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哲学いろいろ

#23

もくじ→2007-04-16070416

第八章c 国家の問題

さらに現代へ向けて

我等ハ嘗テ或ル所ニテ日本神話ノ変遷ヲ講ジタルコトアリ。今其ノ大意ヲ記サンニ――と山路愛山は書いている。

  • つまり 呪術宗教体系の克服とその残存さらにその統治の問題としてである。また統治にとって土俵としての神話の問題である。言いかえると 交換経済の時代の交換価値体系を統治するための手段たる形而上学的な交換価値――象徴たるべき価値――の問題としてでもある。以下 ひらがな書きに従う。

本来日本は神国なるを特色とするに批評の斧もて其の神話を斥き砕かんとするは国体(――これが 形而上学的な交換価値=象徴のことである――)を害するものなりと云ふ人あり。
殊に近頃はどうしたことやら古の神道(――ここには 自給自足による縄文人の原形的な生活原理がうかがわれると言うべきなのかも知れない。戻ることは出来ないことだが。――)を復興し 敬神の精神を鼓舞すべしなど云ふ論を有力者の間に行なはるる様子なれば 彼等より見れば神典を批判するは不忠不孝の徒の如くにも見ゆべき歟(か)。
さりながら我等の思ふ所は大いに之に異なりたり。元来日本の神話は或るは仏者 或るは神道家など云ふものに利用せられ さまざまの泥を塗られたり。たとへば建久六年(一一九五年)に死にし中山忠親の著述と云ふ《水鏡》を見るに仏説を以て世の始めを説き 然る後神武天皇の記事に及び南北朝の乱れに官方第一の忠臣と云はれし北畠親房の《神皇正統記》を見るも同様なり。如之 《神皇正統記》には更に儒教を加へて神話を説きアメノミナカヌシのカミに木火土金水の五行の徳あり。それより水徳の神 火徳の神 木徳の神 金徳の神 土徳の神出でたりと云ふ。即ち儒教に謂ふ所の五行の徳おのおの神となりて現はれたるものなり。

  • 以下 論旨は同じであるが もう少し引用しておこう。

親房は又此の五徳の神も其の実はアメノミナカヌシのカミなりと云ひ 其の次に陰陽の神現はれ万物の始めとなれりなど云へり。忠親 親房二卿の志  固(もと)より日本の神典を破壊するに在らざりしは云ふまでもなし。さりながらそれらの書を著述したる時代には或るは仏説を以て神話に混じ 或るは儒教を以て古典を批判するは世の習ひにて所謂本地垂迹の説 若しくは神道など云ふものの行なはれたりしかば 二卿と雖もさる説を真とし不知不識(しらすしらず)日本神話の純粋を汚したるのみ。斯くて其の後神道者流〔が〕益々跋扈し神話を以て倫理 道徳 哲学を教ふる一種の経典とせんと試み・・・。
山路愛山〔1864〜1917〕:日本人民史 第十一章)

ごく大雑把な議論になるけれども かの交換経済社会の歴史においては 自給自足の生活原理とこれを解放する生活原理とそれへの疑いの対立関係が展開されたのであり 国家は これらのうち第三の勢力によって その対立関係を支配する手段として 人びとによって考え出された社会形態である。そうして おおきくは国家の時代にあって 一たん中世封建市民の交換経済関係を経たあと――そこでは 仮象的な家なる自給自足主体が 各領地に分割されたその中性封建時代を経たあと―― はじめの国家形態が復興してのように そこでは 交換関係を統治するその総体つまり国家を あたかも縄文人の生活原理を継いでのように 呪術的な(そして 第二呪術的という意味で 人工的な)自然形態であるとした。
この(2)の段階の はじめの神話(それは 生活原理が基調である)と この明治維新のときの神話とは 明らかにちがう。たとえ内容が同じでも その用いられ方に違いがはっきりと現われざるを得なくなっている。また (2)の段階のはじめの神話は (1)の段階の生活原理が 国家という土俵の視点から集められ体系化されたものである。(1)の段階すなわち 交換経済の最初の段階における生活原理は――当時は 神話というかたちでもあったわけだが―― 原史つまり縄文社会のそれを対象化し その呪術性を克服し あわせて交換経済主体性と自給自足主体性とを 綜合して解放しようと努めたものであったと考えられる。
言いかえると 明治維新による交換価値経済の再国家化は 生活原理の国家的な視点による体系化の最後の形態であり 国家の時代の移行にあたっての最初の段階でもある。どっちみち 《歴史》的な生活原理を ともあれ基調として継ぐものであるから。
交換価値の貸し借り関係が そこで より一層 国際的な場で 共同自治されて行こうとする転期にもあたっており これは 日本人の生活原理の国際化(世界史的な場での点検)でもあるが このことはすでに あのヨーロッパ人宣教師のやって来た時代に日本人は一度 通過していたのである。ということは キリスト教が世界のすべてではないとしても 《歴史》的な生活原理は 一度 吟味されており これの再吟味(時に性急な国家化としての体系化)なのであり この意味ではすでに 国家による交換経済の統治の復興であるその同じ事態において 国家の時代が 次の共同自治の形態へ移行を始めたと言ってもよいかも知れない。
同じように 縄文的知性と《歴史》的知性とそれの疑いなる知性との 交換価値経済をつうじての対立関係はそのまま 継続するのだが すでに この再国家化において この対立関係じたいが 再吟味されようと始めた。その証拠に現在では 福祉の時代と言われる。そのように 貸し借り関係が 再編制されようとしているのである。
自然史的な〔経済〕過程そのままで 言いかえると 前々からの統治者である疑う知性的なアマテラスに就き従って これを再編していこうとするか あるいは 交換経済社会じたいがその総体として むしろ日常的な貸し借り関係であり その動態そのものにおいて 人びとは 交換主体でありかつ自給自足主体であるという下側からの生活原理による突き上げによって 再編していこうとするかに違いがある。
もし歴史の知性が ここに直面しているとならば この現代は 歴史のつまり交換経済社会の 総決算の段階にある。すべての模索は なお従来の対立関係を継続させつつも この方向にあるといって言い過ぎではないと考える。山路愛山の言うところも この愛の王国の系譜は――その時々に ただちに 解放が成らなかったとしても その動態として―― 単なる宗教であるとか幽霊の歴史であるとか また精神の王国として見られるとかいうであれば それは こっけいである。自然史的な過程つまり必然の王国つまり前史を それは ただちに離れるのではなく かつこの前史には一度 死んだと言うからには その経験的な歴史そのものでもなく なおかつ歴史的であるのでなければならない。あえて言うならば これが 自由の王国であって それは 精神の王国としての自由の王国なのではない。
前史の母斑を身につけつつも 前史から回転せしめられ前史を覆い前史を総決算してゆく後史としての人間の歴史であるほかない。なぜなら この歴史は いまやっと始められると言うのではなく すでに 始められていたと見出したのだから。
この愛には まよいとおそれがない。前史をただちに離れず前史に寄留して愛してゆくぶんだけ 人をつまづかせないかという恐れがある。しかし そのように断絶していないぶんだけ 自由なのである。精神の王国 あるいは将来〔の像として〕の現実的自由の王国は――これらを表象し その想像において愛し生きてゆく人びとは―― その知性において むしろ前史と断絶した。あるいは 断絶していないと確かに知っているなら 知っていても あのただいまのアマテラスと同じように 疑いを排除しない。言いかえると自己の知性を疑っている。ただいま疑っているから 現在の精神の王国 あるいは将来の自由の王国に 時(歴史)の間隔をへだてて 信を置いたのである。《ここが ロードスだ。とべ》といった格言をあえて持ち出さなくてはならないであろうか。
山路愛山 ザヴィエルらと議論した日本人たち アマテラスと渡りあったスサノヲやオホクニヌシ 〔ここでは触れなかったが 聖徳太子と方法において対決した柿本人麻呂〕 かれらは その時代に自分自身の一生涯の歴史として そのロードスでとんだ とんで生きた。これは 愛の王国の歴史である。すなわち日本人の歴史。
前史たる交換価値経済の対立関係の中にあってこれを超えており(その主体性が 保持されており) なおかつ これを軽蔑し疑おうとは また 離れて精神の王国へ飛翔して行こうとは(これは 聖徳太子の場合である そうしようとは)しなかった。これが 自由の王国であり 人は これ以外のところに自由を表象しようとしてはならないのである。もちろん 神の国はいづこにかあるが それは この世にあっては 地上の国と入り組み混同している であった。この方法の論議は 人びとによって 隠れたところの歴史を点検しながらそれを明るみに出しつつ いま〔も〕為されてしかるべきである。だれも 信仰を強要していないし 悔い改めよとも言っていない。しかし 前史から後史への回転 これは疑ってはならないと考える。

  • 山路愛山には いくつかの議論があるであろうが 引用した文章など その表現において・表現をとおして 後史の動態を生きている。たとえ模索でも この過程がわれわれの歴史であると考える。学ぶべき点があり さらに点検していけばよい。

(つづく→2007-05-09070509)