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哲学いろいろ

#4

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813

漱石英詩註(その三)

人麻呂の七夕歌集の全体から言って この第2029番のうた――未来形が現在形となろうとしているとき――よりあとの歌は 四首残すのみである。
全体の最後の2033番の歌が うた自体が難解(未だに定訓がない)であり かつ すでに成立していた人麻呂歌集に 後世の時点でこの一首は混入したとする見解もその余地を残すほどなので 残った三首を 次に見てみよう。

秋去者 川霧 天川 河向居而 恋夜多
秋されば川そ霧(き)らへる天の河 川に向き居て恋ふる夜の多き
(2030)
吉哉 雖不直 奴延鳥 浦嘆居 告子鴨
よしゑやし 直(ただ)ならずとも ぬえ鳥のうら嘆(な)け居りと告げむ子もがも
(2031)
一年迩 七夕耳 相人之 恋毛不過者 夜深徃久毛〔または 不尽者 佐宵曽明尓来〕
一年(ひととせ)に七夕(なぬかよ)のみ逢ふ人の恋も過ぎねば夜は更けゆくも〔または 尽きねばさ夜そあけにける〕
(2032)

  • ちなみに 難解の2033番はつぎのごとく。

天漢 安川原 定而 神競者 磨待無
天の河 安の河原に定(とど)まりて神競者 磨待無

これら三首の最後のうた(2032)では もはや《かのじょの踊り》が終わってしまったごとく ふたたび未来時が始まらんとしている。そこで これも措く。逆に 同じく三首の最初のうた(2030)では その前の《今夕逢ふらしも(2029)》をふたたび巻きかえして 滞留をうたうかのようである。または 逆に 《秋になると》とうたっている点を重視するならば 上の2032番のように 同じく《かのじょの踊りが終わってしまった》のちの段階を しかし言わば先取りするかのように――だから 言いかえれば ふてくされたかのように―― うたい放っている。まん中の2031番の歌に焦点をあてよう。
そうすると 《ぬえ鳥のうら嘆け》の語句に注意を寄せれば 人麻呂の七夕歌集一編の中では 順序として第二番(巻十・1997番)の歌にも注目すべき結果となる。
なぜなら この歌も 《ぬえ鳥(トラツグミ)のもの悲しげに鳴くように 心にうち嘆かれる》ことを歌うからである。おそらく かれの七夕歌集の三十八首(ないし2033番を除けば 三十七首)は そのおおきな 枠組みを次のように構成していると考えられる。

  • 人麻呂の七夕歌集の構成
最初 1996 天の河水底さへに照らす舟泊てし舟人妹に見えきや
1997 ひさかたの天の河原にぬえ鳥のうら嘆けましつすべなきまでに
・・・ ・・・
2031 よしゑやし直ならずともぬえ鳥のうら嘆け居りと告げむ子もがも
最後 2032 一年に七夕のみ逢ふ人の恋も過ぎねば夜も更けゆくも
  • 1997番の原文表記:久方之 天漢原丹 奴延鳥之 裏歎座都 乏諸手丹

最初と最後(2031)とは 《妹に見えきや?→イエス(然り)。だから こうして七夕の夜のみ逢うことができた》と相い応じ 最初と最後とから それぞれ二番目の歌うたは 上に掲げたとおりの対応である。ともかく《うち歎かれる》と。
ちなみに《大系》の示す大意は 《1997:天の河の河原で 歎いておいででした。何とも仕方のないほどに》《2031:よしや直接にではなくとも ぬえ鳥のように心のうちで嘆いていると告げる子が欲しいものだ》である。したがっておそらく この構成の内枠が 漱石の言う《かのじょの踊り》の内容を歌い その外枠が 同じくその踊りの終わるという主観と主体と実践とを指し示しているのであろうと見られる。
《 As she goes dancing round and round 》を示すと思われるここに示すところの歌うたは 引用を割愛することにしよう。

  • むろん すでに掲げた2010・2024・2029および2030番がその抄録である。

それでは 2031番《よしゑやし直ならずともぬえ鳥のうら嘆け居りと告げむ子もがも》というその《子》とは いったい誰なのか。かれも 《 The moon and I will gaze on her 》とまず言って のちに《 And I ? Ask me not who I am. 》と答えて この問いをすり抜けていくのであろうか。
保留した最後の最後の歌・2033番は ここでこれを取り上げようとするなら その考えられる訓は 次のようだとされている。

神競者 磨待無
神し競(きほ)へば 年待たなくに
神つ競(きほひ)は 麻呂も待たなく
神つ集(つど)ひは 磨(とぎ)て待たなく
神(こころ)競へば
心いそげば

試みに 漱石英詩註のいきさつを継承するなら 上の句《天の河 安の河原に定(とど)まりて》は 一つの想像として 古事記の神学によれば アマテラスが そしてまだスサノヲも 天つ国において 両者の乖離がいまだ生じない時代( They were one; no Heaven and no Earth yet )を暗示すると取れなくはない。仮りにもしこれを採るとするなら それでは その時代にとどまるなら たとえば《心いそげば 磨ぎて待たなく》なのだとは いったい何を意味するのか。
人麻呂の七夕詩編の最終の最終に置かれた または 人麻呂のその詩編のさらに外に後世において混入されたともおぼしきこの歌は いったい何を 上の仮想の延長上には 物語るものであるのか。
おそらくわたしは この仮説の前提に立つ限り アマテラスとスサノヲとの乖離( We〔 Heaven and Earth 〕 part )へと むしろかれらが――または きみとわれが―― 主観および主体的に《こころ急ぐ》ことを物語ったというべきではないのか。
二人が静かに眠り その心が互いに打ち解けていた( They slept a while, souls united in each other's embrace )ときに そこへ タケミカヅチ(または オホモノヌシのカミである)がやって来て その眠りから二人を覚まし 時間のはじめとするがごとく 引き裂いた( When lo ! there came Thunder to lash them out of slumber. / It was the dawn of creation. )という情況は むしろ両者がそれぞれ ねがったことではなかったか。別れる前に千の口づけ( A thousand kisses )を交わしたとしても もはや《磨ぎて待たな》かったと言うべきなのだろうか。
結論を言うなら 《月とわれ(スサノヲ)が かのじょ(アマテラス)とあい別れて のち もはや会わなかった( They have never met since. )といわれる頃 かのじょの踊りが始まりその踊りの終わるまで かのじょを見つめる( The moon and I will gaze on her. )》というその内容は 上のことではなかっただろうか。

  • なお 2033番の歌が 後世からの混入ではないかとの見解の理由は これを《大系》の頭注は次のように記す。この歌の万葉集・左註に 《この歌一首は庚辰の年に作れり》とあって この《庚辰の年》には 

天武九年(680)と天平十二年(740)とが擬せられている。前者では七夕の歌の流行より早過ぎる点が 後者では人麻呂歌集の成立期がくりさげられる点が注意される。天平十二年作の歌が 既に成立していた人麻呂歌集に混入したとする見解もある。〔人麻呂歌集所出歌で年紀の見えるのはこれだけである。〕

そこでわれわれは ふたたび漱石英詩の世界に戻ろう。
(つづく→2006-08-18 - caguirofie060818)