caguirofie

哲学いろいろ

#25

――やしろ資本のおもろ――
もくじ→2006-09-17 - caguirofie060917

第三章 日本国由来記

第四節 同じく 仮りのでない国家があるとしたなら

ここに 一冊の特異な書物がある。それは 《大勢三転考》と言い 十九世紀の紀州藩の財政担当者であった伊達千広(1802〜77)が書いた本である。
かんたんに言って――ただちに内容に触れれば―― オモロ構造=《大勢》が 当時までの日本で歴史的に《三転》したと見る史観を述べているものである。
ここでは もはや詳しく紹介することを差し控えたいと思うが――また あまり引用をつらねることを差し控えたいと思うが(そういう評価のもとでと解して欲しい)―― はじめのひと段落だけを掲げておこうと思う。次のように始めている。

かけまくは畏(かしこ)かれども 言はまくは恐(かしこ)かれども 白檮原(かしはら)の宮(――つまり われわれの想定で オモロ共同主観としては ミマキイリヒコのヤシロ構造――)に 初国知ろしめしし大御代(おほみよ)ゆ(=より) 今のをつつ(=うつつ・現)の盛りの御世にいたるまで 皇国(みくに)の有状(ありかた) 大いに変わる事 三たびになんありける。
其の三転(みうつり)の ありかたをいはば 一つには加婆祢(かばね=姓) 二つには都加佐(つかさ=職・司) 三つには名(な=大名・藩主)になんありける。かれ上(かみ)つ代は カバネもて世を知ろしめし 中つ代は ツカサもて世を政(まつりご)ち 下つ代は 名をもて世を治めたまひけり。かく変わり来し状(さま)を考ふるに 自(おの)づから時の勢いにつれて しか移り来たれるものなりけり
(伊達千広:大勢三転考)

ただちに結論を言って 《カバネ》は 血縁ないし地縁の一族 つまり《マキョ》を言う。その新しい制度的な形態を言うといったほうがよいかも知れない。《ツカサ》は――少し見方が入り組むけれども―― 国家形態のもとの《按司》を言っており 《ナ(=地・国)》は――時代としては 中世封建市民の時代に当てるが―― それぞれのくにやしろ(藩)としての《王国》を言っているようである。
《マキョ》‐《按司》‐《按司添い》といった沖縄のやしろ形態の変遷の歴史と 少し いや 形態的には大幅に ずれているが オモロ構造の本質としては むしろ同じ《三転》としての歴史(そういう見方)を言っているようなのである。もちろん いま上に見た形態的な変遷のその上に・もしくはその背後に タカマノハラ・オモロの奥の院つまり 隠れて独立し支配する国家アマテラス圏 これがあると言う向きには 問題であるだろうが。それは だから 存在しないことによって 存在しようとする人間たちのオモロである。
つまり 征服者の核分裂思想の高度の政治的なオモロのあり方であろう。すなわち 生まれて来てすみませんと言ってのように 生死の真っ只中にあって生きようとする人びとのオモロである。われわれは かれらの存在を愛し かれらの欠陥を憎まなければならない。しかも これは徹底的に愛し徹底的に憎まなければならない。
カバネの時代は 《戸畔(とべ)・祝(はふり)などいへりし渠師(ひとごのかみ)ども ここかしこに おのがしし地を領(し)めて 屯(いはみ)居りしなり》と言うように マキョ時代の《ネガミ(祝)・ネヒト(戸畔)》なる首長(渠師)による共同自治が それである。
按司時代の女性おなり神が ノロであったように 次の時代は ツカサと捉らえられた。ノロは 実際 琉球でも宮古八重山では ツカサ(司)と呼ばれている。また だから ここには――表現上だけとしても――観念の資本的な性倒錯が見られるとしなければならない。沖縄と日本とのどちらかが あべこべになった。
さらにまた この按司ノロのツカサ時代が すでに 共同主観されていた国家オモロの形態的な実現のもとに 生起したのである。すでに ネガミ・ネヒトの首長職を襲う(あとを継ぐ)ツカサは 国家オモロの共同主観形成の過程で――その成立の前後の過程で―― オモワレ発生していたであろうが 形態的な国家の実現のもとに 明確にいわば認知されたと言ってのように 構造化されてその位置を占めた。
つまりこの場合は 二重の構造化であり――言いかえると ミマキイヒコ・デモクラシの単一の構造の中でのツカサの確立を 単独分立したタカマノハラ圏のさらにその奥の院から 権力的・制度的に 再編成しその管理下においた二重の構造的であり―― タカマノハラの共同観念的定立とそれへの忠誠の誓いは 共同主観の中性化として性倒錯をはらんでいた。
中央の按司では 《臣(おみ)・連(むらじ)・造(みやつこ)》 地方の按司では 《君・直(あたえ)・首(おびと)・史(ふひと)・村主(すぐり)》などが これであり 時代を飛んで 天武天皇の時代には 八色の姓と呼ばれて 《真人(まひと)・朝臣(あそみ)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・臣・連・稲置》と改定・整理された。言葉としても 最初のカバネを用いて 過去のオモロ実態を継承しつつ重層的に 構造化したわけである。
柿本・朝臣・人麻呂というとき 朝臣なるカバネが 実際じょう ツカサであり 必ずしもこのカバネが やしろ内の役割としての実質的な職に対応していなかったとするなら さらに時代をくだって 人麻呂なら人麻呂という《名》が そのまま やしろ的な役割をになうようになった。(もちろん 官職制のもとにだが。)
つまり 柿本は《氏》であり これは マキョ=一族内のさらに一つの血族を言うのであろう。朝臣なる《姓》――実質的には按司なるツカサにあたる―― これも 一定の時代の一定のオモロ構造の中に 按司時代なら按司時代 王国時代なら王国時代というように 明確な模型としては 存在せず 過去と現在との重なりあったオモロ構造の中に 捉えられた。かくて 次つぎと時代を飛んで 人麻呂なら人麻呂 信長や秀吉や家康といった《名》――《大名》――が オモロ構造の各やしろの役割としての実質的な主体となったと考えられる。
さらに時代をくだるとすると 明治維新を経て たとえばオモロ構造は 次のように思われたと考えられる。

上世よりして 我が民族は祖宗の民族として 氏(うじ)ありて姓(かばね)なしと称せらる。
すなわち国民の大部分は おおむね其の血統 種系を同じふし 時に或いは蕃別に属する分子(――第三・第四・・・のスサノヲ――)を容るるといえども またことごとくこれを同化して厳然たる一血族を鋳成せり。ゆえをもって君民の間 自然一定の分義(――セヂ連関――)ありて 絲毫(しごう)もあい紊(みだら)ず 王道の公と臣節の正と(――アマテラスとスサノヲと――)ふたつながらあい待って膠漆(こうしつ)の如く・・・
板垣退助監修:自由党史 上 (岩波文庫 青 105-1) 1・1 〈維新改革の精神〉)

かくして カバネ(ないし ツカサとしての姓)を取り払って――また 爵号が備えられたが これものちに取り除かれて――たとえば 輔相(ほしょう)・三条実美 議定・岩倉具視・・・というように 氏名で呼ばれて やしろ資本主体となったと言うのである。
しかし このオモロ構造は 本質的に あの第三のスサノヲの受け容れの際の 按司時代の動揺の中から生まれた国家構想オモロ共同主観にのっとった展開のもとにある。時にタカマノハラ思想(つまり単独分立)をかかえたところの《あかぐちや‐おぼつ》連関なるオモロ構造である。三条氏はフジハラ家の分家であるが 三条実美という一氏名のヤシロ資本主体そのもののもとに 《あかぐちや(S者)‐おぼつ(A者)》連関の構造が見られるのである。かれが 輔相なるA圏の職務をになおうが担うまいが そのやしろ資本主体のありかたに変わりはない。これが ヤシロ資本のセヂ連関の歴史的な変遷である。
江戸時代後期の人 伊達千広は このような大勢三転が 《おのづから時の勢いにつれて 移り来たれるものなり》と断じた。この自然史的過程による歴史観を持つかどうかを別としても オモロ構造は 仮りのヤシロ形態構想を共同主観した。また その上に立って タカマノハラ圏を独立させる動きが現われた。そのときには はじめの共同主観が向きを変えられて 人びとのオモイの中へ上からやって来る共同観念(ナシオナリスムあるいは アマテラス語道徳・時に幻想共同)となったと言える一つの契機つまり転変の契機を 見過ごすわけには行かないであろう。
すべて この歴史的な大前提のもとに 移り来たったのだと言っても あながち否定できないことであろう。また 《自由党史》も このオモロ構造の大枠組みを継承したのである。
この枠組み つまり より明確なオモイの目に見えるものとしては 形態としての国家 これが 仮りのものであったとするなら これにかんして 共同主観のセヂ連関は 何が仮りのもので――共同自治のための手段として仮りのもので―― 何が歴史共通基盤として基本実態であるかを 明らかにして吟味しなければならないのである。
王国が 仮りのものなのである。ミマキイリヒコ・デモクラシのもとの按司添いであるミマキイリヒコの共立 これが 仮りのものなのである。もしくは ヤシロ資本連関の中での役割・職務なのである。《氏》――家族――が実態であることに変わりはないであろう。そして《ツカサとしての姓》 これも 各地域(都市)の共同自治の公民アマテラスとしてむしろ実態であるだろう。この按司をおそうスーパーツカサとしてのくにやしろアマテラス社会科学主体 これが 仮りのものである。

  • 仮りのやしろ形態のなかで人びとの共同主観として生きる限りにおいて 現実であり その共同観念化として 仮りのさらに仮りのものである。

くにやしろ形態つまり国家 これが むしろ基本的なオモロ共同主観であり 人間の現実もしくは実態である。この現実の上に タカマノハラA圏単独分立としての国家形態 これが 共同観念であり むしろ部族的・民族的または原生的な国家概念なのである。ミマキイリヒコのカシハラ・デモクラシが フジハラ方式によって仮象デモクラシとなったそれである。櫧(かし;橿・樫)のように立つのではなく フジのようにオボツカグラ概念とつるむのであるかも知れない。タカマノハラA圏が内部で 部族的・原生的に自らの血筋なる蔓が伸びて覆い尽くすかたちである。フジは 葛を連想させるから カグラ歌は《山葛せよ》とうたったのかも知れず また カヅラキ独立派をそれは 継承しているとも考えられる。ミワないしヘグリのヤマト・ヒミコ連合派と カヅラキ独立派と〔また静かなるイヅモと〕を オモロ綜合的にアウフヘーベンしたのが カシハラであった。カヅラキ独立派を継承するフジハラは ヒミコ連合派(取り替えばやのオモロ)をも抱き込んでいる。静かなるイヅモは これに対してあまりにも弱すぎた。
ヨーロッパとの・第四第五のスサノヲとの通交において 仮りの・および二重の仮りのヤシロ形態オモロは オモワレつづけた。また 他方で そのように 新たなくすぶり・ないし動揺を存続させている。この動揺を吟味することが わたしたちの課題となるだろう。
やしろ資本主体は たしかに 氏・姓・名もしくは 個体の観点からの順序として名(おなり・ゑけり・こで)・氏(マキョ)・姓(按司) これらの要因の綜合されたセヂ連関の中に生きている。便宜上 いわゆる国際関係として 王=按司添いアマテラス公民を任命したのである。このスーパー按司は やしろの仮りのツカサである。つまり 共同主観としての仮りのである一面と それが共同観念となった二重の仮りのである一面とが オモワレなければならない。
ところが このスーパーツカサが 一つに性倒錯するとき ヒミコ・聞こえ大君を継ぐようになり 一つに あかぐちやスサノヲシャフトに対して 逆立ちして連関している。国家構想なるオモロ共同主観の上に 形態的な国家が確立されたが これを 《建国》記念日と称している。そうではあるまい。聞こえ大君が 建国を記念してオモロするのではなく 人びとが その《あかぐちや‐おぼつ》連関の自己のオモロの中に はじめの共同主観の歴史的継承たる聞こえ大君(記憶)の声を聞くのである。
しかし オモロ共同主観は セヂ連関の――氏姓名なるヤシロ資本主体どうしの――動態であり過程でしかありえない。これを国家アマテラス‐スサノヲ連関体制として確定するのは スサノヲシャフト動態の共同自治の一つの手段でしかありえない。このことは おぼつかぐらなるタカマノハラ思想として この国家形態の確立以後 つねに 形態的な聞こえ大君となってのようにオモロしていなければならなかったこと自体が 証している。
それは 動揺の動態――もしくは 動揺の前の共同主観の大前提――をオモッテいるのであり 仮りの形態であることを証明しつつ歩んできたことのほかのことではあるまい。
したがって このオモロ構造の内部から 性倒錯と逆立連関とをもとに戻すようにして 吟味・再編成してゆくことが 対外的な国際関係の面でも おおきくセヂ連関(つまり 経済・文化的な関係)を動態的な共同主観としてゆくことの道であると言うことになるはずである。
たしかに 大勢が三転して 明治維新あるいは昭和の敗戦を経て 四転あるいは五転したのであり したとするなら 二転の時は オモロ構造の国家的な仮りの拡がりなのであり 四転の時 これをふたたび受け継ぎ 五転の時 二転の以前の最初の情況の確認が成ったと思われる。二転以前に戻れというのではなく おぼつかぐらのタカマノハラ化 聞こえ大君化 この要因を 歴史的なオモロ構造の中に もう一度戻し返すべきなのではないだろうか。
仮りの国家構想がただちに元に戻るかどうか これにかんする氏姓名による公論オモロがその動態をかたちづくるであろうが 性倒錯とカグラ歌は 明らかに スーパーツカサだとして まず 捉え返さなければならない。これがまず ミマキイリヒコの時の全体的な共同主観であったと考えられるから。また この独立派スーパーツカサの主体思想が 取り替えばや=排除の論理を持たないことを 建て前としていた。もしくは 見えないセヂ連関の動態としていた。《氏があっても 姓はなかったという自由主義》 これは 大枠のオモロ連関の中での 流動的な停滞である。
スーパーツカサ聞こえ大君のもとに 《自由主義》が こうオモロするのである。《姓》=按司(都市の首長)の性をなくしてしまおうと言うのである。だからわたしたちは 全体としての国家オモロの吟味にあたって はじめの共同主観のよみがえりを持ったなら 容易に この性倒錯を否定しようとして 性倒錯をつづける自由主義オモロをまず吟味するという課題を持つであろう。
言いかえると 仮りのと二重の仮りのと それぞれ やしろ役割分担するアマテラス当事者のオモロを吟味する――そこには当然 共同自治のため 従うことを含む――とき むしろ 直接の課題としては この自由主義オモロなどのようなアマテラス予備軍のそれを吟味してみなければならない。タカマノハラ国家とつるむかのようなフジハラ主体思想とつるむ自由主義オモロ これらの実態が 独立派スーパーツカサは 取り替えばや=取り込み=排除の論理を持たないというオモロを 補完している。つまり偽って 実態としていることを 容易に見出すであろう。
もし 仮りのでない国家があるとしたなら それは 実際にはそう見えるだけなのだが このように 二重の仮りのであることによって 《仮り》があたかも打ち消され現実性を帯びるかのようなフジハラ主体思想のオモロがそれだと言うことが出来よう。
沖縄の歴史に照らして見る静かなるイヅモ=ミマキイリヒコのオモロ共同主観は 以上のことを語っていると思われる。つまり逆に 以上のことが 静かなる弱きイヅモの共同主観の歴史現実性を証すことになるだろう。弱いということは 存在していないということではない。
(つづく→2006-10-13 - caguirofie061013)