caguirofie

哲学いろいろ

#156

もくじ→2005-05-13 - caguirofie

第四部 聖霊なる神の時代

第一章 神は愛である

〔27〕(原典の節区分)
私たちは この鏡をとおして この謎において見ることが出来た限り 父と子について十分に語った。今や神が私たちに見ることを許したまう限り 聖霊について論議しなけれならない。

  • と《三位一体論》の最終第十五巻第十七章を アウグスティヌスは始めます。われわれは 以下にその最終の第二十八章まで 《聖霊》についての論議を読み わたしたちの第一部ないし第三部までの議論を 整理しつつ 振り返ってみたいと考えます。

聖霊は 聖書によると ただ父〔なる神〕にだけ属するのでもなく また子〔なる神〕にだけ属するのでもなく 父と子とに属する。それゆえ 聖霊は父と子が互いに愛し合われるその共通の愛を私たちに示唆する。しかし神の言葉(聖書)は私たちを訓練するために 私たちの眼前に直接 置かれている対象ではなく 隠れたところで点検し 隠れたところから明るみへ引き出すべき真理を 一層 熱心に尋求するように促した。
(以下 引用は直接のつづきとしてつづく)。

この《父と子との共通の愛》について まづこの《愛》という言葉は その言葉そのものは 人間の言葉でありかつその経験的なものごとを捉えて これに名づけた名称である。それは したがって たとい隠れたところに働くものに起因しているとしても――起因しているのであるが―― その肉の眼で見られる行ないや またこの行ないをそれを媒介として為す或るものごと すなわち眼前に直接置かれている対象によって見止められる広く価値自由的な愛 もしくは狭義の愛とそして憎しみ つまり要するに その相手〔および自己のそれぞれ〕の持ち前の力を自由に発揮せしめうるところの時間的な愛 である。
最後の《愛》は 基本的に《人間の愛》の概念であるが これら経験的な愛の行為をとおして 神の愛が見られると言おうとしている。
つまり この不可視的な神なる実体もしくは本質を 人間の言葉で一つに このように 《愛》と表現することができるというのが キリスト史観である。
たとえば なぜ人は《愛》するのか。なぜ 孤独であって孤独でないのか。愛欲(そこでは 生産←→愛情・生活の関係という場)とは何か。また 所有欲(そこでは 生産←→経営の場)・支配欲(そこでは 生産←→政治・共同自治)という経験的な愛(だから 愛情・経営・共同自治)を 或るときはこれ 或るときはあれというように持ち これを行なうのか。
しかし《神の言葉――それは聖書であり その証言としてあらゆるものごと――は私たちを訓練するために 私たちを・・隠れたところで点検し 隠れたところから明るみへ引き出すべき真理を いっそう熱心に尋求するように促した》。
《神は愛である》と この人間の言葉で示され 中でも――次に見るように――聖霊なる神が この愛であると言われることがより一層ふさわしいと言われるとき 《隠れたところから明るみへ引き出すべき真理》なる神を いっそう熱心に尋求するように促され いま問い求める主題に沿っては 隠れたところで私たちは点検されてのように またそう言われうるほどに 聖霊なる愛を 尋求するよう促されている。

したがって聖書は聖霊は愛なり とは語らなかった。そう語ったとしても 私たちの問題は少しも解決されなかったであろう。聖書は 

神は愛なり。
ヨハネ第一書簡 4:16)

と語ったのである。それで まづ 父なる神が愛であるのか それとも子なる神が愛であるのか また聖霊なる神が愛であるのか ということは極めて不確かであり それゆえ 尋求すなければならない。

  • なぜなら これが 《明るみへ引き出すべき真理》なのである。われわれは この真理によって生き(愛し)ている。この《真理がわれわれを自由にする》と言われる。

私たちは聖書において 神は愛なり といわれるのは 愛そのものが神の名称にふさわしい実体であるからではなく 《あなたはわが忍耐であります》(詩編 70:5)と神について語られて入るように 神の賜物であるから と言おうとしているのではない。この言葉は 私たちの忍耐は神の実体であるということを意味しているのではなく 《わが忍耐は神から来るゆえ》(詩編 61:6)と他の箇所で読まれるように 神から私たちのところに忍耐が来るということを意味する。ここでは神の実体が問題となっているのではないことは 聖書の語り方がよく示している。《あなたはわが忍耐であります》という表現は 《主よ あなたはわが希望(のぞみ)であります》(詩編 10:9) 《わが神よ あなたはわがあわれみであります》(詩編 58:18) その他 類似の文章と同じものである。《主よ わが愛よ》 《あなたはわが愛であります》 《神はわが愛》といわれず 《神は霊なり》(ヨハネ福音 4:24)といわれるように 《神は愛なり》といわれるのである。このことを見分けない人は神から知解を問い求めよ。私から説明を問い求めてはならない。私たちはこれ以上 明らかに語り得ないからである。(つづく)

われわれの愛(愛・忍耐・希望)は 《神すなわち真理から来るゆえ》 この真理は 《霊であり》かつ《愛である》と その実体(本質=存在者)について言われ いまわれわれはこの実体について 問い求めることを始めた。

〔28〕
だから 《神は愛である》。しかし 愛であるのは御父か 御子か 聖霊か 三位一体ご自身か――三位一体ご自身は三つの神ではなく一つの神であるから―― となお問い求められる。しかし 私はすでに本巻(=第十五巻)のはじめで次のことを論じた。
神なる三位一体は 私たちの精神の三一性において私が示した三つのもの(人間の行為能力すなわち 記憶行為・知解行為・愛(意志)行為)によって 御父は三つ全体の いわば記憶であり 御子は三つ全体の いわば知解であり 聖霊は三つ全体の いわが愛である とあたかも御父はご自身のために知解し 愛さないで 子が父のために知解し 聖霊が父のために愛し 父だけがご自身と子と聖霊のために 想起するかのように さらにあたかも子はご自身のために想起し 愛さないで 子のために父が想起し 聖霊が愛し 子だけがご自身と父と聖霊のために知解するかのように また あたかも聖霊はご自身のために想起し知解せず 父が聖霊のために想起し子が聖霊のために知解し 聖霊だけがご自身と父と子のために愛するかのように理解すべきではない。むしろ 三つのペルソナ全体と各ペルソナがその本性において この三つのものを持っているというように理解すべきである。

  • まづこのように確認しなければならない。さらに具体的に。・・・

そこで この三つは 私たち人間のばあいに 記憶と知解と愛が別々であるように区別されているのではなく 知恵のばあいのようにすべのペルソナに有効な一つのものである。この一つのものは各ペルソナの本性において与えられており これを持つペルソナはかれが持つその同じものであり それは不可変的にして単純な実体である。だから このことが理解され そしてこんなにも深い秘義において見たり推測したりすることが私たちに許されている限り 真実であることが明らかになったなら なぜ 父と子と聖霊が知恵といわれ 同時にその全体が三つの知恵ではなく一つの知恵であるように 父と子と聖霊が愛といわれ 同時に全体で一つの愛といわれないのか 私には分からない。同じように 父は神であり 子は神であり 聖霊は神であり 同時に全体で一つの神である。

  • さらに別の角度から この確認がつづく。

〔29〕
しかも この三位一体において御子だけが神の御言であり 聖霊だけが神の賜物であり また父なる神だけが御言がそこから生まれ 聖霊が原理的に( principaliter )そこから発出するお方であるといわれるなら それには理由がある。私が原理的に という語を付加したのは聖霊が子からも発出すると見出されるからである。しかし父がこの権能を子にも与えたまうたのである。すでに子は存在しておられたが まだそれを持っておられなかったからではなく 父は独り子なる御言に与えられたすべてのものを かれを生むことによって与えられたのである。だから 父は子からもご自身と共通の賜物が発出し そして聖霊が子と父の霊であるように子を生みたまうたのである。

  • しかし――しかし――

したがって 私たちは分離されがたい三位一体のこの区別を通りすがりに触れるべきではなく 慎重に考察すべきである。このような慎重な区別においてのみ 父と聖霊も知恵であるが 子が固有の意味で知恵といわれ得るのである。だから 三つのペルソナの一つが固有の意味で愛と名づけられるなら 聖霊が愛であることにまさってふさわしいものがあろうか。単純にして最高の本性においては実体は愛とは別なものではなく 実体そのものが愛であり 愛そのものが実体である。父においてであれ 子においてであれ 聖霊においてであれ 然りである。しかも聖霊が固有の意味で愛と名づけられるのである。
(三位一体論 15・17)

ちなみに

同様に聖霊だけが三位一体において霊であり 聖であるのではない。御父も霊であり 御子も霊であり また御父も聖であり 御子も聖である。このことについては私たちの敬虔な信仰は疑わない。しかも第三のペルソナが固有な意味で聖霊といわれるのは理由のないことではない。なぜなら 聖霊は御父と御子とに共通であるので 固有な意味で御父と御子の交際(まじわり)とよばれるからである。
(三位一体論 15・19〔37〕)

(つづく→2007-10-20 - caguirofie071020)