caguirofie

哲学いろいろ

#26

――やしろ資本のおもろ――
もくじ→2006-09-17 - caguirofie060917

第三章 日本国由来記

第五節 やはり国家形態なるオモロ構造の動態を見守ることが 現代の課題である

アニキウス・マンリウス・セヴェリヌス・ボエティウスというのは 最後の名称が 《名》であり――つまり この個体は ほかの誰でもないボエティウスという一個の存在であり―― 最初のファミリ・ネームが 言うまでもなく《氏》である。真ん中の二つの名称と アニキウス家とを綜合すると 広く《姓》に発展するかも知れない。要するに このようなセヂ連関の中のボエティウスという個体が 単位的なヤシロ資本主体なのであり この社会主体が織りなすスサノヲシャフト的なヤシロ実態は オモロ構造的に 広義の《カバネ》連関または 時に指導者としての《ツカサ・按司》なるヤシロ役割を含んだ諸関係を言うと考えられる。
いま言っていることは あたり前のことだが
 同じく当然のこととして このようなマキョ連関ないし按司連関の生活(共同生活)の過程で 歴史的に 按司添い=スーパーツカサ= カバネを授けるというようなアマテラス社会科学主体 これが登場し――したがって はじめのスサノヲ共同体の《まつり》が アマテラス圏を含めた《まつりごと》となって現われ―― そのような構造的なオモロ共同主観の中で 共同自治が行なわれるのである。

  • ちなみに この――西ローマ帝国が滅んだあと また オドアケルの王国のあと―― 東ゴート王国の中で ボエティウスは 首相にまでのぼったが 首相アマテラスのほかに テオドリック大王なるアマテラス もしくはアマテラシテがいた。もちろん テオドリックは 征服者である。ただ このゲルマン民族の東ゴート人たちは 必ずしもローマ人のヤシロの中で同化しなかったと言われる。
    • たとえば ゴート人のやしろ連関は ローマ社会と分離され ゴート人どうしの中では 独自の法律としてのオモロを持って 共同自治した。
  • したがって これに対して いまは 異民族たる第三のスサノヲが 第一・第二のスサノヲのやしろの中へ同化して 二重構造的な《まつりごと》のもとに共同自治を敷くばあいである。そして 民族の異質ではなく オモロの異質・異同に問題がある。
  • オモロは 共同主観であり 経済的な利害関係(または 生活の共同自治)つまりその制度の問題であり ここから 慣習や倫理形式などのエートスの問題も発生しているであろうが このエートスを分析整理するのではない。
  • もっとも ゴート人とローマ人とは おおきくはインドヨーロッパ語族として 同源である。

われわれは 仮説的に 日本および沖縄のばあい そしてユダヤの社会のばあいに きわめて世界の中でも特異なものとして このアマテラス社会科学主体の登場が つまりその征服の場合を含んだ社会形態としての事実が 一挙に先行するというのではなく そうではなく むしろはじめに国家(くにいえ・くにやしろ)なるオモロ構想が持たれ これによって共同主観がつくられ しかるのちに 国家という形態も 現われたのではないかと述べたのである。

  • ユダヤ社会では 周りのくにぐにとの関係から 自分たちも王をいただこうというオモイが出て来た。そののち 王アマテラスを持ったということが 記録に明らかなようである。

ユダヤの場合 この王の登場が その大前提としての人びとの共同主観によって たとえ文書があとから記録されたものであれ 明確にオモワレ 実現されたものであって その後も明確に記憶され自覚され 生活そのものであったゆえ 国家が滅んだあとも 各地に散らばっていようと この共同主観は 歴史的な大前提を直接の基調にしてオモワレ続けた。
日本では わづかにイヅモのオホクニヌシの国譲りといった古事記の記述が これにかかわるものとして伝えられているが この大前提としての共同主観はそれとして明確にオモワレなかった。いや 表現じょう 違ったかたちで 伝えられオモロされた。沖縄でも 王国の出現のあと 記録として 伝えられた。沖縄のばあいは この記録としてのオモロが 国家単位のセヂ連関の純粋類型をかたどるかのように 非常に明らかなかたちで 先行する前提としての共同主観をも伝えたと考えられる。

どこを見ても 金太郎飴のように 少なくとも初めの・あるいは生活基盤としての オモロ構造は 明確に受け継がれた。日本では これに対して よりいっそう複雑である。ユダヤのナシオナリスムとしての共同主観とも 違った様相を呈している。沖縄が 琉球王国なる一個のやしろとして独自の一民族の全体であったとしたなら ユダヤのやしろオモロに近いかたちが現われたのかも知れない。
日本の国家形成にかんするオモロ共同主観の複雑さは 原日本人が 第三のスサノヲを受け容れて 日本人となる過程での 新たな動揺・跛行・新旧の錯綜・ずれ・いやむしろそれら全体の重層的成立というべきものの跡を残して そうだと言うべきである。またもし われわれの仮説(本章第三節)がただしいとするならば この前提としての共同主観的な国家構想――それは それとして すでに動態であった――を 形態的にもその意味で一挙に 実現したという内部流動的な歴史を有するからであると思われる。
この内部流動的というのは 共同主観構想の大枠の中でのそれであって ヒミコの按司連合政権といった流動的停滞を カヅラキ独立派のフジハラ主体思想によって継ぐものとしての国家形態の確定であったと仮説するそれである。ちなみに この《第二転》の一派生形態が 《フジハラ》なるオモロの力によってもたらされたとしたなら 明治維新の《第四転》において たとえば三条実美というフジハラ氏の一分家がそこに参加したということは 象徴的な出来事だと言うべきであるかも知れない。

  • すべてその力があずかったというわけではないだろうが オモロ構造の展開にあたって 象徴的な役割をそこに見ることが出来るかも知れないというほどの意である。また この点は 個人的な問題ではなく 公民アマテラス者としてのそのような行動として これを取り上げることが出来るかも知れない。昭和の敗戦という《第五転》の前に 戦時体制の強化・国民精神総動員なるオモロをうたったその中心人物としての近衛文麿が 同じくフジハラ氏であったことなど 象徴的に関係するかも知れないと思われるのである。

もちろん 個人の責任に歴史の流れを帰すものでないことは 言うまでもないが せぢ連関主体として特定の個人がいないことには オモロ構造の進展として その方向の偏りを持つこともないと言わなければならない。したがって この特定のヤシロ資本主体とともに やしろセヂ連関において すべてのスサノヲ者市民が かかわると言わなければ成らないことには イロハのイである。
これは しかし  オモロ共同主観内部での核分裂思想であると思われる。だから 大前提・大枠の共同主観が それじたい 全体としてのやしろ資本連関の動態となるなら 氏としてのそしてアマテラス者としての《フジハラ》氏の問題は 揚棄されてゆくと考える。というよりも 昭和の敗戦の新しい時代 つまり《第五転》以降 これが解決されたと言おうとしている。矛盾がなくなったのではなく 矛盾の解決の仕方が 基本的に解決されたと言おうとしている。
問題は この歴史的な大前提を歴史的に再確認することではあるまいか。つまり まだ《対象化》ができていない。原始心性の揚棄 ないし 第一次的な共同主観のよみがえり これの対象である。それは 第三者としてながら ユダヤ社会の問題もそうであるというようにである。これが いかや世界史的な問題・課題なのであると 歴史の勢いにつれて なって来たのだと。
で 解決されたということは もちろん 動態的な過程であることが それであったのだから 動態としてこれをオモッテいかなければならない。たとえば 瑣末なことのようであるが 古代市民の国家形態のもとでのオミ(臣)が いまにもアマテラス主体の職務名としての大臣に残されている。これが 新しいオモロ構造の中で どのような位置を占めるか または 時の勢いによって 名称を変えるようになるか 論議されなければならないであろう。
自由党史》のように 《カバネ無し》とは言わないのであったが しかし大臣は スーパーカバネ(ツカサ)ではある。一つに やしろ諸連関の動態とは このような事柄を――むろん 経済的な制度の施策とともに――扱っていかなければならないと思う。またこのような点に注意を向けることは 意外と事の本質のように思うのである。さらにまた あの《第五転》の以降 オモロ構造の基本的な解決がなったと考えるゆえ 解決であるがゆえに 停滞の安堵ではなく 動態であるから いまオモワレていかなければならないであろう。が ここでは 新しい案を出すことが 任務ではない。


天武天皇の時に 八色のカバネの制度が敷かれたことを見た。伊達千広の《大勢三転考》はこれにかんして 次のように見る。言いかえると このカバネは 新旧の重層的な職務の中での名目的な成立であって 実質的には廃止されたことを物語るのだと言う。

孝徳天皇の時代に カバネの習わしを改めて 八省百官を置き 法度・律令を施行してより後 天武天皇の御代十三年(685)にいたって 遂にカバネは廃止されることになった。
すなわち同年十月一日の詔で 

新たに諸氏族の姓を改め 八種の姓を作って 天下の万姓を統一することにする。第一に真人 第二は朝臣 第三は宿禰 第四は忌寸 第五は道師 第六は臣 第七は連 第八は稲置である。

・・・さて新しいカバネで 真人を最上位とし これが皇族のカバネとなったのは 〔天武天皇のアメノヌナハラ〕オキノマヒトという御名に基づくのであろうか。また道師というのは 画工・医者の類いをいうのである。そもそも臣と連は大昔から貴族(按司)であり 雄略天皇の御代に大臣・大連を置かれ 諸氏を統括する場合にも臣・連となるべきところを 新しく朝臣宿禰などを置かれ こともあろうに道師の下に臣・連両カバネを置かれたのは 驚くばかりの御英断であり 普通のお定めとは思われない。
それについて深く考えてみるに もろもろのカバネ(有姓者)どもは 白檮原の宮(――国家構想のオモロ共同主観――)で始めて国をお治めになった時以来 代々〔そのカバネを〕受け継いできたものであるから あのソガ氏のように威勢強く 奢り高ぶる者も出てきたのであり エミシ・イルカ父子にいたって特に分不相応な振る舞いがあったので 天智天皇がフジハラカマタリ大臣と深謀をめぐらされて この二人を御誅伐になったのである。この時から 中国の制度が次第に滲透してきたのであるが 中国の官職の制度は 日本のカバネの代々変わらず一家に伝えられるのと正反対に 能力のある者を採用して無能力な者をやめさせるものであり したがって 〔有能であれば〕身分の低い者でも高位に昇進するが 〔無能力であれば〕貴族であっても下位におとすのである。また 〔官職の制では〕諸国の土地はすべて 〔天皇が〕国司・郡司に命じてお治めになるので 今までのカバネの威権を挫(くじ)こうとなさるなら これが最も有効であった。
ところで 孝徳天皇の御代に種々の御制度がうまれ カバネの習わしをお改めになってから後はまったく官職の制度になったのに 〔天武天皇の御代になって〕さらに八種の新姓をもって万姓を統一なされたとあるのは やはり大昔から繁栄を続けてきたカバネであるから 公的な御制度はお改めになっても 私的にはなお その習わしがすぐにやまるあhずもなかったのだからである。それに臣・連などを称した貴族は 急にその勢力を失うはずもなかったし いづれにせよ新しい官職のほうには関心を示さなかったであろう。それ故 この時に種々のカバネをわづか八種に統一なさるだけではなく それまではあれほどまでに貴かった臣と連とを 〔新姓の中で〕まったく低い姓におとしてしまわれたのは カバネというものを有名無実になされようとした御英断であって 〔新姓を定めてから〕直ちに 今まで臣・連などのカバネを称した貴族には 朝臣あるいは宿禰などの貴い姓を賜わったが これよりカバネの本質は失われて 単なる髪や冠を飾る花のようになってしまったのである。
もともとこの八色の姓は これをもって万姓を統一するものとされたのであるが この後 これ以外の姓がなかったわけではない。・・・〔この時 八色の新姓で〕万姓を統一されたのも やはり この御代のありさまに応じて出されたお定めであって これによってよく考えてみると 〔このお定めは〕まったく臣・連〔などを称する貴族〕たちの威権を挫いて 新制度を樹立するためのものであったと思われる。こういうわけだから 官職〔の制〕は上宮(聖徳)太子の御法(十七条憲法)に始まり カバネ〔の制〕は天武天皇の御代に廃れたというべきである。
(伊達千広:大勢三転考 石毛忠訳)

長々と引用してきたのは 文体のリズムが――訳文でも――オモロ構造の展開〔のリズム〕をあるいは伝えているように思われたし このような《第二転》(その派生としての形態的な国家成立)ののち このように 前向きにオモロ構造が――日本としては ともあれ より複雑に――すすめられてきたのに対して 《第五転》以後では 基本的に この《第二転》がおおきく再認識(その意味で よみがえり)されようとしており これについては なお新しいセヂ連関をひらいて行くにあたって このような流れの上に立って ただそのまま前向きにすすむのではなく むしろ基本的な解決のあとの動態は 後ろ向きに〔前へ〕すすむのが 正解であろうと思われたことを 示すためである。
どういうことかというと このように オモロ構造が前向きに展開されたということは 共同主観オモロとしての・あるいは現実形態としての 国家の構造の中で もろもろのスサノヲ市民がその位置・役割を時に変えつつスサノヲシャフトが変化してゆくなかで 一般に カバネにしろツカサにしろ それらのアマテラス的役割が――つまり スサノヲ主体が―― アマアガリする方向で 確立・改定されていったことを示している。が現代では むしろ国家形態を直ちにはいじらないのではあるが これらのカバネ・ツカサについて そのようにアマアガリしたスーパーカバネ・スーパーツカサにかんしては 逆にアマクダリさせる・少なくとも 抽象的・仮象的なアマアガリとしてのスーパーであるということを オモロして実行していかなければならないと思うからである。
これは 現代の課題であると考える。
もっとも現代でも スサノヲによる選挙によってアマアガリするわけであるから これも基本的に解決されている。少なくとも 以上によって その方向を――基本的な解決の動態の中の方向を――確認することができる。一つに スサノヲシャフトの中の――自由都市連邦(インタムライスム)としての都市水準での――カバネもしくはツカサが 最重要であり この上の・S圏に従属するA圏におけるというスーパーツカサの位置が 方向として 考えられると思う。
(つづく→2006-10-14 - caguirofie061014)