caguirofie

哲学いろいろ

#7

もくじ:2010-09-17 - caguirofie100917
2010-09-22 - caguirofie100922よりのつづき)


  街のしめりが 人の心に向日葵ではなく 苔を育てた。
  苔の上にガラスが散る。
  血が流れる。
  静寂な夜 フラスコから水が溢れて苔を濡らす。
  それは 血の上澄みなのだ。
    (《青春》)


といった両義性のつねに新しい連続的な展開が わたしたちの前にある。要するに 表と裏 明と暗である。
 ここで先を急ぐのだが その最近の展開を挙げよう。たとえば次である。


  声はいつも地球の外へ放たれた

  でもぼくはきみのとなりにゐた
  きみはぼくのとなりだった
  ・・・
  ぼくはひとり きみのいのちを生きてゐた
   (《きみはぼくのとなりだった》1977)


 これは 《みつかった小さな詩》という副題があり 創作の時として 最後に (1952〜1976.11)と作者自身が表明しているものからである。また
2010-09-24 - caguirofie100924へつづき)