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哲学いろいろ

#27

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§30(ヤンセン派;資本志向と資本主義)

合理思考に対して汎合理主義。経験偶然の社会生活の中で 経済史基礎の面で 合理思考とその必然関係(また自由)を及ぼそうという資本志向
これに対して資本志向主義ないし資本主義志向。自由で合理的な必然関係を有する経済史基礎があるからこそ 《わたし》が存在する――神の栄光の道を現わし得る――という資本主義的な一個の主観動態。
乱暴に言ってしまえば 勤勉ガリとである。
《上述の問題から成立する近代哲学は 神学の制限をつきやぶる》(封建的世界像から市民的世界像へ§4・10 p.308)というボルケナウに随って 議論する。
すなわち オラトワール派のジブーフがその先駆となったというヤンセン主義。オラトワール派と同じくやはりジェズイットと対立したヤンセン主義。《神学》は それじたい 《制限》を受けないが――なぞを なぞ(不明瞭な寓喩)として主観動態は その主観基礎をとらえるのだから それじたい制限を持たないが―― おしえとして・そして宗教となって 外からの制約を受けうる。あるいは その制約となりうる。
この制約を――ジブーフの悩み(または《敬虔な願望》)をとおって―― 方法基礎の理性的な認識たる近代哲学は つきやぶっていく。それが 経済史基礎と相伴であることは むしろ自同律である。経済基礎の領域がそれとして社会一般的な力を持ったということは 主観動態が その経済領域をとおして 宗教的な制約を取り壊し 社会偶然の中に主観真実を表現(実践)していくことによってであり その一環であるから。一環であり手段であるという意味は 合理思考の必然とその経済行為の必然とは やはり主観真実にとっての道具であるのが基本だから。偶然の中の合理必然を 主観動態の真実は 道具とする。これは 勤勉( industry )である。産業である。
《ジェントリー(この場合ボルケナウによれば 市民的カトリック主義のオラトワール派)の地位の解きがたい矛盾から かの天才 デカルトがたちあがった》(p.303)という思索のつながりの中に――つまりジブーフとデカルトとの間に――ボルケナウは このヤンセン主義についての議論をはさんだ。わたしたちは デカルトはすでに立ち上がっている そしてかれらをのり越えて ボルケナウもあらたな出発点となるべき到達点に立っているという逆の順序を前提することによっても 議論をつかまえていこう。
通俗的に 《濁世厭離》と評されたヤンセン主義について。ラシーヌパスカルの一つの立ち場でもあった。オランダの神学者ヤンセン(1585−1638)が 創始者であって 死後(1640年) 見解を同じくする人たちによってその主著《アウグスティヌス》が発表された。題名のとおり アウグスティヌスの見解を支持して――ただし こういう場合も 誰しも 自己の主観的なアウグスティヌス理解でないとは言えない―― 議論しているのであるが ただしパスカルは――見てきたように―― アウグスティヌスに対して デカルトの独創性のほうに 力点を置いていた。次のようにボルケナウが総括する見解が どうして アウグスティヌスのものとされるのか わたしには わからない。

・・・ジブーフと同時代の人である〔。・・・〕ヤンセンは 人間は神の中でのみ本当の自己であるという ジブーフの見解を共にしているし それから帰結される――人間は神とともにあることができるという――オプティミスティックな教説をも また 人間はかれの地上的な本性にしたがって生きるならば悪魔のものとなるという ペシミスティックな教説をも あわせもっている。

  • ここまでは 旧い概念で議論しているけれども 問題はない。少なくとも《おしえ》までなら。

かれはただ より深いまなざしで とりわけよりよく戦う決心で そこから――それゆえ 大多数の人間は永劫の罰を受けているという――唯一可能な現実的結論をひきだしただけである。
(ボルケナウ§4・〓 p.309)

このように まだまだ神学として実際に議論しているのが見られるのであるが ここから近代哲学が突き抜けて自己を現わす契機も 見られるのである。カルヴァンは えらびとすくいとの不可知を言って われわれの《なぞ》をすでに《予定》として受け取るように議論し ともかく近代生活が ここから突き抜けて自己をあらわす方向を示した恰好である。

  • 《えらびの予定》という概念は 《なぞ》をいくらか明瞭にしたたとえである。明瞭に把握しようとして提出した概念――つまり《考え》――である。
  • なぞ自体とか 予定の教義とかが 《信じる》の対象であることはない。このことは どこまでも いい続けなければならないし どこまで行っても 有効である。

《不可知 / 予定》と言わず 単純に《大多数の人間の堕罪 / 従って 裏返せば えらばれた少数の至福》を言うことによって――なぜなら そのような(あくまで このような)なぞの把握であるなら そのぺシミスムは 経験心理および経験行為の領域を議論したことになる もしくは 単に ためいきをついただけである(どうしてかと言って ヤンセンという人間が さばきをくだすものではないから)――近代哲学・経験科学への道を 結果的に・しかも逆説的に ひらいた。
《なぞ》はむしろ 留保されたし 留保とか言う以上に 先のジブーフの《忘我的な神秘説》とともに それが中心のテーマであり中心の生活態度である。それが――または それで――いいと言うわけでもないが 潜在的に そこから 経験領域への出発点の開拓を用意した。くどいように言えば カルヴァン主義では すでに経験領域の中にあって・かつ中へ――その起こりつつある経済必然の流れの中へ――そのまま ただし合理主義をもって 突入していったと考えられる。合理主義でよいというための護符は 予定調和説および禁欲倫理といった心理的な起動力である。
ただし なぞを排除したわけでもないだろうから 健全で熱心なふつうの主観動態から わざと逸れようとしたのでもないはずだろう。だから ヤンセン主義は 合理思考は一つの切り札であって あくまで主観動態が主体であるからこの主観を開拓しつつ 人格の全体として 経験領域に――とくに経済基礎の側面に――対処するというそういったアウグスティヌスの見解を 別の道をとおって結果的にかつ逆説的に 確認したことになるはずだ。
《大多数の人間の堕罪》――ただしわたしたちなら 《堕罪・原罪》という点では すべての人がそうだと言うであろうが――は しかしながら《なぞを求め受け取る》ことによって言われるのであり(つまり ためいきをつきなおすのであり) 堕罪は ちょうどミルトンのように 処罰を受けて自由な主観動態を回復しうる道が いわれている。この点をあてがえば ヤンセン派が 近代哲学・経験科学の道をひらくかに見えることは 《結果的でも逆説的でも》ない。ただ 言えることは パスカルもまだ 主観動態一本だし まずは主観基礎をたがやした。自然科学の仕事を別として。たしかにアダム・スミスは 十八世紀の人である。

ヤンセン主義はさし当たり ジェズイットたちから 《弱められたカルヴァン主義》と特色づけられている。これはきわめて不当なことである。

  • とボルケナウは言う。

・・・
それにしても 十七世紀におけるフランスの宗教運動のもっとも勇敢な分派が すなわち かぎりない道徳的厳格さと国家権力にたいする勇敢な闘志をもっていたあの人々が

  • 同じくそうであったミルトンらを含めたカルヴァン主義者たちとちがって

宗教改革の側へ移らなかったのは 単なる順応からだったとする考え方は馬鹿げている。フランスのカトリック文化のもっとも純粋な代表者たちや ラシーヌや 偉大な歴史家ならびに聖書批評家の学派(ベールもその一人)との ヤンセン主義の密接な関係 およびボッシュエその他にたいするかれらの影響 さらにはヤンセン主義史上での奇蹟ならびに聖者生活の魅惑的な作用などは カルヴァン主義とはまるでちがった一つの生活様式が問題であるということの 十分な証拠である。この生活様式にこそ 近代的思考の創造における決定的な役割が帰せられるべきである。
(ボルケナウ§4・〓 pp.309−310)

ボルケナウは ジブーフのオラトワール派やこのヤンセン派を たかく買うというわけである。わたしは 詳細な論点を抜きにすることができるならば 経済史基礎の側面から合理思考をおよぼして 社会偶然を 人間のそれぞれ真実な必然の生活行為・だからまたその関係によって成り立たせようとする動きは 単純にふつうの資本志向であると考える。つまり ゆたかになる・ゆたかになろうと言おうとする志向であって 経済合理主義をつらぬいていく資本主義志向とは 区別できるのではないか。

  • ただし 混同はするだろう。

アダム・スミスは 資本主義志向といった利己心を否定はしなかったが その経験科学を 資本主義志向の社会にもとづいてでも・そのためにでもというかたちにおいて 建設したのではないであろう。だとすると 大目に見て・あるいはえこひいきして言うならば オラトワール派・ヤンセン派そしてまたじっさい デカルトホッブズパスカル人間学の系譜は 近代哲学ないし経験科学の道を――もしくは いわゆる市民社会を――ひらいたと言ってよい。
これは われわれのウェーバー批判と論旨を同じくする。議論を安易なものにするが さらにボルケナウその人のことばを引いてかかげる。

もし真理が 人間本性の彼岸にある――それにもかかわらず われわれがその中で われわれの真の存在をもつところの―― 一体系であるならば またもし 人間は自己の外でのみ(なぞの領域でのみ)初めて本当の自己のもとにあるという逆説が妥当するならば 人間は 理性( ratio )に向かって努力しなければならないのに その理性をただ部分的にしかもちえない という結論が避けられなくなる。すべての近代的合理主義(市民のあたらしい生活態度)のもっとも内面的な本質――すなわち たとえこの近代合理主義(ただしわれわれは 《主義》という言い方は できるだけ 避けたいが:引用者)が その本来の意味を体系的に完結性においてしか展開できないとしても それは非完結的断片的たらざるをえないという――が なお神学的形式でではあれ ヤンセン主義によって初めて このようにのべられるのである。・・・
(§4・〓 p.317)

われわれが言いうることは――ひいきの引き倒しにならないように また こういった段階では まだ なれないのだから―― ボルケナウが《合理主義》という概念を (1)内面的な〔かつ外へ開かれた〕主観動態として使ったり (2)その主観基礎としての思考・すなわち手段たる合理思考として使ったり あるいは(3)合理思考の必然の連鎖たる認識体系こそが 人間の全人格であり動力因であるとする主義の意で用いたりするということである。
デカルトは (3)をうながすような傾向をもった。パスカルは (2)を用いて(1)によって 主観的な観念論におちいる傾向があると 評された。しかし かれら二人の あるいは このヤンセンの 指導者は アウグスティヌスである。アウグスティヌスは (3)に走らず しかも時代が――つまり その(3)の資本主義でなかったばかりではなく―― (1)および(2)による資本志向のその経済行為形式として 社会一般的でなかったというのみである。
アウグスティヌスを偶像視するのではない。そういう議論がすでにおこなわれていたというのである。アウグスティヌスが――つまり《ともかくキリスト教》が―― 日本なら日本で伝えられたなら デカルトらの主観動態・ボルケナウの言う新しい生活態度は すでに実践的に 持たれ得たという所以である。つまりジェズイットたち・ないしローマ・カトリック教会でも ともかくアウグスティヌスは 一つの権威であった。つまり そういう時代の問題の側面と そのアウグスティヌスには確かに中味もあるという議論と。

***

もちろん人は 時代をとびこえることはできない。過去の時代に郷愁をいだき 未来の時代に理想郷をえがくことは ヤンセン派が濁世厭離とうわさされるようなその一面と同じく 時代の中での一つの抵抗をあらわすというにすぎない。人は 時代の中で つまり時間的な経験をとおして その自己(主観動態)となる。にもかかわらず 人間動態が 時代をこえて なぞを持って一つのものなのである。
ルネサンスの先駆者の一人ペトラルカは アウグスティヌスを賞讃した(《ヴァントゥー登攀》などペトラルカ ルネサンス書簡集 (岩波文庫))し ルネサンスのロレンツォ・ヴァルラ(1405−1457)が《自由意志について》議論したところは アウグスティヌスのそれそっくり――勿論 時代と個人の問題として 意義があるが――である。トマスの議論は 上の(2)の合理思考の領域でアウグスティヌスを継いだと言っても言い過ぎではないだろう。カルヴァンが 上の(3)の合理主義へではなく その認識体系が形成されうる思想史および経済史の流れの中へ すでにまるごと(人格ごと)入っていくような予定説を言ったとするなら ルターは(1)の主観動態にとどまり (2)の合理思考は 時代の封建制度の制約に従うような側面をのちに見せつつ(それは 暴力を否定することでもあったが)ではあるが (3)の合理主義に対して 《商業と高利》すなわち《(2)の資本志向としての商業と (3)の資本主義としての高利と》を区別した。かれは アウグスティヌス派の修道院で学び アウグスティヌスにまなんだ。《予定説》については 主観動態のなぞの動力因――すなわち神――を信じるのではなく 神の予定という人間の主観認識を信じることに対して 非難し 予定(予知)に対する反論に対しても それは リベルタン無神論の自由思想につながるのだから 結局 《肉の思い》に発するもの・すなわち 経験心理(理というからには 情念偶然を合理思考で 必然視することは含まれる)によっていると 非難する。

ルターの国家論は――とボルケナウは言う―― 〔この〕ぺシミスティックな人間の評価から直接に出発する。いっさいの地上のものを《肉的》だと深くしりぞけたルターは 国家と社会をもっぱら罪の所産とみなした。結婚 財産 闘争 強制的な法 権力 それはみな悪に属する。・・・要するに 止揚しがたいまでに邪悪な人間の本性は ただ人間自身の法則(――これが ボルケナウでは あいまいである――)にしたがってのみ制御されうるという考えが この思想を一貫しているのである。
(§3・〓 P.144)

このことは これゆえに《法 道徳 国家の問題においてあたらしい方向の確立を余儀なくする》(同上)とつづくのであるが ボルケナウは ここでも 《人間自身の法則》という概念であいまいである。つまり または ここではルターがあいまいに用いたか それとも とにかく神の法 といった内容で使われているかのみだと とったことになる。
だが その前に 《結婚は善である》(アウグスティヌス《結婚の善》アウグスティヌス著作集 第7巻 マニ教駁論集所収)。肉体そのものが 悪なのではない。ルター(1484−1546)も

アウグスティヌスは きわめて適切に 《罪(欲性)は洗礼において赦されている。これは罪が存在しないからではなく 罪として帰せられないからである》(《結婚と欲情について》1)と言った。・・・私が痛悔し告白した時愚か者であるこの私は とうして自分が他の人たちと同じような罪人であると思わねばならぬのか したがってまた どうして自分はどのような人よりもすぐれているとしてはならぬのかということを 右の言葉のゆえに 理解しえなかったのである。というのも 〔痛悔と告白がなされたとき〕私は すべての罪はとり去られ また 罪が内的にも無効にされた と思ったからである。・・・かくて私は次のこと すなわち 実際に罪の赦しは真実であるが それでも罪の除去は希望の中にのみあること 言を換えれば 罪を除去することを開始しているところの与えられた恩恵によって罪は除去されるべきであり 〔その結果〕罪はまさに罪として数えられないということを知らずして 自分自身と戦ったのである。
(ルター:《ローマ書講義》〈第四章七節〉への補遺)

と言っている。《いっさいの地上のものを〈肉的〉だと深くしりぞけた》とボルケナウが言うのは まず あいまいである。だから このことによって 同じく ルターの言ったはずの《人間自身の法則》という概念には 一筋縄ではとらえることのできない幅(ここでは あいまいであるが)をボルケナウは ふくませて 用いている。しかも それによって《邪悪な人間の本性〔となったもの〕が〈制御〉される》という表現の仕方も もはや不十分であるだろう。上に引用したルター自身のことばの内容によって。ボルケナウは 長い思索=模索をしている。
ここで ヤンセン主義までのアウグスティヌスからの連続性を見ることは 時代を相対的なものとして見ることである。

ヤンセン派の中では〕どの程度まであらわな自己改革が選ばれるか またどの程度までそれが攻撃的な批判と結び付けられるかは 多少とも個人的な諸条件によるものである。
(§4・〓 p.322)

だから 時代を相対的なものとしてみることは 時代をとびこえるのではないから その人の生きた時代にあって 一人ひとりがどういう態度をとるかである。ボルケナウは この引用文の直前で それゆえに ヤンセン派は オラトワール派とともに 個人個人の問題としてではなく その派全体――そしてまた階級的な立ち場――としては けっきょく 同じような態度・行動形式をとったと帰結して 見るのであるが わたしたちは これを逆手にとって たとえ階級としてまとまり 互いに個人が似たような態度をとったとしても 《一団の選ばれた人々の道徳的自己改革と 道徳化した批判の純消極性との・・・この二様の態度は 相互に補いあうもので 一つの階級に属するものである》(p.322)としても なおそれらは また各個人のあいだで 相対的であると言いたいと思う。言いかえると 階級のゆえに 階級を根拠および目的として 人は行動するという見方は これが 相対的なものだと言いたいことになる。あるいは 経験行為の領域では それら二つの見方が どっちもどっちだと考える。

  • 階級として一つにまとまるとの見方 および その見方をとるのも相対的なものだとする見方。

ヤンセン主義は 宮廷とのたえまない戦いの中で日を送って・・・サン・シランがすでに五年間 リシュリューによって理由もなく投獄されていた。アルノーは かれの生涯の何十年もの間を 隠れ家ですごした。パスカルは かれの《プロヴァンシアル》を 官憲の一七回の禁止にたいして 一八回まで秘密印刷所で出版させた。・・・
(§4・〓 p.324)

まだ時代は 神学の議論(――だから相手には 宗教の政治的権力――)をもってひかえており 資本志向と資本主義とが――それらに対する生活態度をどうとるかで とまどうほど――混同されており ふつうの資本志向の経験行為形式じたいが 徐々に一般化しつつ しかも こんとんとしていた。

  • 資本志向も 資本主義志向も たしかにウェーバーの言うとおり 個人的・部分的には 人類社会が始まって以来 経験されているものである。合理必然の関係が ここで 初めて一般化しつつあり しかも こんとんとしていたのかも知れない。合理必然の思考じたいは これまた 自明ではある。

イギリスでは ホッブズが 秩序――経験領域での平和――を 主権の問題で議論することで済んだとしたなら 〔おしえや宗教としての〕神学はもういいと語って 資本志向の経済行為はそのすすむにまかせていた。まかせつつ 資本主義志向を含んだその《場》としての全体の社会秩序の確立をめざした。無自覚的にそうだったかも知れない。極論だが フランスでは 封建社会ないしカトリック宗教の力が もはや慣性の法則にしたがうのみとしてでも 強く残っていた。
ただし 結婚は善であるが 思考の・理性の合理必然性が整えば すべてそうだというわけにも行かないのであって イギリスのヘンリー八世(1509−1547)が経験した四回の離婚・だから五回の結婚が 善であるかどうかは 別問題である。そのときその時代では トマス・モアが 神学いやもっと直接に自己の信仰――つまり個人としてどういう態度をとるか――にしたがった。モアが カトリック宗教への反抗(プロテスト)を非難したとみるのではなく じゅうぶんに・そして正当に 神学の議論を控えもって かれじしんの主観動態学を身をもって実践したことが 上のホッブズ理解においても 有効だと思われる。そういう意味で 旧い神学の議論形式によってであれ ヤンセン派の 資本志向と資本主義志向とに対する一人ひとりの主観動態の実践。

  • 同志のあいだでも 一人ひとり 個人こじんが 基本的に(=主観動態として) 問題である。

***

ボルケナウの議論は ひじょうに あぶらっこい。ヤンセンにおいて 《宗教的非合理主義》と《超越的な神が内在する場合の人間の生活》との同居を言う(p.320)。われわれは 《宗教》を〔まだ個体次元の〕おしえととるならば その《非合理》とは 主観動態のなぞのことである。したがって 上に同居するという両者は 同じものである。つまり そうでない場合は 個人のにしろ宗派組織のにしろ 経験心理および経験行為での 社会的な運動・闘争の問題である。同居しようが 別居しようが である。経験行為としてどう対処したかは われわれのここでの問題であるが その結果どういう闘いがくりひろげられたかは 時代の問題(出発点)ではなく さらに個別的に深入りした十七世紀史(出発進行)の問題である。われわれは 議論が上滑りしないかぎりで この後者を禁欲する。
そして 上のような同居は――もしくは 二つを同じものとするところの一見解は―― ヤンセン主義において 《あらゆる点で全体社会をめざすものなのである》(p.319)とボルケナウは見る。ジブーフは ある種の神秘家として自己改革をめざした(p.319)。そこにもある《生活の合理的な組織化――必然性と真実との持続――》は ヤンセン主義では まだ神学的・思弁的ではあれ 社会全体を視野に入れるのだと。
《敬虔な願望――のぞみ――》が オプティミスム主観動態なのであって(cf.上述のルター) その社会生活過程は ここで 全体観を獲得してくる。《肉の思いをしりぞけること》と《結婚が善であること》とが 同居しうると見るからである。けっきょく 《ヤンセン主義はその本来の目標――宗教的土台の上に資本主義的な〔時代に対する〕大衆道徳(あたらしい生活態度の 共同化)を創出することに成功しなかった。〔だが〕 このことについては・・・しめくくりとしてなお一度 一般的考察を加えることにしよう》(p.328)と ボルケナウが その意味でちゅうちょするのは ヤンセン派の思想の 潜在的な可能性の問題である。
だが このことは 時代の相対性の観点に含まれる議論だと思われる。主観の必然の面からも 経済政治的な社会闘争の偶然の面からも 時代の問題は 相対的なものである。おそれずに言えば あれかこれかではなく どっちもどっちである。

  • しかも それゆえに 自己の真実の 一つの立ち場を――かつ ある程度は 可変的に――とりうる。自由合理は そこまで 及ぶと見なければなるまい。

主観意志の必然が 自由な合理必然となって 社会偶然も 有機的な全体を形成しはじめつつ 少なくとも経済合理の領域では 必然的そして体系的(構造的)となるゆえに 社会を全体として科学的にとらえる動きがあらわれるわけだが ここでも 時代は 相対的であることをやめていない。そして ヤンセン派は失敗したが その一人ひとりは 自由に闘った。その生活態度の原点ないし出発点は 生きるし そこからさらに 経験科学者も 生まれてくるわけである。やがて経験科学が成立してきたということは そのときには ヤンセン主義者たちは 勝利したということである。経験的な論法で一つの勝利。
過剰傾斜して加速度をもって進もうとする資本主義志向の経済行為形式を つつみこんで――あるいはそれに 譲歩しつつ―― 資本志向の必然行為形式を 相対的な偶然の中に実現させていくことが可能になったことは ジブーフやヤンセンらの勝利であって 〔一般〕経験科学の成立は その栄冠である。社会総体として混同するから――つまり 自由意志と合理必然という要因では 同じであるから――資本志向主義者も この栄冠を 自分のものとして よろこび 利用する。われわれの言う国家族が 生活基礎の――だから経験的に確実な――経済行為の側面にも 現われた。

資本主義の侵入によって すべての経済外的な しかも《上部構造》に属する生活関係が 変革される過程は 少なくとも三つの部分にわかれる。すなわち 資本主義的道徳の完成と あたらしい理論的世界像の創造と 資本主義に対応する政治的ならびに法律的秩序の達成。
(§4・〓 p.328)

ボルケナウが《資本主義》というときには 資本志向と資本主義との両形式をふくめて言っている場合もあると思われる。そしてボルケナウは すでに萌芽的にしろ全体観の出現によって・それに立って 人びとの生活態度は これら三つに分化できたとさえ 言っているようである。全体観のゆえに 三つなら三つに分化しえたと。そして分化した視点ないし分野のそれぞれの開拓・発展は くに・民族・社会によって 異なり 進み具合いが 互いにとって 前後するということを見る(pp.328−330)。それゆえにも 大きくは 時代の相対性 社会偶然のなかの必然の動きの問題だと思われる。
主観動態は まだ そしてつねに 屹立しているわけである。われわれは この点にしぼって 議論を追っている。ボルケナウも この人間学の視点を じっさい顕揚していなければならなかったし まずは そうすればよかった。一個の主観動態が 細分化してしまうものではない。三つの分野のいづれもが それぞれなりに現代では 達成されているとき。
(つづく→2005-10-21 - caguirofie051021)