caguirofie

哲学いろいろ

(2)『音楽の起源と規則』論を取り上げて

【Q:エクシメーノ:音楽美と数学(音程比)とは無関係か】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8989681.html

▲ (ホアキン・M・ベニテズ:エクシメーノの音楽論) 〜〜〜〜〜

  
 *1 ホアキン・M・ベニテズ( Joaquin M. Benitez 1940- ):十八世紀音楽思想の一断面――エクシメーノの『音楽の起源と規則』の場合―― in 今道友信編 『精神と音楽の交響 西洋音楽美学の流れ』 1997
⇒全文: 2015-06-16 - caguirofie


 *2 エクシメーノ Antonio Eximeno y Pujades, ( 1729-1808 スペイン人でイタリアへ亡命したイエズス会士の数学者・哲学者):『音楽の起源と規則』 Dell'origine e delle regole della musica, colla storia del suo progresso, decadenza, e rinnovazione, Roma, 1774


 【あ】 音楽の基礎を数学か物理学かに置くならば 音楽作品の実際的な聴取において見出される音楽現象のすべてを解明することは必然的に不可能になり そのために 音楽の理論と実践を整合することは一層困難になる。


 【い】 数の比は 単に偶有的なものである〔場合がある〕。


    ある演説のなかのいろいろな陳述の長さを互いに
   比較すれば そこでの語数から諸々の比と割合とが
   引き出されるであろう。しかしそれにもかかわらず 
   それら〔の比や割合〕は その演説にとっては偶有的
   なものである。なぜなら その〔演説の〕説得力は 語
   数には依存しないからである。


 それと同様に 弦の長さは測定し得るものであり さまざまな諸音程関係に対応するさまざまな振動弦の弦長相互間に多くの比や割合が存在する。しかし これらの比は 和声の響きにとっては偶有的なものである。すなわち 和声の響きは これらの比を知らなくとも得られるものであり 体験され得るものなのである。


  ☆ (ぶらじゅろんぬ註) これだけなら 比があるから 
   和声の響きが心地よく聞こえるのだと反論しうる。
   次の議論を聞こう。質問者にはよく分からない所が
   あるからでもある。


 【う】 こうした原理は エクシメーノが展開しているすべての数学的例証に及んでいる。最も明瞭な一例を挙げよう。
  エクシメーノは 音楽における五つの最も完全な協和音程――オクターヴ 五度 四度 長短三度――が それぞれ数学的に 1/2  2/3  3/4  4/5  6/7 という比によって表わし得ることを認めている。これらの比の間の関係は 前の音程比の分母と分子にそれぞれ 1 を加えるという法則に従っている。しかしエクシメーノは この法則によっては説明しきれないものがあると述べ 次のように問う。


  すなわち 音楽は何故に 6/7 の比に基づく音程を用いないのか。それは 短三度とほぼ同様に耳に心地好いはずであり そしてまた この法則らしきものから次に得られるべき比であるのに。


  また 音楽にとって非常に重要な二つの音程である長短六度の比( 3/5  5/8 )を得るために なぜこの法則を適用し得ないのか。


  そして  音楽に不可欠な不協和音程を何故にこの同じ法則から引き出し得ないのか。


 それ故 彼は次のように結論を下す。


    経験はその逆のことを証している。したがって 諸振動
   の会合は音楽の快感の原因ではない。


  ☆ ほかにもいくつか論点ないし例証があるのですが あとひとつ
   を引きます。


 【え】 エクシメーノはまた 鍵盤楽器平均律弦法を論じて 彼の立場を主張している。
 もし数学的な音程比がそれほど重要であるのなら 何故に平均律によって修正された音階を用いなければならないのか。もしそうした比が重要であるのなら 平均律調弦された楽器の音から快感を得ることはできないだろう。


 というのも 平均律では すべての音程は《オクターヴ以外 耳に不快なものであるはずだ》。しかし われわれの経験は 逆のことを告げる。すなわち


   理論的な音程比に従って調弦されたチェンバロは 歌
  のためにも楽器演奏のためにも使えないだろう。自然が
  音楽を特定の音程比に基礎づけたと仮定することは[・・・
  (中略)・・・]なんたる愚行であることか。われわれが歌い
  演奏したいと思う時はいつでも 自然であるためにそれら
  〔の比〕を修正せねばならないのに。

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 ☆ いろいろおしえてください。


 もし数学的なことがらが音楽美とは関係ないとなったなら そのときにはおそらく 言葉の起源がほとんど人間には――使っていながら――分からないほどであるその自然さと同じように 情感といった自然の要素と大きくかかわっている。ということらしい。(その点は むしろありきたりの結論のようです)。


 ほかの例証や論点を やり取りの中で引用することは可能です。

Tastenkasten 2015/06/16 22:31

ポイントを言ってしまうと、エクシメーノが言っていることは、
音響物理学的な正確さに過ぎないので、「音楽美」と結びつけるのは無理だと思うのです。

Tastenkastenなまえ 2015/06/21 22:16

「精神と音楽の交響」のエクシメーノの章はざっと読み通したのですが、途中に出てくるルソーとラモーの理論の詳細がわからないので、
音楽と数学の問題、自然と音楽美の問題に限って、実際の音楽の視点から見ると、エクシメーノの論点はちょっとずれているのではないかという話になりそうです。

bragelone 2015/06/21 22:50

 ★ (たすてん先生回答№5:【Q:なぜ脳は良い音楽を聞くと心地よくなるのですか?】) 〜〜〜〜〜
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8819123.html


 つまり脳は、雑音と音楽、もしくはよい音楽と悪い音楽を識別するようにできているわけではなく、聞きなれている音、好きな音楽を心地よく感じるということです。自然音か音楽か、協和音か不協和音かは、あまり関係がないと言えるでしょう。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ☆ なるほど。経験則のごとく 自然と(おのづから)そのようだと思われて来ます。

bragelone

 ★ ポイントを言ってしまうと、エクシメーノが言っていることは、
  音響物理学的な正確さに過ぎないので、「音楽美」と結びつけるのは無理だと思うのです。
 ★ 途中に出てくるルソーとラモーの理論の詳細がわからないので、
  音楽と数学の問題、自然と音楽美の問題に限って、実際の音楽の視点から見ると、エクシメーノの論点はちょっとずれているのではないかという話になりそうです。
 ☆ 先生 あのお エクシメーノは 音程比などの数学が音楽美とは無関係だと言っていると思うのですが? 逆のほうへ勘違いをなさっているのではないかと。
 すなわちむしろエクシメーノも 方向として 《たすてん先生回答№5:【Q:なぜ脳は良い音楽を聞くと心地よくなるのですか?】》で述べておられる内容を捉えようとしているのではないかと。


 ☆☆(趣旨説明欄) ほかにもいくつか論点ないし例証があるのですが
 ☆ と書きましたが 《論点》は この《音楽〔美〕と数学の関係》の問題にほぼ集中しているように思われます。それが 《無関係》だという見方から 《自然と音楽美の問題》へと一歩すすめているかたちなのだと。
 言葉が人間にとって自然であるように 音楽も同じように感性や情感といった自然にかかわっていると。
 わたしは 趣旨説明欄でこのひとつの結論が《ありきたり》だと言っていますが ちょっと語弊がありました。平凡な内容に落ち着いたみたいだというような意味を言いたかったのでした。

 
 この《自然》につきましては――《本能》といった見方ともつなげているようですが―― 必ずしも《例証》が行き届いているとは言えないのかも分かりません。そちらの方向において捉えようとしているというところまでなのかも分かりません。

bragelone

 (あ) 《音楽美と数学(音程比)とは無関係か》という問い方は 無味乾燥に落ち入るおそれがあるかも知れませんね。

 (い) 平均律とかピュタゴラスのコンマとか いまブルーバックスの『音律と音階の科学』で学んでいますが 音楽関係のことをなかなかうまく説明し得ません。けれども 問いの動機は いたって単純です。

 (う) 音程の組み合わせ方としての比や拍子の取り方としての間隔の比などの数学的要素や要因が どこまで音楽美にかかわっているのか? これが知りたいと思ったのでした。

 (え) いやいや 自然の要素が(または 自然の要素も) 関係しているのではないかという時 考えてみると――質問を掲げた時から考え直したという意味ですが―― そのような協和音などが数学的事態であるとしても この数学的な要素じたいも じつは自然としての要素であるかも知れない。となると どのように問えばよいだろうか?

 (お) 目の感覚にとって 黄金比がうつくしいという時それは 数学的要素だと思いますが それでもこの数学的要素じたいが 自然的なるもの であるかも知れない。そうだとしたらそれでは 美は どこから来てどのようにして成り立つのか?

 (か) 協和音だけではなく それと不協和音とがさらに組み合わされたとしたら? そしてそれも美を醸し出すというのであれば これは 数学的な要素と非数学的な要素とがまじりあって全体として美を作り出している――と言えるのか? 

 (き) あるいは 非数学的要素というものをも 数学は みづからの普遍言語によって数式化し 自己の領域に組み入れる。としたら よくは分かりませんが 線形と非線形との組み合わせだとか 複雑系だとかの捉え方によって 美の成り立ちを説明することになるのだろうか?

 (く) わたしは単純化の鬼ですが これらの事態は 《自然》が 感性と理性とそしてプラスαとをぜんぶ含み持っているというような世界だということなのか?

 (け) 耳の感覚をとおして捉える世界は おもしろそうですね。

Tastenkasten 2015/06/22 18:36

>先生 あのお エクシメーノは 音程比などの数学が音楽美とは無関係だと言っていると思うのですが? 逆のほうへ勘違いをなさっているのではないかと。


いえ、そうではないのですよ。詳しいことは回答に書くつもりだったので簡単に予告しただけで、何のことかお分かりにならなかったと思います。
学者が音楽と数学を過度に結び付けて理論化し、自然の音響現象と数理的に一致するから音楽美は自然に由来するのだという論法には、私も抵抗があります。


ですから、エクシメーノの批判も支持したい気持ちになるのですが、一方、平均律純正律とずれているのに問題なく使用されているという事実から、
音楽と数学は関係ない、という結論をいきなり引き出すのもまた、ある意味で学者の潔癖さゆえの弊害という気がしたのです。

bragelone

 なるほど。複雑ですね。
 ですから最初に出されたコメントでは 反応しづらかったのだとは思います。


詳細は改めて書きますが、専門的に訓練された聴覚は別として、普通の人が音楽を聴くとき、純正律平均律の誤差などまず聞き取れないんですよ。
ですから、計算上の数字ではかなりずれていても、平均律上でのハーモニーがちゃんと美しく機能することを、
自然の倍音律(数学的秩序)と全く無関係と言い切れるわけではないのではないかと思ったのです。

bragelone

 これも なるほどですね。
 つまり 《近似値》も 本体(ないし正解)と同じだと捉える手法にも 一理も二理もある。

私は学者ではないので、確信をもって考えをまとめることはできませんが、平均的な人間の聴覚では問題にならない誤差と考えます。
ただ、そうはいってもやはり数学だけをもって音楽美の証明は無理だと思います。

bragelone

 近似値や概算というものの意義を どのように捉え扱うか。でしょうか。
 一概には定まらない。


この辺の学者の議論を聞いていると、「音楽」と「音響」がはっきり区別されていないように思います。

bragelone

 あぁ そういう視点もありましたか。《音響じたい》と《音響をたのしむ あるいは音響などをたのしむ》と。

 
 二三日前に 例のクラシック倶楽部で ショスタコーヴィッチのピアノ五重奏をやっていました。

番組内容
http://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2015-06-18&ch=10&eid=26189&f=242
 ▽ボロディン弦楽四重奏団 with エリザベート・レオンスカヤ〜生誕100年リヒテルとともに奏でた音楽家たち〜 
 「ピアノ五重奏 ト短調 作品57」
 ショスタコーヴィチ:作曲
 (弦楽四重奏団ボロディン弦楽四重奏団、(ピアノ)エリーザベト・レオンスカヤ
 (39分23秒)
 〜【収録】2015年4月2日 東京文化会館小ホール〜

 第二楽章の初めのあたりでしたか バイオリンだけの・それも小さな響きで或る程度の時間を共にすることへと聴く人をみちびく。ジョン・ケージではないですが あるいは絵画における余白の効用とも通じるかにも思えましたが そんなふうに沈黙や静けさをも聞かせる曲なんですね。
 メーンテーマとなるようなメロディも無いのですね。変わった音楽だと思いました。
 さびしさと言いますか あるいは荒涼さの中に送る極北の生活のきびしさといったような悲しさもがあって 愛好するにはやや躊躇されましたが めづらしい(愛でたくなるような)しらべでした。


あと、「精神と音楽の交響」に引用されている分だけ読むと、エクシメーノが言っている意味が分からないところがありました。
ある音程をなぜ倍音律から導き出せないのか、ということなのですが、この意味が分かりませんでした。
インターネット・アーカイブに、エクシメーノの音楽論の数学的な部分だけのドイツ語訳が出ていたので確認したのですが、
ハーモニー、つまり縦の関係よりも、音階の方が問題になっていると思います。
純正律による音階(ドレミファソラシド)の各音の幅が、倍音律の数値と違うということを言っているようなのですが、私もこういう細かい調律の数値については詳しくありません。
24:27:30:32:36:40:45:48というのが純正律の音階らしいく、ガリレオ・ガリレイの父親によるものとかいう記述をドイツ語のウィキペでちょっと見かけました。
詳細は未確認ですが、この部分が抜け落ちてしまっているので、「精神と音楽の交響」の論文の意味が今一つわかりにくかったのです。
もう少し時間をいただきます。

bragelone

 そうでしたか。ずいぶん細かいことを取り上げているのでしょうか エクシメーノは。
 ふたたび 《誤差》の問題のようにも感じますが ちょっと手が出ない状態です。
 すみません。見守ります。お待ちします。
 

ねむりねこ 2015/06/22 21:20

Tastekastenさんへの質問なのですが、
純正率と平均律の響きは、やはり違うものなんですか?


私なんぞは絶対音感相対音感すら持ち合わせていないので、聞いてもその違いは絶対にわからないという自信がありますけれども、
曲調や聴衆側の心理的作用などで何らかの違った効果を狙えたりするもんなのでしょうか。


gooとOKwaveが分離せず、そして、自信のブログを開かなかったら、
この問題は「教えて!goo」の方で質問しようと密かに思っていたんですけれども。


あと、ピッチの問題。
カラヤンBPOのある時期、BPOのピッチが半音高かったなんて話があるようですが、
―――半音違ったら、いくら何でもわかるだろう・・・。これは、まぁ、都市伝説の一つか。カラヤン時代のBPOのピッチは、本当に高かっただろうか?―――
ピッチ、Aだと440Hzですから、これから数ヘルツの違いなんでしょうけれど、
2〜3Hz違うと、オケの音って、かなり違ってくるもんですか?
曲調も多少変わってくるものですか?
―――素人の耳にはわからないと思いますが、プロならば違って聞こえるものか?―――


アメリカのオケは440Hzに近く、ヨーロッパのオケは少し高いなんていいますわね〜。

Tastenkasten 2015/06/22 22:56

>二三日前に 例のクラシック倶楽部で ショスタコーヴィッチのピアノ五重奏をやっていました。


私も録画しました。昔からよく知っている曲なので、まだ聞いていません。


>Tastekastenさんへの質問なのですが、純正率と平均律の響きは、やはり違うものなんですか?


違います。これを聞き分けられるかどうかは、絶対音感相対音感とは関係がありません。
どちらかというと、たった一音でも音の高さが特定できてしまう絶対音感の持ち主の方が、
微妙な音程差には無頓着になる傾向があるといいます。もちろん、何の楽器をやっていたかにもよります。
私のように、絶対音感があってピアノが主な楽器だった人間は、純正律とかピタゴラス音律などは結構長い間知らずに済んでしまいます。
私は高校時代にチェロを弾いて、オーケストラもやっていたので、何となく違いに気づいてはいたのですが、
のちにオーケストラの指揮者としてリハーサルをやるようになったとき、和音をきれいに響かせるために、純正律についてのごく大雑把な知識は必要でした。
複数の音の音程が純正律からはずれた場合、「うなり」が生じます。ねむねこさんは数学の神様ですから、
私と違って、計算でうなりの回数を算出できるはずです。いつかブログで音響学を扱ってください。
ピアノの調律師は、ピアノを平均律で調律する場合、この「うなり」が一定の時間内に何回起こるかを聞いて調律します。
純正律ではないので「うなり」が生じるのが当然であり、この純正律から見ると「狂い」といえる「うなり」を正確な回数に調節することで、平均律の音高を算出するわけです。
純正律平均律は、先ほど書いたように、普通の人にはすぐにはわかりません。
回答に引用するつもりで、聞き比べができるサイトを見つけてありますので、
この点に関しては、OKWaveのエクシメーノの質問への回答をお待ちください。


>あと、ピッチの問題。
カラヤンBPOのある時期、BPOのピッチが半音高かったなんて話があるようですが、


張りのある音を出すために、ある時期ピッチがどんどん上がっていったことはありましたね。
もちろん、半音高ければわかりますので、そこまではいきませんが、4分の1音をわずかに超えてしまうと、
どちらだかわからなくなり、結果的に半音高く聞こえてしまう可能性もあります。
あまり詳しくありませんが、444ヘルツぐらいまではいったことがあるのではないでしょうか。
たとえば弦楽器の場合ですが、緩んだ弦とピンと強く張った弦では音色は当然違います。
ただ、あまり高くなりすぎて楽器に無理がかかるようになったので、最近はそれほど高くすることはないでしょう。440〜442ヘルツが一般的だと思います。
古楽器のアンサンブルの場合は半音低いですね。

ねむりねこ 2015/06/23 00:15

ネムネコ、数学・物理的な観点から、
Tastenkastenさんに反論する(ポリポリ)。


http://nemuneko-gensokyou.blog.so-net.ne.jp/2015-06-22-9


すべての和音の場合を調べたわけではありませんが、
4:5:6(1/1:5/4:3/2)の場合について純正率と平均律の和音の差をグラフにしてみると、
この両者に顕著な差を認めることはできない。


したがって、理系人的な立場からしますと、承服できません。

ねむりねこ 2015/06/23 13:53

考えてみたら、何のことはない。
周波数を第1音、第3音、第5音の周波数をそれぞれf1, f3, f5としたとき、
f3 - f1 = f5 - f3
ならば、物理で言う「うなり成分」が一致するってだけの話ですね。
2f3 = f1 + f5
f3 = (f1 + f5)/2
ならば、澄んで聞こえる(?)って話です。
こういう風に作るならば、
周波数比が3:4:5であろうと、
無理数を含む√3:√3+√2:√3+2√2であろうと、かまいやしない(笑)。
整数比である必要など、無いはずだ!!

ねむりねこ 2015/06/23 14:03

グラフをつくり、
ねむねこ幻想郷のほうに上げておきました。


周波数比√3:√3+√2:√3+2√2の非整数比の和音でも、たぶん、澄んだ響きに聞こえるのだと思う。

bragelone 2015/06/23 18:36

 次の議論は かかわりがありますか?


 ◆ (小方厚:二つの音をどこまで認識できるか) 〜〜〜〜
 図27(省略:周波数が近接した二音はどのような周波数に聞こえるかの図)において混成帯域幅が半音より上にある周波数領域では われわれは二つの半音を聴いて二つの音に明瞭に分離して認識することができない。また混成帯域幅全音より上にある周波数領域では 全音を二音に明瞭に分離して認識できない。


 いまでこそこの図は受け容れられているが 1960年代に学界で発表されたときは 音楽家とくに演奏家から猛反撃を食らった。図28(省略:《広い意味の混成帯域幅》と《臨界帯域幅》の二音の平均周波数への依存性の図)では すべての領域で混成帯域幅は半音より大きい。すなわち人は音程が半音ずれた重音を聴いても二音を分離することはできないことになるが 演奏家たちは自分は明確に二音を認識していると主張した。


 このように感覚と違うのは 図28が 長時間にわたり一定の振幅で続く二つの純音 すなわち単一周波数音を使ったものであることに主な原因がある。


 実際の楽器のスペクトルは刻々と変化し 長時間一定に保つことはできない。実際の楽器演奏では 重音と言ってもたいていは片方が先に終わってしまう。また二つの耳によるステレオ効果も二音の分離を助ける。さらに 混成帯域幅には個人差があり 訓練によっても狭くなる。

 (小方厚:『音律と音階の科学  ドレミ・・・はどのようにして生まれたか』§ 4.4  p.93 2007 ブルーバックス
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ねむりねこ 2015/06/23 19:52

たぶん、このとき、音程の違う二つの音として聞き取れないでしょうね。
y = sin(2πf1t) + sin(2πf2t) = 2 sin(2π(f1+f2)/2・t)・cos(π(f1-f2)t)
となります。
周波数が近いと、f1-f2 ≒ 0と考えてよく、cosの成分が1に近くて
 y = 2 sin(2πfm・t) ここでfm = (f1+f2)/2
となって、f1とf2の平均周波数の一つの波として人間の耳に聞こえてしまいますので。


cosx ≒ 1 - (x^2)/6  (xが0に近いとき )
と近似できて、x = 0.01、1%くらいの違いだと、0.01^2 = 1/10000くらいの差にしかならず、プロの音楽家であったとしても、この二つの音が同時に鳴らされたら、わからないはずです。
1、2Hzの違いだったら、この二つの音が同時に鳴らされたら、二つの音の音程の違いは聞き取れないはずです。
わかるとしたら、平均された音の違いからだと思いますね。
これも足して2で割る勘定になるので、半音の半分1/4音だと、1/8音の違いになるので結構厳しいものがあるんじゃないですかね。

bragelone 2015/06/23 22:11

 結果としての内容は だいたい分かるつもりなんですが。・・・


 ◆ 二つの耳によるステレオ効果も二音の分離を助ける。
 ☆ これが振るっていると思いました。人体の機能もまんざら捨てたものではない。・・・