caguirofie

哲学いろいろ

#31

――やしろ資本のおもろ――
もくじ→2006-09-17 - caguirofie060917

第四章 ゑけ あがる三日月や

第二のおもろ くにやしろ共同主観のよみがえり

人麻呂が言うには

アシハラの瑞穂のくには 神ながら ことあげせぬくに・・・
葦原 水穂国者 神在随 事挙不為国・・・
万葉集 巻十三・3253)

であると言う。やしろ資本の連関またその主体の歴史的な出発にあたって はじめの理論としてのオモロを――たとえば 近代市民スサノヲ資本主体の実質的な出発にあたっての経済学などのヤシロロジを―― 積極的に持つことはなかった。単一・原始心性の《あかぐちや生活主体》のオモロを 第三のスサノヲの受け容れの前にすでに 《おぼつ=天》の要因を積極的に取り入れて 構造化した。したがって ヤシロ資本主体スサノヲは 公民アマテラス化した市民となろうと共同主観した。
しかしこの出発にあたってのカシハラ・デモクラシを 理論としては積極的にうたうことは なかった。少なくとも 文字として持たず 文献として積極的に明らかにするという作業に まだ なじまなかったのであろう。あるいは 中国・江南からの倭人を受け容れて 文字も文献も持ち始めていたかも知れない。ただ 一つのオモロせぢ連関の方式として これを 積極的にアマテラス語理論また律法として 《ことあげ》することには なじまなかった。

  • ちなみに 第三のだとか第二のだとかの渡来民をスサノヲと呼んでいるが――そして いまここまで来たところで言うのも おかしいけれど―― これについては 二点 注意すべきことがある。ひとつは ひょっとすると これらスサノヲたちが むしろ 日本の為政者アマテラス主体になったと思われること。すなわち とうぜん文化的経済技術的にまた政治力学的に原日本人スサノヲたちよりも 優れていたのだから。(青銅器あるいは その後 稲と鉄をもたらした。)言いかえると もしそのように渡来した人びとが主役ではなかったと見る場合には そのかれらのオモロ思想を 原日本人たちは 受け容れて 自分たちの新しいヤシロ共同自治方式としてのオモロへと作り変えていったと考えられることである。
  • もうひとつは 先住民も 日本人スサノヲであることに間違いない。 


デモクラシとは それぞれアマテラス化したスサノヲ市民の共同自治の原理(たとえば 組織・記憶行為の基本として自然法)として インタスサノヲイスムとも言うべき共同主観だが カシハラとは 無理にこじつけるなら おぼつ(タカマノハラ・A)と赤口や(トヨアシハラ・A)との連関の基本形式を言い つまりデモクラシとして A・S両者の一致もしくは弁証法的な綜合である。
人麻呂の上のうたでは このあと

然れども ことあげぞ我がする
雖然 辞挙叙吾為

と言っているのだが それは ただ友人の旅立ちを見送って 無事で行って来いよとコトアゲするに留まる。ささいなことを述べれば はじめの《ことあげせぬ国》では 《事》の漢字を用い 《ことあげぞ我がする》のときは 《辞》またはさらにそのあとに《言上》の原文表記によっている。これは 偶然ではなかろうとも考えられる。
つまり この人麻呂のうたのすぐ前に同じく 作者不明で《言挙不為国 雖然 吾者事上為》とうたっており 逆になっている例が見える(万葉集 巻十三・3250番)。このばあい 《しかれども 我れは事上げす》の内容は 恋人に向かって思いのたけを述べるというものである。かんたんに断定的に言うのだが この場合の《言挙げせぬ国 しかれども事上げす》という意味は 論理的に いや実態として 通らない。《求愛を言葉に表わさない国がらだが 私はあらわす》というのは 相聞歌の伝統にそぐわない。それとも 遠回しには言うのが普通だけれど 私はじかに述べようというような情況なのだろうか。しかし よく考えてみると 遠回しの表現のほうが じかに響くということは 通常でもある。ということによって 傍証しておくことが可能かと思われる。

  • さらにいま 詳しい論証を抜きにすることが許されるならば この直前のうた(3250番)では 

あきづしま やまとの国は かむがらと ことあげせぬ国・・・
蜻嶋 倭之国者 神柄跡 言挙不為国・・・
(巻十三・3250)

  • と言い 人麻呂のうた(3254番。つまり3253番の反歌)では

しきしまの やまとの国は・・・
志貴嶋 倭国者・・・
(巻十三・3254)

  • と言っている。前者では 《あきづ(=トンボ)》が カヅラキ・ヤマトを想わせ 後者では シキ・ヤマトのミマキイリヒコを想定している。瑣末のことのようだが このような観点の相違は――もしそうだとするなら―― つらぬかれているように思われる。もちろん 前者のうた(3250)のさらに前のうた(3248・3249) で 《シキシマ》を言っているのだが このばあい《式嶋》と表記していることも見逃せないように思われる。
  • 人麻呂は 出発点の原理的な共同主観をつねにオモロしていた。しかるに 《あきつ嶋 / 式嶋》のばあい 原始心性がまだ 構造化されず対象化されず揚棄されていなかった。つまり ゆえに 《あかぐちやが依い憑き せるままがなしが依い憑き》 むしろ おぼつ要因たるタカマノハラ・独立派のカヅラキを だから共同主観の形態化としての《式(公式)》を ひとえにオモッテいた。
  • 少々意地悪く さらに攻撃の手を緩めないなら 《あきづ嶋 倭の国は 神柄跡 言挙せぬ国》(3250)と言うのであって――《柄(カラ)》は 腹カラ・家ガラ・友ガラのように 《一族・仲間ないし マキョ・カバネ》などを言うのであるから―― その仲間の共同主観(常識)が 《跡(形跡)》となって表象されたものを うたの作者はオモッテいる。猛烈に我田引水するならば 人麻呂は この《神がらと》と同じ意の《神ながら》(ナは 属格助詞のノ)に 《神在随》の文字を用いた(3253)。
  • これは 共同主観が――《神》を言うことによって 古代市民的な思惟・内省のありかたを示すのではあっても―― たしかに動態として認識されている。家ガラ・友ガラ・国ガラつまり そのようなセヂ連関が 《神在随(かむながら)》として つねに動態過程であることをオモッテいる。また 《葦原の水穂の国》がそうだというのであって そのようなアシハラ=スサノヲシャフト=あかぐちやの動態を かまど(基盤)として おぼつ・タカマノハラ・また全体として《倭国》が 資本連関してゆくと主観している。

これは カシハラ・デモクラシの近代(現代)市民性をあらわすものであっても 原日本人またはそれの日本人としての出発として 誇るに足るべきものでないとは言えない。むしろこれを誇らないなら それが タカマノハラの民族主義と言うべきではないだろうか。そうして このタカマノハラ独立主体思想に対しては かかわりを持たなければならないとしたなら 《阿》の立ち場を余儀なくされたのではないだろうか。あきれかえった後にも 接触が必要であるとする限りで そうだと考えられる。

  • もし誰かが 経済学のことばで言う商品の出現によるところの 経済的な物象の人格化 人格の物象化といった倒錯が このようなオモロ構造において 《あかぐちや》と《おぼつ(タカマノハラ)》との認識上の転倒にあると言ったとしても それが観念論だとして むやみに しりぞけられるということにはならないであろう。足(あかぐちや)を上にして 頭(おぼつ)で立った・つまり逆立ちしたという意味である。


とまれ カシハラ・デモクラシは ヤシロロジ理論として著わされることはなかった。少なかった。わづかに この不文のヤシロロジ共同主観の中での 仮りなる構想としての国家 これにかんして その上部なるスーパーヤシロとしてのタカマノハラが 国家オモロの仮りのものであることを裏返しに立証してのように ノリトやカグラ歌等のオモロの中に 第一原理としてのように継承された。これを ヨーロッパのヤシロロジでは たとえば社会契約説のように 王・アマテラス社会科学主体は スサノヲ市民の共同主観にもとづいて仮りに権力主体として立てられたと言ったのだと考える。
こう考えてくると たとえば一九四六年憲法のようなインタスサノヲイスムに基づく共同主観のヤシロ資本連関過程にかんする一個のオモロは ヨーロッパのヤシロロジの系譜からもたらされたという要因が 多かれ少なかれ強いにもかかわらず 《事挙げせぬ国》のはじめの歴史的な見えないセヂ連関をうたったものだというのは あながちの言い過ぎではないように帰結される。
けれども この《事挙げせぬ国》の中でも ヨーロッパ近代のヤシロロジおよび自然科学を受け容れて たしかに《辞挙げ・言上げ》するようになったのであって ところが ヨーロッパの社会思想(インタスサノヲイスム)および社会科学(ヤシロロジ)は むしろ形態としての国家が――つまり もっともこれを state / état (状態)と言うなら それは動態だが この国家が―― 形成されている中で オモロされてきたものだと考えられる。図式的に言いかえると 国家を《事挙げ》したあとに出来たオモロである。
こう言うと 容易に 日本民族礼讃にみちびかれるが もしこのようにヤシロの歴史的な成り立ちを その大前提を不問に付したまま インタスサノヲイスト・ヤシロロジしているとするなら それは 実はわが民族を少々誇って このことを自覚せずに もしくは隠微に自覚して 他の国々とお付き合いしていることになる。また 動態的にではなく その《神在随》を すでに確立された形態である《神柄跡》として 意地悪く誇っていることになりはしないか。

  • 神ながらという表現が あまりにも原始心性的であるとするなら ヤシロ資本連関過程の共同主観と言った。ヤシロ資本がまだ 抽象的であるとするなら 基体として男の女に対する関係としてのセヂ連関過程であると言いかえた。セヂがなお抽象的であるとするなら ヤシロ資本主体である市民つまりわたしたちであると。つまり わたしたちが 動態であると言ったことになる。

ただ わたしたちの存在が動態であるということを おしえてくれたのは 外国・殊にヨーロッパのインタスサノヲイスムおよびヤシロロジであったのではないか。かれらは 形態としての国家を《事挙げ》したのちに オモロしなければならなかった分だけ そのような《言上げ》(つまり アマテラス語による普遍的な理論化)を つねに為している必要があった。こちらでは 形態としての国家確立という《事挙げ》があったとしても はじめのオモロ共同主観にのっかって展開していった。タカマノハラがわれわれの赤口やを守るのではなく 赤口やが くにやしろ資本の全体を・もしくはタカマノハラをも 守るのであることは もともと織り込み済みであった。したがってこの常識を 個人個人のインタスサノヲイスム(広く 相聞であるとか あるいは つきあい)の次元で言上げしたとしても 全体のヤシロロジの次元でそうする必要をさほど見なかった。事なかれ主義とは――もし それがあるとするなら よくも悪くも―― このことであろうと考えるのである。
これが 一つのわれわれの日本人論である。

  • なお 《アシハラのみづほのくには かむながら ことあげせぬくに》の言葉の中で 次のものが 第三のスサノヲの言葉に関係あるものとしての朝鮮語と同源であると考えられている。
朝鮮語 日本語
pöl(原) para(原)
mïl(水) midu(水)
xala(族) kara(族・柄)
köt(事) kötö(事・言)
  • こういうと おまえは朝鮮のかたを持つのかということになるであろうか。そのような赤口や・アシハラの共同主観 主観の共同性が 生(あ)れましたのである。これをもし名づけるとするなら カシハラ・デモクラシなのであると。
  • もしこのあと 形態的な国家を確立していったとするなら その《事挙げ》のあと その要因であるタカマノハラをつねにオモロし言上げしていなければならなかった。もしこれが ヤシロロジ社会科学とならずに ノリト・カグラ歌のたぐいのオモロ形態でつねに推移したとするなら 形態確立の事挙げは 共同主観形成の事のあとであったからだと見られる。それは 《フヂハラ》方式のオモロであり 日本のヤシロ展開の複雑さは ここにあると思われる。
  • 日本にはよく 英雄神話のオモロだとか 歴史的に英雄の時代だとかが ないのではないかと言われるが このはじめの静かなる共同主観形成が 英雄の時代なのであると考えたほうがよいかも知れない。もしくは そのあと 形態的な英雄が 仮象的に 国家構想の形態実現として・その指揮者としてのようにフヂハラ不比等として あるいは まさにスサノヲ者としての武士の時代の武士となって現われたのかも知れない。戦国時代の武士の物語は たしかに英雄神話なのであって ヨーロッパ等のヤシロの変遷過程とは 手法を異にして 時代をずれて経過したのかも知れない。

(つづく→2006-10-19 - caguirofie061019)