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◇ ねむりねこ 2018/06/27 18:32
こんばんは。
以下のサイトに、古代ギリシアにおける愛を表す語とその意味、ならびに、その解説が出ているようです。
古代ギリシアにおける四つの愛の概念の違い、エロスとフィリアとアガペーとストルゲー
https://information-station.xyz/5589.html = ▲
☆ bragelone
▲ アガペーもストルゲーも共に、もともとはそうした血縁関係のある肉親や
兄弟姉妹に対する愛情、すなわち、家族愛のことを示す概念であったと考えら
れることになるのです。
☆ アガペーが 家族愛を意味する概念からその意味を変化させた――と言っ
ているんですかね。
これは 初耳でした。
▲ 古代ローマにおいてキリスト教が広く浸透していくにつれて、父なる神の
子である一人一人の人間すべてに対する愛、すなわち、親が子を愛するように
深く思いやる慈悲深い神の無限なる無償の愛のことを表す概念として捉え直さ
れていくことになるのです。
☆ と。
そして:
▲ 一般的な意味では男女の間の愛として捉えられることが多いエロスの概念
についても、それは、アガペーとの対比といった哲学的・神学的文脈において
は、単なる男女の間の情愛にはとどまらない神秘的であり論理的でもある概念
として捉え直されていくことになるのです。
☆ エロースに深い意味すなわちたとえば 生命力のような内容を託すといっ
た議論は聞いていますが 一般化はしていないと思っていました。ふうーむ。
◇ ねむりねこ
エロスとアガペーの違いとは?哲学におけるエロスの意味
https://information-station.xyz/5681.html = ▼
☆ bragelone
▼ 神から人間へと向けられる愛としてのアガペーは、能力においても、善性
においても限りなく上位にある存在である神から、下位にある人間へと下降し
ていく形でもたらされる愛であるという意味において、
それは言わば、下り道の愛、下降の愛であると捉えられることになるのです。
☆ これは そうでしょうね。
▼ 哲学的・神学的文脈におけるエロスの概念は、そうした有限で不完全な存
在である人間から、無限で完全なる存在である神へと向けられる憧れのまなざ
し、
すなわち、不完全な存在である人間が、自らの努力と修練によって、神のよう
な完全な存在を目指して上昇していこうとする上り道の愛、上昇の愛として捉
えられることになります。
☆ うむ。これは どうなんですかね。すべて 人間の能力と努力とで成就す
ると思っているんでしょうか。
自性清浄心というとき どこまで人間は どのように努力して実現させようと
思っているのか?
▼ 神やイデア界(プラトン哲学において、現実の世界の背後にあり、すべて
の事物の原型となる真なる実在の世界、叡智界や天上界とも呼ばれる)といっ
た完全な存在、完全なる知のあり方へと自らの精神を限りなく上昇させていこ
うとする魂のあり方にこそ哲学におけるエロスの概念の本質があると考えられ
ることになるのです。
☆ これは 人間の能力をみづからが買い被っていはしないか?
◇ ねむりねこ
プラトンのエロース論が展開されているのは、たしか、『饗宴』だったように記憶しておりますが・・・。
アガペー(神からヒトへ、下に向かう愛)
エロース(ヒトから神へ、上に向かう愛)
こんな話をどこかで読んだ記憶があります。
仏教でいう渇愛は「エロース」だと思いますよ。渇愛は、「満たされない」、欠乏を前提とし、この不足を満たそうという衝動ですから。
☆ bragelone
渇愛は けっきょく無明のことで あるいは煩悩であり 何とかいう仏教学者
は 《根本的な生存欲》だと言っていました。
エロースとどう同じでどう違うか?
もしエロースが すでに神のほうを向いているとしたら つまりは 神のこと
をともかく知っているとしたら 《無明》の場合は そのような志向性を持た
ず 方向を知らない状態にある。――のではないかと考えられるのですが ど
うでしょうか?