caguirofie

哲学いろいろ

#2

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917
2010-09-18 - caguirofie100918よりつづく)

 何に明るいのか。もちろん 自分たちのあいまいであることに明るいということがそれだと茶化すのではない。或る自分を見るとき つねにと言っていいほど もう一方に 別の自分を置いているからである。この二つの自分が見えることに明るい。

 このとき 別の自分は あるいは非在でしかないかも知れない。ないだろう。けれども 性関係によって 不断にその証し子が作られ得るというように つねに その非在の自分が どこかに存在しうるという状態 そしてその限りにおいてあたかも自分の分身が存在するという状態 ここに身を置いているからである。

 かれらは いまだ生まれぬ赤子を我が子とするかのように――あたかもシジュフォスの石のように――育てているのだ。このような両義性が いくつも繁殖する中で(もしくは繁殖し得る位置にいて) かれらは それら全体の多義の系の中で いつも あいまいな存在として生きている。果たして生きているのだろうか。死んでいるのでは?
(つづく→2010-09-19 - caguirofie100919)