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哲学いろいろ

#9

もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813

《霞霏微》(その三)

われわれは 《知恵ある者を責め》えたであろうか。
人麻呂歌集・春の雑歌に先導されるようにうたわれる《鳥を詠む》《雲を詠む》《霞を詠む》等々の万葉集・雑歌を すでにうたいうるであろうか。
まずは

うちなびく春立ちぬらし わが門(かど)の柳の末(うれ)に鶯鳴きつ
打靡 春立奴良志 吾門之 柳乃宇礼尓 鶯鳴都
(巻十・1819)

という歌である。


打靡 春去来者 然為蟹 天雲霧相 雪者零管
うちなびく春さりくれば しかすがに(さすがに) 天雲霧(き)らふ雪は降りつつ
(1832)
昨日こそ年は極(は)てしか春霞 春日(かすが)の山にはや立ちにけり
昨日社 年者極之賀 春霞 春日山尓 速立尓来
(1843)
霜枯れの冬の柳は見る人の蘰(かづら)にすべく萌えにけるかも
(1846――《柳を詠む》の一首)
鶯の木伝ふ梅のうつろへば桜の花の時 片設(ま)けぬ
(1854――《花を詠む》の第一首)

または

朝な朝なわが見る柳 鶯の来居て鳴くべき森に早なれ
朝旦 吾見柳 鶯之 来居而応鳴 森尓早奈礼
(1850――《柳を詠む》)

  • 《森――木のこんもりと繁った所。朝鮮語 moi (山)の古形 mori と同源。当時は多くカミの降下するところと思われていた》(大系・頭註)から 《朝な朝な》となる。

うちなびく春さり来らし 山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の咲き行く見れば
打靡 春避来之 山際 最木末乃 咲往見者
(1865――《花を詠む》)

等々。
このロマンは われわれの有である。われわれの有にすることができる。そうしないことが 近代市民のスサノヲ者およびアマテラス者として かみの言葉をあやつることになるのだから。だから かみの言葉を見つめつつ 春を避けて春へ行こう これである。あとは 《霞霏微》として うそぶいて(滞留して)いてよいであろう。
もう一度くり返そう。《鬱にし思はば なづみ来めやも》なのだから 《弓月我高荷 霞霏微》 これである。

       ***

巻第十・春の雑歌 その分類を先導するかたちの人麻呂歌集の歌七首をもって 事足れりとすることは 学問的な態度ではないだろう。ここでは 巻第十にかぎって 人麻呂歌集をさらに 補足する意味で 取り上げておきたい。
上に取り上げた春の雑歌七首が その分類項目を先導するかたちであったように この巻において――その他の巻でも同じかたちが見受けられる(巻三・七・十一・十二)のだが―― 巻十一・十二と同様に 殊にそれが顕著である。

  • ちなみに 巻十(1812〜2350)における人麻呂歌集の歌の位置は 項目ごとに 次のとおりである。
雑歌 七首(1812〜18)
相聞 七首(1890〜96)
雑歌
相聞
雑歌 七夕 三十八首(1996〜2033)
詠花 二首(2094・95)*
詠黄葉 二首(2178・79)*
詠雨 一首(2234)*
相聞 五首(2239〜43)
雑歌 四首(2712〜15)
相聞 二首(2333〜34)
  • *印以外の歌群は すべて 各項目の初めに置かれている。
  • 夏の歌には 一首も おさめられていないのは 一つに 雑歌は 巻七の雑歌の部の歌をもって これに代えたと考えられる。巻七の雑歌の部の歌とは たとえば 《雲を詠む》1087・88番の二首 《山を詠む》三首のうちの1092番一首 《時に臨む》二首のうち1269番一首そして すでに触れた《旋頭歌群》1272〜1294番の中のいくらか 《譬喩歌群》1296=1310番のいくらかである。また 相聞歌は 巻四(全巻が相聞)の中の歌(496〜499番の四首 501〜503番の三首)をもって 代えたと考えられる。さらにもう一つに 巻四の相聞歌(これは 人麻呂じしんの作歌である)のように 夏の歌は 定型・一般性化を拒絶するごとく むしろ先導しないほうがよいと考えられた結果なのではないか。そのうち たとえば《み熊野の浦の浜木綿 百重なす心は思へど直に逢はぬかも》(496)というようなのがある。
  • 実際の夏の雑歌・相聞を見ればわかるように 個性的・個別的にうたうことが うたの一般性を持つと言えるかのように 自由である。この夏の雑歌および相聞では 《ほととぎす(霍公鳥)》が多くうたわれるが これは夏の渡り鳥であって その意味で人びとに愛されたという事情のもとにある。言ってみれば 夏は 個別による多様性が 一般的であると解された度合いが大きいと思われる。
  • たとえば 一首のみあげるとすれば

客尓為而 妻恋為良思 霍公鳥 神名備山尓 左夜深而鳴
旅にして妻恋すらし 霍公鳥 神名火山に さ夜更けて鳴く
(十・1938) 

そこで この巻の人麻呂歌集を全部あげたいところだが 長くなるのを嫌って 次の・春の相聞の初めのやはり七首を以下では 取り上げようと思う。
一般的に言って 各季節の項目ごとに たとえば 雑歌では《鳥を詠む》とし これに対して 相聞では《鳥に寄す》とするのは 雑歌が 相聞に対して より一般性を持つという意味である。雑歌とは むろん 相聞でも挽歌でもないその他という分類である。逆に言えば 相聞の部の歌は 主観の主観性が より色濃い。
人麻呂歌集・春の相聞七首は 主観の主観性 またはそれの滞留を享受するといった性格が よりあざやかである。平俗に言えば 雑歌の哲学性・論理性から移って 情感性とその映像美とでもいうべき性格が 強い。かなり一般性を保っているとも言えるが むろん 雑歌の一般性より 具体的である。また 特に 春の部ということで 心はなやかな映像の物語を追うかのごとくである。七首全部を引きたいと思うが その前に さらに厳密に言っておくなら 次のようである。
雑歌七首群では 一つの主題のもとに 山々とその霞たなびく景色が それぞれ形容されるかたちを採ったが ここ相聞七首群では それぞれの歌ごとに その上句で 自然がうたわれ その下の句で 主観・その意味での主題が表明され締めくくられるかたちである。各歌の上句の連続から成る自然――その中の情景や人の動き――は スクリーンに映写された光景を見る思いがする。またその各局面で 上の句を受けて下の句が それぞれ 骨太のしかし情感豊かな主観を ゆくりなくうたい これらを合わせて 映画によって物語の展開を見るようである。
それでは 雑歌の場合にならって これらを表にして示そう。うたわれる自然は 順に 鶯 花 鶯 花 霞立つ春の長日 三枝(さき草→花) 柳である。

二分法 自然詠の部分 主観の部分
1890 春日野の友鶯の鳴き別れ 帰ります間も思ほせ我を
春日野友鶯鳴別 眷益間思御吾
1891 冬ごもり春咲く花を手折り持ち 千たびの限り恋ひ渡るかも
冬隠春開花手折以 千遍限恋渡鴨
1892 春山の霧に惑へる鶯も われにまさりや物思はめや
春山霧惑在鶯 我益物念哉
1893 出でて見る向ひの岡に本繁く咲きたる花の 成らずは止まじ
出見向岡本繁開在花 不成不止
1894 霞立つ春の長日を 恋ひ暮らし夜の更けぬれば妹に逢へるかも
霞発春永日 恋暮夜深去妹相鴨
1895 春さればまづ三枝の幸くあらば 後にも逢はむ莫(な)恋ひそ吾妹(わぎも)
春去先三枝幸命在 後相莫恋吾妹
1896 春さればしだり柳のとををにも 妹は心に乗りにけるかも
春去為垂柳十緒 妹心乗在鴨

中では 中盤の1893番《不成不止――花が実になるように 私の恋も成就せずには止めないつもりです》(大系)が ひとつの主観として際立っている。最後の1896番《妹心 乗在鴨――妹は私の心に乗ってしまっています》(大系)によって締めくくられている。おそらく ひとつのラヴストーリであろう。とををは たわたわ・たわわである。
1895番は 春になるとまず咲く三枝の花の意。三枝は 枝ないし茎が三つに分かれた植物(一解)。これは シナリオのごとくであって 下の句の主観と合わせて 方法の方法が 雑歌七首群の美学的なうたと異なって 情景と情感の流れの中に 滞留をほしいままにしている。
このうたの世界に われわれは信頼を寄せてもよいと思う。洋の東西を問わず 現代にあっても このような詩編をよくうたった歌は 情況の異同を超えながら 見出すのにむずかしいと言いうる。また この相聞歌群は それだけのことであるとも言いうる。
要は ここで言いたいことは これら相聞七首の歌群は 当然のことながら 先の雑歌七首の一組みと有機的につながって うたわれているということ。しかも 巻十の全体を通じて四季それぞれの雑歌と相聞とのあいだに この有機的なつながりは 有効であろうと思われること。また これらのつながりの一本の赤い糸は はじめの《鬱之思者 名積米八方》の主題が つらぬいたであろうものであること これらである。
だから結論は こうなる。人麻呂の方法の方法 そのまた方法といった はじめの方法の再生産(あるいは 滞留)は このような世界によって見出されるということ。しかも 断定的に言って ここにしか見出されえないということ これでなければならないであろう。その余の再生産は いわゆる剰余の価値である。
剰余の価値(そのような うた)が 悪いと言うのではない。問題は そのように蓄積・増殖される観念の資本が その観念の資本のはじめのかたち(その時代時代の共同主観)において それとの兼ね合いで 動態的な過程をとるものであろうということ いくらか譲歩して道徳的に言うならば そのようなことになるであろうこと である。
(つづく→2006-08-23 - caguirofie060823)