caguirofie

哲学いろいろ

1. 聖書の哲学とは何か ってことでしょう?

2. 聖書の中身を腑分けしておけ ということでは?

3. 基本として次の三つに。

P: 経験科学たる哲学(これを 神論と呼ぼう)
L: 経験合理性から自由に物語を展開する文学作品
T: われなる主観の内であたかも特殊絶対性(しばしば独り善がり)を形成する神観(これは 人びとの間で共有されると 神学を構成する)


4. 神をどう捉えるかの順序にしたがって 次のように解剖する。

? P: 神は 超自然・超経験の場もしくはチカラである

? P: 概念説明として 絶対性・真無限

? L&T: 相対的で有限なる存在たる人間にとって 絶対性は 真理・〔善悪の彼岸としての〕至高の善・〔好悪・愛憎を超えた〕愛と受け留めたい気持ち

? L&T: 神の擬人化(物語化):絶対性→絶対者

? L&T: 絶対者たる神は 創造主なり

? L&T: 神は 属性として 慈愛深く・全知全能である。

? L&T: 被造物なる経験世界は 神の意志のハタラキである摂理にしたがう

? L&T: 摂理の一環として 神のことばを預かる預言者が 人間の間から出る

? L&T: あるいは 人が存在として預言者であるのでなくても 神の言葉を聞くことがある。それは 神の使い(天使)がもたらすと設定する

? L&T: 神が そのまま肉(つまり 身心を持った人間なる存在)に成ったという虚構を生む〔までに到る〕

? L&T: 神とその子(独り子)なる神とその両者から発する聖霊なる神という神観=神学を形成

? L&T&P: 無限ゆえ 三つに分割されるのではなく それぞれの個が 全体としての無限である

? L&T: 光の〔粗い〕タトへで それぞれ光源とその発耀とその両者から現われる明るさや暖かさに当てられる

? L&T: 子なる神〔だけ〕が 肉と成ったという物語〔としての神学〕

? L&T: イエス(肉)=キリスト(子なる神)と呼ばれた人間が 自分は或る預言者の語った言葉を成就するためにやって来たと言った

▲ (ルカによる福音 4:16-21 ) 〜〜〜〜〜〜〜
16 〔イエスは〕 それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。 17 すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、

18 「主の御霊がわたしに宿っている。
 貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、
 わたしを聖別してくださったからである。
 主はわたしをつかわして、
 囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、
 打ちひしがれている者に自由を得させ、
19 主のめぐみの年を告げ知らせるのである」(イザヤ書61:1-2)。

20 イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。
21 そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。
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? P: イエスは 大嘘をついたとも・大法螺を吹いたとも見られる。と同時に 虚構(物語)〔が預言者らをつうじて編まれて来たという歴史の〕チカラを利用して 超自然なる神を指し示した。とも見られる。

? P: 指し示された神は 人間にとってその能力や努力によっては分かるか分からないかが分からないナゾだと伝えられた。(律法はモーセをつうじて 真理はイエスをつうじて=ヨハネ福音の冒頭)。

? P: ▼ (ヘーゲルによる解説:無限と有限) 〜〜〜〜
無限なものと 有限なものとの一体性・・・この矛盾・・・は 
どんな自然的なものも自分のなかにこれを持ってはいない 
ないしはこれを 我慢できないであろうが 
この矛盾を持ちこたえることができるのが 
人格(☆ ――もしくは《わが固有の時間》――)の高さである。
(『法の哲学』§35追加(講義録)藤野渉・赤澤正敏訳 1967)
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