない。雲の上にいるようでいて じつは 墓場の蜃気楼の城から かれらは叫びに叫んでいるゆえ。 職業( Beruf / calling )が 先行する基本主観において 《自己…

#7

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §8 《ウェーバー学派の倫理と学問至上主義の精神》 こういう妖怪が スミスの系譜の人びとの心の中をも さまよっている。その意味で このウェーバーの悪夢をもわれわれは 取り上げて議論しなければならない。 ウェーバ…

#6

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §7 利己心や博愛心による二角協働関係は 一般に同感による信用関係の過程のなかに 無効の・もしくは曖昧な有効のかたちで 棲息していると見ることができる。ということは 通常では 利己主義的な勤勉と信用の関係過程…

#5

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 補論ならびにわれらが理論の若干の展開 §6 それ自身 時間的・経験的・可変的・有限なものであって なおかつ もろもろの経験的な行為事象に 原理的に(つまり 観想してみると なるほどそうだとわかるかたちで)先行す…

#4

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §5 だから ウェーバー批判は 微妙であって かつ 明確である。おそらく先走って言えば このような フランクリンが表わしたかに見えるところの 資本主義の精神の出発点 われわれが捉えるところのガリ勉の重商主義なる精…

#3

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §4 だが もう少し迂回をおしすすめよう。 けれども じっさい勤勉の《倫理および職業気質》が 先行する個体の精神と同致されるということは つまり言いかえると 職業倫理たる勤勉が 精神の《自己目的》となるというこ…

#2

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 §3 《精神の文化行為の持続性 これが 精神の常態になりうる》 いいかえると 《文化行為は 精神の自然本性の過程そのものだ》という見解をめぐっての議論である。 文化行為(たがやすこと)を 社会関係の側面から捉え…

#1

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923 序論 ウェーバー学派の倫理と学問至上主義の精神について §1 関係(かかわり)は交通(まじわり)に先行する ここで 学問至上主義というのは 職業としての学問が いわゆる近代市民の歴史的な社会のなかで それなりに…

もくじ

ウェーバー学派の倫理と学問至上主義の精神について §1 関係(かかわり)は交通(まじわり)に先行する:2005-09-24 - caguirofie050924 §2:2005-09-24 - caguirofie050924 §3:2005-09-25 - caguirofie050925 §4:2005-09-26 - caguirofie050926 §5 …