caguirofie

哲学いろいろ

#10

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《霞霏微》(その四)

この巻の秋の雑歌の七夕をうたう人麻呂歌集(1996〜2033)は すでに取り上げた。
前掲の漱石英詩註とのかんれんで 秋の相聞および冬の歌を 以下の余白に取り上げておこう。


人麻呂歌集・秋の相聞五首のうち 第二首の歌は 漱石英詩の《 The Twilight is violet still; ..... And I ? Ask me not who I am; 》と奇妙に符合する。

誰彼 我莫問 九月 露沾乍 君待吾
誰そかれと われをな問いそ 九月(ながつき)の露に濡れつつ きみ待つわれを
(2240)

《誰そかれ》は Twilight でもあるが そのまま Ask me not who I am. と言っている。
しかし人麻呂は 漱石と違っている。漱石が たとえば

We live in different worlds, you and I.
.....
Yet never in a dream I wished to be there(= in your world ).

または


Alas ! Earth is beset with too many sins to meet her.

とうたうのとは違って 秋の相聞の残りの四首を 次のように述べる。

2239 秋山[金山]のしたひが下に鳴く鳥の声だに聞かば[音谷聞]何か嘆かむ
2241 秋の夜の霧立ちわたり おぼろかに[凡々]夢にそ見つる妹がすがた[形]を
2242 秋の野の尾花が末の生(お)ひ靡き心は妹に寄りにけるかも
2243 秋山[秋山]に霜降り覆ひ木の葉散り年は行くともわれ忘れめや[我忘八]

漱石と人麻呂との間に 必ずしも決定的な隔たりがあるとは思わないが 後者が最後のうたで 《われ忘れめや――我忘八》とうたって 罪( sins )を否定するのではないことを 明言している点は 微妙であって注目すべきである。
《忘八》とは 仁義礼智忠信孝悌を失った意で 直接には遊女を買うことを意味するのだが ここで端的に言って このようにうたう人麻呂は クリストスその人に近い。またこのことは これまでの議論から言って 必ずしも故の無い偶然の符合だとは思わない。もっとも これが このように表明されたあと 一般の見解(認識として)になったとするならば それは むしろ漱石の見解に立ち返ることを意味してくる。また この領域にかんしては 微妙であって つねに春の歌また夏の歌との兼ね合いが要請されることを物語る。その意味では 次に 煩瑣でも 冬の雑歌および相聞を取り上げて見ておくべきであろう。
先に二首の相聞の歌を見るならば ここで 人麻呂は きわめて直截である。

2333 降る雪の空に消(け)ぬべく恋ふれども逢ふよし無しに月そ経にける
零雪 虚空可消 雖恋 相依無 月経在
2334 沫雪は千重に降り敷け 恋しけく日(け)長きわれは見つつ偲はむ
阿和雪 千重零敷 恋為来 食永我 見偲

うたは ここで 人生哲学に変わる。そこで次に置かれた作者無名歌は 《露に寄》して こううたう。

2335 咲き出(で)照る梅の下枝(しづえ)に置く露の消ぬべく妹に恋ふるこのころ
咲出照 梅之下枝尓 置露之 可消於妹 恋頃者

これである。人間の知恵は 消極的にしろ積極的にしろ ここまで到るものかというところを見ておくならば 編集順序をあい前後して 冬の雑歌 四首ないし三首は こううたうのを見るべきである。

2312 わが袖に霰(あられ)たばしる巻き隠し消(け)たずてあらむ妹が見むため
2313 あしひきの山かも高き巻向の岸の小松に[木志乃小松二]み[三]雪降り来る
2314 巻向の檜原もいまだ雲居(ゐ)ねば小松が末ゆ沫雪流る
2315 あしひきの山道(やまぢ)を知らず白橿の枝もとををに雪の降れれば

第四歌は 左註に《或る本に 三方沙味の作なりといへり》とするのをことわっておくならば もはや正当にも すべて《霞霏微》の語句をもって締めくくるにふさわしいと言うべきようである。ただわれわれは 次のように続けることも故なしとしない。
それは やはりここで 漱石英詩とは異なって たとえば第一歌《私の袖に霰があたって飛び散る。袖に巻き入れて隠して消さずにおきたい。妹に見せるために》(大系)とうたって やはり初めからの主題を人麻呂が保つ点である。
これは わたしは考えるに 事後的にそうなのではなくて はじめのうたの貫かれる人生(時間)としてそうなのである点には 注目することができる。また これは 全体としてかれら古代市民の人間の知恵の構造としてそうなのであると言うべきであるだろう。それは この構造が 現代市民の情況において変えられ得るにせよ 変えられるべきであるにせよ かれらがこの構造をもって 冬の雑歌の世界を 表現し規定したと言うよりは それを打ち破るべく うたの動き 動きのある歌を うたったことが 普遍である。
漱石

I called to the wind in my dream.
The wind came forcing the Gate of North.
〔 But alas ! The stars were scattered by the wind. 〕

とうたった。また うたわなければならなかった。しかしこの風( the wind )が 人麻呂らには 夢の中で( in my dream )呼び求められるていのものではない。それは 《おぼろかに夢にそ見つる妹が姿を》は 《秋の夜の霧立ちわたり》(2241)する中でのものという異同が 明らかなかたちで現われている。両者に ここでは 貧困と豊饒とが 対比されるべく そしてわれわれの歌は 万葉集を出ないのが 明白だからである。
われわれは ここで何を論じたか。《霞霏微》世界にどんなドラマをわれわれは見たか。人麻呂の方法 その方法・・・ すなわちわれわれの方法は どんな局面に立ち到るか。
われわれは 神学に逃れるべきなのか。あるいは かみの言葉を突き放して 風起こるのを待つというのだろうか。それだけのことなのか。《知恵ある者を責め》得たか。
けれども

わたしは知者の知恵を滅ぼし
賢い者の賢さをむなしいものにする。
旧約聖書〈7〉イザヤ書29:14)

と書いてある。
コリント人への手紙第1 (ティンデル聖書注解)1:19)

と言うのは旧い。

文字は殺し 霊(το πνευμα = the wind )は人を生かす。
la lettre tue et l'esprit fait vivre.
(コリント人への手紙第2 (ティンデル聖書注解) 3:6)

と言うのさえ もはや旧い。なぜなら 《それだから・・・偶像崇拝(ある種の仕方で 共同相聞歌)を避けなさい》(コリント人への手紙第1 (ティンデル聖書注解) 10:14)と言うのは旧く この共同相聞歌にしたがい これを利用して この旧い構成を打ち破らねばならないからである。そして 同じパウロ

きみの持っているもので 受け取らなかったものがあるか。受け取ったなら なぜ受け取らないように誇るのか。
コリント人への手紙第1 (ティンデル聖書注解) 4:7)

という《風》への信頼を 文字にして書き記すことは 《人を殺す》ことにはならないであろう。だからわたしたちには 《もっともわたくしなる領域》へと あの顔蔽い(月)を取り除くようにして 逃れることができる。誰があつかましくも この主観の共同主観性を あざむくことができるだろうか。われわれは 後向きの前進のうちに 霞霏微の世界へと打ち入ってゆくことができる。
(この項目おわり。つづく→2006-08-24 - caguirofie060824)