caguirofie

哲学いろいろ

#19

もくじ→2007-04-16 - caguirofie070416

第七章a さらに歴史を隠れたところで点検しこれを明るみに出す――聖徳太子のこと――

いま NHKテレビの朝の連続ドラマ《おしん》が好評をもって迎えられている。主人公は山形の人であるのだが きょう(一九八三年五月二十六日 正確にはその正午に) 秋田沖に源を発する大きな地震(M.7.7 震度5)が これら東北地方などを襲うという災害が起きてしまった。
ドラマで同じ主役を演じる女優・田中裕子さんが 以前 サザエさん――たしか《マー姉ちゃん》という連続ドラマ――に出ていたとき わたしはよく見ていたのだが 《おしん》は欠かさず見ているというわけではない。小林綾子ちゃんの演じる幼年時代を二・三度 そして少女時代をやはり二・三度見ただけであるが そして 《好評》の世論を私にうらづけるように そのときその都度 感動したのだが 今日つまり繰り返すと五月二十六日の放映分にかんしては わたしは しらけてしまった。そうして わたしの中で はじめに述べようとしたように この同じ日の突然の――地震やいつも突然の出来事だが――自然事象が 《おしん》のテレビ番組と結びついてしまった。(のち 津波による被害を出したが 《日本海中部地震》と名づけられた)。
この点にかんしては これだけのことなのであるが もう少しこの思いを分析しておこうとならば 次のように考えた。
橋田寿賀子の作るこの《おしん》には 感動させるものがある。つまり 人を感動させるポイントというものがある。そうして この感動のポイントが あたかも数珠つなぎで かつその情況と人びとの動きの流れるの中に あたかもコンピュータでその最善の結びつきをはじき出したかのように 作成されている。ありていに言って こうだと私は思った。地震は この流れの意識を分断したようだと。
けれども いま 聖徳太子の作ったとされる十七条の憲法 これも――好評の番組に憎まれ口をたたくのと同じかたちで―― ドラマ《おしん》であるという思いを捨て切れない。人びとは 想像において感動をたのしんでいる。精神の王国を迎えている。というのが 率直な思いであり この一章の議論の骨子です。
わたしはすでに このウマヤトのミコについては 論じたことがあり(《ゑけ あがる三日月や》また《サンクトゥス・アウグスティヌス》) 次の点であらためてここで取り上げておきたい。
十六世紀の半ば フランシスコ・ザビエルがやって来て伝える前に この聖徳太子の時代またはその以前に 少なくとも あの・中国で景教とよばれたネストリウス派キリスト教がこと地に伝えられたのではないか といった推測にかんれんしてである。少なくとも言ったのは このネストリウス派は 神の三位一体説にかんして 異端だとされているゆえである)。しかも いくらかおもしろいことに伝承じょう 東北地方には あのキリスト・イエスが 十字架の難をのがれてやって来たといった議論さえ人びとによって為されたと聞く。
わたしは 何も 憶測や伝説を 歴史的事実として認定せよと言っているのではなく 生活原理また方法にかんする自由な議論の それらは 一部であると思うからです。それは 一つのフィクションであれ 小説作品《おしん》が われわれの現実の一部を構成するといった観点と同じなのです。これは 日本人の歴史に そのものとして つまり現実の生活の一部であるものとして 同時に 全体的に あるいは 本質的に かかわっていると見ざるを得ないのではないか。
西日本の各地で ザビエルをはじめとするヨーロッパ人宣教師たちと 議論を交わした日本人たち かれらと同じ土俵の上に キリスト教との関係説という憶測のうえでの聖徳太子像や キリスト伝説をまじえたところの東北地方の人びとの生活観は 非常なかたちで かかわっている。
愛の王国を 精神において・だから 動態的な歴史としてではなく精神の王国として 観想しようとすること このことの欠陥については すでに 機会あるごとに 触れてましりました。だから 愛の王国が 前史から後史へ回転せしめられて捉えられる動態であるということは これを精神において認めるのではなく この精神を 前史のものであれ後史のものであれ 動態的つまり時間的でじつに移り行くものであると認めうる人びとによって 観想をとおして実現するのであると。
つまり 精神をとおして 聖徳太子や十七条憲法やキリスト伝説や《おしん》を捉え〔返さ〕なければならないと。
ここで 聖徳太子の歴史にかんして それを 隠れたところで点検し しかるべき方法としてつまり人びとの生活原理として 出すべきは 明るみに出すという作業の焦点は じっさいには――わたしに思われるのですが―― 国家の形成にかかわっている。言いかえると 縄文人の自給自足生活が 弥生人の交換経済社会へ移り その呪術的な無自覚が解放されると同時に 無自覚的な呪術への疑いはまだ解放されることなく むしろアマテラスなる人びとは かれら自身 呪術から解放されているにもかかわらず 解放されているがゆえに この疑いを捨て切らず 人間の知恵をほしいままに駆使し この新しい交換経済の価値をとおした人びとの互いの関係を 究極的に言って支配と被支配の関係に代えた。それによって これらの社会的な諸関係を綜合して 一個の大きな自給自足主体ともいうべき架空の像として 国家を作りあげて行った。
これらの過程の中に 聖徳太子は位置しており その憲法となった生活原理にしろ まだならない前の人びとの生活原理にしろ 方法として かかわっている。これが 一つの焦点です。
国家の形成そのものにかんしては 次の章でくわしく見てみたいと思うのですが 前章を承けて抽象的な議論として この過程の中での聖徳太子の位置ないし役割について考えてみたい。
ここでは 次の一点です。
まづアマテラスの疑いが人びとの生活関係にもたらしたものは その統治の形式において むしろ価値自由的に言って 支配と被支配の関係である。《おしん》の世界で言えば 地主と小作の関係。および 資本主義的な――剰余の増殖主義の――資本の中の人びとの相互関係 つまり いわゆる資本家的市民と賃労働者市民の関係。
そこで 時に聖徳太子は 正当にも このむしろ価値自由的な認識を なお同じかたちで・つまり反省的意識そのものの増殖としてのように 分析・批判していこうとは思わなかった。意識が 存在つまり交換経済社会における人びとの存在を規定することは出来ないので 正当にもであり この正当さは 反面で 反省的意識による真実の把握としての科学を要請してもよい そこまでは必要である ことを含みうる。このネガティヴな一条件のもとにおいてではあるが 聖徳太子は この交換経済社会人としての一個の知性ではあった。そして かれの主知主義を捉えておこうというのが ここで取り上げたい一点です。
それは かれの作ったと言われる次の一首の歌を例として 論じることができる。

    上宮の聖徳太子(しゃうとこのみこ) 竹原井(たかはらのゐ)に出遊(いでま)しし時 龍田山の死(みまか)れる人を見て悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首


家にあらば妹が手まかむ 草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ
家有者 妹之手将纒 草枕 客尓臥有 此旅人可怜
万葉集 巻三・415番。可怜=あはれの可は りっしん弁がつきます。)

これが 聖徳太子の愛のかたちです。交換価値の関係 この支配関係こそ分析していないが このような愛となってかれの主知主義は生きた。また それのみである。
かれも あの疑いを克服しなかったアマテラスの一員であったと言ってしまえば 議論はそこで終わってしまうわけですが 問題は別のところにもある。

  • アマテラスは 一般に 原始的な自給自足する呪術心性から解放されたのであるが 人びとは解放されているとは言えないという疑いを捨てない。ゆえに 自分も 疑いから自由ではなかった。克服していない。

(つづく→2007-05-05 - caguirofie070505)