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哲学いろいろ

#37

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923

§46a(カルヴァン / ホッブズ / パスカル

国家が悪の生活に集団的秩序をもたらすための道具であることは アウグスティヌス以後にはカルヴァンが それに最後はホッブズが説いていたことであった。
(ボルケナウ:封建的世界像から市民的世界像へ §8・〓 p.604)

この一節は パスカルの国家観を取り上げているところで 言われているのだが それにしても ボルケナウは アウグスティヌスについて――つまりアウグスティヌス主義についてではなく(しかも その論議も きわめて少ない)―― もっと多くのページを割くべきではなかったか。
アウグスティヌス自身の国家観は 理論体系になっていないだけではなく 理論づけた文章も きわめて少ない。ちなみに最近 日本では 柴田平三郎氏が《アウグスティヌスの政治思想―『神国論』研究序説》(1985)をまとめている。そして アウグスティヌスの一つの論点が ホッブズに強く継承されたかのように現われていると 示唆している。その一論点は ほかでもなく 上のボルケナウの見るごとく 国家の必要悪視である。
もちろん柴田氏も 国家論は アウグスティヌスにあって 神学・人間学から帰結されるところの一観点だと言っているが わたしは この必要悪としての国家といった一帰結を 中心には据えない。また ホッブズは じっさいに 聖書にもとづいているのだから アウグスティヌスと 思想上の系譜がまったく異なるものではない。ただ 両者は 議論の焦点と重心とが やはり異質だと考える。
アウグスティヌスは 社会習慣は社会習慣だし それに対する法律は法律であり 国家は国家だ つまり そういう社会形態はそういう社会形態だと――だからつまり 相対観が 中心となっているのだと――思う。ホッブズは この相対観をあいまいに前提して 社会経験の領域に焦点をあてたし 社会秩序の実現に重心をおいたと考える。さらにただし かれらにあって 国家必要悪説が 消えたわけではない。
ここへ来て――付録なのに―― 大きな課題につきあたってしまった。ボルケナウの見るように見うることは 否定できないからである。アウグスティヌスにかんして カルヴァンとそしてホッブズとの違いを わたしにできるなら 明らかにしなければならない。この点を ボルケナウとの対話の一焦点として。
だが カルヴァンの国家観については 触れたはずである。わたしたちの見るところでは 国家という社会形態 ないし一般に社会経験的な習慣領域に対して 聖晩餐式をおこなっていくことをとおして――なぜなら そこでこそ 《わたしがわたしする》歴史が証明され確認しあわれるという―― カルヴァン教会として 人びとが 社会生活のうえで前進していくならば 世界は変わる したがって 国家も社会習慣も たといいまだ悪(前提としてのぺシミスム)の中にあっても ほどよく望ましい形態や形式を持っていくであろうという一つの人間学基礎に立つし 社会学一般を実践するというものであった(§36)。

私は神の名においてすべての信者に懇願するのは 真理に光を取り戻すため指導者であるはずのひとびとのあいだにひじょうに多くの差異が(社会習慣上の神学的・思想的な闘争が) 現われていることについて 決して躓いてはならないということである。
カルヴァン:聖晩餐について)

ここの《指導者》は ローマ・カトリック教会に抗議する神学上の先駆者たちのことであるが かれらの見解に差異があっても 抗議する人びとのいわば中核としてカルヴァン教会が こうして一つにまとまり前進していくならば と言っているものと思われる。そうして 国王とか国家とかは すでに意に介さないかのごとくである。ルターが 万人司祭の思想を説いたとしたなら カルヴァンは 同じくそれを持ち さらに すでに ジュネーヴにあって 万人首相の思想をかたちづくろうとしたかのようである。
《国家は悪の生活に集団的秩序をもたらすための道具である》という点にかんれんして カルヴァンの次の世紀の・そしてイギリスのホッブズには 次のようなことばがある。

〔一六四一年に高等宗務官裁判所が 国王によって 廃止されると〕 イングランドにはもはや 異端を確認する権力は残存せず あらゆる宗派があらわれて それらは 神学に関して なんでもすきなことを書き出版していた人びとからなっていた。わたくしがいう本(リヴァイアサン〈1〉 (岩波文庫))の著者(だからホッブズ自身)は すでに〔このピュアリタン革命につながることになる内乱のときに〕パリに住んでいて そのとき以来万人に属した著述の自由を享受していた。かれはみごとに 現世的ならびに霊的(宗教的)な事項における国王の諸権利を擁護した。しかし他方で それを聖書にもとづいておこなおうと努力して かれはそのときまで知られていなかった教条(迷信の打破・また《神は物体である》とする説)に陥り 大多数の神学者から異端および無神論の非難をうけた。
(〈リヴァイアサンへの付録 / 第三章 リヴァイアサンに対するいくつかの反論について〉リヴァイアサン 4 (岩波文庫 白 4-4)

すなわち この中で 《神は物体 Corpus である》というのは 《神なるキリストが イエスなる人間――とくに身体に着目して物体――である》と言おうとしていると取るほうが よいと思う。《リヴァイアサン》全体にわたる主張の基調として(§21)。(えこひいきであっても よいのだが)。そうして ホッブズは 社会秩序――その時代では 国家という社会形態のもとにある(君主制・貴族制・共和制いづれとしても)――の側面に 焦点をあて 一つの重心をおいた。つまり偶然的な社会習慣の領域において 自然法がどう有効でどう実践されるべきかを 議論の焦点とした。《個人生活と社会生活のたんなる機能過程を問うホッブズ》(ボルケナウp.595)との批判さえ受ける。

しかしホッブズは 絶対主義の弁護論者としては 実践政治学(?)のマキャヴェルリ的根本命題を たとえそれらの命題がかれの思考過程全体の根底におかれているとはいえ あからさまに宣言するというわけにはゆかなかった。ところがパスカルはこれをあえてする。・・・かれの目的とするところは 絶対主義が個人の生活にたいしてもつ意義を明らかにすることなのである。なるほどかれはいつでも とくにフロンドの内乱の最中には どんな叛乱にたいしてもひとしく反対の意向を表明してきた。しかしながらこのような態度が意味することは 世界全体が悪なのであって したがって統治は専制的でしかありえない ということなのである。こうしてパスカルホッブズとマキャヴェルリとを綜合する。このようにしてかれは法をすべて純粋に実定的なもの(つまり人定法)であるとする学説をもって 自然法にかえるのである。
(ボルケナウ§8・〓 p.604)

またまた 別の大きな課題にやはりつきあたってしまった。《パスカルが 〈国家は悪の生活に集団的秩序をもたらすための道具である〉との見解に立って 〈ホッブズとマキャヴェルリとを綜合〉し <国法をもって自然法に代える〉ことを考えた》のだと。ここで 問題は アウグスティヌスパスカルとの関係にもなった。
要領のわるい議論ではあるが 整理すると はじめの課題のうち カルヴァンについては カルヴァン教会こそが 問題となっている。すなわち カルヴァン主義者が 世界の・だから国家に対しての 牽引者である というかたちだと思われる。アウグスティヌスは アウグスティヌス教会を唱導した形跡はない。ホッブズについては アウグスティヌスとは 議論の 焦点をあて重心をおく対象と分野とが ちがうのだと考えられる。
アウグスティヌスにしても 法律は法律であるし国家はそのときそういう社会形態にしてあるのなら まずそれはそれだと言ったとしても これら社会習慣の領域を 無視せよとか論外だと見なしたのではない。そこで 主観動態するおのおの人間は いるわけである。この《わたし》の存在が 社会を秩序づける(また社会をつくる)ものであるとするならば ホッブズは なんとかこのことを 合理的に理論づけようとつとめた。《神は物体である》とまで言って。つまり よくとれば これからは 経験領域のことがらを そのことがらで 議論していこうと主張したわけである。それとして もう一人のトマスつまり トマス・アクィナスの系譜である。神学での議論も その方向をもっていた。わたしたちは まだ 《なぞ》の領域を 留保していたが。ホッブズは その議論が 主観動態のそれから 社会経験の領域へ移っている。それかまたは 生活態度の出発点を語っている。

  • その点で 経験科学的であると同時に 機能主義的となったところがある。

つまりこれを 経験による思考で経験行為にかんして 議論しようとつとめたから それゆえにこそ むしろきわめて抽象的である。自然法の 経験面での機能・それも抽象理論的なを 明らかにして 社会が秩序づけられる過程を 語ろうとした。
新しい課題について わたしは パスカルが なんで 自然法に代えて国法を主張したと見られるのか わからない。
これにかんするボルケナウの示す論拠は 《パンセ (中公文庫)》の〈第五章 正義と現象の理由〉である。原題は 〈 La justice et la raison des effets 〉だから 無理に読めば 〈司法と〔それら人定法の〕有効性の合理(つまりこれは 自然法のことだが)〉とよめる。この〈第五章〉のうち さらに重要な部分は 〈断章第二九四〉である。つまり この断章は かなり長いので ボルケナウは 省略をはさんで引用しながら 論拠としている。われわれはまず この断章の その省略された部分によって ボルケナウへの反証をあげることができる。
パスカルが《ペシミスティックな実定主義国家学説》(p.608)を持ったのではないということ 《ホッブズとマキャヴェルリとを綜合》したかどうかわからないが 《人定法とそのあたかも制定者たる権力というものをもって 自然法に代えた》のではないということ これを言う。長いけれども ボルケナウの省略した部分を含めて引用する。ただし 繰り返し説明となる部分は――そのうち 面白い箇所は例外として―― われわれも省略する。繰り返すなら 引用として非常に長い。原語なども( )内の註として補い われわれの註も途中にいくらか差し挟む。

人は自分が統治したいと思う世界の組織をいかなる基礎のうえにおこうとするのか。それは個人個人の気まぐれ( caprice )のうえにであろうか。そのときには何という混乱がおこることであろう!それは正義( justice )のうえにであろうか。だが人はこの正義なるものを知らない。かりにも正義を知っていたとするなら 各人は各人の国の習俗( les moeurs )に従うべしという 人間のあいだにある格律のうちでももっとも一般的なこの格律を 人はうちたてはしなかったであろうし 真の公平のもつ光明はすべて民族を服従させて 立法者たちは この不易の正義のかわりにペルシャ人やドイツ人の移り気や気まぐれを〈法律の原型 modèle 〉として とるようなことはしなかったであろう。そして人はこの不易の正義が 世界のいかなる国 いかなる時代にもひとしくうちたてられるのを見ることになったであろうし 正義とされ不正義とされることがいずれも風土( climat )が変わると必ずその性質を変えてしまうようなことを 見ずにすんだであろう。・・・
かれらは公言して 正義は習慣( coutumes )のうちにあるのではなく あらゆる国でみとめられている自然法( les lois naturelles )のうちにあるという。もし人間的法律( les lois humaines =人定法)のもととなった無謀の偶然( la témérité du hasard )が そういう自然法にしてもし普遍的なるもののただ一つにでもかつて出あったことがあるとすれば かれらは確かにそのようなことを根づよく主張したかもしれない。しかし笑うべきことに人間の気まぐれはまことに多様だから そのようなものは存在しない。

  • いま上の議論内容については 次の省略箇所を含めて ボルケナウのほうに 分がある。次が省略された箇所である。(引用者)

盗み 不倫 子殺し 父殺し これらすべては徳行のうちに地位を占めたことがある。ある男が 水の向こう側に住んでおり 彼の主君が私の主君と争っているという理由で 私は彼と少しも争ってはいないのに 彼に私を殺す権利があるということほど 笑うべきことがあろうか。

  • つまり この部分では 君主が勝手に法律をつくるのではないとしたなら すすんで 《実定主義国家学説》を説こうとする要素はある。それゆえ ボルケナウのほうに分がある。

おそらく( sans doute )自然法なるものはあるであろう。しかしこのよき理性はあらゆるものを堕落させた。

  • ( Cette belle raison corrompue a tout corrompu.つまり 《このみごとな腐敗した理性は すべてを腐敗させてしまった。》 )・・・次につづく箇所が 省略部分であり 問題である。

このような混乱から ある人は 正義の本質は立法者の権威であると言い 他の人は 君主の都合( commodité )であると言い また他の人は 現在の習慣であると言うことを生じる。そしてこの最後のものが最も確かである。理性だけで ものごとを割り切ろうとしても それだけでは自分が正しいと主張することをできないから。

  • ( rien, suivant la raison, n'est juste de soi. だから あるいは《〈正義の本質は 現在の習慣である〉と言うのはもっとも確からしいが この確からしさというただ一つの理由だけでは まだ 正しいわけではない》。意味にあまり変わりはないが。

いづれの見解の中のものも 時とともに 揺れ動く。

習慣はそれが 人々に受けいれられているというそれだけの理由で 欠けるところなく公正なもの( l'équité )となっている。これがその権威( autorité )のふしぎなよりどころなのである。

  • ふたたび省略部分が始まる。

それをその原理( la principe )にまでさかのぼらす者は それを消滅させてしまう。誤りを正すというたぐいの法律ほど 誤りだらけのものはない。法律(人定法のことである)が正しいという理由で 法律に服従する者は 彼の想像の正義(思考の合理必然性をとおしての――引用者)に服従しているのではない。その正義は全く自分自身のなかに収容されて( ramassée )いるものである。それは法( loi )であり その法であることをこえないものである。その動機を吟味してみようとする者は それがあまりにも弱くて軽いものなので もしも彼が人間の想像の驚異をうちながめる習慣をもっていなかったなら それが一世紀のあいだに こんなにもたいした壮麗さと尊敬をかち得たことに驚嘆するであろう。国家にそむき( fronder les Etats )国々をくつがえす手立ては 既成の習慣をその起源にまでさかのぼって調べ その権威と正義との欠如を示すことによってそれを動揺させることにある。人は言う 《不正な習慣が国家の根本的・原始的な法律を廃止してしまったのだ。これに帰らねばならぬ》と。これは 何もかも破滅させるにきまっているいたづらである。このような秤りでは何ごとも正しいかどうかまだ決まらない。ところが人びとは このような議論にたやすく耳を貸す。不正のくびきに気がついたと思ったら ただちに勇みかかる。偉い人たちは これを利用して くびきを滅ぼし あらたによみがえった習慣を吟味しだす物好きな人びとを滅ぼす。だが 逆のまちがいもあって 人はしばしば 前例のないことでないなら何でも 正義をかざしてこれを取りおこなえると信じている。こういうわけで 立法者たちの中で最も賢明な人は 国民の幸福のためにはかれらを時には欺かなければならないと言った。また やはり 政治家で他のある人は 《かれは その救いとなる真理を知らないのだから だまされたままでいるほうがよい》と。横領の事実を勘付かせてはならないと。横領は かつて 無理やりに( sans raison )導入されたが いまでは納得づく( raisonnable )なのである。今後も終わりを告げさせたくなかったなら それが 由緒の正しいもの( authentique )で 滅びなどしないものだと思わせなければならないし その由緒も歴史をどこまでさかのぼっても たどりつけないはるか昔に措定しなければならない。

  • 議論はこの引用箇所の外でつづける。

パスカルパンセ (中公文庫)(合理必然の思惟の記録)5・294)

《正義》に従うといっても これを人びとは知らないし それは 《立法者の権威》でもなければ 《君主の生活の便宜》でも 《現在の習慣》でもない しかも 《自然法》は 存在するであろうが どこにも見当たらない ゆえに――ゆえに――国家の実定法が 人びとの――社会習慣上のだけとしても――拠り所であると 言っているかのようである。そう読めるのかも知れない。あたかもその《ぺシミスム》の行き着く先の一つとして 《実定主義国家学説》が言われているのだと。だから 《国家は悪の生活に集団的秩序をもたらすための道具である》という ボルケナウの見るアウグスティヌスからの思想系譜に パスカルは立っているのだと。
《誤りをただすというたぐいの法律ほど 誤りだらけのものはない》けれども 《旧い習慣の時代の法律を持ってきて 現在の法律に代えることも 破滅を招く》 ゆえに そうなのだと。わたしの反証は まだ成立しない もしくは 挫折したかも知れない。保留しよう。

  ***

ちょうど 《かれはその救いとなる真理を知らないのだから だまされたままでいるほうがよい》というのは ローマ人のガイウス・ムキウス・スカエウォラ(紀元前二ないし一世紀)が言ったことばで これを モンテーニュ(1533−92)がその《エセー〈1〉》で引用していたのだが そのモンテーニュの前に アウグスティヌスも取り上げ批判しているので この一文をめぐって 国家観をもう少しくわしく論じることができる。
パスカルモンテーニュ観は 《エピクテートスモンテーニュとをめぐる〔パスカル氏と〕ドゥ・サシ氏との対話》や 《パンセ》の〈第二章〉などに 容易に知ることができる。これを直接 くりかえさない――引用も要約もしない――とすれば 一点だけ 両者(モンテーニュパスカル)の対比をしておくことができる。
引用はするのだが まずモンテーニュは その《エッセー》のはじめに 〈読者に〉と題して 自己紹介をしている。

読者よ これは正直一途の書物である。はじめにことわっておくが これを書いた私の目的はわが家だけの 私的なものでしかない。・・・読者よ・・・私自身が私の書物の題材なのだ。あなたが こんなにつまらぬ むなしい主題のためにあなたの時間を費やすのは道理に合わぬことだ。ではご機嫌よう。
   モンテーニュにて。千五百八十年三月一日。
モンテーニュエセー〈1〉 〈読者に〉)

パスカルは 《パンセ》でこう書いた。

人は人から 真の人間 honnête homme となることを学ばない。ほかのことがらは何でも学ぶ。・・・
パスカルパンセ (中公文庫) 68)

モンテーニュは へりくだって言ったか それとも 自分の欠陥を認めて正直一途に《はじめのおことわり》を 述べたかである。前者の場合にも へりくだりが 《すでにもらっているのに もらっていないと言って自己を誇る》ことにならなければよいが とのただし書きが 必要になる。と思う。
ちなみに ボルケナウは

エピクテートス(《学び》において またそれによって 極論して言えば 自信家)とモンテーニュ(同じく 懐疑家)との対立は 《無限的進行》という問題に帰着する。ところがこの対立は市民的個人にたいするパスカル(《この対立》を《ドゥ・サシ氏との対話》で確かに止揚した)の批判のもっとも一般的なテーマである。
(ボルケナウ§8・〓 p.626)

とたとえば 言って 時代の 資本主義的な生活態度が――だから そのように経験的に――《無限的進行》の性格を 顕著に持ってきたその問題だと見ている。資本主義志向の点で 理性による自信 および 同じく いやいや 懐疑 といった極論として 二つの方向へ 無限的に進行しえたと。そしてこれら両者の《対立》の解決は パスカルにおいて《自信にみちたものであれ どこまでも懐疑をもったものであれ 合理主義の思考および習慣行為における無限的進行は――成功不成功を問わず―― 人間が無となることだと とらえられること》によってのみ 達せられたとも 見ている。かくてパスカルは 国家にかんして 人定法の実定主義を――必要悪としてでも――説いたのだと。
そうではなくパスカルは 国家にかんして 消極的・間接的な解決の道を述べたか――だから 人間学基礎としては 逆に 積極的・直接に 《オネットム honnête homme (真の人間・まともな人間・ふつうの人間)》などとして(これだけでは スローガンにしかならないが) 説き明かそうとした―― それとも なにも述べてはいないかであろう。
人は 人からにしろ社会からにしろ 真の人間(自然法主体の主観動態と われわれは 言ってきた)となること以外の なんでも学ぶ と言ったのなら 実定主義国家学説ではなく 国家社会には実定法(法律)が設定されているとだけ言ったはずだ。自然法は 見当たらないとしても それに代えて人定法を主義として置いたということに なったであろうか。
パスカルが 〈断章・第二九四〉で引用したモンテーニュの《エッセー》に出てくることば すなわち《民はその救いとなる真理を知らないのだから 欺かれるのは民にとってよいことである》というローマ人スカエウォラのことばをめぐって。
モンテーニュがこれを引合いに出すのは 結局 かれの《わたしは何を知ろう?》という懐疑――この問題は デカルトがそのあと解決していた――に対する 国家統治者によるひとつの弁明の例としてであり また この弁明例のことばをもってしても モンテーニュ自身の問いかける《クセージュ?(私は何を知ろう?)》という懐疑は 残ると言いたいその議論においてである(エセー〈1〉 (ワイド版 岩波文庫)2・12)。

われわれは 無限の世紀は過去も未来も神にとっては一瞬にすぎないとか 神の善と知恵と力は神の本質(だからあるいは スカエウォラの言う《真理》)と同じものであるなどというが 口先でいうだけで 頭では少しも理解していないのである。そのくせ 傲慢にも 神をわれわれの判断の篩(ふるい)にかけようとする。そこから あらゆる妄想や誤謬が生まれ・・・
モンテーニュエセー〈1〉 (ワイド版 岩波文庫) 2・12)

ボルケナウの着想をまねるなら モンテーニュは 《このように真理を知っていると言う人も 〈無限的進行〉を思考し表明するが 何を知ったというのか》と言いたいわけで 同じくこのモンテーニュも そのような懐疑の《無限的進行》をおこなっているというわけである。あるいは モンテーニュは この同じ箇所で 先にわれわれが取り上げた社会学者・見田宗介氏の《ことばの神話》説に似かよったことを のべている。
ちなみに 忘れないうちに言っておきたいが パスカルが先に見たように 《自然法は 存在するであろうが どこにも見当たらない》というのは モンテーニュをよく読んだパスカルとしては 上の《口先だけで言っても頭では理解されていない》という意味において 言ったとも じゅうぶん取れると思う。それは単純な一事例にすぎないが。ボルケナウの見るごとく パスカルのぺシミスムは もっともっと深いのであろうか。それゆえにも 実定主義国家学説・つまり単純に今ある現実の秩序 これとどこかで手を結ぶということなのであろうか。
モンテーニュの《ことばの神話説》。――

われわれ人間の言葉も 例によって弱点と欠陥をもっている。世の中の混乱の原因の大部分は言葉づかいに関するものである。
エセー〈1〉 (ワイド版 岩波文庫) 2・12)

《正直一途》の《気》こそが モンテーニュのえがいた書物であり かれ自身でもあるところの 《わたしなる主体》だと 言うことになるのであろうか。まさか。いや そうかも。デカルトの解決――《自己》の発見とそれへの到来――は 近代的・図式的な《精神および身体から成るわたし》でしかなかったとしたなら。
スカエウォラについて 《エセー〈1〉 (ワイド版 岩波文庫)》の一つの日本語訳では 次のようである。

この問題については当時大司祭スカエウォラと大神学者ウァロが次のように弁明した。《民衆はあまり真実を知らずに多くの虚偽を信ずる必要がある》。《真理を求めるのは自由になりたいためであるから 欺かれることもその一つの方便だと考えればよい》。
エセー〈1〉 (ワイド版 岩波文庫) 同上)

《エッセー》は 《私的なもの》だから モンテーニュはこれについて 何も注釈・自己批判していない。
アウグスティヌスによるスカエウォラやウァロの取り扱い方について 触れておく義務がある。
先にウァロのほう。
・・・・
(つづく→2005-10-31 - caguirofie051031)