caguirofie

哲学いろいろ

#155

もくじ→2005-05-13 - caguirofie

第三部 キリスト史観

第七章 《妻籠みに八重垣作る その八重垣を》

第八節b 《八雲立つ出雲八重垣 妻籠みに八重垣作る その八重垣を》

わたしは 何を見たのであろうか。わたしは なにを見たと きみは言うだろうか。


   八雲立つ       夜久毛多都
   出雲八重垣      伊豆毛夜幣賀岐
   妻籠みに       都麻碁微爾
   八重垣作る      夜幣賀岐都久流
   その八重垣を     曽能夜幣賀岐袁


原文表記には 別の微妙な意味あいが伝えられているのではないか。もし《都久流》のニュアンスではなく わたしたちがいま顔を赤らめるようなそれが伝えられているとしたなら それは 強靭な精神力 いや霊的なるアマアガリの時間を見るべきではないか。しかも《夜》は その夜という顔蔽いは むしろ タカマノハラなるA圏と その自己の昼と夜とを交換してしまった結果なのではないか。この国譲り(ここでもそうだ)なる敗北のうちに スガスガしき勝利を見ているのではないか。この勝利が いまでは 《都麻碁微爾》を 《都麻互美而 あるいは 五味荷 あるいは 語弥而》と変えてのように うたわれているのではないか。なら 夜は ふたたび かの昼と交換すべきではないか。
神の類似への転倒した欲望を糾弾すべきではないか。神が譲れと言ったから交換しましたと言い訳すべきではないのではないか。この転倒を もとのやしろに返すべきでは。みづからに 転倒した欲望のないことを誇るべきではないのではないか。糾弾するべきは その誇りに対してではないのか。倒錯した人びと かれらは そのことによって すでに損なわれ 傷ついた史観が癒され 回復するのではないか。かれらは そのことなしに存在し得ないのではないか。
妻籠みに八重垣作る》その時代ではないのか。《八雲立つ出雲八重垣 その八重垣を》 きみは みなかったか。見たのなら きみはすでに そのほかの顔蔽いを取り除け。



付録として。

雅歌(ソロモンのうたの中のうた)

   そなたの口よりくちづけの中のくちづけ
   をわたしに・・・あなたの
   やさしみは ぶどう酒にまさり
   あなたの匂いは 香あぶらのように
   満ちあふれます。それゆえ
   おとめたちは あなたを
   愛するのです。
   わたしを
   伴なってください。わたしたちは
   あなたに
   ついてまいります。王が
   わたしを その室にともなわれるとき
   わたしたちは喜び
   あなたによって よろこびを
   持ちます。
   わたしたちは ぶどう酒にもまさる
   あなたの優しみを
   よび求めています。
   わたしたちが
   あなたを愛することは ゆえのない
   ことではありません。
   わたしは
   黒い肌ですが
   でも
   きれいです。
   エルサレムの女性たちが証人です。
   それは ケダルの天幕のようです。
   ソロモンのとばりのようにです。
   わたしが肌が焼けているからと言って
   ――それは太陽が灼いたのです――
   わたしを見つめないでください。
   わたしの母の息子たちは わたしを
   かたきにして怒り わたしに
   ぶどう園を見張らせました。
   でも
   わたしは
   そのぶどう園をまもることは しません
   でした。
   わたしの
   こころより愛するお方よ おしえて
   ください。あなたは
   あなたの羊の群れを
   どこで養い
   昼にはどこで休ませるのかを。
   わたしは
   あなたの仲間の群れのそばで 身を隠して
   いるような
   そんな人にさせないでください。


   もし
   女たちのもっとも美しき者よ
   あなたがそれを知らないなら
   牝羊たちの通った跡について行き
   あなたの小山羊を
   羊飼いたちの住むかたわらで
   養い育てなさい。
   わたしの伴よ わたしは
   あなたを ファラオの車の
   雌馬にたとえよう。
   あなたの頬は首飾りのなかで美しく
   えりあしは真珠をつらねて 輝こう。
   わたしたちは あなたに
   銀を散らした
   金の首飾りを差しあげよう。


   王が
   王が 伴とともに その席についたとき
   わたしの
   わたしの香油は その匂いを
   放ちました。
   わたしの愛する方
   それは
   わたしにとって 没薬の袋なのです。

   わたしの胸で 憩いを

   見出します。

   わたしの愛する方

   それは わたしにとって

   ヘンナ樹の花ぶさなのです。

   エンゲデのぶどう園に生える花ぶさです。

   わたしの愛する友よ あなたは美しい

   あなたは美しい

   あなたの

   眼は

   はとの目のようだ。

   わたしの愛するお方 あなたは美しい

   あなたは雄々しい。

   わたしたちの床は 緑のなかにあり

   わたしたちの家は 梁は 香油

   たるきは いとすぎです。



  第二章

   わたしは シャロンのばら

   谷の

   ゆりです。

   ゆりのように

   わたしの愛するお方は おとめたちの中に。

   林の樹々のなかの

   りんごの木のように

   わたしの愛する方は ひとびとの中に。

   その木の蔭にわたしは坐ります。

   その実は わたしの口に甘いのです。


   かれは酒宴の家に連れて行った。
   わたしの上にひるがえるかれの旗は愛であった。
   干しぶどうを持ってわたしに力をつけ
   りんごをもって わたしに元気をつけてください。
   わたしは愛のために病みわづらっているのです。
   どうか かれの左の手がわたしの頭の下にあり
   右の手がわたしを抱いてくれるように。


   エルサレムの娘たちよ
   わたしは かもしかと野の雌じかをさして
   あなたがたに誓い お願いする。
   愛のおのづから起こるときまでは
   ことさらに呼び起こすことも
   さますこともしないように。


   わが愛する者の声が聞こえる。
   見よ かれは山をとび 丘をおどり越えて来る。
   わが愛する者はかもしかのごとく
   若い雄じかのようです。
   見よ かれはわたしたちの壁のうしろに立ち
   窓からのぞき 格子からうかがっている。

   ・・・
   わが愛する者はわたしたちのもの わたしはかれのもの。
   かれはゆりの花の中で その群れを養っている。
   わが愛する者よ
   日の涼しくなるまで 影の消えるまで
   身をかえして出ていって
   険しい山々のうえで かもしかのように
   若い雄じかのようになってください。


   わたしは夜 床の上で
   わが魂の愛する者をたづねた。
   わたしはかれをたづねたが 見つからなかった。
   わたしはかれを呼んだが 答がなかった。
   《わたしは今 起きて 町をまわり歩き
   街路や広場で わが魂の愛する者をたづねよう》と
   かれをたづねたが 見つからなかった。
   町をまわり歩く夜回りたちに出会ったので
   《あなたがたは
   わが魂の愛する者を見ましたか》と尋ねた。
   わたしがかれらと別れて行くとすぐ
   わが魂の愛する者に出会った。
   わたしはかれを引き留めて行かせず
   ついにわが母の家につれて行き
   わたしを産んだ者のへやに入った。


   エルサレムの娘たちよ
   わたしは かもしかと野の雌じかをさして
   あなたたちに誓い お願いする。
   愛のおのづから起こるときまでは
   ことさらに呼び起こすことも
   さますこともしないように。


   没薬 乳香など 商人のもろもろの香料をもって
   かをりを放ち
   煙の柱のように 荒野から上って来るものは何か。
   見よ あれはソロモンの乗り物で
   六十八の勇士がそのまわりにいる。
   イスラエルの勇士で
   みな つるぎをとり 戦いをよくし
   おのおの腰に剣を帯びて 夜の危険に備えている。
   ソロモン王は・・・
     (雅歌 1:1−3:9)

(つづく→caguirofie071018)