caguirofie

哲学いろいろ

#3

もくじ→2006-11-03 - caguirofie061103

第三章a しののめの雲

しののめは 東雲と書くけれども あけぼのとほとんど同じ意味で やはり夜明け方のことを言うらしい。その時に空にかかる雲のことを論じる。


十八世紀 イギリスにおける産業の――勤勉という生活ないし生産の態度の――革命のあと さらに大きな科学技術の革新をもって 一般に 生産を高めてきたから 消費生活をもゆたかにすると同時に 交通関係の地理的な範囲をひろげることとなった。人間のまじわり・つきあいとしての交通が いわゆる通信も含めて 人間の行き交い・特に乗り物に乗って より遠くまで行き来することという意味あいで つよくなって用いられるようになった。そのことの出現するまでにも もちろん 或る一個の都市国家的な市民社会を越えて 多くの共同体を 一般に 民族(言語)を同じくするところの範囲にまで広げて とりまとめる統一的な共同体すなわち国家は おこなわれていたわけであるが 上の意味での科学技術的な交通手段・通信網が発達すると・つまりあるいは それらを発達させることによって この 諸共同体を統一する国家は かんたんに言って 息を吹き返した。
はじめの原点市民社会は おおまかに言って このような総体的な歴史のなかに その基本路線を 動態的に――時に 密教的なかたちで――持ってきたわけである。と想定するわけになる。
はじめの旧い時代の 共同体と共同体との交通関係は 時にしばしば 敵対的となり よく争ったかも知れない。或る共同体の覇者が 諸共同体をまとめて 国家なる大共同体をつくりあげ 主宰することにもなった。その中の一共同体は 国家に対して 抵抗したかも知れない。そしてまた この一国家は 他の国家と 敵対的な関係にも入り 戦争を繰り広げた。諸国家を統一する超大な共同体は 一般に これまで現われていないと言うべきだろう。
一つの村あるいは都市国家としての共同体が 原点としての市民社会であるとしたなら 上のような歴史の中にも その基本動態をたどって見なければならないわけである。
要するに 国家という社会形態は いったいどういう交通関係の社会であるのか 差し詰め これが 問題の焦点である。
つぎのような視点からさぐっていってみよう。
まず 前提として 貨幣の問題は 依然として 別とする。また じつは 武力の問題も 直接にはあつかわない。貨幣の問題は 貨幣の存在をたとい前提していなくとも 人がその余剰生産物ないしいわゆる財産を どれだけ他より多く持っているか――それは 仕事における勤勉さの度合いに由来すると考えられた また じっさい そういう一面もある―― つまり言いかえると 生産の勤勉さ・交換の知恵 の成果としての経済的な(すなわち すでに貨幣的な)評価の側面で 人びとの交通関係じたいも 評価されるということ これと 貨幣の問題は つながっており いま たとえば政治職たる市長に誰をえらぶかにあたって 人物評価の面で 間接的に 〔貨幣の問題は〕 あらわれるであろうと見ての上である。
武力の問題は こうである。貨幣の流通のあるなしを問わず 経済的な・つまり貨幣評価的なちから(一般に生産力)が 社会的な交通関係における人間の評価の全体または基本だと考えられたとするなら こうだとするならば そこで この経済力にもとづく評価による人物の たとえば市長職への 選挙がおこなわれたとしても それは 社交的=政治的なその人の知恵とちからが 経済生産的な知恵とちからによって 生み出され認められたということにはならない。たといそうであることが 経験じょう一般であったとしても それを認めるところの(――やむなくの場合をふくめて――)人びとの一般の同意が すなわち市民社会の原点への人びとの理解が これをおこなっていったのであり ささえたのである。それゆえ 上で 《選挙》ということばを 用いたのである。
やっかいな言い方かもわからないが いま 仮りに 経済力イコール政治力そして果てはイコール人物の全体的な評価であるといった交通関係についての考え方が おこなわれたとしたなら そうだとしても そのようないわゆる世論といった交通の理論が 具体的な人物としての市長やあるいはその制度やまたかれの政治を ささえているのである。少なくとも そういった社会分業の形態に 人びとは 同意したのである。すなわち これは 原点としての市民社会の制度的な内容であり たしかに この点でも 一見 まぼろしの原点だと見えたとしても この歴史社会は 民主社会であることを意味する。たしかにそうであるならば そのとき 世論があやまっていたとすれば これについて 自由に議論し 新しい交通の理論へと変革していけばよいのだから。《人間の誕生》を前提するならば こう考えざるをえない。
これと同じように 武力の問題も考えられ またこれを 直接にはあつかわないことができる。そのこころは 武力が やむなくにせよ同意によってにせよ 市長推戴への人物評価の全体または基本だとされたばあいにも これに やむなく譲歩しまたは積極的に同意したという人びとの民主総意の交通関係が まずはつねに 基本線として 歩み出されているであろう。他の共同体が自分たちの共同体を 武力によってまったく不条理に 征服し また支配するにいたったという場合にも 基本線は同じく有効であって 民主社会の原点じたいが 消滅したとは 誰も見るまい。――ほかに 人びとをだましてその同意を取り付け 市長におさまった等々のばあいも 事は まったく同様なのである。
むしろ まぼろしの原点のゆえに 原点は 有効である。
だとすると――だとすると―― あの国家は じっさい この原点市民社会に対して どのように あらわれてくるのか。
むろん 上に別とすると言った経済力・武力(つまり 両者とも それの一辺倒)あるいは詐欺力などなどにうったえて 一共同体の市長におさまり はては 諸共同体をたばねて その国家の首長として君臨するという そこから 国家があらわれる場合もあるわけである。だが このような場合は やはり別とすると重ねて言うそのわけは これらの場合でも まだ 人びとの同意が――あたかも世論の動向として またそのちからによってのように―― この市長ないし国家首長を かんたんに解任することができるのではないか。詐欺のまぼろしが解けてしまえば ひとたまりもないだろう。これらは 国家という社会形態の 原初的な――しかし ほとんど有効でもなく決して有力でもない――あり方であるとしても 大いなる一共同体という・それに固有の いままでとは別様の 交通体系をもつには いたらないと言わなければならない。
さすれば固有の交通体系をつくりあげて君臨してくる国家という第二次の市民社会は なにが その誕生をささえることになったのだろうか。
近代の市民社会の直前の旧い交通体系は 一つに 重商主義(商業主義)である。これは 旧い帝国主義とも呼ばれるように 近代市民社会の第二次的な発進が その資本主義にもとづく帝国主義という一つの交通の考え方を持つに至った。この帝国主義重商主義 またその意味での資本主義が やはり国家に固有の論理である。論理だというのは それも 一つの交通理論であり 理論として自由に宣べられたことから出発していると思われ それは精神の所産なのであり これらの限りで 世論にもなりうる。したがって たとい外形的のみにしても はじめの民主社会原点に かなっているという意味である。
この内容をただちに見てみなければならないが この国家のささえは 経済力・武力・詐欺力にあるのではなく ――そのもっとも根底的なものは あの市民社会(商業社会)という基本線にある すなわち この国家という社会形態に対して 矛盾対立しまた敵対的な関係にあるかたちでとしてさえも この基本線ではあり そして直接には―― 商業社会の交通形式を 商業第一主義とするところの交通体系にある。ふつうの商業社会としての民主社会の原点と 同じく民主社会であるところから発生した商業主義という交通理論とは この具体的な一個の市民社会の中に入り組んでいる。
おそらく わたしたちの定義(想定)からすれば 国家形態にまで至らしめるような商業主義は 民主的な交通形式の(だから むしろ そのイデアの)第二次的の発進であり しかも それは 何のまぎれもなく 人びとの精神の所産なのである。
分業を交通形態とする市民社会は その交換という交通行為に注目すれば 商業社会である・市が立ち モノを取引きし 交通しあう。つまりこのような制度は 人びとがそれに同意したのであるから 精神の所産である。自然にできあがったのだという場合でも つまりモノをやり取りしたいという人間の自然本性にのっとって できあがったのだと見る場合でも この自然本性に人びとは 同意した ないしその存在を認めた。そのあとの 分業形態としての市民社会が 原点としての歴史社会であるという想定なのであった。この限りで 分業の発生ということじたいにも 精神的な考えが からまっていたであろう。この社会に住む人間の その場(脳裡)・力(能力)としては同じ精神の中に 商業社会を 商業主義の社会へと変えようという一交通形式(つまり考え方)が生まれた。
(つづく→2006-11-06 - caguirofie061106)