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もくじ→2007-04-16 - caguirofie070416
第七章b さらに歴史を隠れたところで点検しこれを明るみに出す――聖徳太子のこと――
次のうたの評価をなそうとしている。
上宮の聖徳太子(しゃうとこのみこ) 竹原井(たかはらのゐ)に出遊(いでま)しし時 龍田山の死(みまか)れる人を見て悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首
家にあらば妹が手まかむ 草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ
家有者 妹之手将纒 草枕 客尓臥有 此旅人可怜
(万葉集 巻三・415番。可怜=あはれの可は りっしん弁がつきます。)
すでに次のようにも述べていた。
これが 聖徳太子の愛のかたちです。交換価値の関係 この支配関係こそ分析していないが このような愛となってかれの主知主義は生きた。また それのみである。
かれも あの疑いを克服しなかったアマテラスの一員であったと言ってしまえば 議論はそこで終わってしまうわけですが 問題は別のところにもある。
- アマテラスは 一般に 原始的な自給自足する呪術心性から解放されたのであるが 人びとは解放されているとは言えないという疑いを捨てない。ゆえに 自分も 疑いから自由ではなかった。克服していない。
さて たびを《客》と表記するところに 別の問題があると思う。
その限りでここで聖徳太子は――もしくは 《聖徳太子》が実在の人物でないとする場合には 要するに実在のウマヤトのミコにあてて《聖徳太子》をつくり上げたうたの実作者は―― 縄文社会から出て来た交換社会の人びとの生を たびであり客体として捉えている。この前提で もし 一方で 《〈家〉にあらば》と言うことによって むしろ交換経済から生る一個の支配体系としての国家にちょうど従いつつ つまりそのような弥生人の社会として生起して来たその意味で新しい生活原理〔の観念様式〕に従っていたならば かれは 《主体》となっていただろう 少なくとも主体として人びとに囲まれて生き死んだであろうと言っていると考えなければならないときには やはりかれは 統治者アマテラスの側にいる。また それのみである。統治者の側にいることは 問題でないかも知れない。ただそれだけだということ これは 寂しい。
他方で その同じ前提がつらぬかれて この交換経済社会の中での主体は 《旅人》であり 旅人であるとの自己認識をとおして むしろほんとうの主体(無自覚を揚棄した自給自足主体)となれるのだと言っていると考えられるときには さらに新しい生活原理を模索している。つまり スサノヲの歴史動態を見ようとしている。つまり 縄文呪術社会なる前史から 弥生交換社会なる後史へ移り この弥生人たちの後史をもう一度 前史として ここからの新しい後史への回転を 《旅人》の生きる過程として 見すえようとしている。
これがまづ 聖徳太子の主知主義の構造的なりんかくであると考えます。
ここからの議論は かれの用いた一つの言葉 すなわち これらの生の過程に対して投げかけられた《あはれ(可怜)》の語に焦点をあてなければならない。
ここでは 正直に言って あの疑いを捨てていない。すなわち 客体たる交換経済のなかで旅をする生に属(つ)き その経験的な愛を 愛している。スサノヲの新しい生活原理としての後史をのぞみ見つつ そののぞみにおいて 愛の王国よわがあわれみよと言っていると見なければならない。つまりむしろ 龍田山の死人を見て 同じ旅人たる自己をそのように憐れんでいる。この主知主義がいまの問題であります。
同じく客死したような人に対して あの柿本人麻呂がどう言ったかなど もはやここでは触れませんが そして それでは おまえは この主知主義に代わる新しい方法は何と考えるのかと問われるでしょうが これについても ここでは触れないとするならば 問題は じつに
何が後史ではないか 何が愛の王国ではないか 何があわれみの動態ではないかにかかわって来る。
《この旅人あはれ》と言葉をかけること これが われわれの方法ではない。あわれむのであるならば――自己をそして旅人をあわれむのであるならば―― じつに人は その前史が向きを変えられていなければならない。むしろ 疑いによって呪術を克服した新しい交換社会 これを前史と見ているはづである。じっさい 聖徳太子は――この点 キリスト教のというよりは ブッディスムの影響が見られてのように―― 前史と見ようとしている。たとえば 《世間虚仮 唯仏是真》。けれども なお人はこの前史にあるのだから その前史の母斑をみづからの力で振り切ってしまうのではなく むしろこれを身につけてのように その前史たる交換経済=人間と人間とのあたかも交換関係を超える方向に その身体が 動き出すはづである。
《あはれ》と言葉をかけて悼むことは この動きを 精神において 捉えた・想像した。そうしてこの精神の王国を 前史たる交換関係に代えようとした。微妙だが このようなむしろすり替えが ここで生起している。のではないだろうか。
前史から後史へ回転せしめられた新しい方法とは むしろ後ろ向きに前進してのように 前史の母斑を身につけている。それゆえに 自己をおよび他者を憐れむことが出来る。自己は愛の王国そのものではないけれど 自己の〔有限な〕愛をとおして このあわれみの職務を引き受けてのように進むことが出来る。そしてそれは 動態であり過程的であり過程的な解決・解放である。ここで聖徳太子は その言葉と情感において 精神において たとえば成仏といった解放を欲した。動態的な解放が 疑われたのである。
それではおまえは すでに死んでいるこの旅人に対して かれをよみがえらせるとでも言うのか。そうである。なぜなら この死せる旅人は わたし自身だからである。聖徳太子も そう思ったはづである。ただかれは これを精神の王国において想像において為した。もっともわれわれも 死んだ人を生き返らせるとは言っていない。(息を吹き返すことがあるかも知れない。しかしそれは ここでの問題ではない)。要は 死者がよみがえること。すなわち ちょうど同じ前史から出た者として その連帯によって 自己が――生ける自己が――よみがえること。この後史に立つこと――つまり愛の王国たる本史ではなく 後史に立つこと―― これは いくらか神秘的に見えようとも 現実可能である。なぜなら 聖徳太子もこの後史を 現実にのぞみ見ていたのだから。この復活が現実である。そうでなければ 《あはれ》と言葉をかける意味がない。
そうしてこの後史へ復活するのは 自己自身の力によってではなく 前史の自己の力が見放され 向きを変えられて 見放されていなかったと言ってよみがえることによってである。これを疑ってはならないのである。
そうでなければ 現代において 同じようにこの交換経済を 物象化論する意味がない。たとえ今 新しい生活原理に立った新しい社会が 全面的に 到来して来なくとも それを今 今としては 理論的に展望するのだ まづはこれだ というときにも このよみがえりを疑ってはならないし じっさい 疑っていず たしかに信じてそう理論するのである。理論するから 理論的に明らかとなるから 信じる・疑わないのではない。この後史は 今 交換経済の母斑なる矛盾をはらんで スサノヲが復活してスサノヲに生起するのだ。他の方法による場合には実際 これの準備段階でもないのだと言ったのである。
前史にいるわけであるから 準備段階でないこともないであろうが 歴史が始まっての前史と 歴史が始まることを望み見ての準備段階とは 別である。前者にあって人は 日本人の歴史をうんぬんすることが出来る。すなわち聖徳太子の歴史にかんして その隠れたところにあるものを点検し これをいま復活させてのように現在の明るみに出すことが出来る。この連続性に立たない場合は いわゆる教養としての歴史であり その後史の集大成は 精神の王国である。
われわれは このようなことがらを 時に応じて議論することができるし 議論してゆくべきである。《あはれ》と言葉をかける歴史の集大成を なお前史とし そこから解放されなければならない。このことは いま――交換経済の矛盾をはらみつつ いま――可能である。
もしこのことが なにか幽霊の復活のようだと考えられるならば 時に物象化社会なる客体を分析しその理論を提出する人びとは この客体こそが現実主体であって 主体たる自己は 自己がいますでに幽霊となって 死んでいるというのも うなづけるはづである。過程的解決であるならば 母斑の海に死につつ なおよみがえってのように 生きることが出来る。これは あはれと言葉を投げかけ その愛で現実を分析することによってではなく すでにあわれみの職務を引き受けてのように 自己および他者を愛し 啓発することによってである。しかしこれがなければ 歴史は始まらないと考えられた。
交換社会の中で精神の王国によって経済主体(あるいは学問主体)であることと 交換経済に対して その母斑の海に死ぬことによって社会主体となることとは 別である。後者も 殊に現代において 時として実現する――歴史が始められる すでに始められていた歴史がまた復活する――と考えられたのである。交換関係社会の自然史的な成長過程を展望することによって主体となることと 自然史的な母斑の中で主体となることとは ちがうと考えなければいけない。これは 日本人の歴史において 聖徳太子の〔隠れたところの〕の歴史に見られ この点検と顕教化は 現代の一つの要請であるのではないだろうか。
(つづく→2007-05-06 - caguirofie070506)