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哲学いろいろ

#21

もくじ→2005-09-23 - caguirofie050923

§19(パスカル

ピエール・ガッサンディ(1592−1655)は 《客観的には ジェズイットに奉仕した》し ルイス・モリーナ(1536−1600)は ジェズイットであった。そして パスカルは ジェズイット主義に対立した。

ヤンセン主義者にとってはかれ(パスカル)は 《プロヴァンシアル》の著者であり ジェズイットにたいする攻撃の勝利者であった。
封建的世界像から市民的世界像へ §8・〓 p.588)

だから 性急な議論としては 主観基礎が わざわざ《なになに主義》としてかかげられる外的な展開の問題としてではなく あくまで 人間学の視点においては 上の矛盾対立をこえて――確かに超えて―― ボルケナウの内面で パスカルガッサンディとが 適合して連関しあっているようなのである。
したがって 人がパスカルをあつかうときにも もし外の社会的な闘争のみによって理解しようとするなら たしかに人間学の視点は ゆるがせにされるであろうことを ボルケナウは 次のように言う。

パスカルヤンセン主義に反対する正統派カトリック教徒と断定しようとすれば そのときにはかれのペシムズムには一言も言及しないようにしなければならぬであろうし かれのヤンセン主義者的傾向を重視しようとすれば にもかかわらずかれのカトリック的正当性をしめす論拠をえるのに腐心せざるをえず したがってまたカルヴァン主義とかれとの親近性に眼を蔽わねばならないであろう。自由思想家(リベルタン)はかれからはまったくはじまりえない。そうしたいずれの場合にも かれの思想の哲学的(=人間学的)内容は この種の論争ではまったくきえうせているのである。
(§8・〓 pp.588−589)

われわれは 相当程度 強引に我田引水したようであるが(ただし 社会的な闘争の側面を 闇に葬れと言ったおぼえはない) それにもかかわらず ここで その性急さは これらの《ジェズイット主義 / ヤンセン主義 / カトリック正統派 / カルヴァン主義 / リベルタン(この自由思想というのは 遊蕩的な傾向をいう部分が強い)》の概念と歴史とを明らかにしなければならない責めを負うものでも 必ずしもなく ボルケナウの主観内面の人間学を明らかにすることをこそ 要求されているということになるはずだ。仮説によって そういう一つの観点を ここでは 主題としたのである。
この観点は ボルケナウの議論における一面にすぎないのではあるが 中核であり骨格であるとわたしは信ずる。そうでなければボルケナウ批判は すでに終えられている。


けれども かれボルケナウは なにゆえ 自己の人間学を こうまで長々とした思索の過程において その端々に さしはさむようにして明らかにするという主張の形態をとらねばならなかったか、これは 序の部分でのと同じ問いだが 中味がちがう。今度は そんな必要はなかったであろうというのが 批判の一端である。

かれの時代にあって また資本主義的発展が破綻するまでの期間全体を考えても パスカルは孤独の人でしかありえなかった。
(§8・〓 p.589)

とボルケナウが見るとき 孤独が 単なる孤立ではなく 自立する主観基礎という基軸をもったものとして 言われているのだとしたなら それは たとえばこの表現の裏で ガッサンディの主観動態が ささえているのだとさえ 考えられるのである。《主観性の領域における〔たとえば デカルト合理主義という思想とその行き方の〕一種 かつ 多様》は 《パスカルおよびガッサンディの自立する孤独というその内面的な一種かつ多様》が その主観の方法基礎でなければならないと むしろ強くボルケナウは 言いたかったし 言おうとしているのだと考えられる。

  • デカルトの主観基礎については あとでくわしく見てみる。

ヴォルテールは対パスカル論議をたくみに心理学の領域に

  • 《みずからの〔孤独という〕病いを全世界がともに病むことを望む奇妙な病人》と評するかたちで

そらすことによって 迫りつつある市民革命は パスカルのペシミスティックな分析にもかかわらず かならずや自己を貫徹するであろうとのべながらも しかもそのかれも同時につぎのことは認めるのである。
すなわち この孤独な贖罪者の痛ましい告解こそ 市民的オプティミズムのどんな綱領にもましてより多くの理論的真実をふくんでいるということである。
(§8・〓 p .594)

ここには 次のガッサンディ観と 一致するものがある。

〔宗教裁判によるガリレイの有罪宣告に際して ガリレイの説と考えをともにするところの〕デカルトのような人は 慎重にその思想をかくした。これに反してガッサンディのような人は 割合に自由にその思想を打ち明けることができた。かれの正信性は うたがわれなかったのである。
(§6・〓 p.484)

ヴォルテール(もちろん十八世紀の人)によると

なるほどガッサンディ懐疑論者であり すべてを疑うことを哲学に学んだが 至上者の存在を疑うことまで学んだわけではない。デカルトに宛てた長い手紙の中で ロックより遥か以前に次のように主張している。魂は〔または 生きた主観は〕決して認識されることがなく また 神は 物質と呼ばれるもうひとつの認識され得ない存在に思考作用を与え この存在の中にその作用を永遠に保つことができるのだと。
ヴォルテールルイ十四世の世紀 4 (岩波文庫 赤 518-6)〈人名録〉)

だから この限りで――つまり ヴォルテールはここで 議論を必ずしも《心理学の領域にそらして》はいない―― ボルケナウは ガッサンディを信ずるというのではなく(このことは 厳密にいえば ありえない) かれの主観基礎を さらにさらに 明らかにし また顕揚していけばよかったはずだ。その意味での思索の長さは 別問題なのである。
もっともボルケナウはそうしなかった理由をも のべている。

ガッサンディは人間の心のなかの 自然法

  • つまり 主観基礎――基礎としては 法則であり 認識しうる〔たとえば 《理性的動物・社会的動物である》など〕――の人間学

を 外的現実のなかの自然法則から引き裂く唯一の人であり 道徳(これはむしろ 外面であるとも言える)と 自然認識との結合という大問題が かれだけには存在しなかったのである。

したがって このいわゆる近代唯物論の建設者の哲学は かれにとって中心的な倫理の領域において主観的観念論に転化するのである。
(§6・〓 p.522)

と。《倫理》も 《道徳》と同じように 外面的なものであって――もちろん 心理が外の人間関係とつながったようには 外面的ではないが 心理と同じほど・またはそれ以上に 内面ではたらくと言っても 主観の捉えることば・文句・概念・観念であるのが 基本である―― そこへ 主観基礎を 主観基礎そのままに おしとおそうとすると もちろん《観念論》におちいるのである。
ボルケナウの最後のことば・つまり引用文〔 a 〕からすれば けっきょく パスカルの孤独 ガッサンディの主観基礎を かれはネガティヴなかたちでとしても 顕揚しているとわたしたちは とることができる。つまり こうわたしが断定して言うのは そうでなければ このわたしたちの議論は 不必要なまぼろしに終わるはずである。つまり そう終わってもよいのであって――わたしは終わらないと思うから これに着手してきたのだが―― 不必要か必要かはそれを さらにわたしたちが判断する。誇張していえばわたしは ドン・キホーテのようなものである。
だからボルケナウは けっきょく 主観基礎を 人間学の視点として どこまでも――これについては 無限にでもよいのである――焦点を分散させずに 議論していればよかった。思索・模索はわるいことではないけれど むしろ引用文〔 a 〕を 最後にではなく出発点として その主張を展開していけばよかった。
それゆえに――それゆえにこそ―― たとえば《パスカルは孤独の人であった》という認識と判断とが 生きてくる。そしてまた したがって その時代と社会の歴史的な情況における議論(研究)に 入っていける。わたしたちは この研究を 括弧に入れている。
仮説したテーマである主観基礎という一つの観点 これの内容は わたしたちにとって ただこのように例示する一点である。《主観基礎を 外の社会的な情況と歴史とに おしあてて見ていくのではなく――そういう態度で 長い研究と議論をするのではなく―― 主観基礎じたいをその内面で 人びとがどう認識し表現したかの歴史的な進展としても 探究している》という一つの行き方 この点である。
この一点たる主観の構造の明確化 それはボルケナウは 自己のものとしてかれの現代に立って 最後に明らかにした。のではないだろうか。
わたしたちの一つの観点にとって 《引用文〔 a 〕を最初にかかげて出発する》――この出発は 主観の原点の動態へのと 経験行為の領域へのと そしてそれら二つの綜合とが 考えられる――という内容の一点 これを ボルケナウの思索の成果のなかに だからどこまでもむしろ金太郎飴のようにして 問い求めていくことが 本論の課題である。
このわたしたちの議論は ボルケナウの思索で わたしたちの自説を展開するといったかたちになってしまったとき 終わることになる。
(つづく→2005-10-15 - caguirofie051015)