#112
もくじ→2006-12-23 - caguirofie061223
第四部 ヤシロロジとしてのインタスサノヲイストの形成
第六十四章a 意志の科学は 交換〔価値〕を ヤシロロジする――母斑の世界では 人間つまりかれのやしろにおける立ち場(ときに神々)が 交換されている――
――§39――
聖なる徳なる魂の死は――その有り難い犠牲のうえに われわれがいま生活しているという感謝のこころと他者への思いやりのこころ このような共同なる観念は―― 目に見えない ゆえに 肉において存在する。アマテラス語化した精神の徳は きわめて肉的なのである。
前章の最後にこう書いた。ここには 二点 常識――つまり共同観念としての常識――に反すると思われる内容が見られる。一点は 精神の徳に対する言いがかりを言っているだけではないかというもの。もう一点は 目に見えないことがらを 経験科学の対象としているというもの。
けれども この命題のごとくでないならば わたしたちは インタスサノヲイスムが ヤシロロジストにおいて実践される気づかいは無用となると考える。そこに意志の科学のはたらく領域がある。
さもなければ モラトリアム人間(意志の科学の樹立が猶予された状態)となるか もしくは くにやしろ資本主義の自己崩壊を 福音信仰において 待ち続けるか どちらかであろうと見ていることになります。
前章において 後半で神学にかかわる議論をしていますが 表現力がさらに新しい人びとのあいだで増して 経験領域のことばであらわされるようになると見ています。それにしても たとえば《告白》の文章も さらにこれを預言(解釈)すればよいのであって つまり そうすることによって 新しい人びとの文章表現が現われてくると思われます。
さて すでに最後の一章であります。したがって また 最初の一章でもあります。
最初の章であるならば――そして 必ずしもこの書物の第一章に還るというわけではないとしたなら―― これにつづく新しい表現が たしかに行為されなくてはならない。されていくでしょう。これについて いま 何も持ち合わせていないのですが また 何も持ち合わせていないことによって 新しい踏み出し(§56)を欲しているということなのですが それにしても 少なくともこの第四部は きわめて粗雑であり――雑談(§56)と言ったことが 暗い密林をとおして道を切り拓くと言っていた(§51)そのことだと弁明しても 逆に いいわけだと思いますが―― ともあれ 最後の章として ふりかえって いくらかをまとめておくことは 枢要であるでしょう。
わたしたちは 急ぎませんし いそぐ必要も何もないとさえ言ってのように ここでまづ ひとまとめをしたいと思うのですが 逆に 性急な文章で次のように整理することにします。
わたしたちの求めているものは 意志の科学ではなかったか(§49・50以降)。しかも その判断の分岐点は 分岐のほうに重点があるのではなく その立脚点の共同主観であることのほうに 現実を見出していることでなければならない。
しかし インタスサノヲイストの霊的な共同主観であるからと言って ヤシロロジストでないということにはならない。むしろ現代では ヤシロロジストであることにおいて すぐれてやしろ資本連関として インタスサノヲイストの行動する場が 現われて来ている。また このことが 意志の科学を打ち出して来ざるを得ない所以でもあるはづだ。
けれども 新しい意志の科学も すでに うわさされていたと見出しているというのでなければならなかった。前史の栄光を見ていると言っていかなくてはならず しかも 後史の栄光は ほかならぬこの母斑の世界から生起してきたものであった。生起してくることであった。
母斑の旧館においていとなまれた知解(知識)の科学( sciences )が 用いられるということでなければならない。そればかりか この旧い城館において 意志の科学( discipline )は すでにおこなわれていた。わづかに 母斑の公式にのっとって 幻影の十字架にすべてが向かってゆくように おこなわれた。《私に背むいて公に向く》精神主義の精神。それには S者・肉に対する A者・精神の優位論 これが 夜と昼との二元論に立っておこなわれるところの《母》の親衛隊・アマテラス予備軍(その主義)が 関与不可能なかたちで――そのとき この関与不可能な精神を 引き受けさせられる・交換を押しつけられる子どもは 登校拒否・やしろ生活の拒否・また昼と夜とをあべこべに生活するようになると捉えられる―― 関係していたとわたしたちは見出していた。
新しい意志の科学は この母をのり超えて 新しい《S者性‐A者性の連関主体》として 新しい《S圏(自由都市連合)‐新中央A圏の連関形態》のもとに 自己を表現し 道を切り拓くということであった。
これが ははのくにの こころであると知った。これが ははのくにの心であると知ったゆえ そう宣言することができる。・・・
けれども まとめは この性急なまとめで もう十分であろうかも知れない。だからわたしは なお性急に次のように継いでいきましょう。
もしわたしたちが木の船に乗って この母斑の海をわたるのであるならば
である。
そうして あたらしい出立に 一つの踏み出し口をとらえようとするなら 万葉集のうたが出たところで あらためて わたしたちの内なる聖徳太子問題を そのための恰好の材料とすることができる。
こうである。
上宮聖徳太子 竹原の井に出遊(いでま)しし時 龍田山の死(みまか)れる人を悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首
家にあらば妹が手巻かむ 草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ
(万葉集 巻三・415)
このうたは 万葉集に収録されているものとしては 聖徳太子の作として ただ一つのうたである。(編集上の時代にかんする収録範囲として 基本的にかれの時代は入っていないこともその一因)。
また このうたは あの片岡山に飢えたる人の物語とそこでうたわれたという歌とに ほぼ同じ趣きである(§60)。
これに対して 何か言うべきことが――意志の科学すべきことが――あるとするなら つぎの柿本人麻呂のうたを まづ参看すべきであると思う。
柿本朝臣人麻呂 香具山の屍(かばね)を見て 悲慟(かなし)びて作る歌一首
草枕 旅の宿りに誰(た)が夫(つま)か 国忘れたる 家待たまくに
(万葉集 巻三・426)
題詞の中の《死人》(415番)と《屍》(426番) また《悲傷》(415)と《悲慟》(426)と それぞれの異同には 触れるまい(のちに触れることもあるかも知れない)。
結論を端的に言って わたしたちは 太子のうたに アマテラシスムを そして人麻呂のうたに スサノヲイスムを それぞれ例によって やはり捉えて読んでいる。415番のうたは いわゆる――いわゆる――思いやりに満ちている。そうして 426番は 屍に対してさえ その生命を思いやっている。こう言わなければなるまい。また このように捉えられる歌を われらが先人の表現に持つことを 誇りにも誉れにもわたくしは思う。
(つづく→2007-04-15 - caguirofie070415)