caguirofie

哲学いろいろ

#2

もくじ→2006-11-03 - caguirofie061103

第二章 あけぼのの 弁明また弁明

人類は誕生していたが 人間は誕生していなかった。自然的な共同体は いとなまれていたが 自然を・共同体を対象として確認しあう社会は まだであった。かつ 人間の誕生も社会のいとなみも その以前には 潜在的であった。以前にも 潜在はしていた。これが 顕在化し一人ひとりに自覚されたとき 歴史が誕生した。こういう想定で――どこへ行って どうなるのだろうと むしろその不安を楽しみつつ―― はなしを進めていこうとしている。
ちなみに こういうふうに想定しておくなら もし いや 人類の誕生と同時に 人間は その時点ですでに 誕生していたのだという意見があったばあい すなわち言いかえると いわゆる原始的な社会ですでに人間も歴史も 誕生していたのだというばあい この場合に対して わたしたちは――そういう表現ないし説明の仕方を取ろうとは思わないが―― 潜在と顕在の違いということで 話の進め方としては なっとくしていただくよりない。
また もう一方で いや そうではない それは見方が甘いのであって 歴史の誕生は 自然をただ対象化して確認するだけではなく たとい自然を征服せよというのではないとしても 自然から人間が自立するようになること および したがって 共同体的な自然はこれを解体させてこそ 社会が自由にいとなまれるようになるのだということ これらに始まるのだという意見があったばあい さらにすなわち――大筋では――いわゆる近代市民の時代が 歴史の原点だというばあい 
これに対しては くわしい論議をしてみなければならないが あらかじめ――とりあえず―― やはり第一の意見の場合とちょうど同じように この第二の意見が言う歴史の原点は わたしたちの上の想定で言う歴史の原点において 潜在的であったという説明の仕方で 乗り切りたいと考える。
ただちに言うとすれば わたしたちの言う原点であったものが 近代という歴史の原点から見れば まだ潜在的なかたちのもとにあるとさえ言うのに それをなぜ 基本的に 歴史の誕生というのか。すなわち これに対してあらかじめながら 自然からの自立は なるほど そうであったとしても 共同体の解体という点では その自然的な共同体の要素じたいが まったく自立的に内部から いわゆる近代合理性の社会へ脱皮したという基本線だけを そのばあい 含むとは必ずしも見られず それだけではなく 早く言うとすれば 国家という社会形態が わざわざ 解体させてしまった側面もあるのではないか。
すなわち いくつかの共同体のあいだの分業形態の段階だけではなく それらをさらに一つにまとめて統一する国家としての分業形態が つまり これから見てみようとするように 交通関係においてすでに見られた余剰を そのことのために 蓄積し拡大再生産することを追及する国家が――じつは一つのおおきな共同体として―― はじめの共同体を解体させてしまった。とすれば これは 歴史の原点ではなく 原点からの逸脱である。その嫌疑がかけられる。としたら 近代市民の社会は 人間の誕生・歴史の誕生という原点と この原点の普及としての基本線とを 両方 もっている。だから どうのこうのと言うのではな――今は――なく そうとう古い時代に 原点社会を想定したほうが わかりやすい。
つまり いわゆる産業資本 すなわち 共同体からの自由な人間が 道具また生産の手段を新しく発明して はじめの共同体レベルの分業形態を新しい交通関係へ促していく動き このいわゆる産業資本が 共同体を おおいに近代市民の社会へ脱皮させたのだというぶんには これは われわれの想定でいう潜在的であった歴史の原点が 顕在的に さらに大きな力を持って 誕生したのだと考えられる。そして ただ このときにも 産業資本が この初発の段階からさらに 上の国家による動きと呼応してのように ここで誕生し自立した新たな共同体を やはりむやみに そのうえ解体させたのだとしたなら わたしたちの想定のほうを 一つの出発点として 議論に入りたいと思うのである。
それらの場合は――つまり 初発の近代の出発点のあと ことに すでにいわゆる資本主義として 第二次の発進のばあいは―― はじめの人間の誕生かつ歴史の誕生における市民社会的な分業形態を さらにその上のレベルにおいて もっぱら余剰を獲得しようと追求する第二次のわざわざ輪をかけた繭のような統一分業形態を かぶせることになったのだと あらかじめながら 見たいからなのである。
したがって 第一章《あけぼの》として叙述した限りでの原点社会 このときにも 原点の基本線だけではなく それからの逸脱の嫌疑がかけられる動きが あったのだとも 言うことになる。



おそらく 人間の人間たることに おどろきを もしくは なぞを なくしてしまう必要はないであろうから おどろきを持ってながめた自然に囲まれて 人間のあいだに 生きていることで その自然や社会を対象としても捉えうるようになりさえすれば 人間は誕生した(すなわち 自己が自己に到来した)・また歴史が誕生したと 言ってよいのだとおもう。
社会の誕生 すなわち原点社会は 新しく誕生したふたりの人間をもって はじまるのだと。(社会として ひとりではなく その主観の共同性の成立という意味で ふたりと言う。)歴史の誕生とか歴史の原点とかいうばあいは 人間のそれと社会のそれとの両方を含めて言うとしよう。
自己が自己に到来した人間たちは その自己認識に――自己の知恵の同一性に――もとづき しかるべき分業形態(社会的な役割の分担)をとって 社会をいとなんでいく。すなわち 誕生した人間と人間との関係にもとづき 交通しあっていく。こうして 生産・交換・消費の相互交通をすすめていくならば この 誕生したはじめの 共同体は 市民社会である。交通の中の交換に重点をおいて捉えるならば 商業社会(市場の成立)であり 共同体の一つのまとまりの観点から見るならば いわゆる都市国家である。
関係の主体(つまり 人間の自己が到来するべき自己)についての考えは あのおどろきや謎についての観想として 信仰という生のことであろう――それが 経験的な交通の過程で普及していくなら その形態は いわゆる宗教になりうるであろう――し この宗教ともなりうる経験的な交通についての考え・決まりは 生活の習慣的な側面として 慣習・習俗・倫理(以上 エートス)であり おきて・のり(法)でありうる。はじめの共同体の次元の 商業社会ないし都市国家としての 交通のルールであり 全体として市民社会の規範的な交通形式のことである。規範は 科学・学問に通じる。分業社会での交通にかんする形式(イデア)や形態(制度的)を考察していく学問が 潜在的に萌芽としてにしろ 始まった。
これが 社会の誕生であり わたしたちの想定する歴史の原点なのである。
一つには ここから 政治が さらに 分業化してくるであろう。生産〔・交換・消費〕が分業化し この分業が 一定の共同体として組織的となり 社会の形態として制度化してくるなら これらの交通を整理する役割として 専門的な政治も あらわれ この限りで これに人びとは 同意していくであろう。
社会の全体から見て 生産は あまねく その基礎である。これは 分業形態として 各共同体(商業社会・都市国家)に 一定の社会組織をかたちづくっている。この生産を基礎とする社会組織を 交通整理する役割 この役割に或る意味で専念するところの政治である。つまり かんたんに 市長という職務のことである。(市議会と言ったほうがよい。)
いま 思弁的に議論していることになるのだが この市長をもった政治社会も この限りで とうぜん 市民社会であり この政治という交通整理の専門的な職務をもっているとしても――また そのように持つことじたいにおいて―― それは 取り立てて言わずとも いわゆる民主社会である。慣習は 民主的な相互の交通の中から出て来たものであるし 法律(むろん不文法でもよい)も同じくである。市民たちが 自由に議論し 自由に同意したその市民社会の基本的な成り立ちであるほかない。たとい市長職が 簒奪されたばあいであっても あるいはその共同体が まるごと 他の共同体に征服され支配されている場合でも はじめの市民社会の基本線(つまり 歴史の原点)は 変わりないわけである。いささか それらの場合 風通しが悪くなったとしても。
つまり 議論の思弁性が 抽象的であるとしても また じっさい 抽象的にこそここでは言っているのであるが 現実から離れたわけではない。《原点社会は それが基本的に民主社会であるしかないとしたなら 仮りにそこに独裁市長が現われたとしても 原点社会が民主社会であることに変わりはない》と言ったわけである。むしろ 言うとすれば たとえばこの征服されたなら征服されたという経験現実にのみ つきすぎた議論は 現実・社会・歴史から 離れていくか もしくは それを見る視点を 倒錯させるかするものなのである。(何もしないたたかいが初めにあって その基礎のもとに 独裁市長を その人間自身に向き変えらせ その自己自身の回復をはかるように もっていくのがよい。)
そして わたしたちは 原点社会は すでに市民社会であると同時に 民主社会であるしかないが その原点からの逸脱は あたかも自由にありうると 述べていたわけである。
いまはまだ 相当古い時代のことを――しかも なんらの考証もせずに――言っているのだけれど その共同体の時代で 人間の誕生を見たあと 一定の《生産‐自治‐社会組織(決まり:秩序の記憶)》の連関から成る社会の成立を見るなら これは 原点としての歴史社会であるにほかならないであろう。


問題は 現代から見て ほとんどただちに いわゆる西ヨーロッパに始まった近代の市民社会に飛び これの成り立ちを考え 旧い市民社会の原点の想定との 照合をおこなうことにいくだろう。
問題点は ふたつある。一つは 産業革命。もう一つは 国家の問題。
国家は 産業革命の以前にも すでにあったわけだが そのここで言う国家は はじめの市民社会としての都市国家のことではない。いくつかの都市国家を 一つの大きな共同体にまとめあげた別様の交通関係・分業形態をもつ集団であり これは 産業革命ののちも 言うとすれば 生き延びている。国家という社会形態と はじめの市民社会(想定した原点)との異同が 一つの問題点。
産業革命は 科学知識の発達にもとづいている。科学知識とは 自然に対する(そして 社会という第二の自然に対する)人間の交通関係についての知識である。これは この時期に ヨーロッパにおいて 飛躍的に高まった。おそらく わたしたちの想定では あのはじめの市民社会の成立の時期から 連続していると見ることになるのだが――言いかえると もし近代の直前のヨーロッパ中世が この自由な科学知識の獲得を阻むところを持っていたとしても その中世の交通関係を打ち破ったという点をもって 近代が市民社会的な交通の原点だと見るよりも それは われわれの想定するすでに 中世より以前の 市民社会原点の復活だと見ることになるのだが――
この点では あまり争おうとも思わず わたしたちの想定は 言ってみれば原点市民が 同時代人として ふたりそろえば 原点社会の成立 ということなのだが これを まぼろしの原点だといわれても その点では あまり争おうとは思わず 話を 想定としてなのだから 強引にすすめていこうと思えば
ともかく 産業革命をとおして 個別的な生産の たとえば工場における 新たな科学的・合理的な分業の展開によって 人びとの交通関係も その機械による生産の恩恵をうけて あらたな形式や形態をとっていくようになる。社会の誕生という原点においても 市民社会は 科学知識について自由であったが このヨーロッパ産業革命の時期から その自由な研究・活用は 飛躍的な成果をあげ はじめの原点社会を 内容において 少なくとも産業の振興による経済的な交通の面で ゆたかな社会へとおしすすめていくことに おおきなちからがあった。
こうして見ると ヨーロッパ近代人による交通原点の自由な・かつゆたかな復興を けっして軽視するわけにはいかないけれど 一つに 歴史の基軸として ふるい時代の或る時点における市民社会誕生とその自由な展開(つまり 自由が いろんなかたちで 圧迫されたとしても その不自由に抗する自由な展開)という基本線の歩みがあって もう一つに この産業革命期の前後の時代における 国家という社会形態の出現と展開が見られる。そして 市民社会の基本線と 国家という社会形態との 構造的な成り立ち これが 産業革命以後の歴史として どうであるかが やはりここで問題の焦点としたいところである。
(つづく→2006-11-05 - caguirofie061105)