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もくじ→2006-08-13 - caguirofie060813
われわれはなぜかしこくならなければならないか(その二)
人麻呂のいまだ取り上げていなかった他の歌を取り上げる。
巻一から順を追って取り上げる。人麻呂の歌は 歌集を含めて 合計四百五十七首ある。もっとも 歌群として一組にまとめられるものは そのように扱い そうして(その限りで)一首もらさず取り上げて この方法の方法を 原理的には完成させることが目的である。
巻一・巻二の歌はすでにすべて取り上げた。ないし触れた。人麻呂長歌として触れた巻二挽歌の中のいくつかは いまだ必ずしも明らかにしていない。以下の行論の中で触れられれば触れたい。
巻三では 二組の歌群を新しく取り上げるべきである。雑歌の八首一組と挽歌の三首二組と。
はじめに 覉旅(たび)の歌八首(249〜256)。これらは 全歌 鑑賞する価値がある。ここで人麻呂は スサノヲ者の船出を歌っているかのようである。また 《一(ある)本に云はく》という別伝が ここでは多いが それらは非常に面白い事実を提供している。各歌 順に掲げ 一首づつ註解をほどこしていきたい。
249 | 三津崎 浪矣恐 隠江乃 舟公宣奴嶋尓 |
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・ | 三津の崎 波を恐(かしこ)み隠り江の舟びと宣(の)らす奴(やつこ)が島に |
- 第四句・五句には定訓がないが いま上に従う。
《三津の崎》は 難波の御津。大阪の港。作者は これから八首をもって船出する。
《隠り江の奴が島》は 特定の島ではないだろう。《挿頭折りかね / 手折らねば うらぶれ立てる》ことによるこの《険》を ドン・キホーテ流に真っ向から進むことを かれは しない。風を受けた《波をかしこみ 隠り江》に避難する。しかしこの避難は 同時に《もっともわたくしなる》領域 すなわち 自己に還ることでもある。これを謙遜して 《奴が島 ≒ 非アマテラシテ ≒ スサノヲ領域》と言う。
《舟びと〔舟公〕の宣(の)らす》その言葉にしたがうのである。
次の歌では 《敏馬》が 神戸市灘区岩屋・大石付近。《野島 ≒ スサノヲイストの島》が 兵庫県津名郡北淡町野島 または 淡路町の西北部。
250 | 珠藻苅 敏馬乎過 夏草之 野嶋之崎尓 舟近著奴 |
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・ | 珠藻刈る敏馬(みぬめ)を過ぎて夏草の野島の崎に舟近づきぬ |
《舟近著奴》と言って 《内なる人 homo interior 》に近づきこれを著わすのだと知る。
また ここで《夏草の〔生い茂る〕》と述べて 季節(時代)に言い及ぶことを忘れていない。しかし この歌の別伝は 次のように伝わる。
250 | 珠藻苅 処女乎過而 夏草乃 野嶋我崎尓 伊保里為吾等者 |
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(=或る本) | 珠藻刈る処女(をとめ)を過ぎて夏草の野島が崎に廬(いほり)すわれは |
《処女》は 莬原乙女の伝説による地名と見られ やはり芦屋市から神戸市にかけての地と思われる。
《舟近著奴》のところを 《廬りす(伊保里為)》と言っている。後者の単純化(一重性)を避けて 前者の考えに決定したのであろう。ただし このあとの歌の別伝は このように初考と最終考のちがいを表わすのではなく 明らかに後世の観点を交えている。その観点は すぐ後に見るように 中傷に近いものである。
251 | 粟路之 野嶋之前乃 浜風尓 妹之結 紐吹返 |
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・ | 淡路の野島が崎の浜風に妹が結びし紐吹きかへす |
いまは《妹》と別れて この行動をとると言うのである。
しかし 現代では 新しい万葉集運動に 男女の区別はない。
252 | 荒栲 藤江之浦尓 鈴寸釣 泉郎跡香将見 旅去吾乎 |
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・ | 荒栲の藤江の浦に鱸(すずき)釣る泉郎(あま)とか見らむ 旅行くわれを |
《藤江の浦》は 兵庫県明石市の西部。スサノヲイストの《われ》を アマテラスと人は見るであろうかと言うのである。
《藤江》は 藤原氏の存在を思うとき――つまり それは カシハラでもタカマノハラでもアシハラでも三輪のヒハラでもなく フジハラである つまり葛藤の藤なら すなわち 芋づる式に相関している といった存在を思うとき―― 歌は 《裏触れ立》っている。だから 後世 撰者氏は 次の別伝を載せる。
252 | 白栲乃 藤江能浦尓 伊射利為流 泉郎跡香将見 旅去吾乎 |
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(=或る本) | 白栲の藤江の浦にいざりする 泉郎(あま)とか見らむ旅行くわれを |
《いざり》とは 漁をすること。《舟近著奴 / 旅去吾 / 伊保里為吾等》このわれらを ここでは後世氏は 《いざりする‐伊射利為流》と評した。《利を射らんがため流れる》と中傷するのである。《荒栲の藤》を《白栲の》と改めるところにも 藤氏への配慮がうかがわれるのではないだろうか。もっとも この中傷は 必ずしも 《旅去吾》氏から離れているわけではない。撰者は 巻一・二体系の撰者と同じく 《伊保里為吾等》の側にあって あまりにもの《裏触れる険》をやはり避けて このように中傷することによって 均衡をはかっている模様である。これは 以下の別伝でも 同様である。
253 | 稲日野 去過勝尓 思有者 心恋敷 可古能嶋所見〔一云 湖見〕 |
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・ | 稲日野も行き過ぎかてに思へれば心恋(こほ)しき可古(かこ)の島見ゆ |
・ | (一に云ふ)・・・湖(みなと)見ゆ |
《可古の島》は 加古川の河口の島。《稲日野》は 《印南野(いなみの)》(cf.巻一・14)で イヅモ(そのカミ)に関係する。これらの地をともに なつかしむ。
《粟路》(251)に対して 《稲日野》なのであり 《粟》の昔を継承する《可古能嶋》なのである。
《稲日》はまた はたはたがみ(雷霆)つまり稲妻ないしイナツルビなのであり これらが ヤシロとスーパーヤシロの連関を司るかのようなタケミカヅチを寓意している模様。次の歌の《火》も 同様である。
254 | 留火之 明大門尓 入日哉 榜将利 家当不見 |
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・ | 留火の明石大門に入る日にか漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず |
明石の地が 前の歌を継いで 《留火(ともしび)之 明大門》と受けられた。明石海峡が それである。だから 地理的に言って 回想的である。《舟近著奴》でもっともわたくしなる非アマテラシテをつかまえようとした作者らは この《火》によって アマアガリへと変身させられるのを見る。ヤシロ−スーパーヤシロ連関を再獲得したと宣言するのである。
《家当不見 榜将別》と言う。再獲得した連関にのっとって その連関の分離(漕ぎ別れ)へと 孤高にも旅立つと言う。ただし おそらく現代では S圏とA圏との《漕ぎ別れ》は 男女両性の平等が 仮象的にもすなわち 律法長歌(法律)的にも うたわれた今となっては 不当である。《家のあたりを見ながら 漕ぎ別れず 裏触れ立つ》ことが 新しい万葉集の内容(=形式)であろう。
255 | 天離 夷之長道従 恋来者 自明門 倭嶋所見 |
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・ | (一本云)・・・家門当見由 |
・ | 天離る夷(ひな)の長道ゆ恋ひ来れば 明石の門(と)より大和島見ゆ |
・ | (或る本に云ふ)・・・家門(やど)のあたり見ゆ |
《家門(やど)のあたり 見ゆ》としても 《大和島見ゆ》としても 言わんとするところは同じであろう。《天離(あまざかる)夷(ひな)之長道(ながぢ)〔従 恋来者〕》とは すでに舟に乗る作者らは 非アマテラシテ経由で アマアガリを果たしたというのだから むしろ ヤマトなるA圏が《あまざかるひなの長道ないし長歌を恋しく思っている》というのであろう。または 《天離》ったがゆえに アマアガリ(スサノヲのアマテラシザシオン)を果たしたというものであろう。なお 現代では 基本的に《天(権力)離》り 同時に このA圏をその視野におさめなければならない。次が 最後の歌である。
256 | 飼飯海乃 庭好有之 苅薦乃 乱出所見 海人釣船 |
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(一本云) | 武庫乃海能 尓波好有之 伊射里為流 海部乃釣船 浪上従所見 |
・ | 飼飯の海の庭好くあらし 刈薦の乱れ出づ見ゆ 海人の釣り船 |
(一本に云ふ) | 武庫の海の庭よくあらし いざりする海人の釣り船 波の上に見ゆ |
《飼飯(けひ)の海》すなわち 兵庫県三原郡松帆村笥飯野の海にまでやってきた。または別伝の《武庫(むこ)の海》とすれば ふたたび大阪に帰ってきたことを意味する。いづれにしても 《庭》もしくは《尓波 だから 波(険)さえも》が 静かに心地よくあるらしい。
いまは 対関係・相聞の世界によって 原形的なS−A連関主体となったスサノヲ者(《海人(あま)乃釣り船》)が乱れ散るがごとく この庭 niwa に躍り出ると言うのである。これを真実を知った船なる人びとは 推薦すると言うのである。
別伝の《武庫乃海能尓波》というのは むしろ現行のA圏に対して言われている。もしくは かれらは当時の時点で 革命には武装蜂起が不可避であるだろうと見ていたのかも知れない。《いざり(漁)する》と言い これは 西欧的な社会体系の一方式をも視野におさめている。イエスは ペテロたち漁師に 《人をすなどる漁師にしてあげよう》(マタイによる福音書 4:19)と言った。しかしおそらくは この点を視野におさめつつも 万葉人らは 同じこの別伝で 《海部(――海人ではなく――)乃釣り船》と言うのであって しかも《伊射里(――利ではなく――為流》と言うのであって むしろやはり上に戻って A圏固有の常備軍(武庫)ないしその一環としての海部(A−S連関の中の一部民)のことを語っていると考えられる。ここでは 牽強付会ではなく やはり《海人――あま・海は ウミの転とも言われる――》は 海原をおさめるスサノヲに擬し 《海部》は アマテラス語に組み込まれたかたちのナシオナリスト・スサノヲにあてたと解したがよい。
ともあれ こういう歌をこれら八首の覉旅の歌は語っているであろう。これらは これまでまだ取り上げなかった人麻呂の歌について われわれが沈黙しないがための補論としてである。
(つづく→2006-09-14 - caguirofie060914)