#108
第四部 ヤシロロジとしてのインタスサノヲイストの形成
第六十一章b 聖徳太子によって わたしたちの批判するアマテラス‐スサノヲ連関体制の観念的ないしずゑが敷かれた
――告白5・8・15――
母および母の地を去って ローマへ船出したアウグスティヌス。母を欺き その地に残して 旅立った。
風が吹き 船の帆をみたし 海岸は視界から消え去ってしまいました。その海岸に翌朝 母はかなしみで狂気のようになり 嘆きとためいきとであなたの耳をみたしたが あなたはかえりみたまわず かえって私を私自身の情欲によって奪いさりたまうた。
しかしそれは 情欲に終止符を打たせるためでした。
また 母の肉につながる熱望も悲痛の笞(むち)を受けたが それは当然でした。というのは かのじょは 世の常の母親たちがするように 私を自分のもとにひきとめておきたがっていたのですから。しかも多くの母親にまさって熱心に。そして息子がかのじょのもとを離れることから どのようなよろこびがあなたによってもたらされるであろうかということは知らなかったのです。
かのじょは知りませんでした。ですから泣きかなしんで かのじょのうちに 《うめきつつ産んだものを うめきつつ追いもとめる》というあのエワから引き継いだ遺産(創世記3:16)が 苦悶のうちにはっきりとあらわれてきたのです。
けれども 私の瞞着 ひどい仕打ちを責めたのちに かのじょはふたたび私のために あなたにお祈りしようと思いなおして 通常の生活にもどり 私はローマへとおもむいたのでした。
(告白5・8・15 〈母の意にそむいてローマにおもむく〉)
聖徳太子の立てたと言われる《十七条憲法》の第十五条は つぎのごとく。
私(わたくし:S者性)を背むきて 公(おほやけ:A者性)に向くは 是れ臣(やつこらま:S者市民)が道なり。
凡(すべ)て人 私有るときは 必ず恨み有り。憾(うら)み有るときは必ず同(ととのほ)らず。同(おなじか)らざるときは 私を以て公を妨ぐ。憾み起こるときは制(ことわり)に違(たが)ひ 法(のり)を害(やぶ)る。故(かれ) 初めの章(第一条)に云へらく上下(かみしも:A‐S連関) 和(あまな)ひ諧(ととのほ)れ。
といへるは 其れ亦(また) 是の情(こころ)なるかな。
(日本書紀〈5〉 (岩波文庫) 巻第二十二 推古天皇十二年四月)
これが あたかもモーセの律法であり 人間の前史の栄光である。《私を背むきて公に向く》アマアガリ スサノヲのアマテラス化 これは まちがいなくS者市民の道である。これを やしろ資本連関の中で やしろ資本推進力に固着して(なんとか共同主観して また A.スミスの言うように《同感》して) すすむとき 言いかえると ちょうど《ヒトコトヌシ‐オホモノヌシ‐オホタタネコ》の三一性的な共同主観のうちに やしろ資本形成がいとなまれるとき そのとき 《役病(えやみ)の気(け)ことごとく息(や)みて あめのした安らかに平らぐ》とうわさされたそのとおりである。
ところが このインタスサノヲイスムを 意志の科学としてではなく 《我れ思考するゆえに我が存在あり》と言ってのように 知解行為理論と化して この理論をもって律法とするとき それは はじめの生きた共同主観が 停滞した共同観念の《制(ことわり)》となることが起こる。見えざるやしろ資本推進力(和でもよい)が アマテラス語観念の客観共同となり 見えるやしろ資本形成も この客観観念共同(つまりお客なのであるから→)のおおいのもとに(つまり 人びとは遠慮して) 観念的にして・精神的ではあるがまた抽象的という名の《わたくし》なる・しかも実際には肉的かつ物質的な資本連関を 人びとの共同の――実際には 掟のごとき――話の水路また運河とすることが起こり来る。
すなわち はじめの《ヒトコトヌシ‐オホタタネコ‐オホモノヌシ》のインタスサノヲイスムが その生きた思想が観念的にアマアガリして 共同観念つまり《観念の資本》となって わたしたちにおおいかぶさる。そのようなうた そのようなメロディが やしろの隅々にまで鳴り響いている。あたかも人びとの心と心をつなぐ運河が 掘りめぐらされている。
このおおいである律法に違反しなければ 何をやってもいいと言うのである。つまり スサノヲ語を夜の世界に追いやってのように その昼の世界としてのアマテラス語においては ムライスム・ナシオナリスム律法に違反しなければ この行ないをもって人は 正しい人となると 共同に幻想を見ることになる。そこにも あたかも観念のやしろ資本推進力が存在するかのように思われることが起こりうる。
すなわち 観念の愛 観念の霊である。というほどに 身体(地域)共同和という運命共同体である。
この観念共同の霊が来るためには 聖徳太子は去りゆくことが 運命づけられた。なぜなら 《わたしが去りゆかなければ 聖霊はきみたちのところにやって来ない》(ヨハネ16:7)というインタスサノヲイスムの原理を アマテラス語の化象現実的に 収奪してそういう宗教を創ったからである。ウマヤトのミコは 是が非でも去り行く必要があった。けれども かれのアマテラシスム(観念の交換価値=《世間虚仮 唯仏是真》。世間は虚仮だから アマテラス語観念共同の《憲法》のもとに これをアマテラス語において=昼の世界においては守れば あとは何をやってもよいという奴隷の自由主義)をよく体した・遺されたA圏の人びとは かれウマヤトの死だけでは 不十分だと考えた。
アマテラス‐スサノヲ連関体制の永遠性のためには ウマヤトのミコひとりの死だけでは十分ではないと よくそのアマテラシスムをまなびとった。しかるがゆえに 理由は何であれ 太子の一家・一族は すべて滅亡する必要があった。事実 そうおこなわれた。きのこ料理は むしろ 一般S者市民が食べさせられるはめになった。
聖徳太子の霊が舞うのを見たのである。
時に昭和四十六年四月三日 場所は法隆寺の中庭である――聖徳太子一三五〇年御聖諱記念聖霊会にて――
(梅原猛:塔 4・5・1 梅原猛著作集〈9〉塔 (1982年))
と言う人が現われた。わたしたちは 《見た》事実を 否定しようとは思わない。悪霊も霊であるから 不死である。けれども もしこの文章(判断)をもって 人びとが《惶(かしこ)まる》あるいは《恐れ》を持って なお《ねたむ神》と表現されてこそ信じられるというような前史母斑の世界にいるというのであるなら つまり その世界へとゆえなく渡されるというのであるなら この悪霊は それをわたしたちが徹底的に憎むべきであり かく言う梅原猛その人をわたしたちは 徹底的に愛さなければならない。やしろ資本推進力のためにやしろ資本推進力を愛し やしろ資本推進力のために人間を愛する。
(つづく→2007-04-11 - caguirofie070411)