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哲学いろいろ

神に近づく

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie
ひとは 生まれついたそのすがた(自然本性)において 神に近くあります。

 それは 人間がどうにかして成ったものではありません。人為と人智を超えています。そういう意味での自然です。(超経験ないし超自然という言い方です)。


 ★ 神に近づくとはもちろん精神的なことですが、
 ☆ いいえ。神に近くあるというのは 超経験です。非思考です。精神ないし思考は 経験世界に属しています。

 強いて言えば 神のもとにあるという状態は 身(感性)と心(精神)とで予感するかたちであるかと見ます。身と心とを超えたナゾの何ものかを受け容れているという状態 これは マボロシとして神のもとにあるという予感をあたえてくれます。

 そうして これらはみな 何もしないことにおいて起こることです。
 経験世界を超えているということは 因果関係から自由だということです。

 因果関係から自由だということは 何をしたから神にちかづいたであるとか かにをしたから神から遠ざかったであるとか そういった因果応報の見方をいっさい受けつけないという意味です。

 絶対的に神から われわれにんげんにあたえられるものが さとりです。




 ▲ 〔親鸞自然法爾(じねんほうに)章〕〜〜〜〜〜〜〜

   自然といふは

   《自》はおのづからといふ。行者のはからひにあらず。
   《然》といふは しからしむといふことばなり。

   しからしむといふは行者のはからひにあらず 
   如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。
 
     * 爾(に・じ):しかり。そうである。

 ■ (道元:現成公案) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

   自己を運びて万法を修証するを迷とす。

   万法進みて自己を修証するは悟りなり。
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