caguirofie

哲学いろいろ

#20

――やしろ資本のおもろ――
もくじ→2006-09-17 - caguirofie060917

第三章 日本国由来記

第一節a ヤシロロジとしてまず 《日本》が単位である

日本列島には 原日本人がいたと考えねばならないであろう。おそらく その後の縄文時代のとき 第二の原日本人を形成するべき新しい人びとがやって来た。なぜなら アワなどの穀物は 日本に初めからはなかったと認識されるから。その後さらに 穀物の中では イネを持った人びとの渡来が画期的であった。はじめの原スサノヲに対して これら第二のスサノヲは 倭人ないし韓人であったと考えられる。
第三のスサノヲたる扶余(ツングース)人――またそのオモロ――との関係で 一般に 日本人の成立を捉え 論議しなければならない。

  • しかし 第二のスサノヲまでの日本人が その本質において 変わったと言おうとするものではない。それは 第三のスサノヲについて見ても 日本人への同化の以前と以後とにかんして 同じであろうから。ただし 人びとのオモロ構造の内的な発展や国家構想のオモロの生起ののち 形態としての国家を確立し 人びとが このヤシロ形態の一員として暮らすようになったとき そのヤシロ資本主体としての姿は 同じく画期的なものがあったであろう。
  • 不用意ながらの発言としては その前のイネの農耕による生産力の増大という一つの画期から継続して来たものと見ることも出来よう。たしかに 昔の狩猟・採集・漁撈のときのそれとは異なるような形の生産物の剰余を 社会的にもたらしたからであり 時間というヤシロ資本形成の過程 つまり《現在》を人びとは そこに将来という要因を構造的に容れたかたちで 生きることになった。つまり 赤口やぜるままがなしのオモロの中に・その上部に おぼつかぐら(天・ある意味で光)の要因を持つことになった。要因として 前々から持っていたが これを対象化し そして 必ずしも二元としたわけではなく そうではなく 構造化することになった。
  • 対象化・構造化の時点ですでに 日本人のオモロ共同主観の成立を見ることが出来る。その原形式である。なおかつ 世界は 日本人のみによって成り立つわけではないから さらに第三のスサノヲとの関係過程の中で 対自的な《日本人》の成立を 論じる必要があろう。

言いかえると 国家構想の共同主観的形成(新しいオモロ構想の生起)は むしろ異民族たる第三のスサノヲによるタカマノハラ圏の奪取 もしくは 第二のスサノヲまでの原日本人の中からのタカマノハラ圏単独確立の動き これらを契機として 対自的にも(全体として対象化しつつ) 認識し実践するようになったという捉え方である。

農耕民というのは 元来 国づくりをしない民族なのです。外敵がないかぎり 農耕民族は国家というものを必要としないのです。
そこで遊牧民騎馬民族がかれらの土地に入って そこで雇われマダムのような形で国をつくることが多いのです。騎馬民族は国づくりや軍事・外交の専門家として乗り出していくのです。そして自分たちはその国の王公・貴族になって いつの間にかそこの人間に同化されてしまう。
日本においても そういう形で 東北アジア騎馬民族(――第三のスサノヲとの想定である――)が 日本の統一国家をつくったのです。農耕民族の世界では 小さな原生国家 あるいは部族国家のようなものはできても 民族や国土の大部分を統一した国家をつくるということは 世界史の中でも少ないのです。
江上波夫対論 騎馬民族説 1)

この見解をいま 歴史学的に詳しく議論しようと思わないが 一つの背景として・もしくは前提的な考察対象として持ってすすむことは 必要であり あるいは 議論をより生産的にしてくれるであろうと言わなければなるまい。
もちろん この第三のスサノヲによる征服国家説を採る場合でも 上にも見るように そのような形態的な国家が確立される前に 《原生的な国家》としてこの日本の地に 倭国ないしヤマト国等が出現していたことは認められるし 一般にもそれは通説である。
ここでやはり沖縄の歴史を考え合わせてみるとよい。そこでは おそらく 騎馬民族ないし第三のスサノヲの国家形態(そのオモロ)に接して オモロとしての影響を受けつつも その人びとの渡来・侵入を受けなかったのであるから そのような情況のもとに一定の《国家》をつくっていった事情を捉え合わせるとよい。

  • 源の某がやって来て 国家的な統一への動きを始めたという説があるようだけれど。

そのように 赤口やぜるままがなし(生活)のオモロを基調として 独自に マキョ時代から按司時代を経て 按司添いなる王の国家として またそれを観念の資本制として 形成したという点にかんして その中の《天》つまりオボツカグラないしタカマノハラなる要因の位置は どんなであったか これが焦点となる。
おそらくまず すでに見てきたように この琉球王国はやはり確かに 部族国家の類型に入ると言わなければならない。オボツカグラを共同観念アマテラス語化させ タカマノハラ(統一アマテラシテ)とした核分裂・核拡散の動因を孕んだナシオナリスム観念の資本制は 希薄であったと考えられる。

  • オボツせぢ・カグラせぢと タカマノハラとは 用語の違いの問題だけではなく 人びと(スサノヲ市民)それぞれの 初めの 赤口やぜるままがなしの認識に関して 違いを生じさせるものと考えられる。

国家の下にある祝詞なるオモロには 《鎮火(ほしづめ)の祭》のそれがあり そこでの火の神(これを 赤口やぜるままに 当てるならば)の扱いは 次のようである。
まず イザナキとイザナミによる国土創成の最後に《火(ほ)結びの神》(カグツチ=火の神)を生んだと 古事記等と同じくオモロして また この火の神を生んだことによってイザナミが亡くなったと述べたあと 《吾が名妋(なせ)のミコト(=夫イザナキ)は上つ国を知ろしめすべし 吾(妻イザナミ)は下つ国を知らさむ》と言って いわばまず上下 縦の関係で セヂ連関を構造化させた。このあと 《この心悪しき子(火の神)の心荒ぶことに対しては 水の神などをもって鎮めまつれ》と言うことになる。
だから 沖縄では 赤口やに仕える女性が 水の神をもって――天女・おぼつを介して―― ウビナデをおこない よみがえりの思想を継いで やしろの共同自治の一環とするのに対し 日本の国家形態のもとでは 火の神が一例として悪しきものとされる要素が起こった。あるいは 古事記では イザナミが火の神を生んで亡くなったことに対して イザナキは怒り この火の神を斬ってしまう。赤口やぜるまま(炉)を かまどに当てはめると 古事記のオモロでは 《大戸比売(おほべひめ)の神》つまり《竃(へ / へっつい=竃つ霊(ひ))》として登場するが これが主役をになうことはないようだ。
つまり オボツカグラとタカマノハラとの両概念のちがいは あかぐちやぜるままがなし(火の神)の認識に違いを生じさせた もしくは その逆であるかも知れない。日本では これを 単純に飛躍させると 男女両性のヱケリ‐オナリとしての関係(はじめの素朴なイザナキ‐イザナミ関係)を発展・揚棄しようとする余り この兄弟・姉妹のセヂ連関そのものを否定して さらに 男がタカマノハラをになってのように 女性よりも優位の地位に立ったとも考えられる。
女性が タカマノハラの第一主宰者(女帝)であった場合でも 男性もしくは父性の優位のオモロ あるいは赤口やに対するオボツカグラの優位のオモロが 前提であったのではないかと考えられもする。
だから それ以前の世界にあって ヒミコのヤマト国が ヒメ‐ヒコ(つまりイザナミ‐イザナキ)のセヂ連関をまだ保持し そうして これを共通の基盤とするときにも その聞こえ大君の琉球王国の類型よりも しかしまだ 明確な按司添いの概念を持たず 段階的に言って より古いものでもあると考えられた。
わたしたちは このヒメ‐ヒコ制のオモロと 形態としての国家実現とのあいだに 《赤口や(一種のS)‐タカマノハラA)》構造連関する国家構想 そのようなオモロの成立を 仮定していた。


言いかえると ヤマトのミマキイリヒコの国家も その後の記紀やノリトやカグラ歌を持った段階の国家形態に較べると たしかに 農耕民の原生的な国家であったと言わなければならないようである。
これらの点からは たしかに 第三のスサノヲとの兼ね合いからこそ あたかもそれが最後の一段階(一突き)となってのように 国家としての日本人が成立したのだと捉えなければならないように考えられる。もっと大胆に言えば たしかに 日本人の国家形態は 広義の原日本人が 第三のスサノヲを加えて 成立したという要素が強いと思われる。つまり この思われるというようなオモロとしての観念の事情を捉えることで ここでは 足りるとさえ考えられる。
言うまでもなく問題は その過程にある。仕組みも 重要であろう。すでにわたしたちは 第三のスサノヲの入る以前に ヤマトに ヒミコの国家せぢ連関体からなお発展した国家構想のオモロの成立があったであろうと見たが この前提で言うと このミマキイリヒコの構想(それは 共同主観 だから むしろ 動態)としての国家が どのようにして 形態としての国家になっていくか。そのオモロ構造の展開・変質・さらなる発展(後退的展開を含む)はどうか。
ところが このように指摘しゆくことは すでに はじめに 解決が損座いしているところへ 問題を提出していることのように思われる。この問題は 問題にならないと思う。なぜなら ヤマトのミマキイリヒコの国家構想では あるいは それでも 形態的な国家の形態的な要因(また 領域)としてのタカマノハラは すでに織り込み済みなのであって しかもこのタカマノハラ圏の想定は 全体としてのヤシロせぢ連関の動態・共同主観過程の中に 仮りに設けられたものであることが その本質であるからだ。わづかに 第三のスサノヲが 外からであれ その外の人びとのオモロを受けついた内なる人びととしてであれ このタカマノハラ圏を乗っ取ったとすれば 取ったとしても 構想としての国家に変化はないからである。

  • ただし 主義となると 内部で逆立=倒立が生じた。

すでに 《一人の按司添いアマテラス(ミマキイリヒコ)と 一般スサノヲ》とのセヂ連関形式は 前者をタカマノハラの象徴形態として 成立しているからである。そしてこれが つまりいま述べているような国家構想の共同主観的な成立が その第三のスサノヲによるタカマノハラ圏奪取のあと 認識されるようになったのだとしても 何ら不都合なことはないであろう。それは 《日本人》の成立を 対象化し 明確にしたにすぎない。
これが たしかに 《遷却崇神》の祝詞に言うところの《皇神たちは 荒びたまひ健びたまふ事なくして タカマノハラに始めて事を神ながらに知らしめて》の意味だと思う。
ここで これらの認識が しかしながら 第三のスサノヲによるタカマノハラ圏の奪取のあとではなく まったくのヒミコ部族国家体制のところへそれを征服して形態国家が出来上がったあと 成ったものであるとするなら――つまり このあとで初めて タカマノハラ圏が出来上がったものであるとするなら―― そのときには 確かに国家構想そのものも 形態的な国家の成立のあと 認識されるようになったことになる。
が このことは 事の本質を何も変えない。なぜなら この新しい日本人の国家形態は 植民地でも傀儡政権でもなく 第三のスサノヲは そうと言えども 《同化して》ここに セヂ連関の形成主体となったのだから。あとは わづかに 国家形態の具体的な内容(=形式)が 歴史的にどのように変遷して行ったか また 現代においても これを継承しつつどう発展させるかにしかない。

  • 赤口や(スサノヲ・葦原)‐おぼつかぐら(アマテラス・高天原)》の連関といったオモロの構造内容は 一つの観点として まだ 有効であると思う。つまりむしろ個体として または 男と女の関係として 《せぢ》の問題である。

(つづく→2006-10-08 - caguirofie061008)