caguirofie

哲学いろいろ

#7

もくじ→2006-11-03 - caguirofie061103

第五章a あまがけるたましい

じつは 思弁的にであれ 《国家》という社会形態の出現にまでたどりついたなら あとは ほとんどすぐさま ヨーロッパ近代の市民社会の成り立ちにかんする議論へ とんでもよいのではないか。じっさい 市民社会は ここに 出発するともよく考えられ言われるのであって 片やわたしたちの想定したところから行くと 原市民社会が この近代市民社会に 復活した――つまり より正確には それまでにも ずっと続いていた原点社会の基本線が ここで エネルギッシュに あふれ出たかたちと時期――と捉え 議論をつづけるためには その間の経緯として この《国家》の成立を 基本的な動きとして 見ておけば足りるとさえ思われる。
人間的な交通とモノの交換との 精神による倒錯視。しかも この倒錯を――わたしたちから言わせれば 知能犯としてのように―― 原点市民の交通形式のなかにつつみこむ。これによって自身の交通理論をうち立て また《実践》する。わたしから言わせれば 倒錯はまだ 狂気ではない。倒錯をわざわざ 勇敢にも ふつうの精神のなかにつつんで 持ちこたえる交通者 これは 狂人だと思われる。ともあれ この重商主義の精神が いわば原点社会のふつうの生産=交換=消費の生活次元から アマガケル(天翔ける)。徹底した勤勉 合理主義とも呼ばれるところの勤勉のむさぼり つまり ガリ勉 これによって 相互信頼のつきあい関係・相互依存の主体関係のなかに もっぱらの貸し手となって現われ 相手方のもっぱらの借り手とで主従関係をつくる――それは もっぱらの借り手となった者も 相互信頼の中にいる自由な主体であるゆえに 借りた相手に対して 自由に仕えようとするゆえである―― ここで 偉大なる主人は あまがける。
人間は すでに 独立主観なのであるが 民主・自由であるゆえに 分業形態の中で 相互依存的な交通関係のもとにある。あるいはさらに 市民は そもそも 生活の関係として 相互依存的な存在であるとさえ考えられる。すなわち 生活一般の共同自治(生産がもちろん基礎)において 相互に交通し 分業形態では 相互に交換しあう。ところが ここで 交換の差額の有利性の獲得が 交通を支配するようになり この支配者なる交通者によるあらたな主従関係が 共同体の生活一般に 少なからず浸透し 交通主人は 自治社会の頂上へ アマアガル(天上がる)。つまり あくまで そういう交通理論の精神(人間)が はじめに現われた。これは 重商主義だと考えられた。
原点の商業社会が この重商主義精神の 影響を受けて――依存効果のような或る程度 不可避な影響を受けて―― 一段 かさあげされる。のではないだろうか。ホーヴァークラフトのように 地上から 浮かび上がった。重商主義家は 取り引きに・仕事に 借りを作らず いそしむのであるから 勤勉な精神であり かつ 勤勉のむさぼりのうたがいがかけられているとするなら ガリ勉の生活者だということができる。
人びとは この重商主義思想家たちと 自由な市民の交通関係にある限りで ふつうの生活をしていても ある程度 不可避的に かれらに人間的な債務を負うことになるであろう。自由で開放的な交通関係にあるなら 重商主義者の交換の申し出に 一度は 応じるであろう その限りで――じっさい 債権・債務の関係は 相対的である面もあるのだが―― 少なくとも人間的な貸し借り関係・つまり普通の知り合い関係にまでは 入るであろう。かれらが その一共同体の商業界を 多かれ少なかれ取り仕切るようになるなら 一般に われわれは 債務者の側にいるであろう。
かと言って 自由な人間の生活関係にある限りで この勤勉な・あまりにも勤勉な思想の持ち主を 社会から追放するなどということも 最終的な条件において管理すること(つまりここには 思想統制が入る)も できない。原点市民は これを 能力によって できない。原点社会は 人びとが 依然として だれとでも 自由な隣人関係にある。
このような条件がととのい 重商主義者たちが その思想をおしすすめていくならば――かれらは これに徹するようであるのだから―― ついに カサアゲされた重商主義的な一個の共同体は 人間の交通のあるところ およそどこまでも 一様なものとして のびていくであろう。(いくらか類似する例として ワイマール共和国の崩壊の歴史をおもえ。)これまでの歴史において 《国家》を――つまり 民族=言語を基体とした一定地域の 諸共同体の統一形態を――超えたかたちの アマガケル社会は できあがらなかったから この国家が出現したことを 把握したなら すでに じっさいは 現代の世界にまで たどりついて来ることができると思うのである。
国家にまつわる重商主義の思想(政策)の形態に いくらかの変遷があったということではあるまいか。もちろん 変遷には 断絶も――つまり 債権債務=主従の関係の断絶も――あったであろうということである。
近代市民社会は――それは 《国家》の時代の中に存在するが―― しかしながら 画期的な動きであったのだから 原市民社会とそれとのつながりや あるいは 国家とそれとの関係などを取り押さえて 現代にまで 至って来なければならない。
近代市民社会に入る前に 一点だけ 国家にまつわる重商主義のあり方として 問題にしようとおもうならば それは 国家の首長(アマアガリした市長)の世襲制というガリ勉の形態が挙げられる。すでに身分制社会となったところから出たものであろう。
身分制という市民どうしの交通形式から――つまりとうぜん 民主的でも自由でもなくなっていて 民主自由市民は それに譲歩しているその交通形式から―― さらにやがて自由となった社会において なお首長職が世襲されるという事態は ここでは 問わない。
したがって 要するに 国家の段階で その首長の地位が世襲されるという一つの交通理論は そこにおいて 前まえからの主従関係つまり貸し借り関係が いまだ終焉せず 世代を越えて 持続すると見たことを 意味する。人間的な――その基礎には モノの――債権債務の関係が あまりにも大きくて親から子へも 受け継がれるという思想である。すなわち 国家の以前の はじめの一共同体の中での重商主義の発進から いわば延々とつづいているものであると同時に すでに債務を返済した人びとにとっては 単に 重商主義という思想じたいを 至上のものとして 保守する政策以外のなにものでもないと判断するところのものであったろう。一度 債務者となっても ガリ勉の交通には もはやその後 極力 つきあわなかった人びと 自由な隣人関係という大前提で それ以外の交通では 重商主義的な交通の流通に対しては 譲歩してきた人びと これらの人びとにとっては その判断・評価において きびしいものがあって すでに 金輪際 重商主義はいやだと思っているだろう。
なぜなら 重商主義者の債権の累積は つまり従者たちの債務の累積は 一たん主従関係に入ったあとは そこで債権債務があらたに発生するというばあい 単に一たん成立した主従関係にもとづいてのみ 不本意に発生するというのが しばしばだからである。人は 民主自由市民であるから 恩をわすれない。だから この恩に着せるために 貸しをつくったという重商主義者の政策が 論外だとしても かれらが時として 或る不遇に陥ったとき 以前の恩にうったえ 人びとがその恩にむくいることによって しかも従来の貸し借り関係が帳消しになるのではなく ゆくゆくは またあらたな貸し借りをつみかさねていくという場合も しばしばだからである。
なぜなら 重商主義者は じつは帳消しになるような恩返しをうけたとき これを わざわざ自分の借りだと確かにとなえ ふたたび相当の地位に復帰したあとでは また 難なく あらたな貸しをつくっていくからである。そのように 尾を引く。
かれらは すでに 社会的に もっぱらそういう貸し手の地位にあると考えるし 思っている。アマアガリした上層社会が 市民社会には つねにあって当然だし必要だと すでに思い込んだし このカサアゲ社会の保守に いのちがけで おもむく。そのほうが かれらにとって 住みよいし むしろこれが かれらの精神構造そのものであったのだから 自分たちの存在がそこにかかっていると うったえる。
かれらは このばあい――つまり 債権債務関係の断絶するような かれらにとっての 危機のばあい―― なにがなんでも おがみたおす。
国家の首長職の――その前には 一共同体の市長職の――世襲という交通制度は したがって 一つに その重商主義思想の ともかくそれ自体の いのちがけの保守としてであるか もう一つに 前まえからのかれらが社会に与えた恩恵が じゅうぶん大きかったゆえであるか どちらかである。
後者のばあいも じっさいどんな歴史事実なのであるか――ともかく ひとりの人間が 社会全体に そのような大きい恩恵をもたらす事態というのは いったいどんな歴史的事件であるか 想像もつかないと言わなければならないゆえ―― わたしには わからない。
おおきな恩恵がもたらされたとすれば 基本的に 分業形態における人びとの協働の成果だということは わかる。けっきょく 両者いづれの場合にも おおざっぱに通用しうる見解としては どんな社会情況であれ 原市民社会の基本線が歩み出され継承されているのならば いづれの人であれ 市民のその存在じたいを 最終的な条件において 管理するなどということはできないし ましてや すでに存在そのものを抹殺してしまうことからは 自由でなければならないのであるゆえ 基本的にこの理由によって ある程度 首長の世襲制 ないし 国家という社会形態の存続が たもたれていたのであろう。

(つづく→2006-11-10 - caguirofie061110)