2013-01-01から1年間の記事一覧
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie (1) イエス・キリストは モーセやアブラハムより先にいた。 ▲ (ヨハネによる福音1:1〜5) 〜〜〜〜 はじめに ことばがあった。 ことばは かみとともにあった。 ことばは かみであった。 このことばは はじめに…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie ◇ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 厳密には、異邦人との共卓とは異なるのかもしれませんが、 異邦人と共卓をすることを避けるようになったペテロ(ケパ)の姿勢は、 イエスの立場に反するのではないですか? 〜〜〜…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie ◇ III 十二使徒とは、何なのでしょうか? イエスの教えを伝えるためのタダの装置のようなものなのでしょうか? ☆ 解説書を読むと 当時において〔も〕 遠くは預言者の系譜として 文書としての律法(ないし聖書)をおし…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie ◇ 1 キリスト教は、基本的に《主⇔従》、《A⇔S》の論理だから ☆ この問題について 次のように考えます。 すなわちわたしの筆のチカラは及びませんので 例によってアウグスティヌスです。 ▼ (アウグスティヌス:自由意…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie★(No.1補足欄) そもそもが、精神的なことそれ自体が神であるということですね。 ☆ いいえ。人間という存在は 身と心とから成り それらを超えて 神の領域が――《非経験の場》として――想定されます。 つまり 神は人間を…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie ひとは 生まれついたそのすがた(自然本性)において 神に近くあります。 それは 人間がどうにかして成ったものではありません。人為と人智を超えています。そういう意味での自然です。(超経験ないし超自然という言い…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie 1. パウロが《文字はころし 霊は生かす》(コリント後書3:6)と言ったときそれは 《文字》をモーセの律法の規範性に当てて言ったと思いますが 一般に文字ないし言葉ないしその概念が 聖化され神と見なされること…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie まづ 定義から入ります。 序 《理性》は 広くは《精神》全般を表わすこともあり 狭くは 或るコトから別のコトを論理的に導く(つまり推論する)能力を言うようです。 ひとの存在を 《身と心》に分けたとき その心のこ…
あわれ つまり あはれ これは あぁ(あは。 Ah ! Oh ! )と声が思わず出るようなことがらについて何らかの気持ちや思いを表わそうとする言葉です。 あらゆるものごとについて もともと 言います。 あは‐れ とレが付くのは わ(我) → わ‐れ そ(其) → そ‐れ…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie 原罪は 悪魔とともに 方便。無い。屁の河童。 1. 原罪は 無い。方便として説明したのみ。悪魔としてのヘビが 方便として表現じょう用いられたのと同じだ。 2. 無明(≒煩悩)が 乗り越えられないものとしてあるので…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie 原罪は 悪魔とともに 方便。無い。屁の河童。 1. 原罪は 無い。方便として説明したのみ。悪魔としてのヘビが 方便として表現じょう用いられたのと同じだ。 2. 無明(≒煩悩)が 乗り越えられないものとしてあるので…
Sutta Nipāta 5.16Mogharājamāṇavapucchā (1116-1119)(iccāyasmā mogharājā): “ Dvāhaṃ sakkaṃ apucchissaṃ, Na me byākāsi cakkhumā; Yāvatatiyañca devīsi, Byākarotīti me sutaṃ. Ayaṃ loko paro loko, brahmaloko sadevako; Diṭṭhiṃ te nābhijānāti, got…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie ▲ (さん‐げだつもん 【三解脱門】) 〜〜〜〜〜〜〜 仏語。解脱に至る方法である3種の三昧(さんまい)。 一切を空と観ずる空解脱、 一切に差別相のないことを観ずる無相解脱、 その上でさらに願求(がんぐ)の念を捨てる…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie 任意の一時点をとってそのとき ワタシの状態は過去の《善と悪とをふくむ原因》の結果として 《善悪の入り混じった》ものとしてみちびかれている。しかもその状態〔から繰り出す行為〕は 未来への《善と悪とをふくむ》…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie 何も覚っていない 修行中こそが覚りだと考えるのもどうかと思うので 回答してみます。覚りは現在なのか、過去なのか。覚る。なのか、 覚った。なのか。ゴータマ・ブッダは覚る人なのか、 覚った人なのか。それで、なん…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie 《人間イエスは神キリストなり》なるドグマについて 1. 《ナザレのひとイエスは そのように人間であると同時に キリストと呼ばれる神の子でありかつみづからも神である》という物語――つまり 命題としては論証し得な…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie 前記の内容へのおぎない。 おぎないます。 ひとつに 神の想定を置き ふたつに 神を人間になぞらえて意志を持つとさえ仮定して それでは神は 人間たちの世界にどのように介入しているか? とまで問うこころみです。つま…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie 神のイメージ・質問 三位一体論から入ります。 ◆ (創世記1:27) 神はご自分にかたどって人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 ☆ したがって――と言ってもこれは タトエですが―― …
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie○ 西羽義夫:ヘーゲルと神の存在証明 http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/5832/1/hs02-043.pdf§1 ▲ (p.50) ヘーゲルは神は優れて「精神」であるとする。「神は最高の感情ではなく,最高の思…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie 4. つまり 三位一体なる神にあっては すべてその意志は即時に成るのだが じっさいに人間とその世界にあっては 時間差をともないつつにでも 成就――たとえば 自由の――に向かってあゆんで来ている〔と見る〕のか? ☆ こ…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie ○ 西羽義夫:ヘーゲルと神の存在証明 http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/5832/1/hs02-043.pdf ▼ ( p.48 ) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 直接知は知識全般を否定するのではなく,有限者しか…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie 重力としての意志が 中立である。作為は 初めには ない。という立論について 次のように考えます。 つまり 人為としての意志は 中立なる(ふつうの・そしてそれは 一般に生きることとしてのであるからには 実際には よ…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie ▼ (ハバクク書2:4) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〔ギリシャ語〕 もし神なるわが霊が そのひとにおいて縮こまってしまい そこにやどりつづけることが無くなったとしても こころのまっすぐなひとは われ…
est une approche thérapeutique non conventionnelle qui repose sur l'idée que des manipulations manuelles du système musculo-squelettique et myofascial permettent de soulager certains troubles fonctionnels. Les ostéopathes considèrent que l…
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8274657.html Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie Q-1: 婚外子は 相続の問題よりも 一般に社会の中で生活じょう 何かと白い目で見られるとかというふうに 差別感をあじわっているのでしょうか? 2: その差別の目は 不…
(n.) 1774, from Malay gekoq, said to be imitative of its cry. Earlier forms were chacco (1711), jackoa (1727). やもり
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie ★ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 作文であり物語であると考えているのであれば、やはり信仰とは言えない。 やはり彼らは神を信じてはいない。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜…
《はし》は 《は(端)-し》か。 《し》は 何‐が‐し・それ‐が‐し あるいは 誰‐し‐も・果て‐し‐なく などのシか。 強めの意味を含みつつ それとして特定するはたらきを持つ。そしてもし《は(端)‐し》ならば つまりは一般にふたつのものの端と端とを視野に入…
いわゆる聖典を持ったばあい 人びとはその《オシエ》をとうとび それを守って生活しようとする。 この生活態度またはさらには世界観にまで広がったそのオシエの探究 これが確立されて行くなら――つまりは要するに オシエをみづからの信条や信念にすることが出…
Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie 1. イエスというのは ナザレの地のヨセフとマリアとのあいだの子で ふつうの人間です。 2. このイエスなる人間がキリストと呼ばれたのは そういう物語です。聖書記者たちが――イエスの振る舞いや発言にもとづき――想…