caguirofie

哲学いろいろ

#29

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813

Inter-Susanowoïsme――性・対関係・相聞 2――(その四)

後半では 例によって人麻呂歌集を掲げることにする。まだ取り上げていなかった中から 巻七の旋頭歌形式以外の雑歌の部に載せられたもの。巻七からは 雑歌の部の旋頭歌二十三首および 比喩歌の部十五首はこれをすでに取り上げた。また これらは それぞれ一連の歌群を形成しているが それに対して いま取り上げる雑歌の部の人麻呂歌集所出歌は 《天(あめ)を詠む》《雲を詠む》等々の項目別に 分載されているものである。
ただ 分載されているのであるが その九項目に分かれたつごう十八首は まとめて一連の歌群として 一組の詩編として読むなら これはここで 恰好の素材を提供してくれると考えるからである。
われわれはいま 理想社会を先取りしてもくろむごとく その意味であまりにも前進することを恐れて この人麻呂の相聞の歌に後退する。
次に 十八首全体を並べて掲げようと思うが それらは先に述べるなら まず題材としては順に 天(雲・月・星) 雲 山 川 葉 覉旅(海人・山路など) 行路である。次に 主観の流れとしては 最後の行路をうたった歌に見るごとく 相聞への流れを表わしている。全体として 巻向(纒向・巻目)・三輪山(三諸・三室)に向かいおり 雲(雲居)に寄せて 雲の流れにもたとえて ひとつのヒストリアとなった詩編を構成する。またここでは 原文表記も重要であると考える。次のごとくである。

  • 巻七雑歌のうち 旋頭歌以外の人麻呂歌集所出歌十八首
1068 天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見
天を詠む 天の海に雲の波立ち月の船の星の林に漕ぎ隠る見ゆ
1087 痛足川 々浪立奴 巻月之 由槻我高仁 雲居立有良志
雲を詠む 痛足川川波立ちぬ巻目の由槻が嶽に雲居立てるらし
1088 足引之 山河之瀬之 響苗尓 弓月高 雲立渡
あしひきの山川の瀬の響(な)るなべに弓月が嶽に雲立ち渡る
1092 動神之 音耳聞 巻向之 檜原山尓 今日見鶴鴨
山を詠む 鳴る神の音のみ聞きし巻向の檜原の山を今日見つるかも
1093 三毛侶之 其山奈美尓 児等手乎 巻向山者 継之宜霜
三諸のその山並みに子らが手を巻向山は継ぎのよろしも
1094 我表 色取染 味酒 三室山 黄葉為在
我が衣 色どり染めむ 味酒三室の山は黄葉しにけり
1100 巻向之 痛足川由 徃水之 絶事無 又反将見
川を詠む 巻向の痛足の川ゆ徃く水の絶ゆることなくまたかへり見む
1101 黒玉之 夜去来者 巻向之 川音高之母 荒足鴨疾
ぬばたまの夜さり来れば巻向の川音高しも嵐かも疾き
1118 古尓 有険人母 如吾等架 弥和乃檜原尓 挿頭折兼
葉を詠む いにしへにありけむ人もわが如か三輪の檜原に挿頭折りけむ
1119 徃之 過去人之 手不折者 裏触立 三和之檜原者
徃く川の過ぎにし人の手折らねば うらぶれ立てり三輪の檜原は
1187 網引為 海子哉見 飽浦 清荒磯 見来吾
覉旅作 網引きする海子とか見らむ飽の浦の清き荒磯を見に来しわれを
1247 大穴道 少御神 作 妹勢能山 見 吉
大穴道 少御神の作らしし妹背の山を見らくしよしも
1248 吾妹子 見偲 奥藻 花開在 我告与
吾妹子と見つつしのはむ沖つ藻の花咲きたらばわれに告げこそ
1249 君為 浮沼池 菱採 我染袖 沾在哉
きみが為め浮沼の池の菱採るとわが染めし袖濡れにけるかも
1250 妹為 菅実採 行吾 山路惑 此日暮
妹がため菅の実採りに行くわれは山路に惑ひこの日暮らしつ
1268 児等手乎 巻向山者 常在常 過徃人尓 徃巻目八方
就所発思 児らが手を巻向山は常にあれど 過ぎにし人に行き纒かめやも
1269 巻向之 山辺響而 徃水之 三名沫如 世人吾等者
巻向の山辺とよみて行く水の水沫のごとし世の人われは
1271 遠有而 雲居尓所見 妹家尓 早将至 歩黒駒
行路 遠くありて雲居に見ゆる妹が家に早く至らむ歩め黒駒


ユツキガタケ(由槻我高・弓月高)は マキムク / マキモク(巻向・纒向 / 巻目)山の高峰。
アナシ(痛足・穴師)川は 巻向川とも言い 巻向山に発し ミワ(三輪・弥和・三和)山=ミモロ(三毛侶・三諸)=ミムロ(三室)山の北を西流し 初瀬川に入る。
泊瀬(初瀬)・巻向・三輪の山々の近辺には檜が繁茂していた(《大系》)と考えられる。
オホナムチ(大穴道)・スクナミカミ(少御神)は 古事記の国造りの神話の主人公。オホナムチは オホクニヌシのこと。概念として スサノヲである。
《覉旅にして作る》一首(1187)と一組(1247〜50)のつごう五首が 明らかに この三輪山から離れているが その弥和(いよいよ和する)・三和(三者和する)に対して 不響和音を奏でるというのではない。
1247番は 古事記の国づくりの神話を踏まえて そのヤシロを 《妹背の山》――すなわち 妹と背との対関係のことだが――に見立てている。《児らが手を巻向山は常にあれど〔常在常〕・・・》(1268)は 逆接ながら このヤシロのつねなる存在につながったかたちが 前提されている。
《ひろびろとした天の海に雲の波が立って 月の船がたくさんの星の林の中に漕いでかくれて行くのが見える》(1068・大系)と始められたうたの展開は 《妹家尓 早将至 歩黒駒》(1271)と締めくくられるまでに もしそこに起伏を求めるとするならば 1101番と1269番との二首が注目される。《夜になってくると 巻向川(穴師川)の川音が高い。嵐がはげしいのであろうか》(1101――大系)とうたって 《巻向山の山辺をどうどうと音立てて流れて行く水の泡のごとく はかないものである。現世に住む人であるわれらは》(1269――大系)と受けている。
後者(1269)のうたは 一般に ブッディスムの無常観を背景に持つと言われる。ただ言えることは それは無常感への一視点ではあっても 水の泡のごとく果敢無いわれらに対して 《山辺とよみて行く水》というヤシロじたいとわれらとの関係は 《常在常》と言わないわけではない。
《川音高之母 荒足鴨疾》(1101)という前者の起伏の内容は 《覉旅にして作る》歌のあとの一組の 第一歌を除いた三首が これを受けている。《あなたのためにどろ深い沼で菱の実を採ろうとして 私の 染めた着物の袖をぬらしてしまったことです》(1249――大系)また 《妹のために 菅の実を採みに出かけた私は 山路に迷って 今日一日を過ごしてしまった》(1250――大系)と。嵐(荒足・・・疾)の事例が きわめて軽快な調子で表現されるのは これらの歌の第一歌《大穴道 少御神 作 妹勢能山 見吉》(1247)を前提とするように 先に触れた《巻向山者 常在常》(1268)につながって行く主観の底流――ヤシロの常在性――の影響だと思われる。
言いかえれば この後者の1268番 《〔いとしい子の手を巻く〕巻向山はいつも変わらずにあるけれど 去ってしまった人のところへ行って 手を巻くことはできない》(大系)という歌は 《過ぎにし人のところに行き 手を纒くことはできないけれど 子らの手を巻く巻目の山は 八方にあってつねに在る。 / もしくは 過ぎにし人のところに行っても 目を凝らすならば 巻向山は 八方にある〔過徃人尓 徃巻目八方〕》と取れる。そこでこそ 次の歌 《水沫(みなわ)のごとし 世の人われは》(1269)の歌が 生きてくる。
だからこそ この一編の歌集の最後には 《遠くありて雲居に見ゆる妹が家に早く至らむ 歩め黒駒》(1271)と 現世・無常の行路が かろやかに歌われるのである。
《鳴る神の音のみ聞きし巻向の檜原の山を今日見つるかも》(1092)――《雷のような大変な評判だけを聞いていた巻向の檜原の山を 今日見たことである》(大系)――《動神 音耳聞 巻向之 檜原山乎 今日見鶴鴨》。
《今日見つるかも》の内容は 二種である。

  • 古尓 有険人母 如吾等架 弥和乃檜原尓 挿頭(かんざし)折兼(1118)
  • 徃川之 過去人之 手不折者 裏触立 三和之檜原者(1119)

《昔の人びとも 私のように三輪の檜原で枝を折って挿頭にしたことであろうか》《流れて行く川の水のように 通り過ぎて行った人が手折らなかったので しょんぼりと立っている。三輪の檜原は》(大系)。この二種であるように思われる。
この二首の歌に対する私見は しかしながら 《今日見つるかも》の内容として 二種の形式を用意するというのではなく 二首まとめて一種類のうたの構造を見るということになる。
はじめの歌(1118)には 訓読《けむ》が二回出ており それぞれ原文表記では《ありけむ〔有険〕人も》および《かざし 折りけむ〔折兼〕》とある中の《険》《兼》の読みである。しかしここで わたしには 後の方の《兼》を同じく《けむ》と詠むのは 危険であるように思われる。結論を先に言うのが わたしの流儀なのであるが ここは 《折りかね》と詠んではどうか。
《いにしへの人も》 作者の《われ》も かんざしにするべく枝を折らなかったのである。したがって 第二歌《手折らねば》――もしくは よりわかりやすく言えば 《簪(髪挿し)に挿さなかったので》となる――と続くというのが いまの仮説である。《挿頭》という語にわたしは もちろん長歌の蔽いを見立てているのであるが もしこうだとすると この二首一組は やはり全十八首の主題を継いでいると言うべきになるからである。
この点を最後に敷衍しておきたいと思う。
(つづく→2006-09-11 - caguirofie060911)