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哲学いろいろ

ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。∽《聖なる甘え》


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1. 次の文例のごとく 日本文のハ格およびガ格のハタラキについての探究です。

( あ) ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。

( い ) 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。

あるいはさらにこの《 A‐ハ B‐ガ C 。》なる構文の持つ意味について問い求めます。

     

2. 作業仮説です。

2-1. 始原的な自己表出について。

 



[α] A B C なるぞれぞれの語を 裸のまま・そして思いついたまま 繰り出すことにおいて ひとは始原的な自己表出をおこなっている。これは いわゆる《聖なる甘え》につうじているのではないか?

( あ-0 ) ぼく・・・〔注文〕・・・うなぎ
( い-0 ) 象 ・・・ 鼻 ・・・ 長い

2-2. これらの幼児のごとき表現のかたちが ひとの始原的な自己表出につうじており それは 人びとを理性ないし論理の一辺倒に落ち入る罠からすくっている。のではないか? (・・・IT後進国!?)
 
2-3. 語をその裸のままの姿で何らかの意思表示(つまり 文)に用いるのは あたかも良し悪し(プラスマイナス)抜きの絶対値として捉えているようであるゆえ 《絶対格》とよぶ。格活用していない(≒テニヲハをつけていない)《無格》の語のありさまを 絶対格に活用していると見なす。

2-4. つまり (あ)や(い)の例文でハ格やガ格を考えないし付けない段階である。しかもつまり なくても あたかもなお文(判断もしくは意思表示)を成すかに見える。

2-5. そうして ほかの見方からすれば むろんそれでいて: 

[ω] 論理的な意味連絡

を示すことが出来る。意味が或る程度 つうじている。そこから潜在性において 《ぼくは うなぎを 注文する。⇒ S-V-O. の文型》にまで伸び得る。


3. (2)項をまとめて次のようです。

( あ)  ぼく‐ハ 〔注文‐ガ〕 うなぎだ。
( あ-0 ) ぼく・・・〔注文〕・・・うなぎ

について見れば:
    
3-1. ( あ‐0)⇒[α](非線形?): 

《ぼく》も《注文》も《うなぎ》も みな 話題として単純に推し出された恰好である。
つまり あたかも幼児ことばのごとく 主題の羅列である。

ただしこれが全体として 文=意思表示であるなら そこに話し手の判断があり意味がある。すなわち 次のような文意を示すことが出来る。

3-2. ( あ‐0)⇒[ω](線形?):
その示し得る論理的な意味連絡として:

① 〔ぼくについて言えば〕 ぼくが注文するのは うなぎだ。
② ぼくの注文は うなぎだ。
③ ぼくは 注文する。うなぎを。(⇒ いわゆる S-V-O の文型)


4. すなわち 幼稚とも見える始原的な自己表出を思わせる《 A‐ハ B‐ガ C 》構文は それと同時に すでに語のあいだの互いの論理連関を示す仕組みにも成っている。同時に――すでに潜在的な意味のハタラキとして《同時に》である――そう成っているというところが ミソである。

5. 言いかえると 日本文は 英文などの《S-V-O》文型をも すでにふくみ持っている。(隠し持っている?)
ぎゃくに言えば 英文の用いている文型というのは [ω]の線形としての論理を示すような意味連絡のみを示すかたちに成っている。

6. すなわち 欧米の文型では 裸の自己表現がほとんどない。よくもわるくも[α]の幼児性=聖なる甘えを抜け出るかたちで進化した。

6-1. 絶対格における語の羅列が ゆるされがたく 裃をつけていないと文としての表現とは成り立ちがたいようなのだ。

7. これは――あらためて言って―― 日本文や韓国文に見られる・ことばのナラハシの始めにおいてじんるいが有したと思われるような《聖なる甘え》をもはや削ぎ落として来たかたちなのではないか? (韓国文は 甘えすぎだ!?)


               *


8. 参考までに いまの仮説をなるべく理論的にのべます。

9. 日本文は 次の基本構文として成るというのが 骨子である。

[α]構文:  A‐ハ  B‐ガ  C‐ナリ。 / C‐スル。

10. A・B・C は 話し手が話題にしたい主題です。文がその内部で或る種の問答だとすれば Aが《問い》としての主題であり B は その A に関連することがらとして引き出された主題であり それらの思考の過程を経て C という《答え》を 話し手は――おのれの主観として――提出します。

11. 問いと答えで ひとつの文において話し手の思想ないし意思表示が――最小の単位としてのひとまとまりとなって――表わされる恰好です。

12. 《答え》も それは《問い》に対する論述を構成しますが 論述主題です。あらたな問いとなります。

13. したがって 日本文は すべて主題を提示する(提示し続ける)というかたちで文をつくっていると見られます。これが 基本構文でありその成り立ちだと見ます。




14. この日本語の構文は もし英語で S-V-O 型式がその基本文型だとしますと この文型を内蔵している。こう見ます。

15. 文例(い): 象‐ハ 鼻‐ガ 長い。 について《論理直接的な》意味連絡を敢えて捉えるならば 次のようになりましょうか?

( い-1 ) : 象‐ノ 鼻‐ガ 長い。
( い-1-E ): Elephant's nose ( trunk )is long.

( い-2 ) : 象‐ハ 〔持つ〕 鼻すなわち長いそれ‐ヲ。
( い-2-E ): An elephant has a long nose( trunk ).

16. 単純な比喩としては 和文は 非線形の構文であり 英文は 線形の文型である。

17. 非線形というのは あたかも主題の提示を尺八の音を一つひとつ響かせながら重ねて行くような姿を言う。

18. こうして成った基本構文が S-V-O 文型という線形の意味連絡による成り立ちへと みづからを保ちつつしかも相転移していくことになるのではないか。[α]のアソビと[ω]の筋道とを同時にふくむ。


19. 和文における論理――語句のあいだにおける論理直線的な意味関係[ω]――は その超論理的な[α]の宇宙の中に潜在性として内包されていたのだ。尺八のひと吹きごとにつくられて行く。
 
20. 《ぼく‐ハ》と言ったそのとき ひとつの小宇宙が現われ 《注文‐ガ》と受け継いだとき もうひとつの小宇宙の現われとともに それらの意味連関がつくられて行く。《うなぎ‐だ》と締めて それまでの宇宙遊泳を 何がしかのキヅナでつなげてまとめた。


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☆ 果たしていかに? 自由なご批判をあおぎます。

21. われらが母語の成り立ちを知らないでは 恥づかしいと言うのは いつものわたしの余分なひとことです。