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哲学いろいろ

#25

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§26(十七世紀と女性)

女の持つ虚栄心については何も信用なさいますな。かのじょたちは 気に入ろうとする烈しい欲求とともに 生まれてくるのです。男を権威や栄光へうながす道が女には閉ざされているのだから かのじょたちは 心とからだとの身のまわりのよろこびによって 甘んじようとします。そこから やさしくも巧みににじり込んでくるような話し方を身につけます。美しいものとならんで 目に見えてすばらしいものを欲しがり すでにその苦しみに甘んじるかのように 身のまわりの飾り物を追い求めます。帽子 小さなリボン 巻き毛をして高くしたり垂らしたり 色をえらんだりすることが 生活の重要部分を占めます。
・・・
流行を気づかうことより心が向かなくなるので かのじょたちはやがて 髪を巻くことにも嫌気がさしてくるでしょう。これは自然ではないとか 細工をこらした衣装には似合わないとか。・・・
(フェヌロン:《女子の教育について》10.1687François de Salignac de la Mothe Fénelon(1651 - 1715):De l'Education des Filles )

フェヌロンはこのあと 《かのじょたちは 粋をつくした古代人の衣装にちなんだ趣味――をわるいと言うのではなく それら――から離れて 何の気をてらうことなく シムプルなものの気高さをも会得するでしょう》などなどと つづけている。まだこのような女性観の言われ得た時代に さきほどのドゥ・ラファイエット夫人(1634−1693)は ドゥ・セヴィニェ夫人(1626−1696)に宛てた手紙で 次のように議論しあっている。

あなたは背格好もほどよく 顔色には美しいつやがあって はたちにしか見えませんなどと わたしはおせじを言うつもりはありません。口も歯もそして髪も たぐいまれでいらっしゃるなどと・・・。でも おくさま もしひょっとしてあなたがお気づきでないとしましたら あなたのお心は人柄をよくささえて美しいものになさっていることは お知りください。といいますのも あなたが気兼ねなくお話しなさってたのしまれるとき その人柄ほど魅力的なものはないと 遠慮なくもうさせていただきます。お気持ちは広く気高く 品物をゆずられるときには不自由がなく 買い求められるときにも自由でいらっしゃる。栄光とか野心とかに無感覚でいらっしゃるわけでもなく しかもその快楽を愛されるわけではない。でも その快さのために生まれられ 楽しさというのは あなたのために作られたとさえ思われるのです。あなたがいてくださると心が晴れ そのよろこばしさはあなたの美しさを引き立ててあなたをつつみます。
(Madame de La Fayette, Lettre à Madame de Sévigné)

年下の者から あまりにもの直接話法で書かれていて 気にさわるようでもあるけれど 《気兼ねのないこと》――情念がさえぎられずに 主観基礎が実現されること――に立つ主観の構造が とらえられた。そのドゥ・セヴィニェ夫人は ドゥ・ラファイエット夫人について自分の娘に宛てた手紙の中で こう語っている。

ドゥ・ラファイエット夫人はずっと心がしおれておいででした。ドゥ・ラロシュフーコー氏が足を負傷なさったままだったのです。わたしたちは時々 会話のなかで もうそれ以上はわたしたちの心を葬り去る話題はないと思われるようなことに ぶつかってしまいます。夫人の家の庭は たいへんきれいな所なのです。ここかしこに花が咲き 香りがただよってきます。夫人は馬車に乗って出かける気にもなれないようすなのです。
あなたがこの生垣の向こうの世界にいて わたしたちのことを噂にでも聞くようでしたら そのときには わたしたちがまだ知らなかった世界を こうしてわたしたちは見つけ出したといった噂でしたら わたしの願いは叶えられるでしょう。
( Madame de Sévigné, Lettre à Madame de Grignan(= sa fille))

このような主観の構造――また実際に 動態――は 政治=経済思想ではないとしても 社会思想であるだろう。
ボルケナウにおいて フェヌロンは フランスにおける反宗教改革の運動の一員であったとして触れられている(§4・〓 p.267)だけである。ふたりの女性は 登場しない。落ち着いたきれいな庭のあるマリ・マドレーヌ・ドゥ・ラファイエットのパリの家(夫のドゥ・ラファイエット伯爵は オーヴェルニュの領地に 別れて住んでいた)に毎日かよっていたドゥ・ラロシュフーコー公爵(1613−1680)(ただしそれは 友情であったか愛情であったかは 争われている)については 一方で 前章に見たとおり デカルトの後の世代としてパスカルラシーヌと並んで 登場したし 他方で 宮廷の色恋沙汰にかかわり あのリベルタン(§4・〓 p.260)もしくは《世俗的なモラリスト》(§5・〓 p.379)であったと書かれている。かれの《箴言と考察 Réflexions 》は 《または道徳的な格言 ou Maximes Morales 》であって 《心理経験に対する箴言(いましめ)》となっている。

心理的な自己愛( L'Amour-propre )は 自己満足の最大である。〔2〕

  • 言いかえると おべっか使いの第一人者である。

正義をおこなうことは 大方の人において 不正をこうむることの恐れからくるのでしかない。〔78〕
ときに人は 罰せられずに悪いことをなせるようになるため いささかの善いことをおこなう。〔121〕
大部分の人びとは 植物のごとく 自己の推進力となる原主観に気づかないが 偶然によってこれを見いだす。〔344〕
(ドゥ・ラロシュフーコー箴言と考察 1655)

この中で 《大方の人において〔78〕》とか《ときに〔121〕》とかいう表現は この《マクシム》の中でしばしば使われていて これらは ドゥ・ラファイエット夫人のやさしい性格が かれに及ぼした影響の結果であると考えられているという。
道徳――もしくは主観の経験行為として表現した結果が 道徳となってあらわれるもの――が なぜ 生きた主観動態から しばしば よそよそしいものとなるかは それが 心理経験の領域においてその領域を 合理的に思索するからである。《おべっかをいましめるおべっか》。
上に引用した最後の格言は 主観動態の一端を 写していると思う。

La plupart des hommes ont, comme des plantes, des propriétés cachées que le hasard fait découvrir.

と言っているのであるが この《偶有性 le hasard 》は 激情・情念・感性つまり要するに心理経験でもあるのであって 主観動態にとってこれが排除されるのではないことを物語っている。ラシーヌのフェードルや ドゥ・ラファイエット夫人クレーヴの奥方 (新潮文庫 ラ 4-1)(ただし これらの場合は 悲劇に終わるか悲劇を伴なうかであるが)のように 主観動態が 主観心理をこえつつ これを排除しない――詰まり《わたし》は 無感覚・無感動ではないし 理性で道徳的に合理的に排除するのでも抑制しきるのでもない――ことを そういう主観の構造として 語った。

  • 主観基礎というのは 主観動態つまり《わたし》を認識した表現で そういう主観構造である。
  • 主観構造という場合は 認識・表現する対象が限定されないもので これを 主観基礎の観点からとらえなおしたものを言う。

ひとりの女にとって肝要なことは 指導僧(または アイドル・idola=偶像)を持つことではなくて そんなものがなくてすむ程度に純一に( uniment )生きることである。
(ドゥ・ラブリュイエールJean de La Bruyère (1645-1696).:カラクテール―当世風俗誌 (上) (岩波文庫) Caractères3・38.1688)

いづれにしても 以上見てきたような主観基礎を同じくして・つまり言いかえると 主観の構造に対する観点を同じくして 現代人も それぞれ個性をもった主観動態として生きている。現代では 主観心理が 表面直接的な話題となることが 多い。《婦人》にかんする現代日本の《公論》は たとえば次のような表題で議論されている。

特集 愛をめぐる女と男の違い

  • 人妻の不倫なんて許せない
  • 愛はいまどこにあるのか
  • 恋する人に惚れさせる法
  • 亭主は燃えカス 恋がしたい――私は夫の整備工場か 誰かこの縄を解いてほしい! / 主婦たちの匿名座談会
  • 男に復讐を誓ったことがありますか
  • 愛の渇きに終わりはない

etc.
(新聞広告より)

貴族の時代ではなくなって おおいに議論がかわされるわけである。中味は読んでいないので なんだけど ボルケナウの到達点=出発点たる《生活を解釈しなおし 変更しよう》という新しい生活態度に みなが 立っているわけである。

§27(時代の問題と日本)

議論は昔からあった。井戸端会議は れっきとした主観の自由な表現の場であり 生活態度からよそよそしくなっていないところがいい。これが洗練されてきて また おおやけに議論しあってきて あたらしい方法を問い求め合う。
ヨーロッパの近代社会は 一般に ルネサンス宗教改革を経て たとえばこの十七世紀という時代にいたった。ボルケナウも この過程を追って議論している。われわれはこれを省略している。もしくは 過程を逆にたどって また図式的な理解におちいらないようにして それらの時代にも触れることができればと思う。そこまでたどりつけるかどうか まだわからないが とりあえずは これまで十七世紀の後半に焦点をあててきたから その前半を見て見なければならない。
その前に ただ現代というだけではなく いまこのように日本語で書いているからには 日本社会についても――すでにいくらかは触れてきたように―― 関連した議論をさしはさみたい。この行き方は ボルケナウの提示した人間学の幅の中に入っているものと思われる。ボルケナウは当時の現代のドイツにも触れていないけれど かれの到達地点を出発点とするならば そうなるはずである。そういう人間学的な経験科学の行き方――少なくともその端緒・序説――をあつかった。そうだということの さらに端緒を 必ずしも一般理論化するよりは 具体例でしめして かれとの議論の中味の一つとするべきである。
ボルケナウの観点をいわばはすかいから持って来るようにして 言えば 日本の社会は 一般にキリスト教 これをこの地に伝え 概念的に把握することができたならば すでにこのくにでは 宗教改革ルネサンスも 必ずしも必要ではなかった。ルネサンスも同じようにじゅうぶんに神学を――あるいは 神学で――議論しているが それは たしかに重心が《人間学 studia humanitatis 》にあり 人文主義とよばれるユマニスムのほうに力点があった。
宗教改革は そのつてで言えば宗教制度の再形成に力点があるとも捉えられる。そして逆に言うと 文芸復興もレフォルマシオン(再形成)も 《フマニタス(人間性)》という主観基礎に立ったものだから ボルケナウの見るところの主観動態学は すでに 重心や力点の置き方を変えてみれば 底流のように伝えられてきた。また――さらに またまた―― この主観動態学が 人間性という主観基礎をもって 同じこれを 学(キケロの弁論のように)や主義やとして 社会生活の経験世界と じかに つなげていたとしたなら 過剰な激情も発揮されたと言わなければならない。

  • そのような社会的な闘いが よかったかどうかは 別問題である。闘いをも通らなければならなかったのは 事実である。

そして特にルネサンスは その時の貴族や聖職者の世界において またはその世界をとおしてこそ運動がおこなわれ それとしては その世界に限られるようであったとしたなら 十七世紀のフランス社会での 宮廷人たちによるリベルタン風の(ないし典雅な)生活態度やまた策略のくりひろげられる一面を あわせもっていた。ルネサンスに先行したと言われるダンテ(1265−1321)にとって 自分の主観の動態もしくは構造において ベアトリーチェという一人の理想の恋人がおり ペトラルカ(1304−1374)にとっても 同じようにラウラがいたし そのような理想像をもって 主観基礎をあらわそうという行き方は 十七世紀前半のオノレ・デュルフェ(1567−1625)が 純潔そのもので近寄りがたい〔と一見みられる〕人物像として《アストレ》(1610−27)をえがかなければならなかった傾向にまで つづいている。世紀半ばにかけてのフランスでは 《尊貴な人びと précieux et précieuses 》の《もったいぶった文体 préciosité 》が むかえられた。
もっとも この《プレシオジテ》は はじめ 価値あるものを意味したのであって それは みやび・上品さをめざそうとしたところから発した。すなわち カトリーヌ・ドゥ・ヴィヴォンヌのちのドゥ・ラムブィエ侯爵夫人は イタリア駐在大使のむすめとして ローマで生まれ育ち フランスに帰って その宮廷人たちが 先進国イタリアに比べて ことばや風俗のまだ荒々しいことに失望してしまった それだから 自宅でサロンを開き よき趣味を普及しようと努めたところから興ったのだそうだ。そのドゥ・ラムブィエ夫人を ひとりのプレシューズたるマドレーヌ・ドゥ・スキュデリは こう えがく。

このほめたたえなければならない人のうつくしさをもし 心にえがこうと思うなら 美そのものを想いうかべてください。画家がヴィーナスに記す美をかたどればよいと言うのではありません。ヴィーナスは あまりつつましやかではないからです。アテナのそれでもありません。アテナは気位いが高すぎます。ユノも 魅力にかけるから だめです。ディアナはちょっと野性味が多すぎます。・・・
しかし この女性の精神と魂は この美〔そのもの〕よりも なおすばらしい。精神(かのじょの主観態度)は そのたどりつく果てを知りません。魂(主観心理)は 寛大さとか沈着・良心・正義・純潔とか表現しても まだ尽きません。・・・
(ジョルジュ(兄)およびマドレーヌ・ドゥ・スキュデリ:《アルタメーヌまたは大シリュス》7・1.1649−53)

小説の中の一人物をこう説明して ドゥ・ラムブィエ夫人その人をえがいた。そして このようなプレシオジテをのりこえて 世紀の後半では 《クレーヴの奥方》が 社会生活の中で生きる人間として えがかれるようになった。
もっとも ドゥ・スキュデリ嬢の文章にしても 主観基礎の要素またはそれらの構造は りんかくとして 連続的である。

  • ギリシャ・ローマの古典古代が かれらのかがみであった。

そして このような人間学の継承は端的に言ってみて 上にふれたダンテの《優雅であたらしい文体 dolce stil nuovo 》(ダンテは先人の言ったこれを明確に確認した)やダンテ自身の《あたらしい生活 Vita nuovo 》の提唱が たしかにボルケナウの言う《あたらしい生活態度》の一つの淵源なのかも知れない。(この点 このような不案内のかたちで。)
そこで 日本。日本では ドゥ・スキュデリの文体の中からその主義を抜き去った事大主義のような表現形態を持ったところもあるのだが そしていづれにしても みやびを興し受け継ごうとしたし また ダンテからデカルトパスカルを経てラシーヌやドゥ・ラファイエットにいたる人間学の系譜をまなぶけれども さらにそして ともかくのだがその人間学がもとづくところのキリスト教の 一度は広い意味での洗礼を受けなければならなかったとは思うのだが けれども 人文主義宗教改革――それらの《主義》の側面――を かならずしも必要としなかった。ともかくキリスト教のおしえを伝え受けて 《人間 humanitas 》をつかんだろうし 仏教の改革をとったとしても ルターやカルヴァンを烈しく欲しはしなかった。

  • 仏教のほうで 激しい改革運動はあった。

そして 現代日本では 皇室を残して(憲法第一章) 貴族制度はこれを廃止した(憲法第十四条二項)。古代市民――主観表現のかたちとしては 源氏物語やあるいは万葉集のうたうた――からの主観構造をもって ずっと走ってきた。つまり そこで 主観基礎はこれもあったが 明確に・いや明示的にさえ 知るのは ヨーロッパ文化に接することをとおしてである。
万葉集の主観表現で すでに クレーヴの奥方の表現形式を持っており 主観基礎が 明示的なかたちでは 欠けていた。フェードルの悲劇は知っていたし かつその人間学を 密教的(潜在的)なかたちでしか持っていなかった。
デカルト ガッサンディ パスカル そしてホッブズは この時代にあって 主観基礎の認識と表現をこころみ 人間学を生きた。その模索した議論をうけついで たとえばボルケナウは あたらしい生活態度を確認した。この生活態度は 普遍的なものだと考えられている。この実践が日本では キリスト教世界におけるルネサンス宗教改革そのものを経ずに 実現した。――りんかくとしては 実現した。
なにが言いたいかと言うと 日本へキリスト教をつたえたのは プロテスタンティスムに対してカトリックを復興しようとする・まただから反宗教改革をはげしく求めたジェズイットたち(イエズス会)であった。(その派だけではないが。)布教の過程で おしえ自体は 日本人は これを聞いた。また 受け取った。

  • じっさい 主観動態の問題として 市民もかれらと議論している。

そして もちろんというか 秀吉や江戸幕府は 政治的な側面では――宣教や貿易にやってきたかれら自身が 支配の野心を持っていたからか 藩主たちがキリシタンに対する統治のやりにくさに突き当たったからか―― やがてこの宗教を禁止し また貿易を統制した。まだ封建的な社会制度のもとにあったが(そしてそれゆえに キリシタン禁教をおこなわなければならない面もあった) あるいは遠く ネストリウス派キリスト教いわゆる景教が 聖徳太子の時代に日本にすでに伝わったかどうかを別としても これで日本における人間学のいしづえは 十分であった。
やがて 経験論・合理主義の思想に触れたとき 経験心理ないし経験技術の受容を 人間学の主観基礎がささえた。すでにパスカルを受け止め さらにかれをのりこえるあたらしい生活態度への道を 歩み始めた。ピュアリタン革命もユグノー(フランスのプロテスタント)戦争も 別の問題であった。人間学の具体的な社会経験として そういうかたちをとっていた。この具体的な社会経験のとられる過程と形態は くにぐにによって異なり 互いに相対的である。
ホッブズは その国家主権の議論だけが 明治政府によって受け容れられ利用されたが 市民にあって ホッブズ主義に走る必要はなかったし そういうかたちで 主観動態の議論を展開することはなかった。パスカルにとどまった あるいは おさまったとも言えるし しかもかれをのり越えてのように 生活態度は――制約されながらも―― すでに新しい道をあゆみはじめていた。フェードルもクレーヴの奥方も 或る意味ですでに 通過していた。或る意味でというのは 特に戦争までは 国家の制約が大きかったからである。緩慢にしかも着実に歩んできた。
《濁世厭離》のヤンセン主義にもカルヴァン主義=ピュアリタニズムの職業労働の自己目的化にも 揺れきってしまわず 政治革命(政権奪取)を事とすることもなかった。そういうかたちの新しい生活態度の系譜。

  • これは 市民が政権をいわば国家族に もともと ゆづったからだと思われる。だから 社会契約の思想は ほとんど必要でなかった。国家族を別にすれば 人は人に対して狼ではなかった。もしくは 万人の万人に対する闘いというペシミズムを この点では すでに 通過していた。おとなであった。
  • 《ゆづる》というのは 主観動態が自立していなければ なしえない。主観基礎を明確に把握し 人間学をもったとき それまでの生活態度が その主観構造において追認されたのではあっても これを主義として あらためて国家論の世界に乗り出そうというのは 希薄であった。そうした動きは むしろ資本主義の進むにつれてその猛威に対する正当防衛から起こったのでは ないかとまで。
  • 人間学に立った主観動態の回復は もちろん自分たちにも要請されたとともに むしろ国家族の人びとの問題であると あらためて さとった。こういう社会生活の底流。
  • 日本におけるものとしては 通過してきているし 《彗星の出現》に脅える偶像崇拝の迷信も 述べ終えた。

主観動態が初めにある。すでに迷信にとどまらず リベルタンの思想には 揺れきってしまわないところの主観動態が まず基本にある。その意味で どのくにの人にあっても 人間の主観の構造――まだ構造の枠組み――は 同じである。主観内面の基礎の探究がはじまる。沈着な熱心とそして激情とを見いだす・主観の方法基礎とそして心理経験。人――主観動態――は 後者の偶有性の領域を 基礎とはしないが また 排除しない。まずこれら二つの経験関係の構造。これを人間学という。または 日本人は とくべつ明示して そのようには言わなかった。偶有経験に対する徹底的なぺシミスム。主観動態そのものの――無力に見えるような――オプティミスム。また そのなぞ。オプティミスムの 理性たる主観基礎における使用は 合理思考。だが 合理主義(その一本)としてしまって 感覚・偶然を割り切るものではない。主観を表現しあう議論が 批判となって ことばの面からとらえる社会生活の動態。したがって 主観動態のオプティミスムは 過程である。社会の関係行為であり歴史過程。そして 国家の問題。経済史をのぞけば まず構図として このように。

§28(ともかくキリスト教の系譜)

前章で 《ともかくキリスト教》といったことの内容を ここでおぎなう。
《おしえ》としてということになるが イエス・キリストからアウグスティヌスにいたるまでの聖書および神学をさして言っていいと思う。共観福音書および使徒の書簡そして その後の神学をアウグスティヌス(354−430)が 体系化しないかたちで綜合したもの そしてむろん旧約聖書をふくめて言う。
かんたんな議論として。――

わたしは公正な人々に尋ねたい――とパスカルは言う―― 《物質は自然にかつ絶対に 思考する能力を持たない》という原理と 《わたしは思考する ゆえに わたしは存在する》というそれ(つまりこの《原理》は 主観基礎のこと)とは 果たしてデカルトの精神(主観動態)においてと 同じことを千二百年前に言った聖アウグスティヌスの精神においてと 同一であろうか。
パスカル:《幾何学の精神について》2.1657)

パスカルは デカルトの《コギト エルゴ スム》という《原理》は アウグスティヌスの《われあやまつなら われ有り(われ欺かれるなら われ有り。 Si fallor, sum. )》の焼き直しであるが 独自性があると言おうとしている。デカルトについては §20をも参照いただき アウグスティヌス――ちなみに 《聖 sanctus 》とは 《主観動態が 確立 sancire された》という意味である――の語るところは たとえば次のようである。

だから 精神は自己自身をよく知るようにという命令を聞くとき 自己自身をよく知ることに何ものも付加してはならない。
・・・だから精神は 知解力が存在し 生きるように 自己が存在し 生きることを知っている。だから 例えば 精神が自己を空気(または自然界の神々 神々としての人間=偶像)であると思いなすとき 空気が知解すると思いなすのである。しかも 精神は自己が知解することを知っている。精神は自己について思いなしているものを分離せよ。自己について知っているものを認めよ。

  • 念のために この点についてのデカルトの文章――

そして最後に われわれが目覚めているときにもつすべての思想(経験心理の理論的な認識)がそのまま われわれが眠っているときにも またわれわれに現われうるのであり しかもこの場合はそれら思想のどれも 真であるとはいわれない(――この意味は微妙である――) ということを考えて 私は それまでに私の精神に入りきたったすべてのものは 私の夢の幻想と同様に 真ならぬものである と仮想しようと決心した。
方法序説 (岩波文庫) 4)

それにも拘らず すべての精神は自らが知解し 存在し 生きていることを知っている。しかし精神は知解することをその知解するものに関係づけ 存在することと生きることを自己自身に関係づける。

  • この主観基礎は主観動態の有(もの)であり 人は とにかく具体的な主観を 経験心理・経験行為(そのものごと)と関係づけつつ 表現する。
  • だから デカルトの《夢の思想》は 経験心理にかかわり 時には――時には――それをとおして 主観動態ほんたいにも かかわる。

さて 生きていないものは知解しないし 存在しないものは生きていないことを誰も疑わない。

  • この点をデカルトは 《物質は自然にかつ絶対に 思考する能力を持たない》と言ったと パスカルは書いた。後述。

だから 必然的に 知解するものが存在し 生きていることは 生存しない死体が存在するようにではなく また知解しない動物の魂が存在するようにでもなく 独特な したがって卓越した仕方による。・・・

  • 《卓越した仕方》とは 《健全な熱心》が《激情・感覚(その意味で魂)・情念の偶有》に対して 負けることはあるが 自然本性として卓越していることを言う。主観動態は これら偶有感覚としての主観心理の主体である。

さて 生きる力 想起する力 知解する力 意志する力 思惟する力 認識力 判断力が 空気(あるいは他の元素などなど)であるのか・・・どうか人々は疑ったのであった。或る人はこれ 或る人は他のことを主張しようと努めた。それにも拘らず 自分が生き 想起し 知解し 意志し 思惟し 知り 判断することを誰が疑おうか。たとい 疑っても生きており 疑うなら なぜ疑うのか 記憶しており 疑うなら 自分が疑っていることを知解し 疑うなら 彼は確実であろうと欲しているのだ。疑うなら 彼は軽率に同意してはならないと判断しているのだ。それゆえ 他のことを疑う人も精神のこのすべての働きを疑ってはならない。もし この精神の働き(または《わたし》)が存在しないなら 何ものについても疑うことは出来ないのである。・・・
アウグスティヌスアウグスティヌス三位一体論10・10 c.399−421)

アウグスティヌスについては そのほか 《神の国 1 (岩波文庫 青 805-3)》その11・26 《独語録(ソリロクィア)》2・1(=アウグスティヌス著作集 第1巻 初期哲学論集 1所収 および《自由意志について》2・3(=アウグスティヌス著作集 第3巻 初期哲学論集 (3)所収)を参照することができる。あるいは しかも 上の引用部分でも まだ断片的だとは思われる。
途中に差し挟んだ引用文のあとつづけて デカルト

そうするとただちに 私は気づいた 私がこのように すべては偽である と考えている間も そう考えている私は 必然的に何ものか〔の存在〕でなければならぬ と。そして 《私は考える ゆえに私はある》というこの真理(――主観基礎のことだ――)は・・・
方法序説 (岩波文庫) 2)

と書いたことは よく知られているところである。
これらに対してパスカルは このアウグスティヌスからのデカルトの独立性を ある別の議論(つまり幾何学と論理学との関係について)の途中に一例として 言うのみであるが ひととおり最後まで おつきあいしておこう。

デカルトがこの偉大な聖者(アウグスティヌスのこと)を読むことによって初めてそれを知ったにしても 彼(デカルト)がそれの真の唱道者でないということは わたしには実際 思いもよらぬことである。・・・なぜなら デカルトがその志向において果たして成功したと想定し この想定の上に立って この言葉が彼の書物にあっては 他の人々が偶然に言った同じ言葉と違っていること あたかも生命と力とに満ちた人間が死人と違っているのと同様であると わたしは言いたいからである。
パスカル幾何学の精神について 2)

当時 アントワーヌ・アルノーARNAULD, Antoine という一人物が アウグスティヌスを引いて デカルトの独創性を否定した。これがパスカルの頭の中にあって デカルトの中のアウグスティヌスからの《生活態度》の連続性に重きをおくのではなく デカルトの主体性(一個の主観動態)を主張することに力点をおいたその結果 このような一つの議論なのであろうと おそらく 思われる。そして この《同じ言葉》をアウグスティヌスが デカルトとちがって 《偶然に言った》に過ぎないと パスカルの文章を読まなければならないとしたら それは 軽率な偶然――その証明はなさないが――であるだろう。

もう一点。すこし形而上学の議論に陥るかも知れないが(人びとは 意外に それが好きなのだが) まずパスカルは デカルトの命題のもう一つを 《物質は思考する能力を持たない》という表現で とらえている。この点は まちがいだと言おうとするのではなく 力点を置き換えたほうがよい もしくは 同時に別の或る見方も そこに成り立つと考えられる。 
デカルトは こう言ったのである。

というのは 私は 物質の中には 学院で論議されるような〔実体的〕形相や〔実在的〕性質などというものは存在せず 一般に われわれが知らぬふりすらもできぬくらいに それらの認識がわれわれの精神に生まれつきそなわっているのでないような いかなるものも かの物質の中には存在しない とあからさまに想定しさえしたのだからである。
方法序説 (岩波文庫)5)

《想定》の内容として 前半の部分 《物質には 〔人間と同じ主観活動をなすような〕形相や性質など存在せず》については 異論はないであろう。後半の部分 すなわちそれが翻訳どおりであるとすれば――つまり 翻訳者の主観において 真実が言われたのだとすれば―― これは 前半の部分と 別の角度からの(矛盾しつつ両立しうるような)見かたを言っている。《物質には われわれの精神〔が認識するところのもの・または 認識行為じたい〕と通底するような何かが ある》と《さえ あからさまに想定した》と取れるからである。
だから物質は思考能力を持つ ということには ならない。《魂(このばあいは 主観動態そのものを言うのであろう)は決して認識されることがなく(――つまり その理性的な認識たる主観基礎は その主観動態の代理概念である――) また 神は 物質と呼ばれるもう一つの認識され得ない存在に思考作用を与え この存在の中にその作用を永遠に保つことができるのだ》と書いたガッサンディ(§19)と同じ見方だというべきである。
物質が思考力をもつということではない。しかし これは 抽象的な議論に属す。だから 発展させない。

  • 精神は 身体をうつわとしており われわれの思考能力は 神経細胞等の質料の上に成り立っているのだから 主観基礎は 質料と形相とが 客体でもあり自体でもあると言えばよい。ただ 主観動態は この認識としての主観基礎そのものには限定されないし 《もはや経験合理的な意味での最終的な存在でしかなく じっさいこの最終のものよりさらに背後に――だからまた はじめのはじめに――第一原因はさかのぼれるかも知れない つまり 主観動態には なぞがある》 このことのゆえに 《質料(モノ)》だけではなく 《物質というもの(お化け)》を立てうる。
  • 《神》ということばで説明するのを嫌って 立てられたものである。

《ともかくキリスト教》といったことの内容は かんたんに例示として 以上である。主観動態の代理概念としての認識(意識)である主観基礎は 《おしえ》となりうる。また 学である。個体の信仰が そうして社会共同の宗教となりうる。ジェズイットたちは この《おしえ》かつ《宗教》をもって 日本にもやってきた。《人間学の信仰》のおしえと 宗教改革に対する反動だから弾圧の政治的な態度とを 両方持って やってきた。
パスカルは ジャンセニスト(ヤンセン主義者)としても ジェズイットとたたかった。デカルトの独創性を否定したアルノーも ヤンセン派に属する。この宗派は ヤンセン(1585−1638)の主著《アウグスティヌス》(1640)から始まった。宗派の問題を別にしてのように ガッサンディが ボルケナウの見るごとく《モリーナ主義的》だとすると パスカルデカルトと ガッサンディとは それほどかけ離れていないと思われるにもかかわらず そのモリーナは ジェズイットの一員であった。
宗教改革ルネサンスも 歴史経験として有益であり その信仰箇条も人文学も とうといものだが 同時に ちょうど日本社会の観点をここへ持ってきてのように このパスカルらにとって それらの経験偶有の歴史は そのまま偶有的である。

  • つまり 誤解をおそれないならば どうでもよいものである。

これは 人間学の歴史的な系譜の問題としてである。勿論 経験偶有を排除しないのであるから かれらは その人なりに ルターやカルヴァンの議論と運動とに 反応し行動した。経験偶有への反応――社会生活におけるそういう部分――では人は まちがうことがある。だからホッブズのように ペシミスティックになりうる。ペシミスティックになりえた人間は 疑いなく 生きて 存在する。これを偶有的――あるいは 時間的・経験的・歴史的――な存在だと言えても うたがうことは出来ない。《精神のはたらきが存在しないなら 何ものについても疑うことは出来ない》から。 
(つづく→2005-10-19 - caguirofie051019)